2009/12/15 - 2010/04/11
750位(同エリア1421件中)
Toshさん
拙者は会津若松が好きだ!
なぜ好きなんだろう?
鶴ヶ城?日新藩?山で囲まれている”都会?”だから?雪が見れるから?それとも温泉?
辛いとき、困ったとき、暇なとき、なぜかここに来る。
今シーズンの冬は身体も心も辛くて、頻繁に会津へ湯治に出かけた。
12月15日体調が悪くて仕事を休んだ。何気なくテレビを見てるとNHKで「うつ病」の番組をやっていた。アナウンサーは、さまざまな症状を紹介していた。もしかしたら自分もそうではないかと思い、重い身体を無理やり動かし近くの精神病院に行った。結果、自分も例外ではなかった。
過去の症状(12月半ば〜1月半ば)
・生理的本能(食欲、性欲、睡眠欲)の極端な衰退
・味覚障害
・眩暈
・背筋の悪寒
・後頭部、背中、肩のこり
・低体温
・高血圧
・体重減少(発祥1か月後に−9kg)
・文字を読んだり、話を聞いたりしているうちに頭痛がしてきて気が狂いそうになる。
・脳と同時に身体の動きが鈍くなり、当たり前のことがまともにできない。
※受診当日はこれらの症状はわからなかったが、良くなったり悪くなったりしているうちに徐々にわかってきた。
これは、職場での人間関係で、強いそして継続的にストレスを受けたことが原因らしい。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
会津へ
会津に湯治に行き始めたのは2009年12月21日。15日に「うつ病」との診断を受け、仕事場に診断書を提出し、その後1ヶ月の休みをもらったあとはずっと寝込んでいた。
「苦しい!でも、このままではダメになる!」と思ってはいたものの、身体が自分の言うことを聞かなかった。
ずっと寒気がして、全身がとても冷えていた。「病は冷えから」と誰かが言っていたのを思い出した。だから身体を温めようと思い、温泉に行くことにした。
頭の中をぐるぐる巡る偏頭痛と交渉しながら、どこに行こうか考えた。車で15分以内のところに温泉は2箇所ある。でも、そこだと顔見知りに会ってしまい、ゆっくりと休めないだろう。インターネットで別な場所を探してみる。
まずは、那須温泉までは、ちと遠いので身体が動かなくなったとき泊まれるように、湯治ができる温泉を探した。自炊1泊4150円が最低だった。食事をつければ7500円。湯治にしてはちと高め。まだ、食料を買に行き、自分で料理することができる状態でもないのであきらめた。
次に、下記URLで全国の湯治場を探してみた。
http://tenspa.dee.cc/touji-spa.htm
自分は貧乏性なので値段が勝負。一番安い場所をさがした。すると…あった、1泊1700円。場所を見ると…岩手!!遠いので諦めた。次に安い宿は宮城だった。これも遠いなあ…。
さて、どうしよう?と考えているうちに、何故か会津へ行きたくなった。会津へ行けば大好きな雪も見れる。温泉がついていて、食料を容易に手に入れることができて、ネットが繋がり手頃な値段のところ…とわがままな条件をつけて探した。1件、2件と検索した宿のホームページを読んでいるうちに、国内旅行の達人で、毎週のように旅行にいく親友、やっさんの言葉をおもいだした。彼は、「会津若松駅前のフジグランドホテルは良いよ」と言った。ホームページをみると、条件がドンピシャ!だった。しかも、ウェルカムドリンクと朝食付き、さらに「じゃらん」を通して予約すると4800円から300円割引かれて4500円で泊まれる。ということで、会津に出かけることにした。
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国道294号線沿い。白河から会津若松へ行く途中の西郷村で撮影。 -
病気の原因
直接的な原因は不眠だ。4月から勤め先が代わり、慣れない仕事のせいでストレスが溜まっていった。10月から、週に1度か2度眠れなくなった。それから、酒の力を借りて眠るようになった。11月の半ばまでは、土日でリフレッシュし、気力で仕事をこなしていた。しかしながら、11月半ば過ぎから、酒が効かなくなってきた。加えて土日で自分をリフレッシュできなくなってきた。睡眠時間は6…5…4…3…2と短くなっていった。仕事場では放心状態。やがて全く眠れなくなり、そんな日が2日続き、発症に至った。
写真
前写真に同じく289号線沿いの風景。 -
不眠の原因
不眠の原因は、病院の先生の言う通り、職場でのストレスだった。
病院で診断が出る前日、混乱した精神状態を立て直せば、眠れるのではないかと思い、職場の近くにあるメンタルクリニックに行った。先生は自分の精神状態はそれほど重いものではない、薬を飲めば落ち着くだろうと言った。
家に帰り、薬を飲んだ。しかしながら、効き目はまったくなく、その日も眠れなかった。
前日一睡もしていないので、早めに布団にもぐった。目を閉じて「眠ろう!眠ろう!」と自分に言い聞かせた。しかしながら、時間がたてばたつほど目がさえてきた。寝ても覚めても浮かんでくる同僚の顔と、今までの出来事がぐるぐると頭の中を回り、次第に心臓の鼓動が速くなり、体が冷えているにも関わらず、手・足・脇の下から汗が噴き出してきた。何度も起きてトイレに行きた。そのたびに、今度こそ寝ようと自分に言い聞かせた。でも結局そんな努力は無駄に終わり夜が明けた。
写真
289号線、4kmちょっとの長いトンネルを出て少し行った処にある「道の駅しもごうEmatto」にて撮影
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労働環境
昨年、私は3月の段階で4月から赴任する学校の校長から○年○組の副担任だと告げられた。当時所属していた学校長からは、「職はある。だけど、それぞれの学校のシステムに適応していかないとなくなるよ」と言われていた。4月からガラリと変わる仕事内容がとても不安だった。
4月に新しい職場に赴任し、初めて担任と会った。小柄の女性で、自分よりもわずかに年下。切れ長で鬼のよう目つきをしていた。
彼女は学級のことをいろいろと教えてくれた。○年○組は6人だと言い、教室に案内された。すると机が12台あった。???不可解だった。なぜ6人なのにこんなにも机があるのか尋ねると、「○年△組の6人の生徒も一緒だからです。」と言った。???なんだ???なんで2クラスが一緒の教室にいるの?ということは12人を4人の先生で見るということか???2学年が一緒に教室にいて1人の先生が面倒を見るといった複式学級は見たことがあるけど、このようなクラス編成は初めて見た。2組あるのなら、6人ずつ分けて2クラスにすれば良いのに…なぜ???とても不思議だった。
職員室に帰ると、○年△組の担任がいた。臥体は自分と同じくらだが、年齢は上。挨拶をすると、血走った目をギロリと向けた。副担任が自分の隣の席にいる。20代後半位だろうか。可愛い顔をしている女性だった。だが、その容姿とは裏腹?に、彼女は無愛想だった。挨拶をすると、「あなた嫌いよ!」というような態度で返事をした。
その後、3人に共通したことがわかった。私と会って、自分から挨拶をしても、彼らから挨拶をしてくることはほとんどないと言う事だった。
写真
国道118号線沿いにある「塔のへつり」にて -
思い出す出来事1 …自分が主人であなたは家来!
学期が始まり、生徒と対面した。初めての仕事は朝授業が始まる前に生徒を校庭へ連れて行くことだった。ラジオ体操とランニングをするからだと説明してくれた。
担任は言う「9時15分になったら行ってください!」と。だから、翌日からそのようにした。
しかし、数日後、まだ時間になっていないのにもかかわらず、「もう生徒を連れて行ってください」と言った。「え?まだ時間になってないですよ?」と切りかえすと、鬼のような顔で「9時15分までに外に連れて行って並ばせておいてください!」と言った。???俺は理解不能だった。
「指示は明確に!でないと生徒が混乱する!」という基本と教え込まれていた俺。この件をはっきりさせたかった。現に、時間が定められてないため、いつも何人かの生は準備ができるなり教室を飛び出そうとしていた。そして、担任はそれを注意して止めていた。
あとで職員室で確認すると、「9時15分でお願いします」との答えが返ってきた。これにて一件落着!
と思いきや、数日後にまた同じこと行った。「あれ?先日、9時15分に連れていくということで確認したとおもいますが…」というと、「そこら辺は臨機応偏でお願いします。」との答えが返ってきた。自分は、「基本はどっちですか?」と聞くと、「臨機応偏ということで…」と再び行った。
自分は、基本なしの臨機応偏はテキトーだと思っている。テキトーに生徒を扱っていれば、やがて反感を招だろう。なので「じゃあ、基本は9時15分に校庭に行くということで指示を出しますんで」と言った。すると、「そこら辺は臨機応偏で!」と繰り返した。
その後、自分は9時15分という数字が定着し、生徒は、この数字を基準に動けるようになった。
一方、担任は、この”事件?”をきっかけに、俺に様々な”試練”を与えるようになった。
写真
国道118号線沿いにある「塔のへつり」 -
思い出す出来事2 …密約
3人の間には密約があった。それぞれ一人ひとりの指導の仕方が違う。当然生徒との接し方も違が違うわけだ。3人は顔見知り。彼らは自分たちの輪を育むため、、お互いの嫌なところを見てみぬふりをすることだ。
この密約では俺は部外者。俺が彼らそれぞれの持つ"嫌な指導"をすると、これを利用して彼らは更に結束を固めた。
例えば、ある一人の男の子を巡っての指導法を巡ってのことだ。
男の子の隣のクラスに巨漢の生徒が居た。この生徒は、面白くなかったり、都合が悪かったりすると、すぐに座り込みを決めて動かない。
ある日、彼の担任が出張の時、彼の世話を任された。彼はいつものように、帰りの会の前にトイレに行き、廊下で座り込みを決めた。
自分は、彼の担任がやっていたように手を引き、廊下を引きずり、教室へ連れていこうとした。手を引こうとするがするすると抜けてしまう。多分、手の関節が柔らかいんだろう。抜ける度に彼は唸り声をあげる。
その声を聞きつけ、俺と一緒に組んでいる担任が駆けつけた。
応援に来たかと思いきや、
「何やってんですか?手が赤いですよ。可哀想に…」
と、生徒をかばい、他の先生や生徒の前で俺を叱りつけた。
これまでにいた学校では、「生徒の前では同僚の先生には恥を欠かせないでくださいね」と言われていた。それが学校での"常識"だと思った。
しかし、彼女にはそんな"常識"がなかった。加えて、後に彼女だけではなく、隣のクラスの担任と副担任にもなかった。
…俺はこの子の担任の指導を真似てるだけなのになぜそんな事を言われなきゃいけないんだ?俺に言う前にこの子の担任に言うべきだろ?…
だが"常識"を叩き込まれた俺は、生徒の前では言えなかった。その後、こう言ったことが毎日起こった。
彼らにとって、俺はおのおのが生き延びるための"エサ"だったのだろう。
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日光街道沿いにある「大内宿」 1枚目 -
思い出す出来事3 …罠
担任は非常に頭がイイ。しかし、彼女はその頭脳を自分の能力を伸ばすために使っていないのがちょっと残念。彼女は、誰かを踏み台にし、自分をよく見せることにその明晰な頭脳を使う。
授業参観日の体育の時間のことだった。俺は彼女から女生徒の面倒をみるように言われた。彼女は、言葉をほとんど理解しないので自分一人では運動が出来ない。腕を取ったり、肩に手に触れたりして"スイッチ"を入れてやらないと跳ねたり回ったりしない。
準備運動でジャンプをして後ろ向きになったり、飛んでいる最中に1回転したりしていた。自分はその子の腕をとりながらジャンプをさせたり、肩に手を触れて一回転させたりしていた。
すると、それを見ていた担任がどこぞから駆け寄ってきた。本来、体育の時間は副担任2人でみることになっていて、いつもなら職員室で休んでいるはずなのだが、なぜかこの日は体育館に来て一部始終を観察していた。
そして、皆の前で、いつもの言葉で始まった。
「何やってるんですか?腕を絡ませたり、肩を抱いたりして。みんなが見ているじゃあないですか?セクハラですよ!今日は、私が変わりますから後ろの男子の面倒をみてください!」
鬼のような顔をしながら、憎しみを込めるように言った。
言われたときは、何が起きているのか分からなかった。最後の命令だけが耳に残っていたので、男子の面倒をみることにした。
その後、男子の面倒を見ている間、自分が彼女の罠にはまったのだと実感した。彼女は、大勢の前で俺を晒し者にすることができてさぞ嬉しかったことだろう。しかも、今回は保護者も見ているし、罠を掛けるには絶好の日だった。
この日は、さすがに授業が終わってから食ってかかった。
「セクハラっていいますけど、先生、腕を絡ませたり、肩を抱いたりなんてしていませんよ。これくらいのことは、先生だって男子にやっていることでしょう?だったら、先生だってセクハラしてるでしょう?」
というと、
「わかりました、その件は教頭に聞いてみます。」
この時ばかりは、めずらしく鬼は震えていた。
以前から、体育の時間にこの女生徒の面倒を任されていた。朝の会議では、教頭が度々「セクハラ」について触れていた。預けられるたびに、チョット嫌だなとおもっていた。でも、担任が言うことだし、きっと信用してるんだろうと思い、ずっとがんばってきた。
しかし、担任は俺のことなど信用してはいなかった。この日ばかりは、頭に来たというよりも、裏切られたようで、スゴク悲しくなった。
こういった問題をどのように処理すれば良いのか分からなかったので、あとで、同じような形態(2組で1教室を使い先生4人在室)のクラスの担任に聞いてみた。すると、
「女生徒は基本的に女教師がみることになっているんですよ。」との事だった。
…やられた!…
後日、担任に女生徒の面倒は金輪際見たくない旨を伝えた。すると、何を考えているのか、このことについては隣のクラスの担任と副担任にも許可を取るようにとのことだった。
"鬼"のやっている事は意味がわからん。なので、彼女の歪んだ性格が変わるかどうか判らないが、この一連の事を教頭に話してみた。
教頭と話をしているうちに、罠がさらに深いことに気づかされた。どうやら、彼女は俺に女生徒を預けている間、教頭や好調に俺がセクハラをしていて仕方ないと愚痴っていたらしい。
正直言って、何が面白くてこんな事をしているのか理解出来ない。多分、性格が歪んだまま大人になってしまったのだろう。
…多分彼女は不幸な人間なんだろう…
そう自分に言い聞かせながら心のなかで悔しさを圧し潰した。
彼女はその後も罠をかけ続けた。罠はドンドン精密かつ緻密になって行った。単純な俺は、悔しさをつぶし切れぬまま次の罠にはまった。罠にハマるたびに、ドンドン睡眠時間が減り、全く眠れない夜も増えて行った。
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日光街道沿いにある「大内宿」 2枚目 -
思い出す出来事4 …村八分
これは自分の知らないところで起こっているのだと言う事を知った。
ある日、仕事終了のチャイムがなった時のことだった。何も仕事がないので、帰ろうとした。だが、周りを見て止めた。この日は、いつも時間通りに帰るはずの先生たちが帰らなかったからだ。この後、何かあるのか?自分は、何も知らされていない、加えて誰も何も言わない。「なんだ?何かあるぞ」そんな感じがしたので残っていた。
やがて、誰からともなく、封筒を折り始めた。生徒の校外実習の時に使うものだ。当然手伝う。作業が終わると、今度は、隣の学級の担任が口を開いた。
「じゃあ、〇〇室でやりますか?」
…一体、何をやるんだ?…
自分は封筒一式を持ち、教室に行った。すると、その教室には、同学年とその上の学年の先生方が資料を続々と持ってやって来た。どうやら、実習先に出す書類を作成するらしい。
仕事が始まると、担任は気まずそうな顔をしながら仕事をしていた。自分と同じ教室で働いているの別のクラスの副担も同じ状態だった。
「今日、作業があったんですね?」と担任に聞くと、
「そうですね」とだけ言った。
彼女らの様子から、この日の作業は、故意に俺に知らせなかったのだろう。
「村八分」が完成されるまでにはいくつかの段階を踏む。
第一段階は地盤固め。担任がまず、副担任のアラを拾い、隣のクラスの担任の前で文句を言う。上手く話を持って行き、隣のクラスの担任が「そうですね」と同意したところで、彼女は「彼に、何か言ってくださいよー」と言う。聞いている隣のクラスの副担任は当然担任に倣う。
第二段階は学年への発展。クラスで二人の先生を見方に付けた彼女は、今度は学年で見方を増やして行く。行事があるたびに、俺の悪口をオブラートに包んだ形で学年の先生方に言う。学年の先生方は、彼女の怖さを知っているので黙って聞く。聞いているうちに、彼女の恐ろしさを知る。たとえ彼女の行っていることが納得の行かないものであっても、彼女を敵に回すのは得策ではないと考えるようになる。そう思った人達は、彼女の言う"悪者"を攻める側に回る。残った人達は、自分は巻き添いになりたくないのでなにが起こっているのか知らぬふりをする。
第三段階は実行。すべての地盤が固まったら、素早く実行に移す。そこで、「ほらね。言ったとおりの人でしょう?」と誇らしげ言う。そして、それまで中立を続けていた先生方にも「なるほど」と言わせるわけだ。
第四段階は四面楚歌。気づいたときには周りには誰も身方がいない。周りからは、冷たい態度、冷たい言葉だけしかかけられない。自分だけがぽつんと取り残されている。
自分が村八分だと感じたときは、きっと第三段階の時だったろう。第四段階に移ったあと、不眠が3日続き、とうとう脳が壊れた。
たぶん、これは現在のいじめのシステムだろう。学校の先生が平然と"いじめ"をしているのに、「いじめを辞めろ」なんて言っている。加えて、いじめに自分が加わっているのにそれに気づいていない。話にならない。自分たちの事は棚に置いて、子供たちに言う資格なんて無いと思う。
いじめが起こるとき、とても強い"引力"が働く。教員がいじめをなくそうと主張するなら、その引力の"根源"を突き止めて撲滅しない限り、表面化しないところでずっと続くであろう。
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日光街道沿いにある「大内宿」 3枚目 -
思い出す出来事5 …教師生命が終わる時
10月を過ぎた頃から色々な変化が起こってきた。まずは、気力面での変化が起こった。自分にとって、大きな事は、水泳に行く気力がなくなってしまった。水泳は健康のためにという理由で数年前から始めた。それまで週に3回ほど行っていたが、徐々に回数が減り、全く行かなくなってしまった。
気力が衰えるとともに、身体にも変化が起こって来た。右腕の筋肉に痙攣がずっと起きていた。意識がある間はずっと続いていたような気がする。
11月に入り、気分転換ができなくなった。10月まではどうにか出来ていた。終末に車を飛ばし、ドライブがてらに美味しい物を食べに行ったり、友人と会ったりして悩みを吐き出すものの、十分なリフレッシュはできなかった。何をしてもいつも頭に同じ教室で働く両クラスの担任の顔が浮かんできた。
体調面では、運動をしなくなったためか、いつも首や肩が凝っていた。寒気がした。服を何枚も羽織るが体温が上がらいことがあった。目眩がした。朝の会議の時、立ちながら話を聞いていると、視界がゆがんでいた。また、足が地についていないような感覚に襲われた。まぶたがスゴク遅く動いているように感じた。時折、人の話を理解するまでに時間がかかった。作業効率が徐々に落ちるとともに、それを修正する能力も低くなった。
体調に並行して、クラスや学年の先生方の態度に変化が起こった。いや、周りの状態が先に悪化したので、様々な症状が起きてきたと言ったほうが正解だろう。
4月から9月までは、自分の所属する担任(以降"イ組女担"と呼びます)と隣のクラスの副担任(以降"ア組女副")が俺のことを否定し続けていた。しかし、10月から、何故か急に隣のクラスの男の担任(以降"ア組男担”)が参戦し始めた。コレには参った。9月までは見て見ぬふりをしていたのになぜなんだろう?
3人の攻撃は、特に給食の時が酷かった。生徒と話に盛り上がっていると、「〇〇ちゃん、早くご飯を食べなさい」と、待っていましたとばかりに毎回遮った。給食の時間が終わるまでに、まだたっぷり時間があるのにも関わらずだ。
その後、俺は彼らが責められると可哀想なので話しかけないように心がけた。四面楚歌ならぬ三面楚歌。言った言葉すべてがはね返された。
生徒は敏感なもので、笑いもせず黙々と黙って食べる俺を敬遠するようになった。
11月のある日の給食の時間のことだった、(給食の時間はぐるりと輪になって食べていのだが、)いつも隣に座っている生徒が、ア組女福の隣に机をピタリとつけた。
すると、
「ははは、〇〇!おもしれー!」とイ組男担が笑いながら吐き捨てた。戻れというのかと思いきやそうでなかった。まるで"とうとう生徒から嫌われたか、ざまあみろ"とでも言っているようだった。その後、彼は数日間彼女の隣で食べた。
12月から、俺を嫌う?数人の生徒を使って更なる"攻撃"を組み立てた。今でも2つは鮮明に覚えている。
2つとも、毎週月曜日にある散歩の時間のことだ。散歩は、数人の生徒に先生が別れて付き、校舎の周りを3週するというものだった。
まず一つ目。散歩の時間は、各々の先生が数人の生徒の面倒を任される。いつもは、イ組女担が、前に出て、生徒と先生の名前が書いてある磁石入りプレート黒板に貼りながら、どの先生どの生徒を面倒みるのか決めていた。 しかしながら、12月からは生徒に決めさせた。
たぶん、俺がいかに嫌われているか生徒全員に知らしめたかったのだろう。また、俺を近づくと"干すぞ"と生徒へ警告したかったのだろう。
イ組女担は、決定最中に口を挿み、まるで彼らが全く嫌われていないかのような"幻覚"を作り出していた。ア組男担も、これに習って口を合わせた。
12月の体調は最悪だった。眠れない日が多くなり睡眠時間はいつも4時間を切っていた。加えて、寝てる間1時間置きにトイレへ行く日が出てきた。一度も深い眠りに着くことは無かった。
身体は冷たく、手と足に”冷や汗”を掻いていた。なぜか、冷たいはずの耳たぶがいつも熱かった。
日常生活にも支障がおきてきた。身体の反応が鈍く、何度か事故を起こしそうになった。車に乗って職場へ向かっている間、青だと思った信号がいつの間にか赤になっていて、何度か事故を起こしそうになった。職場においてもいつも放心状態だった。今まで普通に出来ていたことができなくなった。話を聞いても内容を理解して返事をするまでにかなり時間がかかった。何度聞き返しても頭に入らないことがあった。内容が記憶に留まらなくなってしまった。生徒と接するときはいつも笑顔でいようと思っても、表に出すことが出来なくなった。
一生忘れることができないであろう2回目の"攻撃"は、眠れぬ土日を過ごした次の日、忘れもしない12月14日にあった。
この日は、"給食の彼"が組み合わせを決めた。当然彼は俺から離れ、いつもグループの先頭を歩くイ組女担のグループに行った。彼は、いつも決まって後ろを歩いているのになぜかこのグループを選んだ。たぶん、"誰か"の口ぞえがあったのだろう。彼はこの日何故か調子が良く、一番早いグループの先頭を歩いた。自分は、この日は座り込みを決める"彼"を担当していた。いつものように、彼は歩き始めるとすぐに座り込みを決めて頑として動かなくなった。
やがて、"給食の彼"が追い越し、彼のグループが追い越した。このグループの担当ア組男担。
このとき、ア組男担が俺に声を掛けてきた。
「動かないんだ?じゃあ、こっちの子供らを見てください。きちんと見てくださいよ。」
彼は、いつもは"座り込みの彼"を担当していたので親切心で言ったのかと思った。だが、"給食の彼"が既にグループから飛び出いるので、最後の言葉は妙な響きだった。
3周が終わり、裏庭の砂場に到着。いつもここで全員が待ち合わせてから教室へ帰ることになっていた。先に着いているはずの"給食の彼"がいなかった。グループの中にいる「△△君」に探しに行かせた。
まもなく、"座り込みの彼”と連れてア組男担がやって来た。
俺は、ア組男担に、
「今、△△が〇〇を探しに行きました…」と言った。
"給食の彼"の居場所さへつかめれば、全員無事だと言う事を伝えたかった。自分は"了解"の返事を期待した。しかしながら、返事は期待からかけ離れていた。
「△△とか〇〇とか、生徒を呼びつけにしないでください!」
彼は、こめかみに筋を立てながら吐き出すように言った。
突然スットンキョウな事を言われて俺は呆然とした。イ組男担も生徒を呼びつけにしているのに、意味がわからなかった。
今思うと、たぶんこの時は、本当は「先に行ってしまった生徒」をタネにして攻撃をしようと思っていたのだろう。しかしそれが出来なかったのでこの言葉を吐いたのだろう。
…もう、駄目だ…
頭の中が白くなった。その後、仕事が終わるまで何をしていたのほとんど覚えてなかった。
ただ、放課後、ダメ押しに二つの"出来事"があったのだけは覚えている。
職員室へ戻り、なんかの拍子にア組男担に声を掛けたとき、"おまえには関係ないだろう!俺に声を掛けるな!"張りの返事が返ってきたこと。
また「学年だより」を編集しているとき、写真が必要になったので、我々の教室とは別の教室で担任をしている女の先生に、彼女が行事のとき撮った写真はどこにあるのか尋ねたとき、「そんなの知りません。撮ったけど管理係は私じゃありません、係の先生に聞いてください!」と言われことだった。結局、その後も彼女は何を聞いても知りませんの一点張りで通した。
…とうとう、周りは固められてしまったか…こりゃ、もうダメだ…
仕事終わりのチャイムが鳴った。
…やっと仕事が終わり、とても長い1日が終わった。心身ともに疲れた…明日また学校にこれるだろうか…でも、どうにかせねば…
車に乗り込みしばらく考え、結果、学校の近にあるメンタルクリニックに行った。
この帰ってから、クリニックでもらった薬を早速飲んだ。だが全く精神や体調に変化はみられなかった。
夜、早めに布団にもぐりこんでも、2日間寝てないのに眠気が襲ってこなかった。寒気がして、手と足の裏に冷たい汗をかいているうちに朝を迎えてしまった。
起き上がると、体調は絶不調。足元がグラつき、すべての動きが信じられないほどスローだった。頭部全体に鈍い痛みが走っていた。身体中の神経や筋肉も固まっていた。首を回そうとしても回らなかった。
朝食を食べている最中、食物が金属の味がし、喉に引っかかって飲み込めなかった。気力を振り絞ったが、空回りした。半分も食べれなかった。
こんな状態は今までに経験したことなかった。例えると、宙に浮いたまま拷問をうけている感じだった。
この日はとうとう休んでしまった。身体の力が抜け、しばらく茶の間のこたつに入り天井を見ながら寝転がっていた。、俺は完璧に打ちのめされていた。惨敗という感じで惨めだった。
「これ以上あそこに居ても、周りに迷惑を掛ける。やめるしか無いだろう」そればかり考えていた。
ふとテレビを見ると、NHKで「欝」についての特集が組まれていた。番組では肉体的、精神的な症状について説明していた。そして、それらの症状の原因が脳にあると語っていた。
…もしかしたら、俺ってこの病気なのかもしれない…
番組の中では、こんなときはまず精神科の病院に行くように勧めていた。
鈍い身体を起こし、病院へ向かった。診断してもらうと、現在、自分は欝のどん底の部分にいるとのことだった。
…欝ってのは、精神的に弱いヤツがかかる病気だろう?俺がかかるはずなんて無いよ…
そう思い込んでいた俺は間違っていた。
「欝患者は、サイドブレーキを掛けたまま全速力で走る車だよ。終いには動かなくなってしまうよ。」先生はそう言っていた。
まさしくその通りだった。
…動かなくなる???って自殺か?そういえば最近考えたような…
先生は「診断書」を書いてくれた。その後、復帰を目指してリハビリに励んだ。
写真
日光街道沿いにある「大内宿」 4枚目 -
思い出す出来事6 …「クビ」を告げられ病状悪化
1月12日、病院へ行った。というのは、後日、校長から電話が掛かってくることになっていたので、病院の先生に自分を客観的に捉えてもらいたかったためだ。先生は、まだ仕事できる状態ではないのでしばらく休むようにとのことだった。
電話が来たら、このことを伝えようと思ったが電話は掛かってこなかった。その翌日、更に翌日も待っていたが、待てど暮らせど電話はならなかった。自分から掛ける力がなく、「まあ、いいや、掛かってきたらそう言おう」と思っていた。
半ばを過ぎた1月18日、身体も心も癒されてきた頃、学校から電話がかかってきた。心配してくれているのかと期待しながら電話に出るものの、内容は自分の様態を伺うものではなかった。
電話口には教頭が出て内容を伝えてくれた。退職願いを郵送するから、必要事項を記入したら送り返して欲しいという冷たい内容のものだった。
更に、あとで事務員から連絡があり、1月の給料が振り込まれてしまったので、それを返してほしいとのこと。加えて、年金、税金、健康保険が1月から掛かって来ますとの説明が会った。
すべてを合わせると、1ヶ月の給料の20%前後のお金を毎月支払わねばならないとのこと。また、社会保険が切れるので、国民健康保険に入り直すようにと淡々と伝えてくれた。
正直、身体を壊してまで頑張った挙句にクビかよ…正直言ってショックだった。
…まあしゃあないよな…潰れて行けなくなった自分が悪いわけだし…それに、俺の代わりに誰か雇わないと職場も大変だろうし…
と自分に言い聞かせる一方、
…でもなあ、まだ病気は直ってないし、病院の先生は心身共に健康体に戻るまでにはまだ時間がかかると言ってるし…病院に通いながら、収入なしで毎月5万円の税金なんて払えないよ…常勤であろうと教員は雇用保険も効かないし…
と新たな悩みも出てきた。
…あーあ、この先どうしたらいいんだろう?お先真っ暗。これから無職になるわけだし、存在自体が無駄だよな…
良からぬ方向にも発展して行った。
夜になり、いつもチャットをしている友人「やっさん」にこのことを相談してみた。幸運に、彼は公務員で事務でこの方面のことについては明るかった。
彼は、親身になって俺の今後の事を考えてくれた。
「職場で病気になったのなら、職場で直してもらうべきだ」というのが彼の主張だった。
彼のお父さんは、仕事場で大怪我をした。だが、彼は身分が保障されていることを知らず何も申請しなかった。自費での病院通いは楽ではなかったとのこと。加えて、未だ片足が動かないとのこと。
もし、知っていれば…申請していれば、あの時苦労はしなかっただろうに…との事だった。
彼が言うには、俺が常勤であって、休職届を出しているならば、クビにはならないはずとの事だった。病気の人間を、校長判断でクビにすることはできない。地方公務員法という法律に守られているとのことだった。
彼は、俺に相談の窓口として労働に関する法律に詳しい労働基準監督署を勧めてくれた。
19日、連絡をとり、事実を確認するとやっさんの言うとおりのものだった。監督署は、加えて、この件については監督署の領域外となるので、県の総務人事課に連絡を取るように指示してくれた。
20日、総務人事課に連絡をすると、この件は教職員人事課が扱っているとのことだったが、親切に連絡を取ってくれた。
21日の朝、校長から電話があった。その後、彼女は事の次第を説明しにあわててやって来た。
「以前、辞めたいと言っていたのでそのように対処しました。そして、先生の代わりに別な人を雇いたいと思っていました。
でも、今朝、県の教職員人事課から電話がかかってきて、まだ職場へ復帰する意志があるとのことで休む方法を説明しに来ました。」
と言った。
今の状態のまま治療に専念するには、診断書の期間が切れる前に、新しい診断書をもらい学校に提出するとのことだった。
…そういう方法があるならなぜ早く先に言わない?…
校長は、最後に、
「学校のことを一切忘れたいときはいつでも行ってくださいね。」
と妙なセリフを残して帰って行った。
18日から20日までは、薬を飲んでも寝れなかった。体調は発症時よりも悪くなった。頭痛の他に、左側の目の奥と耳の奥が鈍く痛み、時折針を刺すような痛さを感じた。
クビの知らせを聞いてから、
…俺はこれからどうなるんだろう…もう、4月から先はないし…動いたり、集中したりするとすぐに頭が痛くなるし…働きたくても働けない身体になっちまったよ…ずっと家に居ると、親が困るだろうし…
考えたり、
…「お前は根性なしだ」…「仕事もしないで何やってるんだ?」…「周りの人達に迷惑を掛けているぞ!早く辞めて代わりを見つけてもらえ」…
…「お前のできる仕事なんて先生以外にないだろう?休んじまったら、もう次ないだろうに」…「本当にバカなやつ」…
…「親兄妹に顔向け出来ないだろうに?」…「俺は、こんな弱い人間じゃ無かったハズだ」…
と自分を攻めたりしていた。
しかし、本当の理由は公務員の仕組みを知ったからだと思う。俺の場合、臨時であっても公務員。普段の生活に置いて、書類上様々な手続きし、様々なことで制約されている。
にも関わらず、こういった"いざ"と言う時には無視される。そして、誰にも知らされることなく、そして誰からも声を掛けてもらう事もなく放って置かれる。
そして、ポンコツで使い物にならなくなると捨てられるのだ。
自分は、たいした事のない、ちっぽけな人間だ。抜けてるし、話の筋が通ってなければ上司に犯行もする。
けど、こんなふうに破棄されていく"惨めな自分"を眺めていると、とても惨めな気持ちになった。
それは、深く深くドンドン沈み、一体自分はどこまで沈み、そしてどこまで沈んでいくの判断できいほどだった。
後日、事務室から県に出す休職届の申込書が2枚送られてきた。12月分と1月分だ。来月分の診断書と一緒に送ってくれとのことだった。
…とすると、先月の診断書はまだ県に届いていないのか…
この日から、学校に対して"申し訳ない"という気持ちはなくなった。
写真
日光街道沿いにある「大内宿」 5枚目 -
思い出す出来事7 …労働基準監督署
監督署には1月後半と、3月半ば、2度お世話になった。1月は親身になって自分の身分について調べてくれた。その時はありがたかった。
だが、3月後半の2回目は、別の若い職員が出てきて説教をされた。実に不快だった。
3月は…あれは…たぶん1年前なので…よく覚えていないが…多分…監督署で労災の手続きが出来るかどうか相談に行ったんだっけなあ。
「この件は監督署の管轄外です。この件に付いては、まずは上司に相談すべきだと思います。あなたのやっていることは卑怯な事です。」
…相談してもダメだからここへ来てるんだろうが…
そう言われ、話にならないのでで、以前自分を助けてくれた"先生"を呼んでもらい、その青年の横に座ってもらった。
「こちらの"先生"は親身になって相談に乗ってくれ、連絡先まで教えてくれた。なのにあなたは、相談に乗るところか説教をしている。監督署は労働者を助けるところなのではないのか?あなたは仕事をしてるのか?民間じゃなきゃダメとか、公務員だからダメとか言っているけど、今じゃ公務員だって法律はあっても都合が悪くなると知らんぷりをする。あなたも公務員でしょ?もし、この職場で同じことが起こったら、あなたはどうしますか?あなたの答えを聞きたい。」
そう言った…ような気がする。
すると、
「私だったら、弁護士に相談します。」
との答だった。
その日は監督署にいる最中から頭が割れるように痛かった。その後、2日間ほど寝込んだ。
写真
国道118号線沿いにある、会津鉄道線「芦ノ牧温泉駅」 -
思い出す出来事8 …弁護士
監督署の勧めにより、宇都宮へ行って弁護士に会うことにした。
友人のやっさんは、その前に、まず社会保険労務士と会って、労災の申請書が可能なのか教えてもらったほうが良いと言った。そして申請ができるならしてみたら良いと言った。
社労士二人と同時に会い、話を聞くと、申請は可能とのことだった。ただし、労災と認定されて保険が降りてくるまでには時間がかかるとの事だった。彼らは、連絡先を教えてくれた。
連絡先は、やはり県庁の総務人事課だった。
人事課は保険関係を取り扱う連絡先を教えてくれた。
そこに電話を掛け、
「あの、労災の申請書を送っていただきたいのですが…」と言うと、
「あんたね、うちにはそんな無駄金を使う…」と言いかけたが、丁寧な言葉で、
「申請書は、校長を通してお渡しします。もし申請書を受け取っても、労災と認定するまでに2年ほどかかりますよ。」と言い直してきた。
校長に電話を掛けて、申請書を取り寄せてもらうように頼んだ。だが、校長も、
「あんたね、病人なんだから余計なことは考えずに、療養に専念したら?」と言った。
俺は、「県の??課の??さんて言う方に連絡すればいただけます。」と言うと、しぶしぶではあるが、連絡する旨を伝えてきた。
しかしながら、待てど暮らせど連絡が来ない。
…やはり知らんぷりか…
予想はしていたが、残念だ。
為す術が無いので、とうとう弁護士に相談することに決めた。
後日弁護士に会いに行った。
弁護士に会い、一蓮の説明をした。
すると、
「公立の学校でそんなことが起こる何てありえない。」と徹底して否定した。
…コイツ、県庁からお金をもらってるのか?…
「現実に起こってるから、こうやって相談しに来たんじゃないんですか?もし、労災?手続きの申請書が来なかったら、どうすればいいんですか?」
そう言うと、
「私だったら、書類で申請書の請求をします。そして、数ヶ月経って、返事がなかったら、弁護士に頼んで慰謝料を請求する書類を出してもらいます。」
と言った。なので、
「だったら、そのようにしたいのですが、もし、そうなった場合、先生にお願いできますか?」
というと、
「引き受ける時もあるし、引き受けない時もあります。」
と中途半端な答えが返ってきた。
「今回の件は引き受けていただけないんですか?」
と言うと、
「今回の件は引き受けないかもしれませんね…」
だってさ。
…バカヤロ!無責任なこと言うな!…クソ弁護士が!…
写真
国道118号線沿いにある、会津鉄道線「芦ノ牧温泉駅」の駅の中の様子。 -
会津若松へは、??年前、イギリスへ留学する前も来た。あの時は春だった。
なぜかは分からないが、何か心の故郷って感じがするのか、疲れ果てるとここに来るんだよな。
写真
国道118号線沿いにある、会津鉄道線「芦ノ牧温泉駅」の駅長さん。 -
2009年から2010年にかけての冬(実際は2010年の1月から)は、毎週のここに来た。身体も心も壊れてた。
車は、運転可能なときにした。自動車を運転し、途中何度も休みながら会津へ向かった。正直言うと、運転中いつもめまいがしてた。そして、ほんの一瞬ではあるが、記憶が無くなることがあった。阿賀野川沿いにを並走する118号線を運転しながら、「俺って、もしかしたら、ガードレールを飛び越して、谷底に落ちてしまうかも…まあ、それでもいいや。死んだら、学校に化けて出るさ。」とか考えていた。12月はずっと家に閉じこもり、いつもどうやったら楽に死ねるか考えていたから、まあ、会津に来るときはチョット精神状態が上向きだったかな?
そして、ドライブの最後に辿り着くのは、いつも「駅前フジグランドホテル」。
いつも、チェックインの時間前に着いちゃうんだ。その時は、たいてい頭、首、背中が張っていて、痛いんだよ。そして、何故か、左手の親指が痺れてるんだ。だから、フロントに頼み込んで、無理やり入れてもらってた。
ありがとさん。 -
温泉、朝食、ビール1杯着き。じゃらんを通して予約すれば4300円。しかも、10回来れば1度タダで泊まれる。とてもお得だ。コレで、ホテル側はやっていけるのだろうか?チョット心配してしまう。
-
部屋は空いていれば禁煙室を予約した。
いつも清潔、匂いもない。
…あ、喫煙部屋は臭うけどね… -
外の景色もいいんだよ。おまけに無線LANはタダ。
-
宿に着いたら、しばしベットに倒れこんだ後、すぐそばにある系列の温泉「富士の湯」に行ったっけ。
湯に浸かってボーッとする。湯から上がってボーッとする。
時折リハビリ。
首を回す。首が横に倒れない。腕を回す。腕が耳に着かない。
…少しでも元の状態に戻りますように…
外へ出ると、いつも暗くなってたっけ。 -
夕食は、いつも駅前のスーパー「PIVOT」で買っていた。
夕方に行くと弁当が半額。
何を食べても味覚が無いのでコレと、ジュースだけで充分。
ここには、会津の庶民が買う、地酒や土産品も売ってたっけ。 -
会津若松駅前の様子。
雪国って感じがする。
ヤッパいいよ。この、寂しいような雰囲気。 -
アーケード街には必ず行った。
「歩行」のリハビリ。
歩いていても、足が地面に着いて居ないって感覚だった。
何か腰から下に神経が通ってないって感じだった。
行っても半分位店じまいしていて、この時も老舗のデパートが店じまいの最中だったっけ。
ドトールでコーヒー1杯を飲み、TUTAYAで100円ビデオを借りて宿に戻る。
ビデオはエロのみ。
実は、性欲にも悩んでいたんだ。これもリハビリ。
興奮状態も頭痛に代わるんだ。見ているだけでは立たないし。立てると痛いし。男として辛かった。
…元に戻りますように…
こんな気持でエロビデオを借りる奴なんて、きっといないだろうな。 -
アーケード街の様子。
…人通りが少ない…
ずーっとずーっと昔、35年前頃、小学校の遠足で会津若松に来た。
その時、ここは眩しいくらい華やかだった。 -
モーニング500円。
かつて、この値段はアーケード街で一番最安だったんだろうなあ。
何処の街でも、商店街は、自分たちの縄張りに大型デパートが進出してくるのを拒む。そして、やがて街は寂れていく。たぶん、会津も例外ではないだろう。ここも、今は郊外のほうが元気なんだろうなあ。 -
一本ズレて飲み屋街に行ってみる。
-
飲み屋街は、多くの地方都市と同様、看板の半分は電灯が消えていた。
体調は良くないが、ついついこの店に入ってしまった。 -
「最近は、漆器産業が低迷してね…俺みたいに年金もらいながらチョイチョイっと仕事をしてる人ぐらいしかね…残っていけないんだわ」
とおやっさん -
入れば、自分の体になど相談せず、当然の如く注文。煮魚とボトル。
魚の煮込みの味はわかった。
だが、焼酎の味はわからなかった。加えて、1杯飲み終わると、酔いの変わりに頭痛がしてくるんだよな。
ボトルは飲みきれない。これもリハビリということで、会津へ行くたびに行ったが、飲むたびに頭痛。挫折した。 -
街角にゴリラがいる。
-
ホテルへのかえり道
野口英世通り
千円札の"顔"になっちゃったもんなあ。 -
お城が好きな友人、「やっさん」が来たときは「鶴ヶ城」にも行ったっけなあ。
-
女の人が鎧を着ながら着物をいじっている。
何してるんだ?
着替えショー?
・・・そんなはずないべよ・・・ -
ひな壇も飾ってあったなあ。
というか、これは売ってたんだっけかなあ? -
城の最上階まで登って街を展望した。
-
ええっと・・・あそこは・・・
知ってる振りしてテキトーに説明。
やっさんも知らぬ振りしてテキトーに聞いていた。 -
城の敷地内に茶屋?
入るには更にお金がかかるらしい。
でも、入ってみる事にした。 -
「ここはですねえ、玄関なんですよ。お侍さんはここから茶室に出入りしてるんですよ。お侍さんは、中に刀を持って行けないんですよ。入る前に置いていかなければならないようにしてあるんですよ。」
とやっさんが教えてくれた。
・・・なるほど・・・ -
正面に回ってみた。
昔もこんな感じだったのかな? -
隣に?現代版茶室があった。
従業員がやってきて入場券を見せると、
「ちょっと待っててくださいね」
とのこと。 -
出てきたのはこれ。
抹茶と和菓子。
「うん、これはイケマスネエ。抹茶の渋みと和菓子の甘味がマッチャして・・・」
とやっさん・・・言ったっけなあ・・・? -
行く度に、1泊目はフジグランドホテルに泊まり、翌日は温泉に入ってから帰った。体調が悪いときは帰らず、回復するまで会津若松にいた。別な旅館に泊まったり、ネットカフェに泊まったりしたっけなあ。
行った温泉をアップしてみた。
ここは会津美里町、只見線、根岸駅の近くにある「ほっとぴあ新鶴」。 -
何でも野口英世に結びつけてしまっているような気がするんだけど・・・これは・・・マジ?
-
ここは柳津町にある「つきみが丘町民センター」
玄関のあかべこが印象的。 -
ここには無料WiFiがある。
温泉に入ったり、写真の休憩室でネットをしたりして1日中のんびりしたっけなあ。 -
体調がいい時は、喜多方まで足を伸ばしたこともあったっけなあ。
その名も「蔵の湯」。やっぱ蔵の街だけあるねえ。 -
なかは、結構おしゃれなんだよね。
-
休憩室も結構大きかったなあ。
-
おまけに、食事は格安。
今度食べてみよう。 -
帰りがけに寄った湯野上温泉駅。
国道121号線から見ると、すごく目立っているんだよね、この駅。
温泉側から駅の正面を撮ってみた。
正面からもいい感じだね。 -
ここは数年前までは良く行った、天栄村にある町営スキー場。
スキーは体力的に、精神的に考えると出来る状態ではないが、急にここに見たくなった。
国道118号線、湯本温泉近くにある。奥には二股温泉がある。
このスキー場、コースが3つしかない。だが、1日券は2,000円と安い。
強い風が吹いている日でも、リフトが動くのが特徴だ。
周りの山の天辺に風力発電があるが、たぶん、ここだけは風の通り道になっていないんだろう。不思議だ。
スキー場に着いたら、この急なコースがドンと構えて迎えてくれる。ここは39度あったんだっけなあ…とにかく凄いコースだ。
他には、初心者用と中級者用がぐるりと山を回り込むようにある。
最長が900mだったっけなあ… -
このロッジでは、地元の人達が働いている。
手作りの天ぷらそばは700円。
地元の食材を利用した天ぷらが乗っている。
パリパリっとして旨いんだ。
あと、麺も地元産なんだよな…これもいける。
なんだっけなあ、何か元南米産の…さつまいもみたいなのが麺の中に刷り込まれてるんだよ。 -
天栄スキーリゾートから羽鳥湖へ向かう。
118号線を通って行く道と、途中から右折して山を登り、ブリティッシュヒルズの近くを通り、別荘地の中を抜けていく道がある。
こちらは後者。
見る限り雪国そのもの。
※ この旅行記は2010年の4月に書き始めた。2011年11月現在、やっと書き終えた。旅行記が完成するまでずいぶんと長い時間がかかったなあ。正直言って、この旅行記は読者にとって暗くて面白くないだろう。
「おまえ、同情が欲しいのか?」とかメールを出してきた人もいた。
はたまた、
「自分も、現在同じ境遇に陥っています。」と悩みを打ち明けてくれた人もいた。
得票は少ないにもかかわらず、同じ悩みを持つ人への影響力はかなり強かったようです。
自分にとって、この旅行記を書くのは辛かった。思い出しているうちに具合が悪くなったこともあったっけ。でも、それがゆえに私と経験が重なる人にとっては何か心に引っかかるものがあったのだろうと思う。
鬱で悩んでいる人、そして、現在なりそうな人、気が向いたら私に気軽に話しかけてくださいね。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- べ〜こんさん 2010/04/01 21:12:06
- こんばんは^^ プラシーボ・メンタルクリニックCC エープリルフール分院です☆
- Toshさん、こんばんは(^O^)
プラシーボ メンタルクリニックCC Master べ〜こん です!(爆)
な〜んだ!「飲む・打つ・買う」そっちの打つ病でしたか!(笑)
300時間待合室でお待ち頂き、3秒診療が身上です
Toshさんの場合、処方薬はプラシーボ・トウナンアジアン・ドクマチールを3か月分院外処方いたしましたぁ〜
お求めは、東南アジア各ゴルフクラブにて・・・
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☆プラシーボ・メンタルクリニックCC☆
いつもあなたに損はさせません!打つ病克服は
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