2010/05/29 - 2010/06/05
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ヒカリノキミさん
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アドリア海とボスニア・ヘルツェゴヴィナに挟まれたクロアチア南方は
世界遺産のオンパレード。
北からシベニックの聖ヤコブ大聖堂、古都トロギール、スプリットの
ディオクレティアヌス宮殿、そしてドブロブニク旧市街と続きます。
今回はそのプリットのディオクレティアヌス宮殿です。
●先にディオクレティアヌス帝について簡単に説明します。
在位AD284〜305年の間のローマ帝国皇帝。
ローマ属州の奴隷の子として生まれ、一兵卒から親衛隊長官にまで
出世し、先帝の死後軍に推戴されて皇帝となった。
広大なローマ帝国の統治と防衛の為に、専制君主制を創設し、帝国を
東西に分け、それぞれに正帝・副帝4人で帝国を防衛する四分割統治
という事実上4人の皇帝で帝国を統治した政治手腕に長けた皇帝。
自身は、現在のトルコ・イズミールを拠点として統治・防衛にあたった。
又当時、力を増してきたキリスト教徒に警戒感を抱き、大迫害を行った。
在位20年を越したAD305年に皇帝を自主的に退位し、サロナ(現スプリット)
の地に離宮を建てて余生を送った。その離宮が、今世界遺産となり観光に
訪れているディオクレティアヌス宮殿であります。
●今のスプリットはアドリア海沿岸最大の港町ですが、7世紀になった頃に
ローマ帝国が滅亡し、進入してきたスラブ人の攻撃により宮殿は崩壊され、
彼等から逃れる為に人々は頑強な城壁に囲まれているディオクレティアヌス
宮殿内に避難して来た。
避難民達は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から朽ちた宮殿の資材を利用し
建物を増築し町を築いていった。
その町、すなわち元のディオクレティアヌス宮殿がそのまま現在の旧市街に
なったという珍しい起源を持つ町ですが、現在では宮殿そのものは無く、
宮殿跡は遺跡となっています。。
古代と中世の建物が複雑に交じり絡み合った独特の町並みと、その特殊な
町の成り立ちとが認められて世界遺産となりました。
●ディオクレティアヌス宮殿の東南辺りでバスを降り、海岸に沿った通りを
西に少し歩くと北側に商店の並んだ長い建物があります。その長い建物こそが
元のディオクレティアヌス宮殿の南の城壁で、中央にある“青銅の門”から
観光で今“ディオクレティアヌス宮殿”といわれる旧市街に入ります。
●入って直ぐ左に“宮殿の地下”があります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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ディオクレティアヌス宮殿の復元写真です。旧市街と言われるところです。
右(南)の海の所が今、海岸沿いの美しい通りになっていて、その海は南の壁(宮殿の城壁)から50mほど南(写真での右)に移っています。
元海であった海岸通りが正面で東西180m、南北215m、あるそうで、
四方の壁の中央にそれぞれに門があります。良く見ると東西の門を結ぶ通りを境に、右半分が皇帝の私邸、左半分が兵舎でした。 今日“宮殿の地下”として観光する所は、右半分の東側の地下です。 -
南の門“青銅の門”です。海岸通りの中央にありますが、うっかりすると通り越してしまいそう。此処から入る方がドラマチックに思えます。
入った階はディオクレティアヌス宮殿の南半分(皇帝の私邸)の地階です。
直ぐ右には有料の地下部分。取り立てて見るべきものはありませんが、在りし日の宮殿の構造が分かります。
右に行かないで真っ直ぐに行くと広場(ペリスティル)に出ます。その途中の地下には、ショップが並んでいます。 -
宮殿の地下です。南の門を入って直ぐ左にあります。
右のお兄さんが、入場料を取ります。 -
イチオシ
地下(有料部分)はこのような感じで湿っぽく感じます。
地下は建築的には、宮殿の上部(ディオクレティアヌス帝の私邸)を支えるためのもので、地上階とは同じ造りになっているとか。今、地上階は別の建物が建っています。 そう、今この元ディオクレティアヌス宮殿の上には、7世紀頃にスラブ人の侵攻から逃げてきた人々が、壊れた宮殿の資材を使って建てた家々があります。 -
ディオクレティアヌス帝の胸像。
これも料金の要る方の地下にあります。 -
料金の要る地下に展示してある、下水道の土管を離して横に並べたもの。
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地下の上に出てきた所。
周囲には家々が建っていて、現代の人々が住んでいます。元の宮殿跡に、それも世界遺産の中に。素晴らしい! -
イチオシ
同じく地下の上に出てきて、カメラを先の写真の西に振ったところ。
やはり周りにはこのように家が建っていて、人々が住んでいます。
塔は、大聖堂の鐘楼。 -
前庭。南の門から地下を北に進むと、広場(ペリスティル)に出る手前に円形の広間があります。そこが前庭で、皇帝の私邸の玄関だったとか。
此処は音響が良いので、男性の合唱団がアカペラを歌ってました。ちゃっかりとCDを売っています(10ユーロー)。 -
確かホテルの玄関。前庭に行く手前にあります。世界遺産の中に泊まれるなんて素敵です。今回はツアーで決められたホテルですが、個人旅行の時には世界遺産を構成している建造物の一部の建物のホテルとか世界遺産の中にあるホテルに泊まります。高級ホテルのような豪華さ・サービスの多様さはありませんが、でもそれに近いホテルもあれば殺風景なホテルもあります。それでも世界遺産の中に泊まっているというだけで感動です。
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中央にある広場から北門に向かう通路。この辺り(広場の北側)昔は兵舎だったとか。
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広場(ペリスティル)にいる往時の格好をした人。一緒に写真に入ってくれたりしての旅行者サービスです。僕がいた時にはただ居るだけでしたが、何かパフォーマンスをするのかな? 建物の下の所が地下への入り口です。
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一つ前の写真の地下の入り口から見た地価のショップです。
真っ直ぐに行けば、北門に出ます。 -
広場から東北を見たところ。 右は大聖堂の入り口です。
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イチオシ
広場から東の門の方を見たところ。
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路地裏では、このような生の生活画伺えます。世界遺産に住んでいるなんて凄いことです。
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広場から西門への道。メインストリート。
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此処にも生活感が見られます。此処は北の東部分にあります。
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北の方にある路地です。
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これもホテル。五つ星のプレートが貼ってありました。中はどんなんだろうと、覗いてみたかったのですが・・・・・。 北の東部分にありました。
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此処にも遺跡に住む人が。此処も北の東部分です。
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こんな路地も。
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東門。メインストリートもこの辺りまで来ると、露天商が増えてきます。
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東門を出た所。宮殿の外、東側の通りに面した門と城壁。
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東側の城壁沿いの露天商。刺繍や民芸品など安い土産が買えます。
これは東門を出た所から南を見ています。 -
レプブリカ広場。 ディオクレティアヌス宮殿から海岸沿いの通りを西へ5分ほど歩くと、ヴェニチアのサンマルコ広場を模したような広場に出ます。
レストランが多いです。僕達は左の奥にあるレストランでランチを取りました。
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