2010/10/06 - 2010/10/07
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enyasuさん
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2010年10月06日(水)ついにこの日が来てしまいました。国慶節の休みを利用した故郷訪問も最終日です。
柳京飯店の朝食会場で挨拶をした北朝鮮美人服務員さんもenyasuとの別れを寂しがっていました(←そんなことはないですね はは)。
延吉を離れる時、故郷延辺と友好姉妹都市になる日本の都市が出てくることを祈りました。
よき伴侶は延辺の発展のために必ず必要です。みんなでお相手をみつけましょう!
第二の故郷 延辺に帰る
1 住宅、学校
2 会社、狗肉、延吉公園
3 延辺大学、羊肉串で歓迎会
4 松茸、天一、千笑萬福日式料理
5 図們 国境橋観光
6 列車で長白山 龍井で市内観光
7 列車で長白山 龍井から白河、ホテル宿泊
8 列車で長白山 滝の観光
9 百年石鍋飯とリンゴ梨、隣国は北朝鮮
10 東市場と歩行街、開発区でスポーツ
11 延辺で日本語学習者を支える日本人
12 一野ラーメンと日式佳朋奈珠で送別会
13 さよなら延吉 みんなで探そう姉妹都市 ← 当旅行記
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
柳京飯店、最終日の朝食は9時以降に始まる西洋式で。
なぜ遅めの食事になったかと言うとこの日は朝から北京に行くのか、そのまま福州に戻るのか、帰るとしてもディスカウントチケットを購入できるのか、空席があるのか、知り合いに連絡するなどとても忙しく、気がつくと9時を回っていたからでした。
今回の国慶節の旅行はそもそも日本在住の友人が北京に来られるかもしれない、それなら北京だけでなく久しぶりに延吉にも行こうという事から始まった企画でした。
この日の朝、日本の友人に電話で確認したところ、
『国慶節明けの仕事が始まる8日には北京に行けません。』残念!
結果、北京行きはなくなり、福州に戻る手配の開始となったのでした。
しかし、チケット入手は困難を極めました。国慶節終了間際と言う事もあり、なんと、6日、7日、8日の延吉空港からディスカウント料金での福州行き便はすべて満席。ひぇ〜
仕事もあるのでなるべく早く帰りたいと思い、他の空港の空席状況を調べてもらったところ、翌日7日瀋陽からであればノーマル料金ですが南京経由で福州へ移動できることがわかりました。
まずは6日夕方延吉駅発の寝台列車のチケットをなんとか確保(軟臥 残り2枚でした 汗)。
その後、航空券も無事購入。帰路の手配完了となり、朝食を頂くこととなりました。 -
さて、この日午前中の予定ですが、
チケット手配のこともあり特に決めておりませんでした。
ふと思い出したのが、
日本に留学したあと中国に戻り、各地の日本語学校で教師や副校長を務め、この夏延吉に学校を開校したKさんの事でした。
「学校を見に行こう!」
連絡してみるとちょうど授業が終わった休み時間。
昼に局子街にあるKさんの学校(写真)で会うことになりました。 -
11:00
Kさんとはまずお昼を食べながら話をすることになりました。
会場となったのは、たまたま学校から徒歩数分のところにあった
百年石鍋飯 本店(写真)
人気店、とても混んでいました。20分待ち。 -
この昼食が今回の延辺での最後の食事になりました。
何を食べたのかと言うと・・・ -
石鍋湯飯
-
スープは初日深夜にも食べた
ソクチャン(=納豆汁) -
豆腐
-
ジャガイモとキムチの炒め物
-
ご飯に合う魚の卵
辛いけどおいし〜い、持って帰りたかった〜 -
そして、おこげご飯
Kさんと朝鮮料理を楽しみました。
食後は
Kさんの学校を見学
「学校運営が順調に進みますように!」
その後、 -
外教の先生と会いに
-
延辺大学正門の向かい側のビル3階にあるハピナラへ。
韓国人経営のお店でパッピンス・カキ氷がおいしいお店です。 -
14:00
小林恒夫先生からは2008年06月21日に延辺大学内にオープンした「延辺ふれあいの場」の現状についてお話を伺いました。
日中交流 ふれあいの場 中国内拠点の全体図
http://www.chinacenter.jp/japanese/fureai/index.html
※国際交流基金、日中交流センターはこの拠点の運営を援助しています。
小林先生↓(写真1枚)の延辺でのご活躍お祈り致しております。
http://4travel.jp/traveler/enyasu/pict/14061341/ -
15:30
中国延辺韓国商会、韓国人会 事務局長のS社長の会社へ。
Sさんとの付き合いは7年になります。2003年2月に以後勤める事になる延吉の会社訪問時に会ったのがSさんでした。
一緒に食事をしたのですが、Sさんが
『私と家内、そして子供達3人はこれからここ延吉に住みます。私は韓国人、あなたは日本人、同じ外国人として生活するのは大変ですが一緒に助け合って頑張りましょう!』
Sさんの強い意志、決意を知り、
enyasu一家も子供が3人でしたので、
「よし、私もチャレンジしてみよう!」
Sさんの言葉が私の延辺移住を後押しすることとなりました。
その後、入社してからは部署は違いましたが家族ぐるみでお付き合いさせて頂きました。Sさんの一番小さい息子さんと私の長男は同じ小学校の同級生になりました。
現在、延辺朝鮮族自治州には韓国人が約1万人いるそうです(中国国内には約85万人)。
その韓国人組織の事務局長になったSさんは今後も延辺を愛し、家族の為に延吉にある会社を維持し大きくしていくことでしょう。
久しぶりの再会、本当にうれしかったです! -
17:00 延吉駅へ
いよいよお別れの時が迫って参りました。 -
見送りして下さったのは
延辺朝鮮族自治州政府 商務局 投資促進処
文正浩処長
文さんとの付き合いは15年になります。1995年3月初めて延吉を訪問した時に知り合いました。私と家族が延吉に住むようになった後もよく交流し、また本当にお世話になりました。
2006年4月には延辺朝鮮族自治州政府の日本での初めての投資説明会に文さんと共に同行し協力しました。私も恥ずかしながら『企業視察の御案内』というテーマでスピーチさせて頂きました。
在日本大韓民国民団大阪地方本部で行われた大阪投資説明会の様子
http://4travel.jp/traveler/enyasu/album/10062933/
これまで、文さんと会う度に話しをしてきたのは
『どうしたら延辺が発展するか。』です。
今回、延吉を訪問し感じたのは新しいビル、橋が架かり街が確かに綺麗になってきました。しかし、これから更に発展する為にはもっと多くの人と物の交流が必要だと思いました。
その為に有効だと思われるのは、延辺と日本の都市との友好姉妹都市関係作りだと思います。
日本在住の延辺出身の朝鮮族の皆さん、延辺ファンの日本人の皆さん!
2012年には延辺朝鮮族自治州が成立して60周年になります(1952年9月3日成立)。残り2年間、みんなでパートナーになってくださる日本の都市を見つけ60周年を祝いましょう!
まずは自分の周りにいる日本人に故郷を紹介し、延辺を訪問してもらいましょう。
私も協力したいと思っています。
私にとって延辺は愛すべき第二の故郷ですから・・・
第二の故郷 延辺に帰る 旅行記(1〜13)以上にて終了です。
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