2009/09/07 - 2009/09/08
34位(同エリア112件中)
ベームさん
今回はエアフルトの続き、大学の町イエナ そしてゲーテ街道の終点ライプチヒを巡ります。
写真はエアフルトのアンガーブルンネン。エアフルトに限らずドイツの都市には街中に古い泉が多い。昔上水の役目を果たしていたのでしょう。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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9月7日(月)、5日目。
エアフルト:市庁舎。
素晴らしいネオ・ゴチックの建物。1870~1878年再建。市の中心地フィッシュ・マルクトにある。 -
エアフルト:市庁舎。
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市庁舎の中は一部見学できます。
祝祭の間。部屋の周りの壁にはエアフルトの歴史を描いた絵が飾られている。
マインツ大司教に降伏するエアフルト市民。市民は自治を求め長い間司教領主と戦った。 -
エアフルト:市庁舎、祝祭の間。
1181年、ハインリヒ獅子王が対立していた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)に屈服する図。市内のペータースベルク要塞で行われた。 -
エアフルト市庁舎:異教徒の聖なる木を切り倒す聖ボニファチウス。
異教徒をキリスト教に改宗させるためずいぶん乱暴なことをやったものだ。この点ではキリスト教は他の宗教に比べて最も残虐なことをやってきたと思う。他の宗教にたいしてだけでは納まらず、キリスト教内部でカトリックとプロテスタントが殺し合いをしている。寛容の無い宗教。
ボニファチウスが後にオランダの地で殉教したのも異教徒の神殿を破壊した恨みを買ったためともいわれる。 -
エアフルト市庁舎:チューリンゲンの聖女エリーザベトとエアフルトの守護聖人マルティヌス。
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エアフルト市庁舎:プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世を迎えるエアフルト市民。
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エアフルト市庁舎:エアフルト大学の創設。
エアフルト大学は1392年の創設でドイツで3番目に古い大学。 -
ナポレオン軍と戦うエアフルト市民。
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エアフルト:市庁舎:祝祭の間。
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エアフルト市庁舎:祝祭の間。
壁面すべてエアフルトに関した絵で飾られている。 -
エアフルト市庁舎。
廊下に掲げられている絵の1枚。
修道士になるのを止めるよう懇願する父親とそれを振り払うマルチン・ルター。
ルターは父親の希望で法学士になるべくエアフルト大学に学んでいたが、ある時落雷を受け、その恐ろしさゆえか神の啓示があったかどうかは分からないが修道士になる決心を固めアウグスティーナ修道院に入った。 -
エアフルト:フィッシュ・マルクト、エアフルトの中心。
中央広いかまど館、右ギルドハウス(16世紀)。広場は中世の豪商の館で囲まれている。 -
エアフルト:フィッシュマルクト。
右は市庁舎。 -
エアフルト:フィッシュ・マルクト、赤い牡牛館。
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赤い牡牛館。
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エアフルト:広いかまど館。
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エアフルト:フィッシュマルクトのローラントの像。
ローラントとはフランク王国カロリング朝カール大帝シャルルマーニュに仕えた勇士。ヨーロッパの英雄伝説によると778年カール大帝のスペイン侵攻中イスラム軍との戦いで死んだ。中世フランスの叙事詩「ローランの歌」に歌われている。
北ドイツのいくつかの町にローラントの像が見かけるが、封建領主、司教領主に対する市民の自由を主張する象徴である。権力者の忠実な部下だった者がどうして自由市民の象徴なのか解せない。 -
エアフルト:クレーマー橋。
ゲラ川にかかる。当初は1156年の木組みの橋だった。フィレンツェのポンテ・ヴェッキオの小型版みたいなもので橋の両側に商店が並んでいる。 -
エアフルト:クレーマー橋。
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エアフルト:クレーマー橋。
これが橋だとは思えない。知らなければ普通の路だと思って通ってしまう。今でも32軒ほどの商店がある。 -
エアフルト:クレーマー橋の上の商店。
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エアフルト:ゲラ川。
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ゲラ川。
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エアフルト:アウグスティーナ修道院。
ルターは1505~1511年まで6年間ここで修業した。その後熱心なカトリック神父としてヴィッテンベルク大学で教えるが、ヤン・フス(1415年、コンスタンツの宗教会議で異端とされ火刑にされる)の書物などを読み当時の教会、ローマ教皇庁に疑問を抱き、1517年ヴィッテンベルクにて宗教改革の運動を起こす。
内部はツアーでのみ入れる。 -
エアフルト:アウグスティーナ修道院付属教会。
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エアフルト:アウグスティーナ修道院付属教会。
ルター・ローズといわれる赤い薔薇のルターの紋章の原形。下から2段目の左右、ライオンに挟まれているのがそれ。 -
エアフルト:カイザー・ザール。
1808年、ナポレオンここでヨーロッパ諸国会議を開く。ナポレオン軍は1808~1814年までエアフルトに駐屯した。 -
エアフルト:旧マインツ大司教総督邸、現チューリンゲン首相府。
1808年ここでナポレオンとゲーテの会見が行われた。ナポレオンはゲーテを見るなり”見よ、これが男だ!”と言ったという。ゲーテ自身が記しているので本当だろう。ナポレオンはゲーテの「若きヴェルテルの悩み」を愛読したという。
このときナポレオン39歳、ゲーテ59歳。 -
エアフルト:アンガー広場。
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エアフルト:アンガー広場。
左の建物は郵便局。 -
エアフルト:アンガー広場のオープンテラスで一休み。ビール3ユーロ。
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エアフルト:カウフマン教会。
アンガー広場にある。カウフマンとは商人の意。エアフルトは染料藍の産地でアンガー広場は藍取引の中心だった。 -
エアフルト:カウフマン教会。
ルターがここで説教をしたことがあり、教会の前にルター像が建っている。 -
エアフルト:ペータースベルク要塞。
17世紀後半、領主であるマインツ大司教が反抗するエアフルト市民を抑える為造られた要塞。1814年ナポレオン軍がロシア戦線で破れここに拠るが、プロイセン軍の攻撃にも持ちこたえたほどの堅固な要塞。 -
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エアフルト:ペータースベルク要塞の聖ペテロ修道院教会。
1181年ここでハインリヒ獅子王がフリードリヒ1世(バルバロッサ)に降伏した。 -
エアフルト:ペータースベルク要塞から眺めた町並みとセヴェリ教会、ドーム広場。
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エアフルト:ペータースベルク要塞から眺めたセヴェリ教会手前とドーム。。
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エアフルト:ヴィグベルト教会。
古都エアフルトには教会が多い。 -
エアフルト:エギディエン教会。
クレーマー橋の袂にある。 -
エアフルト:聖霊教会。
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エアフルト:聖霊教会。
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エアフルト:バーフューサー教会。
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エアフルト:プレディガー教会。
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エアフルト:パウルス教会。
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ゲシュヴィッツ駅。
9月8日、6日目。エアフルトからイエナに寄りライプチヒまで行く。
エアフルト駅でマクドナルドのハンバーガーとコーヒー4,5ユーロで朝を済まし、7時50分発のREでゲシュヴィッツ乗換え、イェナ・パラディス8時58分着。荷物はコインロッカーに預ける。イェナにはもう一つイェナ西駅があるがICE,ECなどの特急はパラディス駅に発着。私の乗った列車は先にイェナ西駅に着くがそこはコインロッカーが無いのでパラディス駅まで行く。 -
乗り換えたゲシュヴィッツ駅。
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ゲシュヴィッツ駅前。
乗り換えに少し時間があったので駅舎の外に出てみる。 -
イエナ・パラディス駅。
8時58分到着。荷物はコインロッカーへ。 -
イエナ :イエナ・パラディス駅前。
人口10万人、大学の町。イエナ大学(現シラー大学)は1558年の創設。ゲーテは公国の文教責任者として大学の充実に力を注いだ。シラー、フィヒテ、ヘーゲル、シェリング、ショーペンハウエル、ヘルダーリンなど錚々たる文化人がこの地に集まり、ドイツ精神文化の中心であった。
1806年、イエナ郊外でナポレオン率いるフランス軍とプロイセン軍が対戦し(イエナ会戦)、フランス軍の勝利により神聖ローマ帝国解体につながった。
1848年カール・ツアイスの発祥の地でもある。 -
シラー・ガルテンハウス。
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イエナ :シラーガルテンハウス。
シラーはゲーテの招聘によりイエナ大学で1789年から10年間にわたり歴史学を教えた。戯曲「ヴァレンシュタイン」、「マリア・スチュアルト」も此処で生れた。
時間が早く開館前。 -
シラー・ガルテンハウスの表示。
シラーガッセ2番地。 -
イエナ:ガルテンハウスのシラー像。
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イエナ :マルクト広場の旧市庁舎。
駅より歩いて10数分。 -
マルクト広場。
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マルクト広場のフリードリヒ・シラー大学(通称イエナ大学)創設者、ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒの像。
左手に書物を持つかたわら右手に剣を持っている。ゴータのフリーデンシュタイン城にあるザクセン・ゴータ公エルンスト1世像は書物しか持っていない。 -
イエナ :シラー大学。
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イエナ :聖ミヒャエル教会。
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イエナ :プルヴァー塔。
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イエナ :フリーデンス教会。
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イエナ:フリーデンス教会。
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フリーデンス教会。
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フリーデンス教会。
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イエナ:聖ヨハネ教会。
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イエナ:聖ヨハネ教会。
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イエナ :植物園。
ゲーテの監督により造られた。今でも世界中の植物が育てられている。園内にはゲーテ記念室がある。
文教、植物園以外にもゲーテは河川の改修、道路の整備などイエナに多大の貢献をしている。 -
イエナ:植物園のゲーテ記念室。
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イエナ :露店の市場。
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イエナ:市場。
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イエナからライプチヒへ。
イエナパラディス駅発10:44のICE。
車内の案内が”ライプチク、ライプチク”と聞こえる。語末のigをイヒではなくイクと発音してるようだ。 -
途中のナウムブルク駅。
中世の大聖堂のある町。 -
ライプチヒ・メッセのライプチッヒ駅到着。
Leipzig。 -
ライプチッヒ駅。
乗ってきたICE。 -
ライピチヒ駅。
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ライプチヒ中央駅のショッピングセンター。
イエナパラディス駅発10時44分のICEで11時46分ライプチヒ中央駅着。
ライプチヒ駅は終着駅式でフランクフルト中央駅と並ぶ大きな駅。構内吹き抜け式の大ショッピングセンター。 -
ライプチヒ:ライプチヒ中央駅。
中世から商業、金融、教育の中心都市。メッセの起源は1170年。ライプチヒ大学は1409年創立、ハイデルベルクに次ぎ古い。ゲーテ、フィヒテ、ニーチェ、森鴎外、近くはドイツのメルケル首相などが学んだ。1650年世界最初の日刊紙ライプチヒ新聞。岩波文庫が手本としたレクラム文庫もこの町の出版。
1813年10月、ライプチヒ郊外でのプロイセン・ロシア連合軍対フランス軍の戦いで連合軍が勝利、ナポレオン失脚の始まりとなった。諸国民解放戦争という。1519年ルターとエックによるライプチヒ論争も有名。 -
駅前のホテルのテラスで。出てきましたラーデベルガー。
ラーデベルガーはかってザクセン王室御用達のビール。ドレスデン近郊の町ラーデベルクでつくられこの地方1番の人気ビール。 -
ライプチヒ。
お腹もくちくなったので街中へ。駅からマルクト広場に向かうニコライ通りの賑わい。 -
ライプチヒ:まず目に付くのがニコライ教会。
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ライプチヒ:ニコライ教会。
ライプチヒで一番大きい。 -
ライプチヒ:ニコライ教会。
1989年10月9日、それまで月曜ごとにこの教会で行われていた祈祷集会が大きなローソクデモ行進に発展し、それが同11月9日のベルリンの壁崩壊につながった。 -
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ライプチヒ:ニコライ教会。
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ライプチヒ:ニコライ教会。
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ライプチヒ:ニコライ教会。
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ライプチヒ:ニコライ教会。
柱頭の棕櫚の葉の装飾が珍しい。 -
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ライプチヒ:ニコライ教会の先を右に曲がると旧市庁舎。
当初1556年。第2次大戦で破壊され、1950年ルネサンス様式どおり再建された。現在市歴史博物館。 -
ライプチヒ旧市庁舎。
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ライプチヒ:マルクト広場と旧市庁舎。
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旧市庁舎。
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ライプチヒ:夕日の旧市庁舎。
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ライプチヒ:カフェ・バウム。
建物は1718年、ライプチヒ最古のコーヒー店。 -
ライプチヒ:トーマス教会。
1212年創建。色々な改築が加えられ今の形は18世紀初め。バッハは1723年から1750年までここの音楽監督兼オルガン奏者を勤めた。バッハ信者の聖地。 -
ライプチヒ:トーマス教会。
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トーマス教会。
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ライプチヒ:トーマス教会。
1539年マルチン・ルターがここで説教し。1813年8月リヒヤルト・ヴァーグナーが洗礼を受けています。 -
ライプチヒ トーマス教会。
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ライプチヒ:トーマス教会。
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ライプチヒ:トーマス教会。
偶然有名なライプチヒ聖トーマス合唱団の練習場面に出くわした。時間があればゆっくりしたかった。 -
トーマス教会。
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ライプチヒ:トーマス教会。
バッハのブロンズの墓碑銘。1950年、バッハ没後200年記念として造られた。 -
ライプチヒ:トーマス教会。
バッハ像。 -
トーマス教会の向かいのバッハ博物館。
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ライプチヒ:バッハ博物館。
ワンフロアの小さなもので、係員にこれで全てかと訊くとそうだと言う。どうもおかしい、もっと資料がありそうだと思ったがそれ以上追及せず。 -
バッハ博物館。
自筆の楽譜。 -
ライプチヒ:ゲヴァントハウス。
1981年再建。ここを本拠地とするライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は1743年設立の民間最古のオーケストラ。それまでは楽団といえばすべて宮廷楽団だった。
1835年メンデルスゾーンが楽長となり、ワーグナーなどが指揮者として活躍。
歴代の楽長にニキシュ、ワルター、フルトヴェングラー、マズアなど錚々たる面々が並ぶ。 -
ライプチヒ:メンデルスゾーンハウス。
1809年ハンブルクで生まれたメンデルスゾーンが亡くなった家。1847年、38歳。建物取り壊しの計画があったが日本人の募金により博物館として保存されたという。 -
メンデルスゾーン・ハウス。
”ここでフェリックス・メンデルスゾーン・バートルディが彼の最後の人生を過ごした。彼は1847年11月4日この住まいで死す」。 -
ライプチヒ:メンデルスゾーンハウス。
たしか内部の写真撮影は別料金。 -
ライプチヒ:メンデルスゾーンハウス。
係の女性が私の一挙手一投足をじっと見ていて落ち着かない。私は展示物に手を触れたりしませんし撮影料も払っております。 -
メンデルスゾーンハウス。
デスマスク。 -
メンデルスゾーン。
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ライプチヒ:メンデルスゾーン夫人。
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ライプチヒ:市庁舎。
ルターとエックのライプチヒ論争が行われたプライセン城の跡に建てられた。 -
ライプチヒ:市庁舎。
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ライプチヒ:聖ニコライ・聖ヨハネ司祭館。
2階から4階にわたる張り出し窓は富の象徴。 -
ライプチヒ:ケーニヒスハウス。
歴代皇帝、君主の定宿。数階にわたる張り出し窓。
其の2に続く。
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