2010/09/07 - 2010/09/07
393位(同エリア1571件中)
みにくまさん
青森市内からどこか電車を使って観光できないか探したところ、電車で30分程度で弘前に行けることを発見。
弘前には桜で有名な弘前城があり、名城100選のスタンプ集めも進むことから、さっそく行ってみることにしました。
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/227
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青森駅
青森市内の観光を終えてから青森駅へ。
次は弘前城を見に行くのだ。 -
特急つがる7号
12:37発⇒弘前13:07
30分の乗車時間なので、駅弁を食べている暇も無いかと思っていたのですが、美味しそうな弁当を発見したので、食べてみました。
これが大当たりで、むちゃくちゃ美味しかったんですよー。
★ めちゃうま駅弁! 伯養軒 「帆立釜めし」 他2種
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10498196/ -
弘前駅
電車に乗って駅弁食べたら30分なんてあっという間。
居眠りする暇も無く、弘前駅に到着です。 -
弘前駅
ほうほう〜2011年に、弘前城は築城400年を迎えるんですねー。 -
弘前駅
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弘前城
弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長16年(1611)に二代藩主津軽信枚によって築かれた城である。
面積約49万2千平方メートル(約14万9千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭よりなり、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓3棟、城門5棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。 -
追手門口
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追手門 重要文化財
築城年代 慶長16年(1611)
2代藩主 津軽信枚
弘前城には、築城当初十棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の面前に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、1層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。 -
史跡 弘前城跡
関東にも現存天守はないので、東日本で唯一つの天守となる。
三重の小規模な天守ながら、南北に長く直線状に続く石垣の南端に建つ姿は、春は桜、夏は月、秋は楓、冬は雪と四季の妙なるたたずまいを見せる名城である。 -
追手門 重要文化財
追手門は”おーてもん”と読みますが、他の多くの城郭では”大手門”と書くところがほとんどです。
内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる虎口に設けられた門で、最も重要な正門にあたります。
これに対して背面の門は搦手門(からめてもん)と呼ばれる。 -
追手門 重要文化財
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弘前城跡案内図
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弘前城築城400年祭
◎ 弘前城築城400年祭公式サイト
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/hirosaki400th/index.html -
辰巳櫓 重要文化財
建築年 1611年
三重三階櫓、とち葺形銅板葺
辰巳櫓は、泰平の世になると、藩主達が三の丸を通る弘前八幡宮の山車を見物するのに利用されました。 -
杉の大橋
南内門外の大橋にあたり、名称は杉材を用いた橋ということから付けられたと言われる。
文政4年(1821)に濠の両側が石垣となるとともに、桧材によって掛替えされた際に欄干・擬宝珠がつけられたものである。 -
杉の大橋
記念撮影 -
杉の大橋
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杉の大橋
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二の丸南内門 重要文化財
建築年 1611年
脇戸付櫓門、銅瓦葺 -
二の丸南内門 重要文化財
門の後方は土塁がぐるっと囲む形になっており、これが桝形(ますがた)を構成しています。 -
下乗橋
本丸と二の丸を結ぶ橋で、この橋の二の丸側に下馬札があり、藩士は馬から降りるように定められていた。
築城当初、橋の両側は土塁板だったが、文化8年(1811)に石垣に直したものである。
以前は擬宝珠が十二支をかたどったものであった。 -
下乗橋
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下乗橋
ここからの眺めは、桜が咲いている時期の、絶好の撮影ポイント。
ここへ来る道中も、堀沿いの桜などを眺めて、これは春になったら凄いだろうね〜と話していました。 -
下乗橋より
それにしても、堀の水草?が凄くて、水面が見えなくなっています。 -
下乗橋より
こんな感じでビッシリ。
でも、春になったら綺麗に無くなっているのでしょう。 -
御滝桜 弘前市古木名木
種名 シダレザクラ
幹周 305センチ
幹高 約7.4m
植栽 大正3年(1914)
大正3年に在弘宮城県人会の寄付により植栽されたシダレザクラの内の一本である。
この時のシダレザクラが生長して、今ではシダレザクラの名所にかぞえられるまでになった。
この樹は、石垣の上から水面に向かい長く枝を垂らしており、故棟方志功画伯が「御滝桜」と命名した名木である。 -
弘前城天守 重要文化財
構造 独立式層塔型3層3階
高さ 14.4メートル
関東以北では、唯一の現存天守閣のある城跡として知られています。
現存の三層天守は、1611年(文化7)に本丸辰巳櫓を移築、改修したもので、御三階櫓と称されました。
本来は1611年(慶長16)、津軽信枚公が完成させた5層天守が聳えていたのですが、1627年(寛永4)2代信牧公の時、落雷で焼失しました。 -
弘前城天守 重要文化財
現存天守閣の特徴は、見る方向によって姿が異なり、二の丸から見える東面、南面にだけ千鳥破風を飾り、本丸から見える北面、西面は銅扉の連窓としていることです。
内部も通常の天守建築では最高級の木材・技術が用いられるが、弘前城の場合は普通の櫓と同等の木材が用いられ、構造的にも簡素であり、床も全て敷居を設けず畳を敷くことが想定されていないなど、当初から倉庫として利用されることを見込んだ割り切った構成となっています。 -
天守内資料館
◎ 馬印 -
天守内資料館
◎ 火縄銃など -
天守内資料館
◎ 津軽藩士 明石愛太郎仇討ち遺品
安政元年(1854)6月19日、愛太郎が殺された母親の仇討ちを3年越しで成し遂げた時の遺品です。 -
天守内資料館
◎ 階段
現存天守ということで、とても急な階段になっています。
また、天井も低いので頭をぶつけないように注意。 -
天守内資料館
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天守からの眺め
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天守からの眺め
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天守からの眺め
◎ 「津軽富士」とも言われる岩木山 -
弘前城天守 重要文化財
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弘前城天守 重要文化財
★ トップ写真 ★ -
弘前城天守 重要文化財
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本丸戌亥櫓跡
城郭に取り付く敵を攻撃したり、物見のために造られ、防弾・防火のために土蔵造りで、元禄3年(1690)に杮葺(こけらぶき)の葺替えが終了している。
また同9年には、櫓下にあった番所の修復も行われており、北の郭から櫓台下、本丸への通路があった。 -
本丸石垣
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鷹丘橋
平成10年3月竣工 -
鷹丘橋
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武徳殿休憩所
こちらでは、各種おみやげの販売の他、喫茶店も入っているので、私たちも一休みしていくことにしました。 -
武徳殿休憩所
過去のひろさき桜まつりのポスターが、ズラッと展示されています。 -
武徳殿休憩所
◎ 津軽凧 -
武徳殿休憩所
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武徳殿休憩所
「朝日サイダー」
ご当地サイダーでしょうか。 -
武徳殿休憩所
あんみつセット -
弘前城天守と下乗橋
先ほどとは反対側から撮影してみました。 -
弘前城天守
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二の丸東門与力番所
与力番所は、城門の内側などに配置され、桝形(ますがた)内におかれた辻番所とともに、主要な出入口を監視する詰所として造られた建物である。
宝暦6年(1756年)の城内の絵図によれば、城門内のほか下乗橋本丸側など7ヵ所に設けられている。 -
二の丸東門与力番所
この建物の建築年代は不明であるが、柱などに書かれた墨書が三の丸東門のものと非常に似ているのに対し、全体の雰囲気が江戸時代中期の様相を呈していることから、江戸時代初期に建てられたものがその後大改造を受けたか、古材を使って中期に建てられたものと推定される。
現在の緑の相談所付近に残されていたものを、昭和53年から3年をかけ現在地に移築したもので、弘前城の番所としては唯一の遺構である。 -
青森県天然記念物 玉鹿石
産地 金木町(現五所川原市) -
弘前城天守
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二の丸東内門 重要文化財
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二の丸東内門 重要文化財
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二の丸東内門 重要文化財
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鋳物の甕(かめ)
4代藩主信政が元禄12年(1699)に弘前城三の丸に建設した三の丸御殿の跡地から出土した素焼きの大甕を模して、約3分の2に縮小し作成したものです。
この甕の前面にある紋は、七つ葉の杏葉牡丹といい、津軽家の家紋であります。 -
三の丸東門 重要文化財
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三の丸東門 重要文化財
東門前から本丸方向をながめたところ。 -
三の丸東門 重要文化財
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三の丸東門 重要文化財
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藩祖 津軽為信公
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