2009/06/26 - 2009/06/28
73位(同エリア204件中)
namiさん
2009年6月、初夏の雲南省巡り(麗江−大理−昆明)の大理編です。大理古城は西の4000m級の山脈蒼山と、東の大きな湖ジ海の間に位置し、風光明媚でバックパッカーのいわゆる沈没地としても有名です。雨もよいの大理一日目。目玉は後半の三塔崇聖寺直登記です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 自転車
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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金さん弟が、バスステーションまで送ってくれます。バスは8:00出発なので、ちょっと余裕を見て7時30分にはホテルを出ました。
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バスです。麗江と大理の下関をつないでいます。大理と表記されておらず、下関。しかも簡略体なので目に親しまず、ある程度の推理力を必要とします。
大理まで62元です。3時間半ぐらいの道のりです。
走り出してすぐ雨が降ってきました。 -
けっこうな降りです。
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1番前のシートで、視界がいいのですが、これがなかなか怖い。豪雨の中、対向車線にはみ出ながらどんどん追い越しをかけます。
この怖さを動画で味わってもらえるように youtube にアップロードします。「雲南省の怖いバス」で検索すれば出てきます。ご興味持たれましたら、是非ご覧ください。怖いですよー。
URLは
http://www.youtube.com/watch?v=2vIhQ409AHI
です。 -
料金所です。
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三輪車が結構走っています。
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高速道路だと思うのですが、リヤカーとか、自転車も走ってます。
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大きなトラックは遅くて追い越す必要があります。でも大きいので、追い越すには対向車線をかなり長い間走ることになります。昨日、麗江近郊で乗っていた車がバスに接触したばかりなので、お尻がむずむずしました。
バス接触事件は「麗江とその近郊を歩いた!走った!(5)」にあります。
URLは
http://4travel.jp/traveler/yanamiki/album/10441126/
山から抜けて高度を下げると湖が見えてきます。 -
悪天候にもかかわらず、バスは10分ほど早く大理古城に到着しました。終点の下関は新市街なので、観光客はここで降ります。ここで問題発生。ホテルに案内してくれるガイドが待っていてくれるはずなのですが、それらしい人がいません。雨が降っているし、困った状態です。まあ、予定より早くついたことだしと気を取り直し傘を差して待ちます。しかし、到着予定時間になっても変化なしです。
中国の信用度が急激に下がりだした頃、5分遅刻して、車に乗った葉さんが到着。想定外の年齢、容姿に虚を衝かれました。
ごめんなさい、ずいぶんお待たせしました?と聞かれて、いいえぜんぜんと応えてしまいました。
聞かれるまでは文句を言おうと思っていたのですが、聞かれた瞬間に遡って考えが変わってしまったのです。けっして本心を隠したわけではありません。 -
三泊する予定の蘭林閣酒店にチェックインします。
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お昼を誘ったら食べるといいます。右も左も判らないので、近くの食堂に連れて行ってもらいました。
入口は狭く、机の上に並んだ食材をエイヤと選び通路を奥に進みます。奥は中庭になっていて、その周りを囲むようにテーブルが並んでいます。思いのほか良い雰囲気。観光客らしき人はほとんどいなくて、お客はほとんど地元の人たちです。
たしかに、あの入口の狭さは一人だったら入らないと思います。 -
葉さんは、日本に少しいたこともあって、日本語がそこそこ話せます。
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名物の砂鍋魚を頼みます。美味しいだけじゃなくてなかなかな量です。お腹一杯になります。
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葉さんの話では、鍋の中の魚の頭はご馳走だそうで頭がよくなるように子供に食べさせるそうです。葉さんはお母さんから「ちいさいとき魚の頭を食べさせなかったから、おまえはあまり賢くない」と言われるとのこと。
それではこれを食べればとすすめたら、とても喜んで食べてました。 -
いろいろ食べて89元でした。
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葉さんと別れて、一度部屋に戻ることにします。
これは中庭です。 -
困ったことがあったら電話して下さい、と電話番号をもらいました。
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部屋です。
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洗面所。このうしろにバスタブもあります。
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2時過ぎに再出発。小雨の大理古城を散策です。
ホテルから近い五華楼に先ず行ってみます。メインストリートの復興路を南に行けばすぐです。 -
天気はいまひとつ。
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好みで選べる砂鍋魚の中身。
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南門です。と思います。ちょっと自信がありません。まあ東西南北にそれぞれ門があるようだったので、ひとつずつ行ってみる事にしました。思えば大理古城は迷いにくい街です。
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大理も歩いていて退屈しません。
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東のほうが低くなっていて、その先にジ海があります。西は高くなっていて蒼山です。雨は降ったり止んだりです。
蒼山は雲に隠れていて高みは見えませんが、時々風で雲が切れ、街の上の思いがけないところに山肌が覗きます。ドキリとします。 -
蒼山です。
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蒼山を振り返り振り返り、坂を下って東門です。
門の南に南水庫という池があるらしいので行ってみる事にします。 -
土手を登ります。理由はそこに土手があるからです。
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土手から見た東門です。すぐそこなのに雨に煙っています。
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南水庫です。
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北西の方角はるかに三塔が霞んで見えます。思えばどうもこのためにここに登ったようです。
既に3時を過ぎていましたが、三塔まで行ってみようと急に決意します。雨なのにやる気十分です。 -
歩いていると、並んでいる店のなかが見えて面白い。これは電気屋です。オシロスコープもなしに修理してます。手の動きを見てもよい技術者です。親近感を持ちました。
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貸し自転車屋の目星を付けておきます。なんとなく明日は晴れると思います。
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博愛路を南にいったら、お寺がありました。
とりあえず見学します。 -
寺の向こうに蒼山です。
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さらに歩いて西門です。
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登れるので登ります。
歩いてきた道が見えます。 -
東にはジ海とその対岸の山まで見えます。
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そして北のほうに三塔が見えます。
ここで時間は5時。雨は上がってきました。
日の長い季節なので、日没までにはまだ時間があります。急げば行けるかも知れません。 -
まじめに歩いて30分で三塔と崇聖寺の入口まで来ました。入場券は121元です。麗江古城の80元を抜いて最高額入場券です。
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とても広い参道を数百メートル歩いて三塔に近づきます。なかなか立派です。
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両脇の塔はすこし内側に傾いています。
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水面に映る逆さ三塔です。
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三塔の背後に崇聖寺はあります。
多くの観光客が有名な三塔だけ見て帰ってしまうようですが、それは大きな間違いです。個人的な意見ですが、崇聖寺は三塔の5倍くらいの価値があるような気がします。入場料で言えば20元が三塔拝観、101元が崇聖寺くらいです。
「崇聖寺は素晴らしい。」
もうかぎ括弧も付けてしまう、想定外の思いがけない素晴らしさです。 -
この案内板の右側から左に移動していくわけです。
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入口でもらったパンフレットの崇聖寺境内地図です。この図の上のほうから入っていきます。8のところが三塔です。11の池で逆さ三塔を見ることが出来ます。面積的に言っても三塔より奥に広大な敷地が広がっています。
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14番の観音殿はなかなか立派で、時々紹介されています。はじめはこれが崇聖寺かなと思い、遠望して帰るつもりでした。でも121元ですし、せっかくきたので、中まで入って有難い仏様でも見ようかと思い直しました。これは、とても良い気まぐれでした。
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地図上13番の小さな建物を過ぎ観音殿に至る道の途中で後ろを振り返ったところです。三塔のうち二塔が建物の向こうに見えます。大きな一塔では不十分で三塔を作りたくなる理由のひとつが、ここにあるような気がします。
中心軸上にいくつもの門や伽藍をつくると、中央に配置された塔はいくら高くても軸上の道を移動していく参拝者からは、手前の建物に隠されてしまいがちです。
そこで小ぶりの二塔が両脇に欲しくなります。それにより主塔が見えなくてもここに見られるような美しいシンメトリーが実現できます。 -
観音殿に近づきます。
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14の観音殿入口に立って後ろを振り向くとこうです。参道では見えなかった主塔が再登場して劇的効果を上げます。高さといい大きさといい、完璧な調和です。
三塔と13の門、低くなった参道と、そして今立っている観音殿の台部分高さの総合効果です。 -
さらに崇聖寺のロケーションがもうひとつの劇的効果をあげます。
前掲の地図は上が東になっています。崇聖寺は東西、ジ海と蒼山方向をつなぐ線上にその中心軸を置き、奥に行けば行くほどその高度が高くなるように位置しています。このことが、この景色をを閉じたものではなく世界につながる開いたものにしています。
つまり、三塔と13の建物の彼方にジ海とその対岸の山々が広大な世界の象徴として現れてくるのです。 -
ちょっと横にそれると、こう見えます。このシステム全体の構造、位置関係が判ると思います。
−この項さらに続く -
観音殿の中にいるのは、体は男性、顔は女性の、金色の観音像です。
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残念ながら899年に建てられたオリジナルは文革で破壊され、現在の建物は1999年に再建されたものです。
堂内から入口を振り返ります。塔が見えます。 -
観音像のうしろ、建物の裏からさらに先を見るとこうです。階段の向こうに建物が見えます。18の山門と表記されている建物です。
ここまで来ると、崇聖寺の全体像が見えてきます。
おそらく山門の向こうには、伽藍が、そのまた向こうには、、という繰り返し構造なのです。 -
階段の参道を登って少し行くとこんな場所に出ます。
もう一登りで山門です。ここで視界が開けるので山門の両脇に楼が現れ、スケール感を与えます。また下のほうで末広がりになっている階段も、もう、全員救うぞ、みんな来なさいという仏教世界への誘いになっています。
また階段両脇の赤い壁が、現実世界と仏教世界を区切る結界のような効果をあげ、この階段を上がると特別な世界が拡がっているような印象も与えます。
ここまでは車で来られるようです。 -
ここでまた振り返ると14の観音殿に妨げられて、あら不思議、三塔は無くなってしまっています。
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もうすぐ山門です。
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門には付き物の仁王様です。
ゲートキーパーですね。 -
山門を抜けて右を見ます。21の財神殿です。反対側を見ると参道を挟んで対称的に20の建物があります。
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正面は階段の向こうに天王殿がみえます。もう行くしかないので行きます。
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天王殿由来です。
写真をダブルクリックして、さらに写真下の「この画像の元画像を見る」というボタンをクリックして拡大すれば。右端の日本語説明が読めます。 -
天王殿の大黒天神です。
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ここでまた後ろを振り返ると、先ほど過ぎてきた山門が見えます。背景は変わらないのに見える景色はどんどん変わっていきます。
近くにあるものが大きく見えて、後ろのものを隠してしまうせいです。
これは単純ですが、考えてみればとても興味深い現象です。世界の特徴をあげるすると結構上位に入ってくる根源的かつ重要な性質だと思います。
思えばこの効果で、一人ひとりが居るその異なる位置により、ひとつの世界なのにそれぞれ異なる世界を体験できるのです。 -
そして天王殿を抜けて上を見るとこうです。25の弥勒殿です。
このあたり実は中心軸の両側に建物が、もちろんのこと左右対称に連なり、大仏教世界を構成し始めてもう凄いことになってきているのですが、ここでは触れません。
終わらなくなりますから。
ここは脇目を振らずに進むことにします。 -
弥勒殿由来です。
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弥勒殿の弥勒菩薩です。
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弥勒菩薩の後ろを固める韋駄天です。
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端に見える階段が登りで、ここ弥勒殿25から山のほう左手を見ているので見えているのは30番の建物です。
だんだん崇聖寺仏教世界で自分の居場所がわかるようになって来ました。 -
だんだん高度を上げてきました。次は29番の十一面観音堂です。正面に壁があり横の階段で上がっていくようになっています。
いくらでも続きそうな繰り返しと同時に、一つ一つの伽藍が同じでない、皆それぞれ他と違う構造的特徴を持ったものであるところが驚きです。 -
十一面観音堂の左にある30番の南何やら堂です。これと左右対称の建物が右手にあります。軸上の建物を紹介していますが、このあたりはますます面的になってきていて、極楽浄土に入りはじめた感があります。実際には違うのですが、シンメトリーと少しずつ変わる繰返しによりこのあたりからこの調子の世界が時空を超えて無限に拡がっているように感じさせられます。仏教恐るべし。高度に抽象化された世界感で、実は現実の世界を適切に写してとっています。
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十一面観音堂です。地図では29番です。
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十一面観音とそのお仲間です。
仏教にもパワーアンドグローリーってあるんだー、と感じます。
、、とこの項、まだ途中ではありますが、ちょっと中断して考えます。
1、どうも旅行記ではなくなってきました。
2、たぶん読んでもらえなさそう。
3、50枚ぐらいという写真も80枚近くになりこのままだと100枚以上になる。
後半部分削除、もしくは分割して続けるナド含めて考えます。スミマセン。 -
一日考えましたが、その間にこの「旅行記」に2名の方が投票してくださいました。有難うございます。
読んでくれる方が居られると判りましたので、元気が出ました。写真枚数についての心配も100枚を超える旅行記が在るようなのでこのまま進めることにします。
十一面観音殿を過ぎると大雄宝殿(33)がそびえています。左の祖師殿(34)、右の高僧殿(32)を従えて、崇聖寺は総力戦の構えです。 -
名前のとおり堂々たる大雄宝殿です。
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このあたりの案内図です。位置関係が良くわかります。実際ここに立つと、もう崇聖寺の圧倒的なパワーを感じます。
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大雄宝殿(33)に近づいていきます。
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大雄宝殿(33)から過ぎてきた十一面観音殿(29)を振り返ります。両側の建物にさえぎられてジ海とその向こうの山々は隠されます。
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大雄宝殿のご本尊です。日本でみる侘び寂び的な仏像の持つ引き込む雰囲気とは違う種類の、ぐんぐん出てくる強力なパワーを感じます。
適切な表現かどうかわかりませんが誤解を恐れずエイヤといえば、今まで見てきた日本の仏像から受ける印象は時を経てありがたさがいやました芸術品、この金色のご本尊群は現役の強力な宗教ツールという感じです。日本の仏像も出来立てはこんな感じで、時の流れで表面に現れていたものが取れて、もともと持っていたより本質的なしみじみしたものが出てきたのかもしれません。 -
どこから見ても強力な布陣です。
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横の木彫です。
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金色の仏教軍団の大雄宝殿を過ぎて裏に廻ると、まだ在ったー、の阿嵯耶観音閣(38)が石積みの上に見えます。
まだあるの驚きとともに、やっとここに来ていままでどんどん凄いことになってきていた崇聖寺も、どうやら先ほどの大雄宝殿がパワー的なピークであった事が判ります。
たしかに、あの迫力は尋常ではなかった。
阿嵯耶観音閣への道は正面アプローチではなく左右の階段に分かれいったん中間のテラスに上り、それから中央階段を上るよう破調しています。 -
中央階段を上ると前庭の池と両脇に二つの建物を従えた観音堂が現れます。近づくと思いのほか大きな建物です。ここまで入口からまったく休まずにおよそ一時間歩き通しです。写真こそ撮っていますが、立ち止まるのは一瞬だけで、ほとんど小走りに近い感じに登ってきています。
時刻は午後6時30分。今日は夏至に近い6月26日、日の出ている時間は一年のうちで最も長く、日暮れにはまだ少し時間があります。問題は閉門時間です。見学時間は午後7時までと表示されています。閉門時間が迫ってあたりにはもう人影がありません。
そろそろ戻らないと、閉門に間に合いません。
いや、そもそももう間に合わない時間かもしれません。 -
観音閣の由来です。中の白族密教の観音様、別名「大理観音」についても説明されています。
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大理観音です。
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阿嵯耶観音閣にはもう誰も居ません。
さすがにここまでと観念して、観音閣の後ろに廻ったら驚きました。これまでとはまったく異なる光景があるのです。ここはもうかなりの高度なのに水の流れが在ります。まるで極楽浄土を流れる川のようです。
パワーでの訴求は影を潜め、崇聖寺はもっと精神的なところでまだまだ伝えたいことがあるようなのです。 -
これはもう行くしかありません。ここで帰ると一生後悔しそうです。出口のところで怒られるかもしれませんが、まさかお寺を出してくれないということも無いでしょう。121元も払ってるんです。
極楽浄土の川を渡って、いよいよこの世を離れた世界を進みます。高度が上がり、あたりは霧が出てきています。 -
一番上の建物までいこう、という山登りのような単純な目的意識と同時に、この先どうなるんだ、ここまで素晴らしかった建築群、門に継ぐ門、伽藍に継ぐ伽藍、観音様に継ぐ観音様、強力なオールスター仏像群は最後にどうやってその決着をつけるのか、このお寺全体が語る素晴らしい物語の結末はどうなるのか、の興味が俄然湧いてきます。
何かがあるはずです。
そう思いながら崇聖寺最後の門である山海観大牌坊(39)を抜けます。 -
山海観大牌坊を振り返ります。その向こうに阿嵯耶観音閣が見えます。
-
これが最後の望海楼です。
ここしばらく誰にも会いません。この寺で今この最深部最高部に居るのは間違いなくわたしです。「わたしはきまりを守ろうとしない悪い人間です。ごめんなさい。」という気持ちと「ここまで来て良かった!」という気持ちが混ざり合います。 -
由来を読んで、帰ろうとしました。
でもちょっと待てよ。
結末がありません。なにかある筈です。まあ望海楼はなかなか良い建物かも知れませんが、どうも納得がいきません。
こんなはずは無い。崇聖寺全体のグランドプラン設計者はなにか考えていたはずです。それが判りません。まさにこの場所にこの最後の建築物をこのように作らなければならなかった理由がわかりません。
ここまではすべての建築物、その配置に何らかの理由があるような気がします。この建物には必然性がありません。
後ろに廻ってみましょう。 -
あたりには霧が出てきています。
-
確かに行き止まりです。
辺りを見廻しても、とくに何もありません。
この寺もここまででしょうか。
手詰まりです。
ここで気がつきました。この建物の名前です。
「望海楼」海を望む楼なのです。
そうそうそれを忘れていた。
登るんです。海を見るのです。 -
-
登ってジ海を見ました。
素晴らしい景色。
、、おやおや、ちょっと待てよ。 -
大乗仏教の総本山とも言われる崇聖寺の最も奥部、最も高所に在る望海楼の、そのまた最上階の真正の真ん中に立ちます。
すると、はるか彼方の主塔が光るのです。
おやおや? -
来るとき塔の手前にあった、やたらに幅のある妙に長かった参道。それがこの位置からは塔の向こうにあり塔を光らせるのです。つまり三塔主塔の幅と高さ、その向こうの参道の幅と長さが、この望海楼の最上階中央の一点から見たときにちょうど重なり、空とジ海の光を反射する参道が塔の外縁をぴったりと縁取ります。それが塔に後光を与えるのです。
そう思ってみると、塔の曲線まで含めてすべてが計算されつくされています。
これです。なんという壮大なデザイン! -
これが崇聖寺と三塔、そしてその向こうに広がるジ海の姿です。
手前山海観大牌坊の向こうに大きく構える阿嵯耶観音閣。そして、この視点からのみ意味を持つその前後左右に絶妙なバランスで置かれた4つの小さな楼、両翼の左側方丈院(地図上35)右側仏教研究院(37)による広がり感、それら二つの建物と中央の観音閣との間の少し上に見える左右二つの小さな茶色の屋根。
崇聖寺のすべての伽藍、建築物は、この視点からの強い要請により、時を越えてそこにあるような気がします。
感動しました。
ここは写真をダブルクリックし拡大して見てもらうと良く判ってもらえると思います。 -
走って降りていきます。
道中誰とも会いません。
本当にわたしが崇聖寺最後の客のようです。 -
三塔も過ぎてあと数百メートルで出口のここまで来た所で、中国人カップルと行きあいます。時刻は午後7時10分過ぎ位です。中国語でなにか言っていますが、理解できません。こちらの判りませんも通じていないのかもしれません。急いでいるので、すれ違いましたが、さらに何か言っています。ここで、やっと気付きました。この先に言っても、門が閉まっていて出られないと言っているのです。
、、、。
えーっ!7時過ぎるとほんとに出してくれないのー?
中国恐るべし。 -
彼らは、既に閉まった出口で得た情報で、遅くまで開いている北出口に向かおうとしていたのです。そっちに行っても駄目と言っているのです。
何とか英語で会話が成立します。
ようやく外に出て、どうやって大理古城に帰ろうかと困っている彼らに、今度はわたしが歩いて帰れると道案内をしました。
古城まで道々30分話したところによると、二人は大理を旅行中のチベットから昆明の大学に留学に来ている学生ということで、すっかり仲良くなりました。 -
今日も朝からいろいろありました。今朝麗江を出たのが随分昔のことのように感じます。
天気にはあまり恵まれませんでしたが、素晴らしい一日でした。ここまでで写真は108枚。きりが良いのでここまでとします。
ところで判然としないことがあります。
今日の望海楼の最上階から主塔が光る現象は、一般的なものなのでしょうか?
つまり、私が見たのは
1、夏至の近くの夕方のほぼ真後ろに太陽があり
2、しかし霧っぽくて大地が光って見える散乱光がある
3、さらに雨上がりで道が濡れていて斜めの光をよく反射する、
等の原因で起こったあの日あの時間だけの特別な現象なのか、それとも常時あるいはしばしば起こる当たり前のことなのか、、いったい、どちらなんでしょう。
望海楼の最上階から塔を見た方、これから見られる方の情報を是非ともお待ちしております。2、30年は待てますので、いつでもお知らせください。
この続きは「大理も歩いた!走った!(2)喜洲編」です。
URLは
http://4travel.jp/traveler/yanamiki/album/10442295/
です。
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