2007/03/15 - 2007/03/16
55位(同エリア471件中)
エンリケさん
2007年3月、それまで数年間携わってきたプロジェクトが終了し、ぽっかりとした気分の中、卒業旅行でもしようかと海外旅行を計画。
なんとはなしに、世界の果てを見ようとユーラシア大陸の果て、ファドやサウダーデなどで郷愁感のあるポルトガルに決定。
持っていく本は司馬遼太郎の“南蛮のみち?”。いざ。
<旅程表>
2007年
○3月15日(木)成田→アムステルダム→リスボン
○3月16日(金)リスボン→シントラ→リスボン
3月17日(土)リスボン→エヴォラ→リスボン
3月18日(日)リスボン
3月19日(月)リスボン→トマール→リスボン
3月20日(火)リスボン→アムステルダム→
3月21日(水)→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2007年3月15日(木)
まずはKLMでアムステルダムまで、そして夜のフライトでリスボン(リシュボア)へ。
リスボンに向かってゆっくり降下していくと、美しい夜景が見えてきました。
ジョゼ・アルバラーデ(地元のサッカーチームであるスポルティング・リスボンのホームスタジアム)ではUEFAカップが行われているようで、街の活気が伝わってきます。
空港は非常にこじんまり。遅い時間で閑散としている建物内を抜け、すぐにタクシーで予約していたホテルへ。
リスボンは空港から市内への鉄道がなく(その後、2012年7月に開通)タクシーしか移動手段がありません。
悪徳タクシーも多いというので、事前にネット等で調べたとおり、安全であるという到着側のターミナルにとまっていたタクシーに乗り込みました。
3月16日(金)
到着日はぐっすり眠り、翌3月16日、早起きして市街北のエントレカンポス駅から電車で世界遺産の宮殿などが残るシントラへ。
リスボン市街の北西にあり、電車だと20分ほど。かつての王室の夏の離宮が置かれていた避暑地で、リスボン市民や海外からの観光客でにぎわう大観光地となっています。
まだ3月ですが、日が高くなってくると春の陽気でシャツ1枚でもじゅうぶん。日本より暖かいです。
シーズンではないのにけっこう観光客も多いです。
駅から王宮への道を歩いていると、市街地の壁にポルトガル名物“アズレージョ”(青い装飾タイル)を発見。
同じイベリア半島の国でもスペインとポルトガルをわけるもののひとつは街にこれがあるかないか。
この後もあちこちでアズレージョを目にすることになります。 -
とんがり帽子が二つあるシントラ宮殿にやってきました。
15世紀初頭から19世紀後半にかけ、ポルトガル王家が住んだり、夏の離宮としていたものです。
この写真は宮殿の入口からの眺めです。
山に囲まれており、風光明媚な避暑地といった印象です。
18世紀に英国の詩人バイロンが“エデンの園”と表現しただけのことはあります。
団体の観光客もぞろぞろと入ってきます。 -
シントラ宮殿の“白鳥の間”です。
宴会場に使われていたそうです。
その名のとおり、天井には、首に王冠を付けた27羽の白鳥の絵が八角形の枠の中に一羽ずつ描かれています。
これには逸話があって、王妃が27歳でやっと結婚できたことを祝い、その年齢と同じ数の白鳥が描かれたのだそうです。
保存状態がよく、鮮やかな色が残っています。
ただ、天井の素材は木、壁は白い漆喰のようなものにタイルが少々貼ってあるだけで、豪華というよりは素朴な印象です。 -
宮殿の中庭です。
イスラム支配時代の影響を受けたムデハル様式で、素朴な印象を受けます。 -
中庭から暗がりになっている小部屋をのぞいてみると、ポルトガルらしくアズレージョ(青いタイル)で装飾されていました。
ちょっとひんやりした印象です。
熱い日光を避けてお茶を飲むのにでも使われたのでしょうかね。 -
王の執務室だった“鵲(かささぎ)の間”です。
天井に鵲の絵が描かれていることから名付けられました。
ここも素朴な印象です。
フランスのヴェルサイユ宮殿やスペインのエルエスコリアル宮殿、オーストリアのシェーンブルン宮殿などと違って、あまり豪勢さを感じない、ちょっと田舎っぽいところが、この国に郷愁を感じるところかもしれません。 -
鵲の間の天井です。
鵲のくちばしには“POR BEM”(善意で)と書かれたリボンがくわえられています。
これは、15世紀の国王ジョアン1世が女官にキスしているところを王妃フィリパ・デ・ランカストルに見つかってしまったときに発した言葉で、王は“(本気ではなく)善意でキスしたのだ”と弁解したのだそうです。
ところが、噂が女官たちの間で広まってしまいました。
そこで王は、“おしゃべり”という意味のある鵲を部屋の装飾に用い、王はその女官を特別に意識したのではないという言い訳のため、王宮の女官と同じ数である134羽の鵲を描かせたのだそうです。
なかなかおもしろい逸話です。 -
王宮の回廊です。
天井には帆を広げた海洋船がいくつも描かれており、海洋国家としての栄光の時代のあとが感じられます。 -
最後は16世紀初頭、大航海時代絶頂期のマヌエル1世の時代に造られた“紋章の間”です。
大航海時代の富がつぎ込まれ、王家と貴族計72の紋章を付けた鹿の絵が並ぶ壮麗な木製の天井となっています。
このうちコエーリョ家の紋章は、ジョアン2世に対する陰謀が発覚した後、取り除かれたそうです。
また、この下の壁面には1755年のリスボン大地震の後に付け加えられたアズレージョで装飾されており、色の対比がまた美しいです。 -
下の壁面のアズレージョは18世紀のものだけあって保存状態も良好で、窓から差し込む光で輝いています。
-
天井には中世から続くポルトガルの国章が見えます。
中央にコインを含んだ盾が十字状に5つ配置され、その周りに赤地に金色の7つの城(ムーア人から奪還したもの)が配置されているおなじみのものです。 -
シントラ王宮を後にし、シントラにあるもうひとつの宮殿、ペーナ宮殿へと向かいます。
バスに乗って、だいぶ高くまで登ってきました。
眼下にはかつてのイスラム勢力が築いたという“ムーア人の城壁”が見えます。 -
ペーナ宮殿へとたどり着きました。
1836年に女王マリア2世の王配でドイツからやってきたフェルナンド2世により建てられたものです。
1755年のリスボン大地震により廃墟と化したペーナ修道院のあとに建てられたもので、、ゴシック・リヴァイヴァル建築様式、ネオ・マヌエル様式、ネオ・イスラム様式、ネオ・ルネサンス様式など、様々な建築様式がごちゃまぜになっており、ひとによってはカオス的な嫌悪を感じるかもしれません。
当時はこういうのがロマン主義の象徴だったんですね。 -
宮殿の入口は“トリトンの像”があります。
ギリシャ神話に登場する海神ポセイドンの息子で、
人間の上半身と魚の尾を持つ人魚のような姿で描かれるのが典型だそうですが、なんともグロテスクな印象です。
ちなみにこれは、“世界の創造”を象徴しているんだとか。 -
色彩も奇妙な感じを受けます。
ただ、なんだかんだ言っても、けっこう観光客が入っています。
内部を見学した後、路線バスで“世界の果て”ロカ岬へと向かいます。
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