2009/04 - 2009/04
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ドクターキムルさん
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徳川吉宗公が、江戸庶民の誰もが花見ができるようにと山桜を植えたとされる飛鳥山公園の桜見に出かけた。吉宗の時代には染井吉野はないのだが、その地に近いからであろうか、東京であることを誇示するかのように染井吉野の桜が満開であった。子供たちがSLに登って遊んでいる。SLは日本各地に展示されているが、このように上に登っているのは初めて見た。子供にしたら格好の遊び場なのだろう。そこに小さな子供を連れたお母さんが来て、子供をSLに登らせた。しかし、小さいので天辺までは登れない。とうとう泣き出した。しかし、母親は「大きくなったら。」と子供を諦めさせて降ろした。子供に危ないことはさせない親が多い中、こうした気丈な母親もいるものだと感心した。男の子を育てるのにはこうしたことは絶対に必要なものだ。「私はやらせてみますよ。」母親からはっきりとした考えを聞け、「日本もまだまだだな。」と思った。
(SLの天辺に登って笑顔を振り撒く2人)
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飛鳥山公園入り口の桜。
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飛鳥山公園の桜。この木は染井吉野ではないだろう。
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飛鳥山公園の桜。この木も染井吉野ではないだろう。
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飛鳥山公園の桜。
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飛鳥山公園のコブシの花。
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飛鳥山公園の桜。
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飛鳥山公園の桜。この辺りから染井吉野の桜並木が続く。
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飛鳥山公園の染井吉野の桜。
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飛鳥山公園の染井吉野の桜。
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飛鳥山公園の染井吉野の桜。
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飛鳥山公園の染井吉野の桜。
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赤のパーカの女の子がSL(D51形蒸気機関車 853号機(1943年製造))の前から登って後ろまで行った。
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赤のパーカの女の子がD51の後ろから降りようとしている。
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赤のパーカの女の子がもう一度トライする。
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水色のパーカの女の子も後を追う。赤のパーカの女の子はお兄ちゃんがいて、いつも後を追っかけて一緒に遊んでいるからすばっしっこいのだそうだ。ズボンをはいているから身軽だ。水色のパーカの女の子には兄ちゃんがいなく、自分では運動神経が鈍くこうした遊びは苦手だと言う。スカートをはいていて動き難くはない?
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水色のパーカの女の子も後からよじ登っていく。
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水色のパーカの女の子も天辺の煙突を目指して登っていく。
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水色のパーカの女の子を待つ赤のパーカの女の子。
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二人揃って。笑顔がこぼれる。
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二人並んで。笑顔でポーズ。
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後に廻って降りようとする。
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後から降りる。男の子が後からよじ登る。
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今度はもっと小さい児が。お母さんも。
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小さい児も連結器を足場によじ登る。
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小さい児もやっと登れた。
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でも、まだ赤ちゃんなので天辺までは登れない。赤のパーカの女の子は3度目の挑戦だ。
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かつでの都電6080号(1949年製造)も。
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元気に遊ぶ子供たち。
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公園の遊び場の風景。
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飛鳥山公園の桜並木。
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飛鳥山公園の桜。
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飛鳥山碑(元文2年(1737年)建立)。この碑文には吉宗が飛鳥山を公共園地として整備し、王子権現に寄進したことや、熊野の神々のこと、元享年間に豊島氏が王子権現を勧請したことや、王子、飛鳥山、音無川の地名の由来などが記されている。しかし、異体字や古字を用いたり、文字を斜めに彫るなどしてあり、江戸時代から難解な碑文として知られていた。
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桜の麓では年配者のグループが昼日中から宴会している。
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「象山先生桜賦」の石碑(明治14年(1881年)建立)。
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青のビニールシートは夜の宴会の場所取りだろう。京浜東北線王子駅に向かう。この当時は駅のトイレの話題が溢れていた。
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