2010/09/04 - 2010/09/04
1095位(同エリア4328件中)
みにくまさん
函館で一番見たかったのが五稜郭。
2010年7月29日には、五稜郭内に”箱館奉行所”がOPENしました。
◎ 箱館奉行所
入館料 500円
開館時間 4〜10月 9:00〜18:00
11〜3月 9:00〜17:00
休館日 年末年始(12月31〜1月3日)ほか、臨時休館あり。
◎ 五稜郭タワー
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10498731/
PR
-
特別史跡 五稜郭跡
五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
稜堡といわれる5つの突角が星型の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。 -
特別史跡 五稜郭跡
安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。
函館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。
五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。 -
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
◎ 半月堡
半月堡は、西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で、馬出塁ともいい、郭内への出入口を防御するために設置されています。
当初の設計では各稜堡間の5か所に配置する予定でしたが、工事規模の縮小などから、実際には正面の1か所だけに造られました。
北側中央部の土坂が開口部となっているほかは、はね出しのある石垣で囲まれています。
※ はね出し 武者返し・忍び返しともよばれ、上から2段目の石が迫り出して積まれているため、外部からの侵入を防ぐ構造になっています。 -
特別史跡 五稜郭跡
◎ 二の橋 -
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
◎ 土塁・石垣
五稜郭の土塁は、掘割からの揚げ土を積んだもので、土を層状に付き固める版築という工法で造られています。
郭内への出入口となる3か所の本塁は、一部が石垣造りとなっています。特に正面の出入口となる南西側の本塁石垣は、他の場所の石垣よりも高く築かれていて、上部には「はね出し」とよばれる防御のための迫り出しがあります。
石垣には箱根山麓の立待岬から切り出した安山岩や五稜郭北方の山の石が使われています。 -
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
箱館奉行所
五稜郭内の箱館奉行所庁舎は、文久2年に建築工事が開始されました。
マツ・スギ・ヒバなどの建築材木は能代(現在の秋田県)で加工され、船で箱館に運ばれて組み立てられました。
元治元年に奉行所庁舎が完成し、同年6月には箱館山麓から奉行所が移転して、蝦夷地における政治的中心となりました。
なお、五稜郭内の工事や付属建物がすべて完成したのは2年後の慶応2年です。
その後明治維新により江戸幕府から明治新政府に引き継がれましたが、明治元年から2年にかけての函館戦争時には旧幕府脱走群の本拠地となりました。
函館戦争終結後は、ふたたび明治政府のものとなりましたが、役所として利用されることはなく、明治4年に開拓使本庁舎の札幌移転に伴い、奉行所庁舎をはじめ郭内のほとんどの建物が解体されました。
庁舎解体から140年を経た平成22年、綿密な復原検討を重ねて、箱館奉行所は往時の姿に復元されました。 -
五稜郭タワー
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
-
箱館奉行所
◎ 中庭
奉行所の中庭は、観賞用のものではなく、採光や雨水処理を目的としたものです。
四方の屋根から集まる雨水を、溜枡や樋を利用して、大広間の床下を通して南庭に排水する構造となっていました。
また中庭越しに見える太鼓櫓は、約16・65mの高さがあります。 -
箱館奉行所
-
箱館奉行所
◎ 奉行所北側遺構平面表示(部屋割り区画) -
箱館奉行所
◎ 太鼓櫓
五層の太鼓櫓の上は、当時は港湾が見渡せる場所で、時を知らせる太鼓が置かれ、定刻には時が告げられていたようです。
また、太鼓櫓の屋根は銅板葺きで、箱根湾からは土塁越しに太鼓櫓が見えていたこともあって、箱館戦争時には艦砲射撃の標的となり、軍艦からの砲弾が命中した記録が残されています。 -
箱館奉行所
-
箱館奉行所
◎ 足軽詰所
このへやは足軽の執務室にあたります。
足軽は、武士の最下層にあたる下級役人で、主に雑役の業務を行っていました。 -
箱館奉行所
-
箱館奉行所
◎ 式台の埋め甕
平成17年(2005)の箱館奉行所跡の発掘調査で、玄関と内玄関の式台跡から信楽焼の大甕が発見されました。
玄関式台跡では5個の甕、内玄関式台跡では3個の甕が、それぞれ口を上に向けて並べて地面に埋められていました。
床下に甕が埋められる事例としては能舞台があり、音を反響させる意味があったと考えられますが、あるいは何か建築に関わる儀式的な目的があったのかもしれません。 -
箱館奉行所
-
ペロリくん
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
◎ 五稜郭の根性桜(?) -
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
-
特別史跡 五稜郭跡
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
みにくまさんの関連旅行記
函館(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
46