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 藤沢市渡内にある日枝神社は村岡山王大権現とも呼ばれ、祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)と村岡良文(むらおかよしふみ)(桓武天皇のひ孫)の2柱である。村岡五郎良文が天慶年間(877〜885年)に村岡村渡内に住むにあたり、宮山に日吉山王大権現を勧請し「山神社」と称して守護神とした。応永27年(1421年)当地に遷した時に、良文公を合祀した。慶長12年(1608年)社殿を造営、天保9年(1839年)に本社覆殿を再建した。<br /> 由緒のある神社なのだがその面影はない。昭和30年代中頃までは、地域はのどかな農村風景であったが、その後の工場進出や区画整理などによって宅地化され、景観は一変してしまっている。日枝神社もコンクリートブロックに覆われた見ての通りの神社になってしまってはいるが、かつては村の鎮守の森といった景観を持っていたのであろう。<br />(表紙写真は日枝神社)

日枝神社(藤沢渡内)

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2008/09 - 2008/09

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 藤沢市渡内にある日枝神社は村岡山王大権現とも呼ばれ、祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)と村岡良文(むらおかよしふみ)(桓武天皇のひ孫)の2柱である。村岡五郎良文が天慶年間(877〜885年)に村岡村渡内に住むにあたり、宮山に日吉山王大権現を勧請し「山神社」と称して守護神とした。応永27年(1421年)当地に遷した時に、良文公を合祀した。慶長12年(1608年)社殿を造営、天保9年(1839年)に本社覆殿を再建した。
 由緒のある神社なのだがその面影はない。昭和30年代中頃までは、地域はのどかな農村風景であったが、その後の工場進出や区画整理などによって宅地化され、景観は一変してしまっている。日枝神社もコンクリートブロックに覆われた見ての通りの神社になってしまってはいるが、かつては村の鎮守の森といった景観を持っていたのであろう。
(表紙写真は日枝神社)

  • 庚申塔、石塔、石仏。天和2年(1682年)と本社覆殿再建前後の頃の文政4年(1821年)から文政10年(1840年)頃の石仏がある。

    庚申塔、石塔、石仏。天和2年(1682年)と本社覆殿再建前後の頃の文政4年(1821年)から文政10年(1840年)頃の石仏がある。

  • 並べられた古い社。

    並べられた古い社。

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