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 『正統鹿耳門聖母廟』の次は、『鹿耳門天后宮』です。 どちらも媽祖廟ですが・・・。<br /><br />観光案内にはこんなことが書かれているものもあります。<br />「この鹿耳門天后宮は、鄭成功が台湾に来て最初に建てた媽祖宮と言われています。 鄭成功はオランダ人を排除した後に、鹿耳門天后宮を建立しました。 それだけに鹿耳門天后宮は、台湾最古最大級の規模となっています。」<br /> 台湾最古は別として最大級の規模だと言われると、ここに来る前に見てきた『正統鹿耳門聖母廟』は何なのだ・・・。<br /><br /> そんなことはさておき、門の屋根と廟の屋根はとにかく綺麗、きらびやかです。 別な言い方をすればド派手な廟です。<br /><br /> ここも昔の記憶のものとは違っていました。 あれから25年も経っているのだから変わらない方がおかしいのかもしれませんね。

懐かしい思い出の地へ再び 《台南》 -3

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2010/10/08 - 2010/10/13

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y.e.huang

y.e.huangさん

 『正統鹿耳門聖母廟』の次は、『鹿耳門天后宮』です。 どちらも媽祖廟ですが・・・。

観光案内にはこんなことが書かれているものもあります。
「この鹿耳門天后宮は、鄭成功が台湾に来て最初に建てた媽祖宮と言われています。 鄭成功はオランダ人を排除した後に、鹿耳門天后宮を建立しました。 それだけに鹿耳門天后宮は、台湾最古最大級の規模となっています。」
 台湾最古は別として最大級の規模だと言われると、ここに来る前に見てきた『正統鹿耳門聖母廟』は何なのだ・・・。

 そんなことはさておき、門の屋根と廟の屋根はとにかく綺麗、きらびやかです。 別な言い方をすればド派手な廟です。

 ここも昔の記憶のものとは違っていました。 あれから25年も経っているのだから変わらない方がおかしいのかもしれませんね。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 タクシー
旅行の手配内容
その他
  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 以下、外観のコメントは不要かと思います。

    鹿耳門天后宮

     以下、外観のコメントは不要かと思います。

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 門を入ってすぐ左側にあります。

    鹿耳門天后宮

     門を入ってすぐ左側にあります。

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 正面の入口から中に入ると広場があり、その周りに回廊があります。 内部は、外観とは対照的に古く趣のある廟で、その静かな空間は心休まるものがあります。

    鹿耳門天后宮

     正面の入口から中に入ると広場があり、その周りに回廊があります。 内部は、外観とは対照的に古く趣のある廟で、その静かな空間は心休まるものがあります。

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 屋根の上とは違った美しさがあります。 

    鹿耳門天后宮

     屋根の上とは違った美しさがあります。 

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 石柱の周りには願い事を書いた丸い木の札が掛けられていました。

    鹿耳門天后宮

     石柱の周りには願い事を書いた丸い木の札が掛けられていました。

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 内部の回廊です。

    鹿耳門天后宮

     内部の回廊です。

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 石柱の周りだけではなくこんな所にまで木の札が掛けられていました。

    鹿耳門天后宮

     石柱の周りだけではなくこんな所にまで木の札が掛けられていました。

  • 鹿耳門天后宮<br /><br /> 廟の中から外をみたところです。

    鹿耳門天后宮

     廟の中から外をみたところです。

  • 鹿耳門天后宮

    鹿耳門天后宮

  • 飛虎将軍廟<br /><br /> ここは初めての場所でした。 鹿耳門天后宮でドライバーの陳先生が『飛虎将軍廟』という廟がありますので行きませんか? と私に聞きました。 『飛虎将軍』という言葉は聞き取れましたが、それが誰かは知りませんでした。 すると “飛虎将軍は日本人です” と言うのです。 そこまで言われても私は『飛虎将軍』が誰なのか解りませんでした。 さらに、大天后宮へ行く途中にあるのだからと言うので、それなら行きましょうと言って立ち寄りました。

    飛虎将軍廟

     ここは初めての場所でした。 鹿耳門天后宮でドライバーの陳先生が『飛虎将軍廟』という廟がありますので行きませんか? と私に聞きました。 『飛虎将軍』という言葉は聞き取れましたが、それが誰かは知りませんでした。 すると “飛虎将軍は日本人です” と言うのです。 そこまで言われても私は『飛虎将軍』が誰なのか解りませんでした。 さらに、大天后宮へ行く途中にあるのだからと言うので、それなら行きましょうと言って立ち寄りました。

  • 飛虎将軍廟<br /><br /> 以前は、赤い幕に「歡迎日本國信徒・・・」と中国語で書かれていましたが、今では「歡迎、日本國の皆皆様ようこそ參詣にいらしやいました」と日本語で書かれています。<br /><br />

    飛虎将軍廟

     以前は、赤い幕に「歡迎日本國信徒・・・」と中国語で書かれていましたが、今では「歡迎、日本國の皆皆様ようこそ參詣にいらしやいました」と日本語で書かれています。

  • 飛虎将軍廟<br /><br /> 奥の正殿に神像が祀られています。

    飛虎将軍廟

     奥の正殿に神像が祀られています。

  • 飛虎将軍廟《本尊「杉浦茂峰少尉(当時は兵曹長)」の神像》<br /> <br /> この話の説明をするととても長くなります。 しかし、とてもいい話なので少しだけ書きたいと思います。<br /><br /> 1944年10月12日、太平洋戦争末期のこの日、台南の「海尾寮」という集落の上空で日米の戦闘機による空戦が行われました。 数に勝る米軍機に日軍機は苦戦し次々と撃墜されてゆきました。 その中の一人杉浦兵曹長も敢闘しましたが敵弾を受け機体は急降下してゆきました。 その時に機内から脱出しパラシュートで降下すれば助かるかもしれない、しかし、急降下する機体の真下には「海尾寮」の集落があり、このまま機体が落ちれば自分は助かっても集落やそこに居る人々に大きな被害が出るだろうと判断し、機首を揚げて機体を上昇させ集落の外郭の東側まで飛び去りました。 機体は空中で爆発しましたが彼はパラシュートで降下しました。 しかし、降下中に米機の機銃掃射を浴びパラシュートが破れ畑の中(飛虎将軍廟付近)に落ちて戦死しました。 彼の軍靴に「杉浦」と書かれていたため後に「杉浦茂峰兵曹長」であることが判明しました。(判明するまでのことは省略します。)<br /><br /> 終戦からしばらくして当時の空中戦を目撃した「海尾寮」の集落の有志が集まりその話の中で、杉浦兵曹長が集落を戦火から救うために自分の命を犠牲にしたことが判りました。 その恩に報いるために祠を建てて永久に祀ることを全員一致で決議し1971年に祠を建設しました。 それは敷地四坪程の小さなものでした。 1993年朝皇宮管理委員会の提案で祠の再建が決議されました。 多くの信者の協力により再建した廟は敷地五十坪の立派な廟になりました。<br /><br /> 杉浦兵曹長の判断と行動には頭が下がります。 それ以上に、そのことを知って彼のために祠を建て丁重に祀ってくれた集落の人達のやさしい気持ちに私はありがとうという気持ちでいっぱいになりました。<br /><br /> 台南といえば「烏山頭水庫を造った八田與一氏」が有名ですが、こういういい話があるから台湾人は日本が好きなんですよね。

    飛虎将軍廟《本尊「杉浦茂峰少尉(当時は兵曹長)」の神像》
     
     この話の説明をするととても長くなります。 しかし、とてもいい話なので少しだけ書きたいと思います。

     1944年10月12日、太平洋戦争末期のこの日、台南の「海尾寮」という集落の上空で日米の戦闘機による空戦が行われました。 数に勝る米軍機に日軍機は苦戦し次々と撃墜されてゆきました。 その中の一人杉浦兵曹長も敢闘しましたが敵弾を受け機体は急降下してゆきました。 その時に機内から脱出しパラシュートで降下すれば助かるかもしれない、しかし、急降下する機体の真下には「海尾寮」の集落があり、このまま機体が落ちれば自分は助かっても集落やそこに居る人々に大きな被害が出るだろうと判断し、機首を揚げて機体を上昇させ集落の外郭の東側まで飛び去りました。 機体は空中で爆発しましたが彼はパラシュートで降下しました。 しかし、降下中に米機の機銃掃射を浴びパラシュートが破れ畑の中(飛虎将軍廟付近)に落ちて戦死しました。 彼の軍靴に「杉浦」と書かれていたため後に「杉浦茂峰兵曹長」であることが判明しました。(判明するまでのことは省略します。)

     終戦からしばらくして当時の空中戦を目撃した「海尾寮」の集落の有志が集まりその話の中で、杉浦兵曹長が集落を戦火から救うために自分の命を犠牲にしたことが判りました。 その恩に報いるために祠を建てて永久に祀ることを全員一致で決議し1971年に祠を建設しました。 それは敷地四坪程の小さなものでした。 1993年朝皇宮管理委員会の提案で祠の再建が決議されました。 多くの信者の協力により再建した廟は敷地五十坪の立派な廟になりました。

     杉浦兵曹長の判断と行動には頭が下がります。 それ以上に、そのことを知って彼のために祠を建て丁重に祀ってくれた集落の人達のやさしい気持ちに私はありがとうという気持ちでいっぱいになりました。

     台南といえば「烏山頭水庫を造った八田與一氏」が有名ですが、こういういい話があるから台湾人は日本が好きなんですよね。

  • 大天后宮<br /><br /> 車1台がやっと通れる狭い路地を入って行くと駐車場があります。 ここもまた媽祖廟です。 私が “名前は『大天后宮』、しかし、とても小さい廟ですね” と言うとドライバーの陳先生が “その通りですよ” と言って笑っていました。

    大天后宮

     車1台がやっと通れる狭い路地を入って行くと駐車場があります。 ここもまた媽祖廟です。 私が “名前は『大天后宮』、しかし、とても小さい廟ですね” と言うとドライバーの陳先生が “その通りですよ” と言って笑っていました。

  • 大天后宮<br /><br /> とにかく大きな『正統鹿耳門聖母廟』、とても綺麗な『鹿耳門天后宮』そして3つ目の媽祖廟は小さな媽祖廟です。 廟の前の門です。<br /><br />難しい説明は省略します。

    大天后宮

     とにかく大きな『正統鹿耳門聖母廟』、とても綺麗な『鹿耳門天后宮』そして3つ目の媽祖廟は小さな媽祖廟です。 廟の前の門です。

    難しい説明は省略します。

  • 大天后宮<br /><br /> 門の上の飾りもちょっとだけでした。

    大天后宮

     門の上の飾りもちょっとだけでした。

  • 大天后宮<br /><br /> 門を入ると小さな広場がありその奥が本殿です。

    大天后宮

     門を入ると小さな広場がありその奥が本殿です。

  • 大天后宮<br /><br /> 

    大天后宮

     

  • 大天后宮

    大天后宮

  • 大天后宮<br /><br /> 媽祖様のお顔です。

    大天后宮

     媽祖様のお顔です。

  • 大天后宮

    大天后宮

  • 大天后宮<br /><br /> 亀の背中の上に石碑が立っています。 左側の碑には「臺灣開基祖廟」、右側の碑には「臺灣舊媽祖宮」と金色の文字で書かれています。

    大天后宮

     亀の背中の上に石碑が立っています。 左側の碑には「臺灣開基祖廟」、右側の碑には「臺灣舊媽祖宮」と金色の文字で書かれています。

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