2009/09/06 - 2009/09/08
25位(同エリア100件中)
ベームさん
2006年ツアーで初めてドイツを訪れて以来年1回のペースでドイツを一人で旅しています。
今年は初夏に「ヘルマン・ヘッセの旅」と題して南ドイツを回ってきましたので、今年2回目のドイツです。
フランクフルトから始まりゲーテ街道をライプチヒまで、さらにドレスデン、マイセン、バンベルク、ニュルンベルク、レーゲンスブルク、パッサウからミュンヘンとドイツ東南部を旅してきました。
その3ではヴァイマール、イルメナウ、エアフルトを巡ります。
写真はエアフルト大聖堂のヴォルフラムの像、1160年頃。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヴァイマール駅。
9月6日、4日目。今日はいよいよゲーテが最も大きな足跡を残し、終焉を迎えた町へ行きます。
8時11分のRB普通列車でアイゼナハからヴァイマールへ。1時間一寸で着く。市の中心部はすこし離れているのでバスを利用。駅のキオスクでヴァイマールカードを買う。10ユーロ。
駅前は広く、大きな通りが真っすぐ市の中心部に向かって延びている。
昔ザクセン・ヴァイマール公国の都。ドイツ古典主義の中心。
ゲーテ、シラー、ヘルダー、ヴィーラントなどが綺羅星のごとく集まった。
1775年26歳のゲーテがカール・アウグスト公に請われてここに移り、以来1832年82歳で死ぬまで住んだ町です。 -
バスで町の中心ゲーテ広場まで。
文豪ゲーテは政治家、行政官、外交官、科学者としてもたぐいまれな能力を持っていた。アウグスト公の側近となった彼は宮廷顧問官、大臣、宰相となり治水・治山、鉱山開発、道路整備、農業振興、軍備整備、財政再建等をおこない小国ヴァイマール公国を切り回した。ゲーテが貴族になりその名称にvon/フォンが付いたのもここであった。 -
ヴァイマールの宿ホテルツア・ゾンネ。
ゲーテ広場から裏通りに入ったところ。名前は明るいが(ゾンネとは太陽の意)薄暗いホテルだった。高級ホテルには泊まれない、切りつめ旅行なのでやむを得ない。 -
チェックインしてすぐさま街へ。
劇場広場の国民劇場。
シラーの「ウイリアム・テル」、ゲーテの「ファウスト」、ワーグナーの「ローエングリン」などが初演されるなどヴァイマール文化の中心であった。
1919年第1次世界大戦敗戦後ここで国民議会が開かれヴァイマール憲法が採択された。1933年ヒットラーによる政権奪取まで続いたヴァイマール共和国のスタートである。 -
国民劇場。
起源は1780年ゲーテの尽力により建てられたヴァイマール公の宮廷劇場。何回かの改築を経た後1945年爆撃により壊滅。今の建物は1948年再建され、こけら落としにゲーテの「ファウスト」が上演された。 -
国民劇場ロビー。
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国民劇場前にある有名なゲーテとシラー像(1857年)、と言いたいがその間にもう一人いる。たしか二人のはずだが。風貌がこれもヴァイマールに縁の深いリストに似ている、はたまたゲーテのファウストに出てくる悪魔メフィストフェレスのようにも見える。いつから仲間に入ったのだろう。新しいのかブロンズの色が他の二人と違う。
向かって左がゲーテ、右シラー。
追記:後日の4トラのヴァイマール旅行記を拝見するとゲーテとシラーのお二人に戻っている。 -
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目の錯覚ではない。後ろから見ても3人だ。ゲーテとシラーを第3の人物(リスト?)が抱きかかえている。
たまたま一時的のものだったとするとこの時訪れた日本人の写真として貴重なものにならないだろうかなー、と妄想。
奥に見えるのがバウハウス博物館。 -
国民劇場と向かい合うバウハウス博物館。
グロビウスにより1919年ヴァイマールに創られた芸術造形学校バウハウスの作品などが展示されている。ヴァイマールにはバウハウス大学もある。 -
シラーの家。
ゲーテの招きによりシラー(1759~1805)は1802年から1805年の死までここに住まいしゲーテとの交友を深めた。「ウイリアム・テル」はここで書かれている。ゲーテ(1749~1832)が82歳と長命だったのに対しシラーは46歳と短命だったのだ。
博物館になっており当時の家具などが綺麗に保存されている。
後日記:2013年の旅行で、ルードルシュタットのゲーテとシラーが初めてであった場所を訪ねました。1788年9月、ゲーテ39歳、シラー29歳の時でした。 -
シラーの死。ヴァイマール1805年。
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シラーの家。
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シラーの家。
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ヴァイマール:市庁舎とマルクト広場。
生鮮スーパーマーケットみたいなのが少ないドイツでは広場などでの市場が住民の台所となっている。 -
ヴァイマール市庁舎。
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マルクト広場と市庁舎。
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マルクト広場。
周りを市庁舎、ホテルエレファント、クラーナハの家,観光案内所などが取り囲む。 -
ホテル・エレファント。
メンデルスゾーン、バッハ、トーマス・マン、「若きヴェルテルの悩み」のロッテのモデルシャルロッテ・ブフなどが止宿した由緒あるホテル。
1816年、老年のロッテはゲーテを訪問した際、このホテルに泊まっている。この時のことをトーマス・マンが「ワイマールのロッテ」という本にしている。 -
クラーナハの家。
父ルーカス・クラーナハ(1472~1553)、1553年ここで死去。
クラーナハはルター(1483~1546)と親交があり、多くの肖像画、宗教画を残している。よく見かけるルターの肖像画の多くはクラーナハの作。 -
「この家に父ルーカス・クラナハが1552年から1553年10月16日の彼の死まで住んだ」。
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銀杏の苗がポットに入れ売られている。
ドイツでは銀杏の葉を薬用に利用したり結構銀杏・ギンナンの栽培がさかんという。ゲーテがその詩集の中で銀杏の葉を歌ったりしてヴァイマールでは特に好かれているのかもしれない。でも日本ではお寺や神社の境内に、何百年もの年を経た銀杏の大木を見るが、ドイツでそんな銀杏の大木を見ない。
ギンナンをドイツ語でGINKGO/GINGOギンゴという。葉の先が分かれていても元は一つなので愛のシンボルになっているらしい。 -
ヴァイマール:アンナ・アマーリア大公妃図書館。
1691年設立。
公妃アンナ・アマーリアはゲーテを当地に招いたカール・アウグストの母。長男カールが1歳の時夫エルンスト・アウグストに死に別れ、以後カールが成人する1775年まで17年間摂政としてこの国を守った。
文化・芸術を奨励し、ヴィーラントなど著名な芸術家をヴァイマールに招いた。
大公妃の名を冠する図書館は85万冊の蔵書を誇ったが、2004年漏電による火災で大きな被害をこうむった。このニュースが全世界に報道され世界中から募金が集まり2007年再開にこぎつけた。一地方都市の図書館の再建に世界から募金が集まるなんて普通は考えられない。いかにこの図書館が貴重な存在だったかがわかる。 -
アンナ・アマーリア大公妃図書館。
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シュタイン夫人の家。
夫は宮廷の高級官僚。ゲーテより7歳年上。教養豊かな女性でゲーテのヴァイマール着任早々から二人の間に深い友情が生れた。むしろプラトニックな恋愛関係に結ばれていたと思われる。ゲーテから夫人には千通近い書簡や詩が送られている。
1788年ゲーテがクリスティアーネ・ヴルピウスと同棲することにより(後に正式に結婚)二人の友情は終わった。夫人の怒りは解けず自分の死の葬列はゲーテの家の前は通らないよう遺言したという。 -
ここにシャルロッテ・フォン・シュタインが住んだ。1777~1827年。
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ゲーテ山荘に向かう。
イルム公園の中の廃墟。 -
イルム川。
市街から公園を通り抜けこの川を渡った先にゲーテ山荘がある。 -
イルム川に架かる橋。
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ヴァイマール:ゲーテガルテンハウス・庭の家または山荘。
ゲーテがアウグスト公から贈られ1782年まで住んでいた家。イルム川を渡った静かな公園のなかにぽつんと建っている。 -
ヴァイマール:ゲーテ山荘。
中は撮影禁止。 -
ヴァイマール:ゲーテ山荘。
ゲーテは庭いじりが好きで色々な草木を植えたという。 -
ヴァイマール:市街地に戻ってゲーテの家。
ゲーテが1782年カール・アウグストより賜り1832年ここで死を迎えた。
今は博物館となっている。 -
ゲーテの家の庭。
ゲーテは草花が好きで、自ら庭を手入れした。 -
ヴァイマール:ゲーテが良く通ったレストラン白鳥亭。ゲーテハウスの横にある。
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レストランのテラスで一休み。銘柄はクロムバッハーとある。クルムバッハはビールの醸造地。
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ヴァイマール:リスト音楽院学校。
ピアノの音が聞こえていた。 -
フランツ・リスト・ホッホシューレ(単科大学)。
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街角のリスト像。
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ヴァイマール:リストの家。
リストは1842年ヴァイマールの宮廷楽士長になりその後ローマなどで暮らした後ヴァイマールに戻り、1886年の死ぬ年までここに住んだ。ただし亡くなったのは旅先のバイロイト。バイロイト音楽祭で女婿ヴァーグナーの楽劇を鑑賞中に倒れた。墓もバイロイトにある。 -
バウハウス大学。リストの家の近く。
グローピウスにより1919年設立。 -
ヴァイマール:大公家の墓所入り口。
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ヴァイマール:大公家の墓所。
歴代ザクセン・ヴァイマール公家の墓所。ゲーテ、シラーも此処に眠っている。 -
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ヴァイマール:大公家の墓所。
左ゲーテ、右シラーの棺。ゲーテとシラーの友情は厚く、死後も仲良く隣同士に眠っている。
もっともシラーの死は1805年、ゲーテの死は1832年、その間に27年の歳月がある。 -
ヴァイマール:大公家の墓所、カール・アウグストの棺。
カール・アウグスト:ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公。1757~1828年。学芸を振興し一小国を当時の文化の中心たらしめた。ゲーテのこよなき理解者、庇護者であったアウグストはゲーテの死の4年前1828年に亡くなっている。 -
ゲーテ・ギムナジウム。。
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州の公文書館だったかな。
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ヴァイマール:市城・美術館。
ヴァイマール公の城。1803年ゲーテの監督の下に再建。クラーナハのコレクションが豊富。 -
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ヴァイマール:城・市美術館。
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市城美術館。
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ヴァイマール:市城美術館。
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市城美術館。
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ヴァイマール:市城美術館。
聖エリーザベトの死。
ヴァルトブルク城を追われマールブルクの聖エリザベート教会に祀られているあの聖女エリーザベトです。 -
マリアと一角獣が描かれていますが、一角獣はキリストを表しているそうです。
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中の絵は幼子イエスの誕生.
右は洗礼の図。お釜の中に入って聖油を浴びている。 -
ヴァイマール:市城美術館。
「ブラウンシュヴァイクの家族に囲まれたアンナ・アマーリア」。ティッシュヴァイン作。
アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク。ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃。カール・アウグストの母。1739~1807年。 -
クラーナハ:ジビレー・フォン・クレーヴェ。
1512?1554年。
ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ寛大公妃。マルチン・ルターを庇護したあの選帝侯の妃です。himmelさんによるとこの美術館一の人気だそうです。 -
ティッシュヴァイン「マリア・パブロヴナ・フォン・ザクセン」。
ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公カール・フリートリヒの妃。ロシアの王女だった。 -
ティッシュバイン:ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ公妃ルイーゼ。
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ティッシュバイン:ザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ公カール・アウグストの子供たち。
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ピーター・ネーソン:オラーニエン・ナッサウ公子ヴィレム3世とその従兄弟たち。himmelさんの説明です。
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市城美術館。
クラーナハ「カリタス/慈愛」。 -
クラーナハ「マルチン・ルターと妻カタリーナ・ルター」。
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ルターの両親だったか?。
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ヴァイマール:ヘルダー教会。
1500年頃の建築。クラーナハの祭壇画が有名。閉まっていた。 -
ヤコブ教会。
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ヤコブ教会。
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ドイツ名物カルトッフェルン・じゃがいもとワインの夕食、14ユーロ。
白鳥亭で食べたかったが一杯なので広場のテラスで簡単な食事。 -
エアフルト駅のEBエアフルトバーン。
9月7日。ヴァイマール8:08のICEでエアフルトへ。ロッカーに荷物を預け8:45のEBでイルメナウへ。 -
イルメナウ駅。西部劇に出てくるようなたたずまい。
列車はチューリンゲンの森の中に入っていき9:37、イルメナウ着。
ゲーテは緑深いこの町を愛し、公務を含め28回も訪れたという。1780年の訪問の時には近くのキッケルハーン山頂の山小屋に有名な「旅人の夜の詩(うた)」を書き残している。 -
イルメナウ駅。
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イルメナウ駅。
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イルメナウ:旧営林署。ゲーテのイルメナウでの定宿。駅から市街地への途中にある。
1831年8月、最後のイルメナウ訪問をここで過ごしておりゲーテ最後の誕生日を祝った所。ゲーテは翌年誕生日を待たずに亡くなった。 -
旧営林署に掲げられているプレート。
”ゲーテは何回もここに止宿した”。 -
イルメナウ:ヴェツラー広場。
市街地の入り口。 -
街角に立つ大きな寒暖計。
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イルメナウの通り。
雑貨屋で髭剃り用の電池を買ったらソニー製だった。2本くださいと言ったらケースをばらして2本だけ売って呉れた。 -
イルメナウ:昔の郵便停車場ポストハルテライ。
昔郵便物は専用の馬車で運ばれ、自然馬車の発着所には人が集まり商店が開け、また逆にそういった場所が馬車の発着所になった。
この郵便専用馬車の仕組みを考え、それによりヨーロッパの郵便事業を牛耳ったのが今もレーゲンスブルクに宮殿を構え末裔が住んでいるトゥルン・ウント・タクシス家。
専用馬車に塗られた黄色、御者が吹き鳴らす笛、これがドイツの郵便局のマークになっている。 -
聖ヤコブ教会。
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左市庁舎、右市公民館。
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イルメナウ市庁舎。
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公民館。
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公民館前の噴水。
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おや、ゲーテさんが座っている。ゲーテが公務を行った公民館前のベンチ。
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市庁舎の先にある墓地をちょっと覗いてみた。
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近郊のキッケルハーンの山小屋を模したもの。イルメナウの駅前にある。
ゲーテは1780年この山小屋の壁に「旅人の夜の詩(うた)」という詩を書き残した。
「峯々に憩いあり・・・・・・・・・待てしばし 汝(なれ)もまた憩わん」
ゲーテは1831年、死の前年最後にイルメナウを訪れた時山小屋を訪ね若き日のこの詩を見つけ涙したという。 -
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イルメナウ
その詩を記したプレートが板壁に貼られている。 -
エアフルト中央駅。
イルメナウ11時16分の列車でエアフルトに戻る。駅構内のアジア料理店で焼きそば風とコーラで昼食を済ます。5ユーロ。
ホテルは駅の横、インタ=シティホテル・エアフルト。 -
インターシティ・ホテル。
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エアフルトのホテル。
シングルで予約していたがツインだった。
インターシティホテルはどこでも簡素・清潔、立地は勿論駅近で料金は手頃。 -
エアフルト:大聖堂とセヴェリ教会(右)。
エアフルトはチューリンゲンの州都。800年頃カール大帝シャルルマーニュにより造られた町。
ルターはアイゼナハのラテン語学校を出ると1501年エアフルト大学に入り法学を学ぶ。1505年突然父の反対を押し切ってこの地のアウグスティーナー修道院に入り、6年の修道士修行の後1511年28歳でヴィッテンベルク大学神学部の教師となる。このときは熱心なカトリック神父だった。
ナポレオンは1808年この地でゲーテと会見した。この時ナポレオンはゲーテを見て”見よ、人間だ”ないし”見よ、(これぞ)男だ”、と言ったという。ナポレオンはゲーテの「若きヴェルテルの悩み」を愛読していた。
ゲーテはエアフルトをテューリンゲンのローマと称している。 -
ドーム広場に並んで建つ大聖堂と右聖セヴェリ教会。
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エアフルト大聖堂聖マリア教会。
起源はイングランドの宣教師聖ボニファチウスが728年に建てたマリア教会。1182年に建て替えられ14世紀に改築されている。 -
ドーム。
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ドーム。
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大聖堂。
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大聖堂の入口。タンパンと両側の12使徒の彫刻が素晴らしい。
大きな教会の入口には大概人が座っていて施しを求めている。日本では見かけない光景。殆どの人は知らぬ顔をして横を通る。私も。 -
ドーム入口。
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大聖堂後陣。
祭壇は1697年。高さ17m。 -
エアフルト:大聖堂、14mのステンドグラス。
14世紀末頃。 -
大聖堂身廊。
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ドーム。
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エアフルト大聖堂。
ピエタ嘆きの聖母。1350年頃。 -
エアフルト大聖堂。
エアフルトのマドンナ。1155年頃。 -
エアフルト大聖堂、ヴォルフラムの像。2本の蝋燭を持っている。1160年頃ドイツ最古の金属の立像。ヴォルフラムは寄進者の名。
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セヴェリ教会。
13世紀。ドーム広場に大聖堂と並んで建つプロテスタントの教会。 -
セヴェリ教会。
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セヴェリ教会。
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セヴェリ教会。
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セヴェリ教会。
大聖堂に比べると簡素だがドイツで1番大きいハレンキルヒェといわれる。 -
セヴェリ教会。
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セヴェリ教会。
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セヴェリ教会、美しい天使像。
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聖セヴェリの墓。
続く。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- shu1さん 2016/04/18 07:32:16
- リストです
- シラーとゲーテの背後にいるのはバウハウス大学の学生が製作したリストだそうです。
http://www.moz.de/artikel-ansicht/dg/0/1/100339
- ベームさん からの返信 2016/04/18 11:51:00
- RE: リストです
- shu1さん、
情報どうも有り難うございました。リストだとは思っていたのですがこれでスッキリしました。
発泡スチロール製なのですね、ブロンズにしか見えませんでした。バウハウスの学生味なことをやるもんです。一晩にして忽然と現れたリスト像、観光客だけでなく地元の人も驚いたようですね。ワイマール市当局も鷹揚なものです。
丁度その時に訪れていたことはラッキーでした。
ベーム
-
- frau.himmelさん 2013/08/11 10:47:21
- おかげで私の間違いを見つけました
- ベームさん、おはようございます。
私の旅行記は次がエアフルトです。ベームさんの旅行記を参考にさせていただきたいとお邪魔しました。
ところがワイマールの城美術館での大きな間違いを発見。
「聖エリーザベトの死」を「聖マリアの死」なんて書いていました。
早く修正しておかなければ・・・
ありがとうございました。
himmel
、
- ベームさん からの返信 2013/08/11 21:01:41
- RE: おかげで私の間違いを見つけました
- himmelさん、
私こそ愕然としました。himmelさんの云う「聖マリアの死」が正しいのではないかと。
あわてて当時のメモなどを見直しましたがあの絵についての記録はありません。ただ私が想像で「聖エリーザベトの死」とするはずはないので、多分その絵の説明がそうなっていたのだと思います。
写真を拡大してみますとまだ若く、マリアは72歳で亡くなったと云いますので24歳で亡くなったエリーザベトの方が合うようには思えます。またマリアの死の床にはキリストが迎えに来たと云われていますがあの絵にはキリストは描かれていません。
などなどの状況証拠であの絵は「聖エリーザベトの死」ということにしておきます。
himmelさんの今回の城博物館の写真を見て、私のデジカメのメモリーを見ますとまだまだ未掲載の写真がありましたので旅行記に追加しました。それにはhimmelさんの記事を参考にさせて頂きました。シビレー姫の写真もありました。美しい目ですね、なぜ最初から載せていなかったのか分かりません。
エアフルト、楽しみです。
ベーム
- ベームさん からの返信 2013/08/11 21:30:15
- RE: おかげで私の間違いを見つけました
- 追伸。
私も写真に光が写りこむのは嫌です。それを避けるために斜めからの写真が多くなってしまいます。
> 、
- frau.himmelさん からの返信 2013/08/11 22:18:21
- RE: RE: おかげで私の間違いを見つけました
- ベームさん ありがとうございます。
いえいえ、私のほうこそ本当に想像だったのです。
あんなに、聖人たちに悲しまれながらなくなったのは聖マリアしかいないだろうって・・
聖エリーザベトのことは全然思いつきませんでした。
それにしてもベームさん お詳しい・・!
マリアがなくなった年齢までご存知だったとは。
そういえばエリーザベトは若くして亡くなったのですね。
また写真を追加なさったのですか。
早速見せていただきます。
himmel
- ベームさん からの返信 2013/08/12 11:42:36
- RE: RE: RE: おかげで私の間違いを見つけました
- himmelさん、
今日は。
マリアが72歳で亡くなったというのは頭の隅にあったのですが、改めて調べてもどこにも載っていません。怪しいものです。しかし72歳だったとしても無原罪のお宿りをされたのですからさぞかし若々しかったのではないかと思います。
なんだか史実と伝説がごっちゃになって頭が混乱してきました。しかしhimmelさんの仰るように聖書(の解説書)を少し読むだけでも宗教画を見る楽しみが増えます。
ベーム
>
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