2010/08/17 - 2010/08/17
243位(同エリア711件中)
MechaGodzillaⅢ&703さん
- MechaGodzillaⅢ&703さんTOP
- 旅行記1805冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 4,032,438アクセス
- フォロワー326人
■猛暑の中で()´д`();;あつ〜イ 観光!
〜福井・能登半島・富山・飛騨・松本・滋賀・京都の旅〜
【旅程】
細かそうですが、いつも出たとこ勝負の車旅なのです。
★1日目
広島市自宅→山陽自動車道→舞鶴若狭自動車道→R27号線→北陸自動車道→福井県福井市(泊)
★2日目
福井県福井市→勝山市→坂井市→能登有料道路→石川県羽咋郡→能登有料道路→富山県富山市(泊)つづく…
■一乗谷朝倉氏遺跡 福井県福井市
一乗谷朝倉氏遺跡は、今から約500余年前の文明3年(1471)、戦国大名・朝倉氏が5代103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。
最盛期には、人口1万人を超えたといわれ、雄大な城下町と雅やかな文化の華を咲かせました。
しかし、朝倉氏は天正元年(1573)に織田信長に敗北。火を放たれ、その長い歴史の幕を閉じたのでした。
そして、昭和42年、初めて本格的な発掘調査が行われて以来、当主の館や武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘。
昭和46年には、国の「特別史跡」に指定、平成3年には朝倉氏遺跡内の4つの庭園が、国の「特別名勝」にも指定されました。
また、平成19年には、出土品が国の「重要文化財」に指定されました。全国でも例の少ない3重指定されている遺跡です。
※訪問地別にアップ、いつ完成することやら・・。^へ^;)
Mecha Godzilla?&703
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
2日目行動開始です。今日は「一乗谷朝倉氏遺跡」「恐竜博物館」訪問後、「能登巌門」へ車を走らせます。 -
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
一乗谷朝倉氏遺跡へ向かう途中に三連水車がありましたのでちょこっと立ち寄りました。 -
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
粉ひき小屋があるくらいで他に何もないようです…。 -
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
-
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
-
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
足羽川頭首工…農業用水関係の水門らしい。上にのっかている建物が時代的で威厳があります。 -
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
足羽川頭首工。頭首工(とうしゅこう)は用水の取水にかかわる一連の施設全般を指す言葉で、湖沼、河川から用水路へ用水を引き入れるための施設だそうです。 -
■一乗谷あさくら水の駅、三連水車
朝から暑いですね〜;;;しかし、朝方は風を切って走ると気持ちいいので4枚窓&サンルーフ全開でゴーゴーの703号です。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
看板が見えてきました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏遺跡は三連水車からすぐの距離でした。数分で着きました。
-
■一乗谷朝倉氏遺跡
21、22の両日、「越前朝倉戦国まつり」が行われるそうです。タイミングが悪かった!見てみたかったですね。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
パンフだけでも載せておこう…残念! -
■一乗谷朝倉氏遺跡 復元町並み
戦国時代には、およそ一万人もの人がにぎやかに暮らし、戦国大名朝倉氏の大城下町だった一乗谷です。当時は京都から公家や文化人を迎え華やかな文化を開花させていました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡 唐門
しかし、1573年、織田信長の越前侵攻により一乗谷は灰塵に帰し、越前の中心が現福井市の北の庄に移ったことで一乗谷の里は人里遠く隔絶されました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡 唐門
朝倉氏遺跡は町並みの跡、庭園の保存状態が良好で多くの出土品も現れ、 歴史的価値が高まりました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏の祖先は、兵庫県養父郡の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
以後、孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代103年間にわたって越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあい灰燼に帰したのです。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
湯殿跡庭園 -
■一乗谷朝倉氏遺跡 湯殿跡庭園
一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。
また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205m2が特別名勝に指定されました。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500m2程の敷地があり三方は土塁と濠で囲まれています。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
常御殿、主殿、会所、茶室、花壇のほか、台所、厩、蔵などが整然と配されていました。
東側の山際にある館跡庭園は力強い滝石組、護岸石組を持ち、その洗練された石組に京都との交流が偲ばれます。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡 復元町並み
栄華を極めた城下町跡は、町並みがほぼ完全な姿で発掘・再現されています。
なにをボケッていたのか、暑さの所為か入場するのをすっかり忘れて当地をあとにしました。 ̄0 ̄! -
■一乗谷朝倉氏遺跡
復元町並み カラスさんこんにちは。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡
向こうに見えるのが義景館跡の正面、濠に面して建つ唐門は五代義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門です。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡 唐門
豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられ、幅2.3mの向唐門形式で、質素な中にも堂々たる気品を伝えています。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡下城戸
一乗谷の北側の谷が最も狭まるところに下城戸が構築されています。
土を盛り上げて構築された下城戸は、基底部で幅12〜19m、上面で幅6〜9mをを測ります。高さは約4mです。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡下城戸
道路により一部が削り取られていますが、現存長は38mを測ります。城戸の外側にあたる土塁北側には、幅約10mを測る濠が作られていますが、深さについては不明です。 -
■一乗谷朝倉氏遺跡下城戸
土塁の西側には巨石を組み合わせた通路があり、ここが城下町への出入り口となっていました。 -
■越前大野城
休憩がてら、越前大野城の看板に釣られて立ち寄ってみました。現在山頂に建つ天守は、1968年に再建されたものです。登城していません。 -
■越前大野城駐車場にて
体を休めましたので、これから勝山市の「恐竜博物館」へ向かうことにします。
THE END
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
MechaGodzillaⅢ&703さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33