2010/09/10 - 2010/09/14
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haichaoluさん
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旧上海租界にはイギリスやフランスの足跡ばかりが目立ちますが、実はアメリカも文化的に大きな影響を残しています。
アメリカも中国進出はイギリスと同じ時期でしたが、本格的な進出は19世紀末と出遅れました。
当初蘇州川の北をアメリカ租界としていましたが、1860年代にイギリス租界と合併し、共同租界となりました。
その頃、アメリカはちょうど南北戦争の最中で、植民地行政や警察機構まで手が回らず、仕方なくイギリスと手を結んだと言われています。
イギリスが領有した香港などと異なり、租界は土地を所有したい外国人が、中国人の土地所有者と直接賃貸借契約をする形態だったので、本国政府に干渉されない自由な地域でした。
「自由の国アメリカ」が上海に受け入れられたのは、上海も特定の国家に帰属しない「自由都市」だったからかもしれません。
中国では1855年に福州に初めて基督教青年会(YMCA)が結成されましたが、上海では1900年に成立しました。
上海では当初北蘇州路・四川路付近に部屋を借りて閲覧室を解説しましたが、1907年に蘇州川の南、四川中路に会所を建設しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
上海YMCA本部の3回目の移転となる現存の建物は、1931年に著名中国人建築士らの設計により建造されました。
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100万元の建築費で建てられた鉄筋コンクリート造り10階建て。建築面積は10,422m2。
20世紀30年代の上海の大型建築は全て西洋建築を模していましたが、それに不満を持つ中国人建築家たちは新しい民族建築様式を模索していました。 -
しかし、中国の伝統的な宮殿建築は広大な敷地を必要とし、狭い敷地に高層建築は不可能でした。
そこで考え出されたのが上部が伝統的建築様式で、下部が西洋建築のこの特徴的な折衷様式です。 -
新館建設後は多くの講演会、音楽界、演劇、美術展などを開催しましたが、1936年に開催された第2回全国木刻活動展には上海在住の魯迅も参観したとか。
その後は青年会賓館としてホテルを営業していましたが、暫く休業改装中でした。
近日青年会大酒店としてまた営業再開したようです。 -
イギリスが商業主義で中国人との積極的な接触を避けたのに対し、アメリカは宗教や教育を通じ中国の近代化を促進しようとしました。
1910年代に中国各地で伝道するプロテスタント宣教師の半分以上に当たる2500人がアメリカ人で、1936年当時、上海に住むアメリカ人3700人の内、1/3が宣教師だったそうです。
アメリカは上海に学校や病院建設など文化事業に多大な投資を行い、その運営に毎年300万ドル以上を要したと言われていますが、その一部はアメリカ本国に住む熱心なキリスト教信者の私財による寄付でした。
ちょうど1905年は科挙試験が終了した年で、中国の上流階級の師弟にアメリカ式の高等教育のチャンスを与え、その教育を通じ西洋の学術思想や生活様式を浸透させたそうです。
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