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5).ラサ三日目<br /><br />  この日は、午前に「セラ寺」に向かい、午後からは、夏の宮殿の「ノルブリンカ」に行こうと考えていたが,午後3時頃から始まる「セラ寺」の名物となっている僧による「問答修行」の見学に、変更した。<br />   <br />  僕の、ラサへの旅の影の案内人である、黄檗宗の僧侶の「河口慧海」(1866~1945)師は、1897年(明治30年)、32歳の時、インドに向かい、ヒマラヤ山麓のダージリンで、チベット語を学びながら、当時、外国人立ち入り禁止のチベットへの入国を伺っていた。苦労の末、1900年6月に、ダウラギリ山麓を北に抜けて、チベットへの潜入を果たしている。1901年3月21日、「河口慧海」師は、馬を一頭雇い、山と河の奇態な景色の間の道を通り抜け、一見、お寺とは思えない、大集落の様なラサ最大のお寺である「レーブン寺」に着き、そこから二里半ばかり先の、「ツェ・ポタラ宮」の下に辿り着いている。「小昭寺」では、唐の太宗の皇女である「文成公主」が嫁ぐ時に持ってきた「釈迦牟尼像」を拝みながら、涙を流し、無事ラサに到着したことを、改めて喜んでいる。<br /><br />6).「ノルブリンカ」へ<br />      <br />  この日の午前、僕は先ずは“宝珠の庭”とも呼ばれる、法王の夏の離宮である「ノルブリンカ」に向かった。ホテルからポタラ宮のある「北京路」を西に向かい、人民大会堂を過ぎて、南に回ると、潅木が生い茂る閑静な中に、官公庁や領事館などが並ぶ「民族路南段」に入った。この一画に「ノルブリンカ」があった。2008年の北京オリンピックに合わせ、この一帯には、芝生が植えられ、柳や白揚の樹齢何百年と言う大木が、整然と植えられた庭が広がっていた。<br />  その庭を通り過ぎると、京都の御所の様に、南北に高い石造りの塀が続き、塀に沿い北へ向かうと、チベット様式の門の前に辿り着いた。ダライダマ14世が住んでいた「タクテン・ミギュ宮殿」である。1956年に竣工された建物であり、外観は確かにチベット様式ではあるが、中は意外とモダンであった。謁見室の壁画は、古代からダライラマ13世までの歴史が描かれており、それをガイドの巴桑さんは、熱弁を振るって説明してくれた。私室には、水洗トイレやシャワーなどの設備などもあり、ダライラマ14世のモダンな生活を垣間見た。瞑想室には、外国の要人から贈られたものなどが置かれていた。しかし、1959年、ダライラマ14世は、愛するこの「ノルブリンカ」から、インドへ亡命されている。<br /><br />7)、「チェンセク宮殿」へ<br /><br />  更に、西へ向かうと、ダライダマ13世の宮殿であった「チェンセク宮殿」に出た。実は、河口慧海師は、たまたま持ち合わせていた医学知識を活かし病人を診たことから、医師としても有名となり、ダライダマに拝謁する機会を得ている。法王に呼ばれ、謁見された場所がこの館である。<br />  又、夏に行われる「ショットン祭」(ヨーグルト祭)には、この「チェンセク宮殿」の前の敷石詰めの庭が、徹夜で行われるチベットオペラと言われるアチエ・ラモが演じられる場所となり、大勢の人で賑やかとなる。<br /><br />8).セラ寺へ<br /><br />   河口慧海師は、ラサでは、当てにしていたダージリンでの知り合いの人を訪ねるのだが、これが残念ながら、全くの宛てにはならず、些か思案に暮れるのである。慧海和尚は、思案の末、ラサの北郊外にある「セラ寺」に、直接に行く決意をする。 「小昭寺」から北に真っ直ぐ伸びた緩やかな坂道を、荷物運びに雇った男の案内で、地道の狭い道を、歩き、山麓に広がる「セラ寺」へは、午後4時ごろ到着している。  <br /> <br />   その日の昼食後、僕も三菱パジェロで、「セラ寺」に向かった。その街道は、両側の歩道には白楊の並木が植えられており、およそ幅員は40mほどある一直線の道路であった。車で緩やかな上り坂を10分も行くと、山裾に駐車場が広がっていた。(以下、問答修行で有名な「セラ寺」の様子は、写真参照)<br /><br /> * Coordinator:  H. Gu              <br />

【西蔵自治区】 ラサ * 河口慧海 求法の日々を 旅する(2)

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2010/08/28 - 2010/09/04

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

5).ラサ三日目

  この日は、午前に「セラ寺」に向かい、午後からは、夏の宮殿の「ノルブリンカ」に行こうと考えていたが,午後3時頃から始まる「セラ寺」の名物となっている僧による「問答修行」の見学に、変更した。
   
  僕の、ラサへの旅の影の案内人である、黄檗宗の僧侶の「河口慧海」(1866~1945)師は、1897年(明治30年)、32歳の時、インドに向かい、ヒマラヤ山麓のダージリンで、チベット語を学びながら、当時、外国人立ち入り禁止のチベットへの入国を伺っていた。苦労の末、1900年6月に、ダウラギリ山麓を北に抜けて、チベットへの潜入を果たしている。1901年3月21日、「河口慧海」師は、馬を一頭雇い、山と河の奇態な景色の間の道を通り抜け、一見、お寺とは思えない、大集落の様なラサ最大のお寺である「レーブン寺」に着き、そこから二里半ばかり先の、「ツェ・ポタラ宮」の下に辿り着いている。「小昭寺」では、唐の太宗の皇女である「文成公主」が嫁ぐ時に持ってきた「釈迦牟尼像」を拝みながら、涙を流し、無事ラサに到着したことを、改めて喜んでいる。

6).「ノルブリンカ」へ
      
  この日の午前、僕は先ずは“宝珠の庭”とも呼ばれる、法王の夏の離宮である「ノルブリンカ」に向かった。ホテルからポタラ宮のある「北京路」を西に向かい、人民大会堂を過ぎて、南に回ると、潅木が生い茂る閑静な中に、官公庁や領事館などが並ぶ「民族路南段」に入った。この一画に「ノルブリンカ」があった。2008年の北京オリンピックに合わせ、この一帯には、芝生が植えられ、柳や白揚の樹齢何百年と言う大木が、整然と植えられた庭が広がっていた。
  その庭を通り過ぎると、京都の御所の様に、南北に高い石造りの塀が続き、塀に沿い北へ向かうと、チベット様式の門の前に辿り着いた。ダライダマ14世が住んでいた「タクテン・ミギュ宮殿」である。1956年に竣工された建物であり、外観は確かにチベット様式ではあるが、中は意外とモダンであった。謁見室の壁画は、古代からダライラマ13世までの歴史が描かれており、それをガイドの巴桑さんは、熱弁を振るって説明してくれた。私室には、水洗トイレやシャワーなどの設備などもあり、ダライラマ14世のモダンな生活を垣間見た。瞑想室には、外国の要人から贈られたものなどが置かれていた。しかし、1959年、ダライラマ14世は、愛するこの「ノルブリンカ」から、インドへ亡命されている。

7)、「チェンセク宮殿」へ

  更に、西へ向かうと、ダライダマ13世の宮殿であった「チェンセク宮殿」に出た。実は、河口慧海師は、たまたま持ち合わせていた医学知識を活かし病人を診たことから、医師としても有名となり、ダライダマに拝謁する機会を得ている。法王に呼ばれ、謁見された場所がこの館である。
  又、夏に行われる「ショットン祭」(ヨーグルト祭)には、この「チェンセク宮殿」の前の敷石詰めの庭が、徹夜で行われるチベットオペラと言われるアチエ・ラモが演じられる場所となり、大勢の人で賑やかとなる。

8).セラ寺へ

   河口慧海師は、ラサでは、当てにしていたダージリンでの知り合いの人を訪ねるのだが、これが残念ながら、全くの宛てにはならず、些か思案に暮れるのである。慧海和尚は、思案の末、ラサの北郊外にある「セラ寺」に、直接に行く決意をする。 「小昭寺」から北に真っ直ぐ伸びた緩やかな坂道を、荷物運びに雇った男の案内で、地道の狭い道を、歩き、山麓に広がる「セラ寺」へは、午後4時ごろ到着している。 
 
   その日の昼食後、僕も三菱パジェロで、「セラ寺」に向かった。その街道は、両側の歩道には白楊の並木が植えられており、およそ幅員は40mほどある一直線の道路であった。車で緩やかな上り坂を10分も行くと、山裾に駐車場が広がっていた。(以下、問答修行で有名な「セラ寺」の様子は、写真参照)

* Coordinator:  H. Gu

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • ①.ノルブリンカ(夏の離宮)世界文化遺産の碑

    ①.ノルブリンカ(夏の離宮)世界文化遺産の碑

  • ②.ノルブリンカ(夏の離宮)の正門入り口

    ②.ノルブリンカ(夏の離宮)の正門入り口

  • ③.ノルブリンカ(夏の離宮)<br />正門から入ると、目の前に北から南に伸びる長塀

    ③.ノルブリンカ(夏の離宮)
    正門から入ると、目の前に北から南に伸びる長塀

  • ④.ノルブリンカ(夏の離宮)<br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の入り口と長塀

    ④.ノルブリンカ(夏の離宮)
    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の入り口と長塀

  • ⑤.ノルブリンカ(夏の離宮)<br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の正門

    ⑤.ノルブリンカ(夏の離宮)
    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)の正門

  • ⑥.ノルブリンカ(夏の離宮)<br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)付近の通路と長塀

    ⑥.ノルブリンカ(夏の離宮)
    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)付近の通路と長塀

  • ⑦.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)

    ⑦.ノルブリンカ(夏の離宮)

    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)

  • ?.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)

    ?.ノルブリンカ(夏の離宮)

    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)

  • ⑨.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)からタクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世の宮殿)に向かう通路と長塀

    ⑨.ノルブリンカ(夏の離宮)

    ケルサン・ボタン(ダライ・ラマ7世の宮殿)からタクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世の宮殿)に向かう通路と長塀

  • ⑩.ノルブリンカ(夏の離宮)には樹齢数百年の古木が多数ある。柳の古木である。<br /><br /><br />

    ⑩.ノルブリンカ(夏の離宮)には樹齢数百年の古木が多数ある。柳の古木である。


  • ⑪.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />ダライラマが歌劇などを見られるための観劇楼。2階中央窓から、下の敷石の舞台を眺められる。

    ⑪.ノルブリンカ(夏の離宮)

    ダライラマが歌劇などを見られるための観劇楼。2階中央窓から、下の敷石の舞台を眺められる。

  • ⑫.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />ダライラマが歌劇などを見られる観劇楼と、手前の敷石された舞台。

    ⑫.ノルブリンカ(夏の離宮)

    ダライラマが歌劇などを見られる観劇楼と、手前の敷石された舞台。

  • ⑬.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿)の入り口

    ⑬.ノルブリンカ(夏の離宮)

    タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿)の入り口

  • ⑭.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿)

    ⑭.ノルブリンカ(夏の離宮)

    タクテン・ミギュ・ボタン(ダライ・ラマ14世宮殿)

  • ⑮.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br />タクテン・ミギュ・ボタン付近の長塀と通路

    ⑮.ノルブリンカ(夏の離宮)

    タクテン・ミギュ・ボタン付近の長塀と通路

  • ⑯.ノルブリンカ(夏の離宮)<br /><br /><br />離宮の中の木々に囲まれた通路<br /><br />

    ⑯.ノルブリンカ(夏の離宮)


    離宮の中の木々に囲まれた通路

  • ⑰.セラ寺の境内の風景<br /><br /><br />入り口から真っ直ぐ延びる境内のメイン通路

    ⑰.セラ寺の境内の風景


    入り口から真っ直ぐ延びる境内のメイン通路

  • ⑱.セラ寺の境内にある僧坊

    ⑱.セラ寺の境内にある僧坊

  • ⑲.セラ寺の境内の風景

    ⑲.セラ寺の境内の風景

  • ⑳.セラ寺の境内<br />チェ学堂の正門

    ⑳.セラ寺の境内
    チェ学堂の正門

  • ?.セラ寺境内<br /><br />青海省のダライラマ14世の出身地アムド地方から、ラサへ、巡礼に来た一家。当主の男(向かって左端、サングラスの人)は、僕が日本人だと分かると、「日本人は友人だ」と、言って、握手をしてきた。

    ?.セラ寺境内

    青海省のダライラマ14世の出身地アムド地方から、ラサへ、巡礼に来た一家。当主の男(向かって左端、サングラスの人)は、僕が日本人だと分かると、「日本人は友人だ」と、言って、握手をしてきた。

  • ?.セラ寺境内<br /><br />慧海師は、セラ寺のチェ学堂に入り、「ピーツク僧坊」に入居した。<br /><br />チェ学堂の学舎への石段

    ?.セラ寺境内

    慧海師は、セラ寺のチェ学堂に入り、「ピーツク僧坊」に入居した。

    チェ学堂の学舎への石段

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の学舎の「正門」

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の学舎の「正門」

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に飾ってある河口慧海師の写真

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に飾ってある河口慧海師の写真

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に置かれた、河口慧海師の遺灰を入れた置物。

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の学舎である「本堂」の正面に置かれた、河口慧海師の遺灰を入れた置物。

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の学舎である「本堂」。<br /><br /><br />

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の学舎である「本堂」。


  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の学舎である「本堂」の正門

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の学舎である「本堂」の正門

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の厨房

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の厨房

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の僧坊

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の僧坊

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の厨房

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の厨房

  • ?.ラサ寺境内<br /><br />チェ学堂の厨房係りの僧侶

    ?.ラサ寺境内

    チェ学堂の厨房係りの僧侶

  • ?.セラ寺境内<br /><br />チェ学堂の厨房で頂いたバター茶

    ?.セラ寺境内

    チェ学堂の厨房で頂いたバター茶

  • ?.セラ寺境内<br /><br />問答修行場(弁経場)の正門

    ?.セラ寺境内

    問答修行場(弁経場)の正門

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行は、午後3時から始まった。

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行は、午後3時から始まった。

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

  • ?.セラ寺境内<br /><br />弁経場での問答修行の様子

    ?.セラ寺境内

    弁経場での問答修行の様子

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