2010/09/12 - 2010/09/12
268位(同エリア452件中)
風遊さん
平成の「いろは丸」を堪能した後は、龍馬が関わった所を回ってみました。
1 いろは丸展示館
鞆の浦のシンボル「常夜灯」のすぐ手前に位置し、「大蔵」と呼ばれる江戸時代築の土蔵を利用しているいらは丸展示館では、慶応3年(1867年)に鞆の浦沖で沈んだ海援隊の乗船していた「いろは丸」の引き揚げ物などの関連資料を沈没状況のジオラマとともに展示、紹介している。2階には坂本龍馬の隠れ部屋が再現されている。
2 旧魚屋萬蔵宅 御舟宿「いろは」
坂本龍馬が紀州藩といろは丸の沈没事件について賠償交渉を行った場所
3商家「桝屋」
(坂本龍馬潜伏の家・龍馬は紀州藩の暗殺を恐れてここの隠し部屋にいたそうです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
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鞆の浦と言えば、この風景が紹介されます。
右の蔵が、いろは丸展示館。 -
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エゲレスの人、おまんも龍馬が好きゼよ!
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沈没したいろは丸の様子
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二階には龍馬の隠れ部屋が再現されています!
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3商家「桝屋」
(坂本龍馬潜伏の家・龍馬は紀州藩の暗殺を恐れてここの隠し部屋にいたそうです。 -
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いろは丸の模型
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いろは丸展示館でした。
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おまんら、まだおるかぜよ!?
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2 旧魚屋萬蔵宅 御舟宿「いろは」
坂本龍馬が紀州藩といろは丸の沈没事件について賠償交渉を行った場所 -
龍馬は紀州藩との交渉には、身の危険を感じ才谷梅太郎と名乗ったそうです。
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3商家「桝屋」
(坂本龍馬潜伏の家・龍馬は紀州藩の暗殺を恐れてここの隠し部屋にいたそうです。)
一般公開はしていません。 -
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