2010/06/06 - 2010/06/07
14位(同エリア377件中)
ベームさん
6月6日、13日目。
朝トゥールを発ちアンボワーズ城からブロワに来ました。ブロワ城を見て1泊します。ブロワの町なかも見たかったのですが腰が痛くなってきたのでお城だけにしました。
6月7日、14日目。ロワールの旅最後の日。
今日はシャトルバスに乗ってシャンボール城、シュヴェルニー城を周る予定だったが脇腹の痛みが治まらずシャンボール城だけにしました。シャトルバスの切符をどこで買うのかホテルで聞くと駅だという、駅の窓口に行くとタクシー乗り場の向こうだと言う、行くとそんなものは無いので駅に戻りキオスクのお姉さんに聞くとバスの中で買えと言う。なんといい加減な。正解はバスの中。
バスで買うのは分かったが今度はどのバスか分からない。駅前には3台ほどバスが止まっているがシャトウ巡りなんて表示はどこにもない。1台1台バスの運転手に聞いてまわる。総じて外国の公共機関は顧客サービス精神に欠ける。お客様は王様なんて言葉は日本だけ。
写真はシャンボール城。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
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ブロワ駅。
アンボワーズから20分。駅のそばのホテル・サヴォアにチェックインする。
受付の応対、保安、部屋の調度、水回り、すべて最低のホテルだった。外から帰ってきて誰もいないので大声を出して女将を呼び部屋の鍵を呉れというと、そこに架かっているから勝手に持って行けとのたまう。間違ってよその人の部屋に入ってもいいの。洗面で蛇口を回したら取れてしまった。
サヴォアとはイタリア王家に繋がるヨーロッパ屈指の名門の家柄。駅近で、その名前と安い料金につられて予約したのが失敗。 -
ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
先ずブロワ城に向かう。途中感じの良さそうな青年に出会ったので、旅行会話集で一生懸命覚えたフランス語で”ブロワ城へはどうやって行くのですか?”と尋ねたら、青年、首をかしげて”あなたは英語が話せますか?”ときた。がっくり。ちょっとでもフランス語らしきものをしゃべりたかったのに。英語は話せない、というと身振り手振りで教えてくれた。
見当をつけて歩いていくとブロワ城の 手前に美しい教会が現れた。 -
ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
ブロワ城の手前にある美しい教会。 -
ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
いつものように教会があると中を見たくて必ずお邪魔する。信仰心のない私をキリスト様お許しください。 -
主祭壇。
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美しい像です。
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ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
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ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
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ブロワ:サン・ヴァンサン教会。
教会を出る時なにやら集会があるらしく地元の人らしき人たちが集まってきた。胡散臭そうな目で見られる。城を見に来る観光客もこんな教会までは入り込まないのだろう。 -
ピエタ。
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サン・ヴァンサン教会の右手、駅から10分ちょっと、ブロワ城が見えてきた。
フランソワ1世棟。手前の緑はヴィクトール・ユゴー広場。 -
ブロワ城、フランソワ1世棟。
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ブロワ城の空堀跡。1619年、息子ルイ13世と対立しここに幽閉されていたマリー・ド・メディシス(アンリ4世の未亡人)がロープを伝ってここから脱出したという。肥えたマリーが必死になってロープにぶら下がっている姿を想像すると可笑しさがこみあげてくる。
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ブロワ城:ルイ12世棟。1503年。
フランソワ1世棟に沿って坂を登るとこの広場に出る。
ブロワはロワール川の要衝で10世紀来ブロワ伯の本拠地であった。13世紀にブロワ伯が城塞を築いたがその後王家のものになり、15世紀末以降ルイ12世、フランソワ1世が城塞の跡にいまの城館を築いた。 -
ルイ12世塔。
城内にはここから入る。 -
ブロワ城。
ルイ12世騎馬像(在位1498~1515)、ルイ12世棟入口の上にある。
この城には数々の歴史がある。
1429年4月、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍に包囲されているオルレアン解放に向けこの城から出陣した。
1588年、カトリックとユグノー(新教徒)との間で宗教戦争が続けられている最中、アンリ3世が旧教徒の首領ギーズ公アンリをこの城に呼び寄せ暗殺した。しかしそのアンリ3世も翌年狂信的なカトリックの修道士により暗殺されてヴァロア朝は断絶、アンリ4世によるブルボン朝が始まる。
1610年アンリ4世も狂信的カトリック信者により暗殺され三銃士とか宰相リシュリューが活躍するルイ13世の時代となっていく。
1589年、アンリ2世の未亡人でアンリ3世の母カトリーヌ・ド・メディシスはこの城で亡くなった。
1617年、アンリ4世の未亡人マリー・ド・メディシスは息子ルイ13世との権力争いに破れここに幽閉される。1619年脱出に成功。
などなど。 -
ブロワ城。
そのような歴史がここを舞台に繰り広げられたのかといささか感慨にふけりながら建物を見る。
中庭から見たルイ12世棟。 -
ブロワ城。
中庭から見たフランソワ1世棟。1524年。 -
ブロワ城。
フランソワ1世棟の螺旋階段。 -
ブロワ城。
ガストン・ドルレアン棟。17世紀前半。 -
ブロワ城。
サン・カレー礼拝堂。1508年。 -
サン・カレー礼拝堂。
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ブロワ城。
サル・デ・ゼタ。13世紀初めのものでブロワ城で1番古い建造物。中に三身分ホールがある。 -
ブロワ城。
三身分ホール。1576年と1588年にこの部屋で全国三部会が開かれている。三身分・三部会とは聖職者、貴族、市民による会議。 -
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ブロワ城。
三身分ホール。 -
三身分ホール。
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三身分ホール。
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ブロワ城。
三身分ホールの階段。この階段を上って奥に行くとフランソワ1世棟に続く。 -
ブロワ城。
元の城塞にあった古い石の彫刻。 -
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ブロワ城。
フランソワ1世棟。 -
ブロワ城。
国王の寝室。ギーズ公暗殺はこの部屋で行われたとされる。 -
ブロワ城。
国王の寝室。 -
ブロワ城。
左よりアンリ2世(在位1547~1559)、その3人の子フランソワ2世(1559~1560)、シャルル9世(1560~1574)、アンリ3世(1574~1589)。
アンリ2世はフランソワ1世の子。後の3人はアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子。
フランソワ2世の妃が、同時にスコットランド女王を兼ね、のちにイングランド女王エリザベスにより斬首され悲劇の女王と言われた、メリー・スチュアート。シャルル9世の妃はハプスブルク家王女エリザベート・ドートリッシュ。アンリ3世の妃ルイーズ・ド・ロレーヌは夫が暗殺された後死ぬまでシュノンソー城に引き篭もり喪に服した。 -
ブロワ城。
フランソワ一世の紋章サラマンダー。館内のあちこちに掲げられている。 -
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ブロワ城。
フランソワ1世棟の螺旋階段。 -
ブロワ城。螺旋階段。
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ブロワ城。
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ブロワ城。
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ブロワ城。
王妃の書斎。 -
ブロワ城。
王妃の書斎。237枚の羽目板は1520年代のもの。 -
ブロワ城。
王妃の書斎。羽目板の裏の4つの隠し戸棚。何が隠されていたのだろう。 -
ブロワ城。
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ブロワ城。
ギーズホール。ギーズ公暗殺の場面を様々な画家が描いた絵が飾られている。 -
ブロワ城。
ギーズ・ホール。国王アンリ3世により三部会の場におびき寄せられ到着したギーズ公。
ギーズ公とはギーズ公アンリ1世のこと。ギーズ家はフランスの名門貴族で当時ユグノー戦争で対立していたプロテスタントにたいするカトリック同盟のリーダーであった。1572年のサン・バルテルミーのプロテスタント大虐殺事件ではカトリーヌ・ド・メディシスと共にその首謀者とされている。
その権勢は強大でアンリ3世のフランス国王の座をも窺うようになりついにアンリ3世により暗殺された。 -
ブロワ城。
ギーズ・ホール。ギーズ公に襲い掛かる刺客。 -
ブロワ城。
ギーズ・ホール。刺されたギーズ公。 -
倒れているギーズ公。
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横たわるギーズ公と見下ろすアンリ3世。そのアンリ3世も翌年に暗殺される。
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ギーズ・ホール。
ここにもサラマンダーが。 -
ブロワ城よりサン・ニコラ教会。
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ブロワの町。
生憎の曇天。 -
ブロワの町。
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ブロワ城のレストランのテラスで昼食、きのこのオムレツ。ヴォルヴィックの水とで15ユーロ。高いな。
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シャンボール城。
6月7日、14日目。ブロワ駅前からブロワ城、シャンボール城、シュヴェルニー城を巡るナヴェット(シャトル)バスが出ており利用する。
このバスは便利で約2時間おきに1日3便あり、これを乗り継いで三つの城を効率よく周ることが出来る。料金は6ユーロ。
例えば、1便9:10ブロワ駅発、9:50シャンボール城着。2便11:50シャンボール城発、12:14シュヴェルニー城着。3便14:46シュヴェルニー城発、15:22ブロワ城着。
私は残念ながら腰が痛くなったのでシャンボール城だけ見て路線バスでブロワに引き返した。 -
シャンボール城。ブロワ駅前からシャトルバスで40分。
元ブロワ伯の狩猟の館があった場所に1519年フランソワ1世(在位1515~1547)が新たな城館の建設を始めた。しかしフランソワ1世の時代に出来たのはその一部で、アンリ2世を経て完成したのはルイ14世の時代。
幅156m、奥行117m、高さ56m、440の部屋、282の暖炉、77の階段など桁外れの大きさである。あまりに大きすぎて私にはシュノンソー城のほうが好ましい。 -
シャンボール城。
ルイ14世の時代にモリエールがここで喜劇「町人貴族」を書き、ルイ14世の御前で初演をした。
シャンボールの名は1821年シャルル10世の孫シャンボール伯にこの城が与えられ、1930年フランス政府がその子孫から城を買い戻したことに由来していると思う。 -
シャンボール城。
庭園側から。 -
シャンボール城。
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シャンボール城。
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シャンボール城。
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シャンボール城。
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シャンボール城のドン・ジョン。
この時代フランスは国内では宗教戦争(ユグノー戦争)、国外では対イタリア、ハプスブルク、スペイン、オランダ、イギリス戦争に明け暮れ、代々の国王はゆっくりとこの城に滞在して狩猟に耽ることは出来なかったようだ。 -
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シャンボール城。
主塔ドン・ジョン。 -
シャンボール城。
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シャンボール城。
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シャンボール城。
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シャンボール城。
林立する煙突。その下には暖炉があり部屋があることになる。 -
全景。絵葉書から借用。
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シャンボール城。
庭園側の入口から入ると直ぐ目の前に有名な2重の螺旋階段。どうなっているのか幾何に弱いのでピンとこない。上る人と降りる人がすれ違わないというが、同じ階段を同時に上と下から上り下りはじめるとどうなるのだろう??。 -
シャンボール城。
螺旋階段。 -
シャンボール城。
螺旋階段。 -
シャンボール城。
螺旋階段。 -
シャンボール城。
3階大広間の格天井。 -
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シャンボール城。
この城は外観は素晴らしいが中は見るべきものは余り無い。めぼしい調度品はあらかたフランス革命時に持ち出されてしまったという。 -
シャンボール城。
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シャンボール城。
暖炉。暖炉の数だけ煙突があり部屋がある。 -
シャンボール城。
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シャンボール城の庭園。
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シャンボール城。
反対側。 -
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シャンボール城。
城の教会。 -
シャンボール城の教会。
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シャンボール城バス停のそばの民家。農機具などが置いてあるので多分農家だろう。
背中、脇腹の痛みひどくシュヴェルニー城行を諦め路線バスでブロワに戻りパリ・オーステルリッツ駅に帰る。
ブロワ発15:42、オーステルリッツ駅着17:37。 -
列車を待つ間ブロワ駅の食堂で小憩。
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入場券。
右上から時計周りで:ブロワ城、シャンボール城、シュノンソー城、アンボワーズ城。
明日はとうとうというかようやく帰国の日です。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 小菊さん 2012/04/04 15:15:55
- はじめまして
- ベームさん
はじめまして。
小菊と申します。
フランスの旅行記に投票ありがとうございます。
ベームさんもフランス行かれてるのですね。
しかも私よりも長期で(^^)
私がパリに行った時は日数も少なく、
パリとモンサンミッシェルしか行けませんでしたが、
ベームさんは色々と足をのばしていらっしゃって
うらやましいです!!
私はフランスが何故か好きで、一昨年ニースも行きました。
今度は田舎町に(^^)行きたいな、と考えてます。
ベームさんはドイツがお好きなのですね。
行ったことがないので興味がそそられます。
それでは今後ともよろしくお願いします。
小菊
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