2010/09/01 - 2010/09/01
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YOSHITOさん
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午前中奥入瀬渓流を散策して午後は十和田
湖畔へ出る。休屋で昼食を済ますと1時50分
までの自由時間。
真夏のような強い日が照りつける湖畔を
デジカメ片手に一人歩く。あの乙女の像を
目指して。帰り道は十和田神社へ。
2時前にはバスは帰路につく。一路東北自動
車道を南下する。途中何ヶ所かのサービス
エリアに寄りながら仙台へ。
仙台発MAXやまびこ130号は8時13分発。
東京着は10時24分。それでも自宅には11時
少し過ぎには着いた。
「制作途中です」
-
9月1日午前中は奥入瀬渓流を歩きお昼に
十和田湖畔の休屋に出た。午後はバスの
出発する2時前まで自由時間。 -
強い陽射しの湖畔。木陰の遊歩道を乙女の像を目指して一人歩く。
-
昨日の秋田の田沢湖は水深日本一と言った。この十和田湖も378メートルと深く
3番目。標高は400メートルになる。 -
遊覧船が行き交う十和田湖風景。
本州最北の湖ーと思っていた。
否、三沢にはまだ小川原湖という大きな湖がある。 -
-
10分も歩くと“乙女の像”
言うまでもなく高村光太郎作。
バスの中で聞いたガイドさんの話では向い
会った二人の乙女は湖面に映った一人の女
性。顔は光太郎夫人智恵子に似ていると言
う。しかしボディは東北の寒さにも耐えら
れるしっかりした逞しさ。 -
戦後の光太郎は戦争協力を責めて岩手の
山荘に篭り彫刻を絶っていたと言う。
青森県は十和田湖の国立公園指定15周年
を記念して光太郎の彫刻を考えていた。
晩年の彼に制作を依頼したのは時の青森
県津島知事。地元太宰治の実兄である。
昭和28年に建立された。 -
平成6年(1994)光太郎の詩
『十和田湖畔の裸像に与う』の自筆
原稿を刻んだ詩碑が建てられた。 -
湖畔で遊んでいた高校生達。
-
観光客は皆この彫刻の前で記念撮影。
私も便乗して1枚。 -
乙女の像から林の小道を進む。
-
湖畔から僅かに離れてまさに樹林の中
一人立つ私。 -
神社の鳥居に着く。
-
十和田神社拝殿を見る。
元の祠は9世紀始めに創建されたと言う。 -
江戸時代には南部藩の霊場として人々の
信仰を集めたと言われる。 -
拝殿の右奥に建つ小ぶりな熊野神社。
-
拝殿の奥には更に急な険しい坂道が続き
最後は梯子で登る霊場か。ここからは時間
なく行けなかったが。 -
熊に注意の立て看板。
少し戻れば町に出る林と思うも。 -
-
町に続く十和田神社入口に出た。
2時には十和田湖を発って一路
仙台へ向う。 -
東北自動車道をひたすら南下。
3時40分には岩手山サービス・エリア、
4時には盛岡。6時過ぎには仙台に入る。
予定にない地元仙台の笹蒲鉾の店に寄る。
2台のバスからツアー客はまるで待って
いたように土産物を籠に取る。
写真はやっと到着したJR仙台駅前。 -
仙台発の新幹線は8時13分。
それ迄夕食或いは弁当をと添乗員のアドバイス。私は仙台は20年ぶり位か。駅構内のレストラン街を歩く。洋食、和食、喫茶店と何でもある。都内と変らない。
New York Kitchenと言うイタリアンに入る。若い女性客が多い。若いイケメンの外人がオーダーを取りに来た。
食後駅前の夜景を撮る。このタクシーの列。 -
駅構内はそんなに人は多くない。
都内なら通勤客で溢れるこの時間帯。 -
8時には再集合して新幹線に乗り込む。
写真左端のJTB伊藤添乗員お疲れ様。
8時13分仙台発。
2日間の慌しい東北の旅は新しい発見もあった。43名のツアー仲間との旅であったがほとんどコミュニケーションが無かったのは残念。唯一一人参加の私。皆さん夫婦であったり親子であったり家族であったりとそれぞれのグループで完結しているようだ。
10時24分東京駅着。11時少し過ぎ
には自宅に戻る。
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