2010/08/28 - 2010/09/04
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彷徨人MUさん
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5).ラサ三日目
この日は、午前に「セラ寺」に向かい、午後からは、夏の宮殿の「ノルブリンカ」に行こうと考えていたが,午後3時頃から始まる「セラ寺」の名物となっている僧による「問答修行」の見学に、変更した。
僕の、ラサへの旅の影の案内人である、黄檗宗の僧侶の「河口慧海」(1866~1945)師は、1897年(明治30年)、32歳の時、インドに向かい、ヒマラヤ山麓のダージリンで、チベット語を学びながら、当時、外国人立ち入り禁止のチベットへの入国を伺っていた。苦労の末、1900年6月に、ダウラギリ山麓を北に抜けて、チベットへの潜入を果たしている。1901年3月21日、「河口慧海」師は、馬を一頭雇い、山と河の奇態な景色の間の道を通り抜け、一見、お寺とは思えない、大集落の様なラサ最大のお寺である「レーブン寺」に着き、そこから二里半ばかり先の、「ツェ・ポタラ宮」の下に辿り着いている。「小昭寺」では、唐の太宗の皇女である「文成公主」が嫁ぐ時に持ってきた「釈迦牟尼像」を拝みながら、涙を流し、無事ラサに到着したことを、改めて喜んでいる。
6).「ノルブリンカ」へ
この日の午前、僕は先ずは“宝珠の庭”とも呼ばれる、法王の夏の離宮である「ノルブリンカ」に向かった。ホテルからポタラ宮のある「北京路」を西に向かい、人民大会堂を過ぎて、南に回ると、潅木が生い茂る閑静な中に、官公庁や領事館などが並ぶ「民族路南段」に入った。この一画に「ノルブリンカ」があった。2008年の北京オリンピックに合わせ、この一帯には、芝生が植えられ、柳や白揚の樹齢何百年と言う大木が、整然と植えられた庭が広がっていた。
その庭を通り過ぎると、京都の御所の様に、南北に高い石造りの塀が続き、塀に沿い北へ向かうと、チベット様式の門の前に辿り着いた。ダライダマ14世が住んでいた「タクテン・ミギュ宮殿」である。1956年に竣工された建物であり、外観は確かにチベット様式ではあるが、中は意外とモダンであった。謁見室の壁画は、古代からダライラマ13世までの歴史が描かれており、それをガイドの巴桑さんは、熱弁を振るって説明してくれた。私室には、水洗トイレやシャワーなどの設備などもあり、ダライラマ14世のモダンな生活を垣間見た。瞑想室には、外国の要人から贈られたものなどが置かれていた。しかし、1959年、ダライラマ14世は、愛するこの「ノルブリンカ」から、インドへ亡命されている。
7)、「チェンセク宮殿」へ
更に、西へ向かうと、ダライダマ13世の宮殿であった「チェンセク宮殿」に出た。実は、河口慧海師は、たまたま持ち合わせていた医学知識を活かし病人を診たことから、医師としても有名となり、ダライダマに拝謁する機会を得ている。法王に呼ばれ、謁見された場所がこの館である。
又、夏に行われる「ショットン祭」(ヨーグルト祭)には、この「チェンセク宮殿」の前の敷石詰めの庭が、徹夜で行われるチベットオペラと言われるアチエ・ラモが演じられる場所となり、大勢の人で賑やかとなる。
8).セラ寺へ
河口慧海師は、ラサでは、当てにしていたダージリンでの知り合いの人を訪ねるのだが、これが残念ながら、全くの宛てにはならず、些か思案に暮れるのである。慧海和尚は、思案の末、ラサの北郊外にある「セラ寺」に、直接に行く決意をする。 「小昭寺」から北に真っ直ぐ伸びた緩やかな坂道を、荷物運びに雇った男の案内で、地道の狭い道を、歩き、山麓に広がる「セラ寺」へは、午後4時ごろ到着している。
その日の昼食後、僕も三菱パジェロで、「セラ寺」に向かった。その街道は、両側の歩道には白楊の並木が植えられており、およそ幅員は40mほどある一直線の道路であった。車で緩やかな上り坂を10分も行くと、山裾に駐車場が広がっていた。(以下、問答修行で有名な「セラ寺」の様子は、写真参照)
* Coordinator: H. Gu
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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①.ノルブリンカ(夏の離宮)世界文化遺産の碑
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②.ノルブリンカ(夏の離宮)の正門入り口
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③.ノルブリンカ(夏の離宮)
正門から入ると、目の前に北から南に伸びる長塀 -
④.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の入り口と長塀 -
⑤.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の正門 -
⑥.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)付近の通路と長塀 -
⑦.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿) -
?.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿) -
⑨.ノルブリンカ(夏の離宮)
ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)からタクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世の宮殿)に向かう通路と長塀 -
⑩.ノルブリンカ(夏の離宮)には樹齢数百年の古木が多数ある。柳の古木である。
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⑪.ノルブリンカ(夏の離宮)
ダライラマが歌劇などを見られるための観劇楼。2階中央窓から、下の敷石の舞台を眺められる。 -
⑫.ノルブリンカ(夏の離宮)
ダライラマが歌劇などを見られる観劇楼と、手前の敷石された舞台。 -
⑬.ノルブリンカ(夏の離宮)
タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿)の入り口 -
⑭.ノルブリンカ(夏の離宮)
タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿) -
⑮.ノルブリンカ(夏の離宮)
タクテン・ミギュ・ボタン付近の長塀と通路 -
⑯.ノルブリンカ(夏の離宮)
離宮の中の木々に囲まれた通路 -
⑰.セラ寺の境内の風景
入り口から真っ直ぐ延びる境内のメイン通路 -
⑱.セラ寺の境内にある僧坊
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⑲.セラ寺の境内の風景
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⑳.セラ寺の境内
チェ学堂の正門 -
?.セラ寺境内
青海省のダライラマ14世の出身地アムド地方から、ラサへ、巡礼に来た一家。当主の男(向かって左端、サングラスの人)は、僕が日本人だと分かると、「日本人は友人だ」と、言って、握手をしてきた。 -
?.セラ寺境内
慧海師は、セラ寺のチェ学堂に入り、「ピーツク僧坊」に入居した。
チェ学堂の学舎への石段 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の学舎の「正門」 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に飾ってある河口慧海師の写真 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に置かれた、河口慧海師の遺灰を入れた置物。 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の学舎である「本堂」。 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の学舎である「本堂」の正門 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の厨房 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の僧坊 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の厨房 -
?.ラサ寺境内
チェ学堂の厨房係りの僧侶 -
?.セラ寺境内
チェ学堂の厨房で頂いたバター茶 -
?.セラ寺境内
問答修行場(弁経場)の正門 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行は、午後3時から始まった。 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子 -
?.セラ寺境内
弁経場での問答修行の様子
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