2010/06/18 - 2010/06/18
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マキタン2さん
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ショーハウス記念館
江戸時代の軽井沢一帯は、寒冷地帯であるため農作物には恵まれず、旅人が落とす路銀が唯一の収入源でした。しかし明治に入ると中仙道を歩く人はいなくなり、軽井沢は急にさびれていきます。寒冷地の軽井沢。高原野菜はまだ日本にはありませんでしたから、ろくに食べるものもない寒村でした。
そのうえ1884年(明治17年)、碓氷(うすい)新道の開通により、宿場への人の流れは完全に絶たれてしまいました。
しかし、この寂れた軽井沢が、イギリス人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーの来訪によって盛り返すことになります。明治19年、偶然、さびれた軽井沢へ通りかかったのが、カナダ生まれで英国国教会の宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーと友人の英語教師ジェームズ・ディクソンでした。彼らは、軽井沢の涼しい自然に祖国スコットランドの風景を思い出しました。彼は、この地を「屋根のない病院」と感動し、彼らは休業状態の旅籠『亀屋』を訪れて「一夏の間、借りたい」と申し出たのです。亀屋の主人・佐藤万平はこれを好機と捕らえ、外国人の生活習慣や彼らをもてなす技術を学ぶことにしました。そして明治27年(1894)に一部を洋風に改装して亀屋ホテルと名乗り、翌年、万平ホテルと改めます。
当時の欧米人は、夏休みがあっても故郷への船旅は何ヶ月もかかってしまうので帰れなかったため、東京のうだるような暑さに耐え切れない欧米人にとって軽井沢は格好の避暑地となったわけです。1893年(明治26年)、碓氷新鉄道の開通で町はさらに発展、西洋文化の香り漂う高級別荘地へと生まれ変わりました。
(http://kazeno.info/karuizawa/4-kyuu/4-kyuu-1-10.htm より引用)
軽井沢町の観光については・・
http://kanko.town.karuizawa.nagano.jp/
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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