2010/08/09 - 2010/08/13
703位(同エリア1070件中)
ちゃおさん
早朝の中山広場。お揃いのピンクの上着を着た中年のご婦人連が三々五々、どこからともなく集まってくる。その内に、大きなマイク音と音楽。ポップ調の音楽に合わせ、それぞれ軽やかな踊りを踊りだす。
中国人はこうした集団の集まり、ゲーム、踊りなどを好むようだ。今の日本人の集団行動と言ったら、夏の盆踊り位しか思い出せないが、中国ではこうした集団の集まりが、ほぼ毎日、ちょっとした広場で行われている。これは漢民族、唐民族、台湾人を区別しない。
早朝、台北の圓山ホテルの裏の旧圓山に登った時。早朝のまだ暗い中、数千人という人々が、山中のあちこちに作られた講と思われるグループの広場に集まり、大きな音響の下、それぞれ踊ったり、気功をしたり、合唱などをしている。こんな日本人には紹介されていない、中国人の裏面の生活を見る思いがした。
これ等中国人の集団行動を嗜好する現象を初めて見たのは、今から20年ほど前、北京に行った時、早朝紫禁城の裏の景山に登った時、確かあの時は5角の入園料を取られたが、朝早くから大勢の中国人がその5角を支払って景山公園に入って行く。そしてその大勢の中国人がそれぞれ各グループを作って、小は数十人単位から、大は数百人を越える様な大グループを形成して、それぞれ朝の体操やら、気功やらをやっている。
当方部外者は、景山の高見に登り、目の下に真っ直ぐ垂直に並ぶ紫禁城の建物群に感動したが、それと同じ位に、この中国人の集団性に着目したものだった。
この中山広場、大連市のほぼ中心近くにあり、嘗ての孫文、孫中山の名前から取られたものであるが、大連市庁舎前の人民広場が、戦前の嘗ては関東広場と呼ばれたり、革命後には革命広場、それからレーニン広場、スターリン広場、などと何回も名前を変え、今、漸く人民広場と落ち着いているが、この名山広場のみは、戦後から今日に至るまで、一貫して同じ名称で呼ばれ続けている。孫文が近代中国の父、国民統合の象徴であったればこそ過去も今も変わらず中山広場と呼ばれ続けているが、戦前の日本人にとっては思いで深い広場でもあった。
東京から弾丸特急で1日かけて下関まで来、更に1泊2日の船旅を終えて上陸した中国最初の地、大連。大連港から人力車に揺られ、緩やかな勾配の坂を登って出合ったのがこの中山広場だった。丁度大連港と大連駅の中間に位置していて、人々は当時からこのロシア風にサークル状になった広場を半回りして大連駅に向うか、或いは、一部の人は、この広場に面する大和旅館に荷を下ろし、1泊し、翌日は又満州鉄道の列車に揺られ、満州の更なる奥地に旅立って行ったかも知れない。
しかしそれが出来たのは一部の人々、高級官僚なり、満鉄幹部、高級軍人の一部に過ぎず、多くの開拓民は集団行動で、この広場のことも知らず、真夜中トラックに載せられ、通り過ぎて行ったかも知れない。
夜の中山広場、真夏の暑さを避けるのか、三々五々集まってきている人々。朝の大音響と代わり、今はアコーデオンの音が小さく且つ軽快に奏でている。更に又数人の小人数がその音楽に合わせ軽やかなステップを踏んでいる。広場を囲んで、高層ビルには5色、7色のネオンが音もなく煌いている。平和な夜だ。満州国が崩壊して65年、人々は嘗てこの地に日本が強大な利権を持っていたことなど、ほんの頭の片隅にも残っていないだろう。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
朝の中山広場、お揃いのピンクの上着を着た人々が三々五々集まってくる。
-
こうした中国人の集団行動は、中国各地で見ることができた。
-
人々は大きな音響の音楽に合わせ、軽やかな踊りを踊っている。
-
ここは中山広場、その正面には大連賓館が建っている。
-
夜の大連賓館。周囲の建物に和すように、綺麗にイルミネーションされている。
-
正面から見る大連賓館。
-
中山広場を中に、大連賓館の正面には又流れるようなネオンの光が・・
-
高層ビルに滝のように流れるネオンは見ていても飽きない。
-
アコーデオンの曲に合わせ、又人々はダンスに興じる。
-
周辺のビルも綺麗にイルミネーションされている。
-
隣の人民銀行も綺麗なものだ。
-
大連の夜を彩る高層ビル。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ちゃおさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
12