2008/09/23 - 2008/09/23
137位(同エリア250件中)
松村博司さん
旅も後半戦に突入。
雪舟の誕生の地を訪れた後、次なる目的地は・・・
矢喰神社です。
吉備津彦命と温羅の戦い関連の史跡です。
温羅が投げた岩を吉備津彦が矢で打ち落としたその岩だそうで・・・
もしそれが真実だとしたら、人は長い年月をかけて進化しているのではなく退化していることになりますね・・・
続いては日本の歴史を大きく変えた本能寺の変。
その後、信長の夢を引き継ぐ形となった秀吉。
そのスタート地点がここ。
備中高松城です。
秀吉の水攻め。
中国の大返し。
その現場となったこの地は、現在ひっそりと公園があるのみで、城の面影はどこにも残っていません。
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「秋の吉備路・自転車爆走の旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-58.html
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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吉備路風土記の丘を離脱。
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さてこれからどこへ行きましょうか。
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このままサイクリングコースを進んでいくのでしたら作山古墳から最終ゴールは総社駅ということになるのですが・・・
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せっかく吉備路まで来たのにそれで終わらせるのはもったいない。
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てなわけで北上することにしたのですが・・・
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道を間違え、コースを逆走w
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途中で気がつき急遽、戻ることに^^;
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坂道は登りたくないということで、迂回しようとしたのですが失敗><
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結局、えっちらおっちらと坂道を登ることになってしまいました^^;
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私のMTBは24段変速なんで結構余裕でしたがママチャリの先輩は大変そうでした。
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峠(というか丘w)を越え、再び平地に戻ってきたところで次の目的地発見です。
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地元のおばちゃんに教えてもらってやっとの思いでたどり着いた場所。
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雪舟誕生の地です。
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まあ、田んぼのまん中にポツンとあるので遠くからでも見渡せますし、すぐに見つかるんですけどね^^;
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簡単に説明します、雪舟は室町時代の人で日本の水墨画を芸術の域に高めた日本を代表する画家です。
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私なんかが知る雪舟は幼少の頃、涙でネズミの絵を描いたという伝説でしょうか。
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その伝説の残る宝福寺にはまた次の機会に訪れたいと思います。
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現存する作品の中で6点が国宝に指定されています。 -
京都国立博物館にも所有いる作品があり、先日行ったときにも見ましたよ。
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さて、それでは次の場所へ向かいましょう。
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で次の場所に到着しましたw
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矢喰公園です。
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ここには何があるかというと神社があります。
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矢喰神社です。
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そしてこのように巨石がゴロゴロ。
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ここは吉備津彦命と温羅の戦いの史跡の一つでもあります。
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それがこの巨石。
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温羅は鬼ノ城からこの大岩を投げたのですが、吉備津神社があった場所にいた吉備津彦命が矢で打ち落としたそうで・・・
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その打ち落とされた岩がこれだそうなんですってw
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しかし吉備津神社から鬼ノ城って何キロあるんだ?
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鬼ノ城から吉備津神社まで石を投げる? 矢を放つ?
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とまあ、化け物によるの化け物のような戦いが繰り広げられたのがこの辺りだそうです。
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その後、この地を平定した吉備津彦は200歳をこえて亡くなったそうで、普通に考えれば人間ではないですわね。
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戦い自体も人間離れしていましたし・・・
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細かいことは気にせず、ざくっとお参りしてざくっと次へ行きましょう。
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彼岸花がいたる場所に咲いていました。
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秋ですね〜。
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この日は非常に暑かったですが。
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私もTシャツ一枚でしたし。
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さあ、時間は2時と旅も佳境に入ってきました。
気合いを入れていきましょう!
・・・でも硬いサドルでお尻が痛くなってきました^^; -
さて、これから訪れるところは城址です。
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吉備路でお城といえばやはり日本100名城にも選ばれている鬼ノ城が最初に来るでしょうか?
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でも全国的にメジャーなのはやっぱりこっちでしょう。
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看板、見えます?
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最初のルートからは外れてしまっているのですがこれから行くお城とその後行く神社は私的にははずせない場所ですからね。
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とその前に、こんなものを発見。
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舟橋?
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なんでもないコンクの橋とは呼べないほどの短い橋ですが・・・
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ふん〜
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とりあえず、目的地に到着!
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備中高松城址です。
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そう、あの高松城です。
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秀吉の水攻めと中国の大返し有名な場所ですね。
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信長の家臣だった秀吉が天下取り、最初の大仕事となった場所です。
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ここに群生している蓮が400年前とのことですが、去年のGWに行った善水寺では仏像の中から発見された1200年前のモミから芽が出たという話を聞きましたね。
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植物って本当にすごいなって思います。
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さて、本丸址までやってきました。
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こちら、無血開城の条件として切腹した清水宗治の首塚です。
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城は見ての通り平城です。
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周りを低湿地帯に囲まれ天然の要害として難攻不落を誇っていました。
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そのため石垣も築かれることが無く土塁に囲まれていたようです。
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しかしその事が逆に秀吉につけ込まれる隙となってしまいます。
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この城は周りに比べかなり低い位置にあります。
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そして近くには足守川が流れていて、季節は雨期。
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水攻めを提案したのは後の如水、黒田官兵衛です。 -
城の周りに堤防を築き、足守川から水を引き込んで水没させてしまうという作戦でした。
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こうやって見るとわかりやすいかな?
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堤防は11日の早業で完成しました。
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元々秀吉は、土木とその土木を戦にうまく取り入れてのし上がってきた人物ですから、この奇抜なアイディアも秀吉とその配下の武将の考えとなれば納得ですよね。
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実際、子飼いの武将も土木に強い人物が多かったですし。
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加藤清正とか福島正則とか。
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ちなみに先ほどから続いている室内の写真は備中松山城資料館内部です。
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撮影許可を頂いております、てか確認しておりますw
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思うに、公共事業イコール土木という図式はここからこの頃から来ているような気がします。
いや〜、もっと前かな? -
雇用の確保と景気の回復のためにまずは公共事業。
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それは土木って連鎖ね。
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当時はそれが良政と支持され、また民の暮らしもよくなっていったわけですが・・・
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まあ、でも逆に今ではそれが問題となってきていますけどね。
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無駄遣いだと。
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てか、そもそも我が家は岡山市ですが、いまだに下水道すら通っていません。
そこら中で下水道の工事だと道を掘り返しているわけですが・・・
私らの税金はどこに消えてるの?
政令指定都市になる岡山市さんよぉ?
つづく^^;
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