2010/06/06 - 2010/06/11
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ゆらのとさん
サハリンは終戦まで日本の領土だった。樺太は北海道よりも面積が広かった。ユジノサハリンスクの町は豊原で庁が置かれ日本の一つの県にも匹敵した。
都市計画は札幌を参考にし、道路は碁盤の目のように東西に造られた。
今、ユジノサハリンスクは、そのまま、道路を使っている。だから、地図さえあればロシア語が話さなくても目的地に行くことができる。
ただ、共産国のロシアらしい名前に変わっている。駅前広場はレーニン広場となり、豊原公園はガガーリン公園(ガガーリンは最初の宇宙飛行士)になっている。道路の多くがロシアの英雄の名が付いているのも興味深い。
娯楽設備があまりないユジノサハリンスクにとって、公園は市民の憩いの場である。特に極寒のサハリンにとって春が来た喜びは、ひとしおなのだと思う。
私のホテルはレーニン広場の隣だった。夜中の12時を過ぎても若者で賑わっていた。 レーニンの巨大な像が市民のシンボルとも思えた。
私が30年ほど前にロシアを訪れた時、スターリンの像が街のいたるところにあったが、今は、スターリンの像はない。時代と共にスターリンは人気がなくなったと、ニュースで見たとがある。
樺太神社の遺跡に行くには戦勝祈念碑の脇の坂道を登っていくのだが、戦争記念碑に手を合わせた。日本にとってはロシアは敵国だったが、犠牲になったのは民衆である。とても立派な記念碑であった。巨大な像の後ろに3千人以上の犠牲者の名前が刻んであった。(私は縦×横で数えたのだ) こんなに立派な像と石碑を作ってもらって犠牲者は喜んでいるのだろうか、と、ふと、思った。
もう一つ疑問に思ったことは、太平洋戦争でサハリンでこんなに沢山の犠牲者が出たのであろうか。ロシアが参戦したのは8月9日である。この犠牲者の名前は日露戦争も入っているのだろうか。 私は今のところ、詳細は分からない。
サハリン州立郷土博物館に行く途中、小学校のの子供達に出会った。子供たちも博物館に見学に行くのだ。その日は小雨にもかかわらず、傘をさしているいる子は一人もいないのに気付いてびっくりした。子供も先生も、小雨の中を
傘をささずに当たり前のように歩いていた。ロシアの子供は丈夫で風邪を引かないのだろうか。 日本ではとても、考えられない。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船
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