2010/08/28 - 2010/09/04
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彷徨人MUさん
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1).旅の始めに
曼荼羅に 添ひて虹立つ ポタラ宮
「天空列車」と呼ばれる「西蔵(チベット)鉄道」で、青海省「西寧」を午後7時に出発し、翌日午後7時過ぎ、終点の西蔵の「拉薩(ラサ)」へ、到着した。「拉薩」駅は、都心から15キロ離れた「キュチ(ラサ)河」南岸の、ドゥールンチェン県にあり、駅舎は、「ポタラ宮殿」を、デフォルメした建物であった。込み合う改札口で、僕の名前を書いた紙を掲げた中年のチベット人を見付け、遠くから合図を送りながら、改札口を出た。彼は、笑みを浮かべながら、僕に近づくや、『ガイドの巴桑です』と、穏やかな日本語で、僕に声を掛け、歓迎の印の薄いシルクの「カタ」を、僕の肩に掛けてくれた。
拉薩市街地へは、「キチュ河」沿いを、タクシーで向かったが、「柳梧大橋」に差し掛かった時、ガイドの巴桑が、『ボタラ宮の上に虹が懸かっていますよ』と、指を差す方を見ると、空に虹が高く懸かり、その下に、写真で見た「ポタラ宮殿」が、見えていた。『良い旅になりますよ』と、巴桑さんに言われ、僕は、とても嬉しくなってきた。(表題写真参照)
2).「ツェ・ポタラ宮殿」へ
翌朝は、雨降りであった。この地は、富士山頂と、ほぼ同じ3,650m前後の高度であり、今は、季節が雨季のため、一日一度は、雨が降るそうだ。
ホテルからは、迎えのパジェロで、「ポタラ宮」へ向かった。「ボタラ宮」の見学コースは、事前に決められており、入場後1時間以内に見学を終える規則になっている。僕の見学コースは、「ポタラ宮」の上層階の中央部にある「赤宮」が中心であった。何せ高度が3,700m前後であるので、石段を登り始めるや、間もなく息切れがしてきた。
「赤宮」では、観劇場「デヤンシャル」を見学。そこから西側の「白宮」に入り、「文成公主」の嫁入りの日の絵画を眺めて、再び、階段を上がり、「ダライ・ラマ」の日常生活の部屋を通り、再度「赤宮」へ入った。
ここからは、下へ降りて行くのだが、4階で、「弥勒仏殿」、「ダライ・ラマ」7、8、9世の「霊塔」(ミイラ)を、3階の「時輪殿」では、三つの「立体曼荼羅」を見学し、1階まで下り、「赤宮」最大の「西大殿」を中心に、歴代「ダライ・ラマ」の塑像を祀った「観世音本生殿」を見学した。歴代「ダライ・ラマ」の「霊塔」が並べられた部屋では、それぞれの「霊塔」には、金が何キロ使用され、どのような宝石類が使用されているか等、詳細に説明されていた。(注1)
建物から出て、石段を下りている時、後ろから青年が、日本語で、僕に話しかけてきた。「西蔵大学」の日本語科2年生のテムジン君だ。日本人の日本語の先生に、「雄太」という日本名をつけてもらったと、嬉しそうに教えてくれた。地方出身の、明朗かつ聡明な青年であった。
3).「ジョカン寺」(大昭寺)へ
「ポタラ宮」見学後、再びガイドの巴桑さんの案内で、「ラサ」の旧市街地にある、「ジョカン寺」(大昭寺)へ向かった。ラサへの巡礼者の多くが、この地で辿る重要な「巡礼路」は、「ジョカン寺」に安置されている「釈迦牟尼」を中心に、三本の環状する「巡礼路」だと、聴いていた。 僕は、パジェロで、「ポタラ宮」からは、旧市内を一周する環状路の中で、一番外周りの「リンコル」(外環路)と呼ばれる巡礼路を通り、「ジョカン寺」へ向かった。「ジョカン寺」の入り口付近は、巡礼者や観光客で、賑わっていたが、武装警察のテント張りの詰め所や、人民解放軍の歩哨所等もあり、完全武装の兵士の巡回も厳しく、平和ボケの僕は、一瞬、怯むのであった。車から降りるや、ガイドの巴桑さんは、兵士と、寺院内の写真は撮らないようにと、穏やかな口調だが、改めて、僕に念を押した。
「ジョカン寺」は、巡礼者が、ラサで巡礼の目標にする一番のお寺だそうだ。7世紀にこの地を支配していた大王が、ネパールより「ティツゥン妃」、唐から「文成公主」を妻として娶り、インド仏教と中国仏教を同時に導入した。この「ジョカン寺」はネパールから来た妃が建立したので、入り口はネパールの方位の西を向いており、唐から来た妃は、近くにある「ラモチェ寺」を建立し、中国より運ばれた「釈迦牟尼仏」を安置したのだが、今は、その「釈迦牟尼仏」も、「ジョカン寺」に祀られているそうだ。
4).「ナンコル」(内環路)、「パルコル」(中環路)を、散策する
「ジョカン寺」の本堂の周りを一周する巡礼路を、「ナンコル」(内環路)と呼ばれており、マニ車が隙間無く、びっしりと並んでいる入り口付近で、巡礼者が思い思い「五体投地」をしている姿を、興味深く眺めていた。
ネパールからの妃が持参した「弥勒菩薩」と、中国からの妃「文成公主」が持参した「釈迦牟尼仏」は、現在は、この寺に、安置されていた。
この「ジョカン寺」境内の外周を一周する道が「パルコル」(中環路)である。昼食の前に、『パルコルをコルラ(散策)しましょう』と、巴桑さんが提案してきた。
修羅を行く 五体投地に 秋の風
「パルコル」(中環路)は、マニ車を回しながら、経を唱え、コルラ(五体投地をしながらの散策)する地方からの巡礼者達で溢れていた。僕の目の前で、巡礼者が、「五体投地」し、立ち上がるや、喜捨されたお金をすばやく胸のポケットに仕舞い込み、再び、「五体投地」をした。一分間に、自分の身長ほどしか前に進まないコルラ(散策)を自ら課す巡礼者を、取り巻きながら、僕も、一緒に、巡礼の真似事をしていた。
日本人「河口慧海」師は、仏教の研究の傍ら、医者としても評判となり、時々「パルコル」(中環路)にある薬屋にも立ち寄っていたようだ。
僕は、たまたま目の前の薬屋に入り、「藏紅花」の有無を尋ねると、「特級品 は、155元/gであり、壱級品は48元だ」という。短い赤色の髭のようなものだが、5,000m級の高山で採れる「蔵薬」で、その効用は、血液の循環を促し、冷え性の人には覿面な効き目があると言う。壱級品を3g購入したが、小さな塩ビの袋に僅かな量であった。
午後、「ジョカン寺」から、露店の建ち並ぶ間を通り、「ラモチェ寺」(小昭寺)を訪れた。文革で大きな被害を受けた寺だが、密教を学ぶ学堂として復興していた。本堂では、派手な頭巾をかぶり、僧服の上に黒いチョッキを着た僧侶達が、賑やかな楽器演奏に合わせ、読経をしていた。
午後5時過ぎでも、日差しは強いのである。「バルコル」(中環路)と交差する付近の、嘗てダライ・ラマが愛人と落ち合っていた、という噂のある「Makye Ame」レストランの屋上に座り、ヤクのチーズケーキを注文した。「バルコル」の様子を写真で撮ろうと、ふと隣の屋上を見ると、解放軍の兵士が、銃を構え、上から監視をしているところが見えた。信心深く、穏やかなチベットの人々の、この厳しい現状を、どう理解すればよいのだろうか?(『河口慧海 求法の日々を 旅する(2)』へ続く)
(注1) 『ツェ・ポタラ宮殿』は、「ラサ」市街地のほぼ中央にあるが、嘗ては、「ラサ」の入り口にある「鉄山」と「赤山」を繋ぐ「ラサ」防衛の要塞であった。「立体曼荼羅」では、一番高いところが、中心かつ重要なところと考えられている。『ツェ・ポタラ宮殿』の、「ツェ 」は頂上、「ポタラ」は中国語の「普陀落」で、「観音浄土」を意味し、山上にある観音の化身であるダライ・ラマが、住まわれている所を意味する。
* Coordinator: Gu Hong
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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西蔵(チベット)鉄道ラサ駅構内
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西蔵鉄道ラサ駅正面
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午後7時半 ポタラ宮殿の上に立つ虹
曼荼羅に 添ひて虹立つ ポタラ宮 -
朝のポタラ宮殿
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朝のポタラ宮殿
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ポタラ宮殿赤宮
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ポタラ宮殿の石段からラサの旧市内
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ポタラ宮殿への見学は、下からこのような石段や坂道を歩いて登らねばならない
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ポタラ宮殿
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ポタラ宮殿への石段
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ポタラ宮殿入り口
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ポタラ宮殿見学後、石段を下りていたら、後ろから日本語で、僕に声を掛けてきた「西蔵大学」日本語科2年生のテムジン君。日本人の先生に、名付けてもらった日本名は「雄太」だと、嬉しそうに、僕に教えてくれた。
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昼下がりの「ポタラ宮殿」
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昼下がりの「ポタラ宮殿」
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昼下がりの「ポタラ宮殿」
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ライトアップされた「ポタラ宮殿」①
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ライトアップされた「ポタラ宮殿」②
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ライトアップされた「ポタラ宮殿」③
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「ジョカン寺」(大昭寺)の正面.
入り口付近で多くの人が、自己流の「五体投地」をしている。 -
「ジョカン寺」(大昭寺)の正面で「五体投地」をする巡礼者
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「ジョカン寺」(大昭寺)の中庭から本堂を見る
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「ジョカン寺」(大昭寺)の正面。
屋根には、日輪を挟んで二頭の黄金の鹿の像がある。 -
「ジョカン寺」の周囲をグリルとまわる巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。
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「ジョカン寺」の周囲を廻る巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。
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「ジョカン寺」の周囲をグリルとまわる巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。地方からの巡礼者たちがコルラしている。
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「ジョカン寺」の周囲をグリルとまわる巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。
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「ジョカン寺」の周囲をまわる巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。
「バルコル」を見渡せる位置にあるレストラン「Makye Ame 」、屋上からは「バルコル」が一望できる。 -
ジョカン寺の周囲をグリルとまわる巡礼路「バルコル」(八廓街)の午後の風景。
雑踏の中で、黙々と「五体投地」しながらコルラする巡礼者。 -
雑踏の中で、黙々と「五体投地」を続ける巡礼者。
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雑踏の中で、黙々と「五体投地」を続ける巡礼者。
その向こうに、お出かけ中の僧侶と、完全武装で巡回中の人民解放軍の兵士などの足元が見える。 -
雑踏の中で、黙々と「五体投地」を続ける巡礼者。
修羅を行く 五体投地に 秋の風 -
ラモテェ寺(小昭寺)の正門
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ラモテェ寺(小昭寺)の正門近くで「五体投地」を行う巡礼者
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ラモテェ寺(小昭寺)
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ジョカン寺の正面広場に建てられた柱に巻かれた巡礼者達が残して行った「タルチョ」。
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ジョカン寺の正面広場に到着した日本の観光客、その向こうには完全武装の兵士が巡回していた。
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ジョカン寺の正面広場で休憩する地方からの巡礼者。
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