2010/06/06 - 2010/06/11
4514位(同エリア6076件中)
ゆらのとさん
かねてより訪れたいと思っていたサハリン(旧樺太)へ出かけて来た。
サハリンへの行き方は空路と水路がある。私はあえて不便で時間がかかる水路(フェリー)を選んだ。稚内からコルサコフ(旧大泊)まで5時間半かかる。家(長岡)をJRの特急で乗り継いで丸一日かけて稚内に着く。稚内で一泊してフェリーに乗ったのは6月8日の10時だった
短い旅だったけれど、いいこと、悪いこと、ハプニングと、いろいろなことを体験して来た。今回から6回に分けてサハリンについてのブログを書きたい。これからサハリンへ行かれる方の参考になれば幸いである。
1回目はユジノサハリンスクの桜である。
サハリンは1945年78月15日まで日本の領土で樺太と言っていた。そこに桜が咲くことを友人の話や書物やインターネットで知っていた。
サハリンは大きい。普段、日本地図を見ていると、北海道の稚内に北に長く伸びている島くらいに思っていたが、実際は北海道の1.1倍の広さであることを知った。
サハリンは予てより行きたい所だった。戦前、日本が繁栄していた遺跡を見たかったし、今は亡き友への約束もあった。
ロシアの春は遅い。特に今年は冬が長かったので、10日間位桜が咲くのが遅いという情報を稚内観光から得たので、今年がチャンスと、急遽、思い立ったのである。
欲張りな私は一緒に稚内のエゾ山桜も見たかったし、友が昭和19年(戦時中)、樺太から引き上げてきた時の宗谷海峡も見たかったのである。
私がこの度、訪ねたサハリン(旧、樺太)はサハリンのうちのコルサコフ(旧、大泊)港から車で40分の所にあるユジノサハリンスク(旧、豊原)に2泊3日の滞在であった。
旧、豊原は昭和18年には38,000人の日本人が住んでおり、樺太庁が置かれていた。当時、樺太は水産業、炭鉱、製紙工場が盛んであった。
日本人は桜が好きである。故国の桜を樺太にもと盛んに植樹されたという記録を読んだことがある。しかし、染井吉野は風土、気候が合わず、長くは根付かなかった。ならば、エゾ山桜をと北海道の北部から沢山苗木を持っていった。
「その苗が成長し昭和15年頃には豊原で盛大に桜祭りも開催された」と、友が語ってくれたのを、私は忘れていない。
私はユジノサハリンスクに訪れるまでは、もっと、盛大に当時の日本の桜が咲いていると思っていた。 その、殆どがロシアによって、日本の桜は切り倒されていたのである。理由は、日本色を無くすためだった。特に神社の境内にあった桜は神社と共に崩壊された。共産党は神の存在を認めなかった。
その苗が成長し、「昭和15年頃には豊原で盛大に桜祭りが開催された」と、友が語ってくれたのを覚えている。
かつてタリバンによってバーミアンの洞窟が崩壊された時、胸を痛めたが、この度、旧、豊原に来て、跡形も無い樺太神社と桜の切り株を見たとき、胸が締め付けられる思いがした。
ユジノサハリンスクの桜の写真を3枚、紹介させていただく。
1
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 船
-
1番目の写真は現、サハリン州立郷土資料館の裏の桜である。かなり幹が太かったので、戦前、日本人が植えた桜だと思う。この日本式の建物は敗戦まで、樺太庁博物館であった。それを現在もロシアは博物館として使用しているのである。(展示物は違う) 正面にも立派な桜が近年まであったそうだ。なぜか、この桜は切られなかった。近年、桜の枝が伸びて、屋根の一部を壊したと、また、ばっさり根元から切ったのだそうだ。
-
2番目の桜はガガーリン公園の桜並木の写真である。この通りに300本の桜を、ユジノサハリンで日本レストランを経営している宮西豊さんが北海道から苗を取り寄せて寄贈されたのである。
この通りは「宮西通り」と言われて市民から親しまれているのだそうだ。(宮西さん面談記は別にブログで書く) -
3番目の写真はガガーリン公園の近くに最近できたホテルの中庭に咲いていた桜である。エゾ山桜ではない。ピンクの桜である。
ロシアの人々もようやく桜の美しさに魅せられ、桜を愛するようになってきたのだろうか。心にゆとりができたのであろうか。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ゆらのとさんの関連旅行記
ロシア の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
3