2010/06/06 - 2010/06/11
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ゆらのとさん
この度、サハリン(旧、樺太)へ出かけるに当たって、少し調べて、驚いたことが四つあった。それはサハリンは北海道よりも大きい島であること、根室よりも経度は西だが、時間が日本より夏は2時間進んでいること(冬期は1時間)、ヨーロッパであること、そして、奈良時代からすでに倭人(日本人)がアイヌ人と共に住んでいたことが中国の文献に出ていることであった。
戦前、日本はサハリンを樺太として植民地にしていた訳でない。日露戦争後、北緯50度より南が正式に日本の領土として認められたのである。
江戸時代後期、私が尊敬する間宮林蔵は樺太に出かけ、樺太が大陸続きでなく島であることを歩いて立証し、大陸と一番接近している海峡を間宮海峡と名付けたことを知って、ますます樺太(現サハリン)に興味を持った。
終戦直後が悲惨だった。ロシアは勝手に攻め入り、日本人を追い払った。抵抗したものは容赦なく銃殺した。しかし、日本に返さない日本人もいた。それは鉄道関係者と工業関係の技師だったという。その人たちの帰還は4,5年遅れ、その間に、飢えや寒さで亡くなった人が大勢いたそうだ。(ある役所の方から電話で聞いたのだが迷惑がかかるといけないので秘す)
私がこの度訪れたユジノサハリンスクは終戦まで豊原といわれ庁が置かれ、樺太全体の行政に携わった。 終戦まで栄えた町は大泊(港、現、コルサコフ)、真岡(製紙工場、現、ホルムスク)、本斗(炭鉱、現、ネべりスク)等が栄えていた。(稚内資料館調べ)
ユジノサハリンスク(旧、豊原)の町を歩いていると、まだ、残っている日本の建物もある。その代表的なのがサハリン州立郷土博物館である。終戦まで、ここは樺太庁美術館だった。私は入館して見たら、戦前まで国境としていた北緯50度に建てられていた石碑があった。館内には、当時の貴重な日本人の写真や生活用具も何点か見ることができた。
もう一つ日本が建てた建物を見ることができた。それは北海道拓殖銀行の建物で、現在はサハリン州立美術館として使用されているが、私は入館しなかった。
私が他に是非、訪れたい所が二つあった。一つは昔、桜が沢山咲いていた樺太神社跡だった。歩いてそこまで行くのに40分かかった。そこは石の階段があるのみで境内は鬱蒼と木が生い茂っていた。神社はソビエト政府(現、ロシア)により破壊されていたのである。
国破れて山河あり
城春にして草木深し
高校時代、漢文の授業で習った杜甫の詩を思い出した。「城」が「社」に代わっているだけだと思った。
もう一つ訪れた所はチエホフ記念館である。ロシア領土のサハリンは重罪の流刑の地だった。主に思想犯で、ここに流されれば生きて刑終えることは不可能に近かった。 チエホフはその実態を調べ、「サハリン島」を書いた。その膨大な資料がここに収められていた。
チエホフの代表作に「桜の園」がある。もしかしたら、記念館に敷地に桜の花が咲いているのではないかと思ったが咲いてはいなかった。でも、桜のように優しい青年の真心に触れる事ができた。(そのことは後でブログに書く)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船
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