2010/09/09 - 2010/09/14
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haichaoluさん
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昨年は工事中のネットに覆われていましたが、やっとその新しい姿を現しました。
2001年頃はまだ営業をしていて、私も広場でちびっ子雑技などを見た記憶があります。
1階道路側の店舗もボツボツ開業していますが、どんな姿でまたお目見えするのか楽しみですね。
東洋一の娯楽施設として時代を先取りした「大世界」も、波乱万丈の歴史物語を秘めています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1912年、薬店の老板(ラオバン:中小企業の社長、経営者)の黄楚九と不動産ブローカーの経潤三の二人が、南京路と西蔵路の角に「新世界」という娯楽施設を開業しました。
南京路を跨ぐ施設は地下道で繋がっており、雑技や演芸などで賑わっていました。 -
経潤三が死去した後、その妻がやり手で、黄楚九を追い出し「新世界」の経営実権を握ってしまいました。
怒った黄楚九は、南側のフランス疎開の荒れ地に15,000m2の土地を入手し、新しく娯楽施設を建築しました。
それが「大世界」の前身です。 -
1917年の7月14日の日曜日。ちょうどフランス革命記念日の提灯祭りに開業した「新世界」は大勢の人出で賑わったそうです。
当時は東側の雲南路が繁華街でしたが、風水の大家の助言に従い西側の西蔵路を正面とし、大いに繁盛したとか。
1924年には現存の建物に建て替え、入り口には高さ55mの塔楼を建てました -
准海路のレストランから見た大世界の鳥瞰図ですが、左右に走る高架道路が延安東路です。
ところで、旧英国租界の住所が中国の地名だったのに対し、旧フランス租界の地名は人名が使われました。
准海路は第一次世界大戦の英雄から「アヴェニュー・ジョッフル:霞飛路」と呼ばれていましたが、
旧フランス租界には、ロシア革命を逃れて辿り着いたロシア人が多く住んでいたとか。
スラブの香りがするロシア教会なども残っています。 -
経営の手を広げすぎた黄楚九は、1931年には事業に行き詰まり、「大世界」は上海青幇の大ボス黄金栄に身売りされました。
後日談として、フラン祖租界の警察署長として昼と夜の世界を牛耳っていた黄金栄は、新中国建国後も上海に残り租界時代の断罪を受けました。
かつて「魔都上海」の代名詞だった「大世界」の前を掃除させられる姿が新聞で報道されたとか。
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