2010/01 - 2010/01
369位(同エリア443件中)
ma2okaさん
- ma2okaさんTOP
- 旅行記18冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 11,324アクセス
- フォロワー0人
Palácio Nacional da Pena
PR
-
エデンンの園と詠われるシントラ。このペナ宮殿は、1836年ル−ドヴィヒ2世のいとこにあたるフェルディナンド2世が建築の命を下した。この30年後、ノイシュバンシュタイン城の着工が始まる。
-
旧フラデス・ヒエロニミタス修道院の廃墟に宮殿を建てる事になった。旧修道院は、ジョアン2世時代にディオゴ・ボイタクにより建てられた物が原型で、すぐにマヌエル1世により、ジェロニモ修道会へ再び寄進し聖ペーナを讃えるという約束を実行するため岩山の上に修道院が再建された。
-
1755年のリスボン地震が首都と周辺地域を荒廃させ、ペーナ修道院は廃墟と化した。しかし、ニコラウ・シャンテレネ作とみなされる大理石と雪花石膏でできた壮麗な祭壇背後の棚を備えた礼拝堂は、無傷であった。シントラの山頂に広がるこれらの残骸が、若いフェルナンドを驚愕させたのだった。
-
フェルナンドは、空想的な夢を持っていた。古い修道院を再建し、シントラ滞在時にポルトガル王家が滞在する夏の離宮となる新しい部分を付け加えるのだと。ロマン主義的な再建命令が、陸軍中将であり採掘技師でもあったヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フォン・エシュヴェーケに下された。宮殿全体はほぼ、巨大な岩々の上に壮大に立つ。
-
この違う様式の模倣と組み合わせは成功とも失敗とも言いがたい。マヌエル様式の窓のとなりにムーア風の扉があるといった具合に、不思議なコントラストを描く宮殿は、文化と宗教が融合した奇跡の唯一無比の建築遺産である。
-
宮殿自体は贅を尽くした様式で、一風変わった建築様式の大量な動的効果がある。違う様式の混合は、ゴシック・リヴァイヴァル建築様式、ネオ・マヌエル様式、ネオ・イスラム様式、ネオ・ルネサンス様式などの混合であるが、この宮殿こそが全く新しい様式を生み出しているようにも見える。
-
-
-
19世紀の人々は異国風でロマンティックなものを好んだため。最も変化のある姿をした別個の対の番兵小屋、新スペイン・アラビック様式のタイルで不揃いに飾られたテラスなどが、顕著な要素である。トリトンの有名な像は、数人の作家によると「世界の創造」を象徴しているという。
-
-
-
-
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
シントラ(ポルトガル) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
シントラ(ポルトガル) の人気ホテル
ポルトガルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ポルトガル最安
379円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
14