2010/06/05 - 2010/06/06
46位(同エリア384件中)
ベームさん
6月5日、12日目。
シュノンソー城の続き。その後トゥールに戻り1泊します。
6月6日、13日目。
トゥールから鉄道でアンボワーズ、ブロワに行きブロワで1泊します。
写真はアンボワーズ城/サン・テュベール礼拝堂。レオナルド・ダ・ヴィンチの墓がある。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
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シュノンソー城。
ルイ14世のサロン。 -
シュノンソー城。
ルイ14世のサロン。
左フランソワ1世の紋章大さんしょううお。
右妃クロード・ド・フランスの紋章白いたち。 -
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シュノンソー城。
ルイ14世のサロン。
ナティエ「デュパン夫人」。
フランス革命当時この城の城主がデュパン夫人だったが、かねてからの夫人の人徳により城は掠奪から免れたという。夫人は文化・芸術を保護し、ヴォルテールやモンテスキューを招いたりあのルソーはここで家庭教師として過ごしたこともあるという。 -
シュノンソー城。
ルイ14世のサロン。
ナティエ「ロアン公爵夫人」。どんな人物なのか不明。 -
シュノンソー城:ルイ14世のサロン。
ルイ14世。 -
シュノンソー城:ルイ14世のサロン。
ファン・ロー「ルイ15世」。 -
シュノンソー城。
カトリーヌ・ブリソネのホール。最初の城主トマ・ボイエの妻。 -
シュノンソー城。
カトリーヌ・ブリソネのホール。 -
シュノンソー城。
ガブリエル・デストレの居室。
アンリ4世の愛妾、アンリ4世との間にセザール・ド・ヴァンドームをもうける。
ガブリエル・デストレの絵をルーヴル(ガブリエル・デストレとその妹)とシャンティイ城のコンデ美術館(水浴のガブリエル・デストレ)で見たがいずれも胸をあらわにしたものだった。 -
ガブリエル・デストレ。
WEBより。
アンリ4世とのあいだに3人の子をもうけ、アンリはデストレを正妻、すなはち王妃にしようと画策しているうちにデストレは産褥で急逝してしまった。才色兼備だったと言われる。1571~1599年。 -
シャンティイ、コンデ美術館の「水浴のガブリエル・デストレ」。
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ルーヴル美術館の「ガブリエル・デストレとその妹」。
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シュノンソー城。
ガブリエル・デストレの居室。
「ルカの月暦図」と呼ばれるタピスリー。 -
シュノンソー城。
5人の王妃の居室。カトリーヌ・ド・メディシスの娘は二人の実の娘、三人の義理の娘すべて王妃となっている。
実の娘:マルグリット・ド・ヴァロワ(アンリ4世の妃、悪名高き王妃マルゴ)、エリザベート・ド・フランス(スペインのフェリペ2世の妃)。
義理の娘(息子の嫁):メアリー・スチュアート(フランソワ2世の妃、スコットランド女王。夫の死後スコットランドに帰り最後はイングランド女王エリザベスにより斬首される)、エリザベート・ドートリッシュ(シャルル9世の妃)、ルイーズ・ド・ロレーヌ(アンリ3世の妃)。 -
シュノンソー城。
5人の王妃の居室。
ルーベンス「東方の三博士の礼拝」。 -
シュノンソー城。
カトリーヌ・ド・メディシスの居室。 -
シュノンソー城。
カトリーヌ・ド・メディシスの居室。
コレッジョ「愛の教育」。 -
シュノンソー城。
セザール・ヴァンドームの居室。
アンリ4世とガブリエル・デストレの間の子。1624年城主となる。 -
シュノンソー城。
セザール・ヴァンドームの居室。 -
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シュノンソー城。
ルイーズ・ド・ロレーヌの居室。
1589年夫アンリ3世が暗殺されるとルイーズはこの城に引きこもり余生を送った。 -
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シュノンソー城。
ルイーズ・ド・ロレーヌの居室。 -
シュノンソー城。
セルフのレストランのテラス。 -
シュノンソー城のセルフのレストラン。
この旅行ではじめて食べた貧相な白アスパラのサラダ。
この頃腰の痛みがひどくなり公園の隅のベンチでしばらく横になりやっとの思いでトゥールへ戻る。 -
アンボワーズ駅。
6月6日、13日目。
トゥール9:04の列車でアンボワーズへ、9:23着。空はどんより曇っている。 -
アンボワーズ駅のホーム。
地下道をくぐって外へ。 -
アンボワーズ。
ロワール川とルクレール橋、対岸ににアンボワーズ城。 -
アンボワーズ城。
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アンボワーズ城。
駅から歩いて20分強。痛む背中をかばってのとぼとぼ歩きには遠く感じられた。
見るべき所は見なければの一念。 -
アンボワーズのロワール川。大河の趣がある。
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ロワール川。
フランス一の大河、中流でもこの大きさ。これで半分で、右に連なっているのは中洲でその右にさらにこれくらいの川幅がある。 -
アンボワーズ。
橋を渡った袂にあるサン・フロランタン教会。 -
アンボワーズ。
橋を渡ると旧市街。古い時計のある塔。オープンテラス好きのフランス人、もう座っている。 -
アンボワーズ城の入口。
アンボワーズには古くからケルト人が居住し城塞があった。15世紀末から16世紀前半にかけてシャルル8世(この城で生れている)、ルイ12世、フランソワ1世が次々と城を増改築していった。
奥の塔はサン・テュベール礼拝堂。
この時間観光客はまばら。 -
アンボワーズ城。
城館。左がシャルル8世の翼棟、右がルイ12世の翼棟。
この城には血なまぐさい歴史がある。宗教戦争の真っ只中1560年、新教徒による旧教徒側の首領ギーズ公暗殺の計画が露見し、1500人ほどの新教徒が捕らえられこの城で虐殺された。当時の王はフランソワ2世だったがまだ幼く、王母カトリーヌ・ド・メディシスとギーズ公による策謀といわれる。この忌まわしい出来事の後のちのちの国王はこの城に近づかなくなったという。 -
アンボワーズ城。
城館。 -
アンボワーズ城。
ロワール川から見上げただけでは分からないが城内には広い庭がある。 -
アンボワーズ城。
サン・テュベール礼拝堂。
レオナルド・ダ・ヴィンチの墓がある。 -
アンボワーズ城。
サン・テュベール礼拝堂。 -
アンボワーズ城。
サン・テュベール礼拝堂。レオナルド・ダ・ヴィンチの棺。 -
アンボワーズ城。
ダ・ヴィンチの胸像。 -
アンボワーズ城。
右の丸い塔はミニームの塔。 -
アンボワーズ城。
円形のミニームの塔の屋根。 -
アンボワーズ城。
この高い所から多くの新教徒が吊るされたという。 -
アンボワーズ城。
そういう忌まわしい歴史のせいか、なにか陰鬱な雰囲気が漂う城郭でした。 -
アンボワーズ城。
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アンボワーズ城。
ウールトー塔。 -
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アンボワーズ城。
会議の間。 -
アンボワーズ城。
会議の間。 -
アンボワーズ城。
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アンボワーズ城。
給仕係の間のタピスリー。 -
アンボワーズ城。
給仕係の間。 -
アンボワーズ城。
アンリ2世の寝室。 -
アンボワーズ城。
アンリ2世の寝室。 -
アンボワーズ城。
フランス国民の王ルイ・フィリップ。1773~1850年。
1830年の7月革命でシャルル10世に代わり王位に就いたが1848年の2月革命で失脚、イギリスに亡命しその地で客死。その後王政は復活せず彼がフランス最後の王であった。
父は、フランス革命時革命派であったが後反革命のかどで処刑されたルイ・フィリップ2世/フィリップ・エガリテ/フィリップ平等公。
シャンティイ城の城主でコンデ美術館を開いたオーマル公はルイ・フィリップの4男。 -
アンボワーズ城。
ルイ・フィリップの居室。
ルイ・フィリップの父親がオルレアン公フィリップで、王族でありながらルイ16世の死刑に賛成票を投じたが後反革命の咎でギロチンの露と消えた。 -
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アンボワーズ城。
ルイ・フィリップの居室。
ルイ・フィリップの母オルレアン公夫人ルイーズ・マリー・ド・ブルボン。マリー・アントワネットのお抱え閨秀画家ヴィジェ・ルブランの作。 -
ルイ・フィリップと家族。
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アンボワーズ城。
ルイ・フィリップの妻マリア・アメリア・。 -
アンボワーズ城。
音楽サロン。 -
アンボワーズ城。
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アンボワーズ城より。
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アンボワーズ城より。
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アンボワーズ城よりロワール川とルクレール橋。
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アンボワーズ城の下に広がる町。
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アンボワーズ城より。
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アンボワーズ。
クロ・リュセに向かうヴィクトル・ユゴー通り。 -
アンボワーズ。
ヴィクトル・ユゴー通り。 -
アンボワーズ。
クロ・リュセの館。アンボワーズ城から約300m。
レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ1世の招きにより1516年から67歳で亡くなる1519年までここに住んだ。この時ダ・ヴィンチが携えてきたのがあの「モナリザ/ジョコンダ」で今モナリザがフランス/ルーヴルにある由縁である。
フランソワ1世は度々イタリアに戦いを仕掛けたが、戦はあまりうまくいかなかったがその際イタリア・ルネサンスの高い文化をフランスに持ち帰り、その後のフランス文化の高揚に極めて功績があった。息子のアンリ二世の嫁にイタリアのメディチ家からカトリーヌ・ド・メディシスを迎えたのもフランスの文化水準の向上に拍車をかけた。 -
アンボワーズ。
クロ・リュセの館。 -
アンボワーズ。
クロ・リュセの館。 -
アンボワーズ。
クロ・リュセの館。
中には入らず腰を引きずりながらとぼとぼと駅に戻りブロワに向かう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- フローレンスさん 2013/05/16 10:51:52
- 勉強になりました
- 一日ツアーで駆け足で回った私とは違い、きちんと丁寧に見て回られていて
大変感動いたしました。私は日本史専攻だったので世界史に疎く、断片的に小説やお芝居を楽しむ程度なのです。
中世のヨーロッパは、大変な時代だったようですね。
人間臭いエピソードや駆け引き等 面白くもあり怖くもあり 奥の深い歴史に興味を持てるようになりました。
これからも宜しくおねがいいたします
- ベームさん からの返信 2013/05/16 20:40:28
- RE: 勉強になりました
- フローレンスさん、
メッセージ有難うございました。日中外出してましたので遅くなり申し訳ありません。
私の取柄はただ黙々、こつこつと歩いてやたらに写真を撮りまくるだけなのです。西洋の歴史もちゃんと勉強したのではなくあちらからちょっと、こちらからちょっと拝借しているだけです。でもドイツとフランスの歴史、特に中世のそれは面白いですね。というか難しくて頭に入りません。
フローレンスさんのオーストリアの旅行記もいいですね、時々お邪魔させていただきます。
ベーム
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