2010/01 - 2010/01
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ゆういちろうさん
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昨年夏に北茨城市内の炭鉱跡を訪れました。↓
http://4travel.jp/traveler/rossini/album/10346986/
http://4travel.jp/traveler/rossini/album/10347373/
その時は映画「フラガール」のロケ地を中心に歩いたのですが
炭鉱跡の廃墟っぷりに何故か心惹かれるものがあり
その後もネットで少し調べておりました。
その結果、常磐炭鉱の中心地であったいわき市内には
今でも沢山の炭鉱関連の遺産があるとの情報を得られ
また、廃墟を訪れるベストシーズン(?)は冬だという事も分かり
冬になるのを待っての訪問と相成りました。
しか~し!実際に撮った写真を見てみると
お世辞にも美しいとは言えない写真ばかりだし
廃墟の写真が多くて、ちょっと不気味だし怖い・・・。
かなりマニアックな内容になってしまったので
今回は非公開扱いとさせて頂きます。
廃墟とか暗がりが苦手な方は
ご覧になる際にはどうぞご注意下さいませ。
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-
まず最初に見て頂きたいのがこれです。
その名も『産業戦士の像』
今回の旅のきっかけとなったものです。
戦前の軍国主義的な遺物が残っているのって
とても珍しいような気がします。
そして物資が不足していた時代だからなのか
コンクリート(?)製なのです。 -
昭和19年頃、軍需美術推進隊は
軍需省の重要なる生産部門の
航空機や鉱山、炭鉱、発電関係など
軍需産業方面で奮闘している人々を激励しようと
芸術家47名で発足しました。
北海道から九州にかけて
軍需省が指定した11箇所の優良工場に
産業戦士の像を製作しました。
〜解説より〜 -
「産業戦士」とは、太平洋戦争中に
軍需産業の指定を受けた産業の労働者のことで、
戦場で戦う兵士と同格として付けられた称号。
初めてこの像の写真を見た時は衝撃的でした。
だって北朝鮮や昔のソ連や中国等の
共産主義国にありそうな像だったから…。 -
その眼差しの先には・・・
-
明るい未来が、栄光の未来が
見えていたのでしょうか・・・。 -
足元は地下足袋にゲートルです
-
この像は旧古河好間炭鉱の敷地内に
ひっそりと佇んでいます。
今は「いわき興産」という会社の敷地なのかな?
他にも「古河橋」の銘が入った欄干も
この地に移設されていました。 -
敷地の一部は荒地となっており
炭鉱の施設の一部と思われる廃屋も・・・。
一瞬パーゴラに見えませんか? -
写真では分かり辛いのですが
ズリもあちこちに落ちていました。 -
炭鉱当時の地割りや構造物も
若干残っています。 -
次に好間川に架かる鉄橋へ。
-
古河好間炭鉱専用鉄道のものです。
老朽化はしていますが、昔の姿のまま残っています。
私は鉄っちゃんじゃないけど
この橋をみたらジーンと来てしまいました。
なんでだろ?
当時は「明日に架ける橋」だったろうに・・・。 -
明治40年5月に石炭を運ぶ為に出来た軌道の鉄橋で、
古河鉱業好間抗と綴駅(現在の内郷駅)間の5.6km強を
8600と言われる蒸気機関車が運行していたそうです。
8600ってハチロクって言われるSLの事なのかな?
日立のかみね公園内に昔は展示してありましたっけ。 -
蒸気機関車の幻影が見えたような気がします。
-
赤錆とレンガの組み合わせが
何とも言えない郷愁を誘いますね。 -
往時の鉄橋。
煙突が建っているのは火力発電所との事です。 -
火力発電所の建物の一部も
このように残っていました。 -
発電所からの送電線に使われた電柱かな?
-
鉄橋の上流に
炭鉱に関係のある吊り橋が
2箇所もあるとの事で行って見ます。
一つ目は鉄橋から車で一分程。 -
かなり立派な吊り橋で
橋脚は昔のままのようでしたが
本体は近年架け替えられたようでした。 -
多少は揺れますが
しっかりした造りなので
安心して渡れます。
岩穴吊り橋と呼ばれ
炭鉱住宅に暮らす人達の為に作られたそうです。 -
次にさらに上流にある大畑吊り橋へ。
-
うむむ・・・
-
メチャメチャ単純な造りなんですねぇ
-
単純な造りのせいか
揺れる揺れる!
上下の揺れに加えて左右にも揺れるから
ぐらんぐらんします(笑) -
橋を渡る前には炭鉱住宅が残っていましたが
橋を渡った先にも炭鉱住宅が残っています。
この吊り橋は今でも生活に根付いた橋のようです。
観光吊り橋は渡った事がありましたが
このような生活用に使われている橋を渡ったのは
生まれて初めての事です。 -
橋の手前の炭鉱住宅は
結構な規模で残っていました。
フラガールのシーンが甦ります。 -
今でもたくさんの方が住んでいるようです
-
前回の散策の時も思いましたが
この炭住って今は誰の所有なんでしょうねぇ。 -
この物干し
すごい・・・ -
もう好き勝手に改造しまくっています(笑)
-
集会所として使われている建物ですが
その造りからすると
昔は世話所だったのではないでしょうか?
世話所とは??? ↓
http://4travel.jp/traveler/rossini/pict/16291600/
http://4travel.jp/traveler/rossini/pict/16298970/
http://4travel.jp/traveler/rossini/pict/16298971/ -
-
次に内郷の炭鉱跡へやって来ました。
ここはかなりの規模で残っていますし
町並みにも当時の雰囲気が感じられます。
この写真の建物も公道沿いにあるんです。 -
街の中からも巨大な炭鉱の建物が良く見えます。
-
選炭場跡
坑外へ搬出した石炭から
ズリを取り去り、塊炭と粉炭に分ける施設。 -
-
-
かなり老朽化が進んでいました。
-
鉱山が閉山した日。
工場が操業を停止した日。
ここで働いていた皆さんは
どんな気持ちでその日を迎えたのでしょうか。 -
かつてこの建物の中には
最新式の選炭装置が設置され、
日夜石炭の選別の音が耐える事は
無かったとのことです。 -
-
同じ敷地内に
坑道入口が残っています。
左側の坑口は石炭や資材の運搬用で
「本卸」(ほんおろし)と呼ばれ
右側坑口は坑夫等人間を運ぶのに使われ
「連卸」(つれおろし)と呼ばれたそうです。 -
坑口近くにあった謎のトンネル…。
ネットで調べて見ましたが
詳細は分かりませんでした。
このトンネル前には近所の方が畑を作っており
なんとも長閑な雰囲気が漂っていました。 -
でもトンネル内は
やっぱり不気味。 -
坑口の上には
「扇風機上屋」と呼ばれる建物が。 -
坑内の空気を外へ排出する為に
巨大な扇風機が設置してあったそうです。 -
-
中には大きなファンが万が一に備え二つあり
坑内の熱気を排出すると共に
新鮮な冷たい空気を坑内に送り込む
大事な役目をしていたそうです。 -
この丸い形が
そのファンがあった場所なのでしょうかね。
だとしたらかなり巨大な扇風機ですね。 -
-
『内郷市消防團 第二分團 第三班詰所』
って書いてありますね。
平市や内郷市などが合併して
いわき市が誕生したのが昭和41年との事ですから
それよりも前の建物と言う事になります。 -
-
炭鉱の街を挟んで反対側の山にある遺産。
内郷山神社の相撲場跡です。
わざわざ相撲場を作るくらいですから
相撲は庶民には大人気の娯楽だったんですねぇ。 -
昭和26年に建設され、客席はU字の馬蹄形で
ローマのコロシアムを彷彿とさせます。
中心には、かつて屋根つきの土俵があり、
山神社の祭りや相撲の興行などで
人々が集い大いに賑わったとの事です。
現在では神社は廃されており
町外れの公園としてひっそりとしています。 -
次に湯本にある
常磐炭礦磐崎砿石炭積込場へ。
ここも公道のすぐ脇にあります。 -
石炭積込場はホッパーや万石とも呼ばれます。
写真に見られる漏斗状の構造物の下に貨車を入れ
万石の蓋を開けて石炭を一気に貨車に流し込み、
専用鉄道によって常磐線まで運ばれた後は
常磐線を経由して各地に出荷されました。
各炭坑には専用線が必ず引かれていて
この施設が必ずあったようですね。
そして何故かこのホッパーが多く残っています。
私が知る限りでは、北茨城の中郷、重内、神の山
いわきの湯本、内郷でしょうか。 -
-
そして最後はいわき市の隣にある
茨城県北茨城市関本へ・・・。
前回見逃してしまった神の山炭鉱跡です。
前回はロケに使われた炭住のみの訪問でした。 -
巨大なホッパーがそびえ立っています。
常磐炭鉱神の山鉱は
昭和46年11月に閉山されたそうです。
この前後10年程の間に常磐炭田に数多くあった炭坑は
次々に閉山となったようですね。
フラガールのお話もこの時代のお話です。 -
私は廃墟マニアの気質があるのだと思います。
この建造物に無機質な美しさを感じてしまいました。 -
大聖堂にも見えてしまいます・・・。
-
-
これだけの規模で残っているのは
本当にすごい事だと思いませんか? -
裏山に上る道の途中にトンネルがありました。
ちょっと怖かったので通りませんでしたが
後で調べてみたら、
この先には共同浴場跡が残っているそうです。 -
更に道を進むと、炭坑口の跡がありました。
枯れ草が深くて近づけなかった・・・。 -
帰る前にもう一度パシャリ。
本当に大きな廃墟です。 -
そして後ろにはズリ山が!
最後の神の山は茨城県の北茨城市ですが
その前の一連の炭鉱遺産は福島県いわき市のものです。
最近このいわきの炭鉱遺産を残そうという運動があるようで
一部では世界遺産に登録しようとする動きもあるとか!?
まぁ世界遺産は夢が大きいような気がしますが
でも近代遺産としてきちんと保存する事は
是非して欲しいな〜って思います。
最近はこういった廃墟は崩壊の危険性から
さっさと撤去されがちなのでしょうが
日本の高度成長を支えた石炭産業の記念として
後世に残してもらいたいものです。
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この旅行記へのコメント (16)
-
- pacorinさん 2018/06/20 16:09:36
- 心ひかれる古い街並み、炭鉱跡・・・
- ゆういちろうさん はじめまして
京都の青もみじをきっかけに、ゆういちろうさんの旅行記に出会いました。
美しい風景や古い町の様子など、素敵な写真がいっぱいです。
これからもちょこちょこお邪魔したいと思います。
あやしまれてはいけないので(笑)、まずはごあいさつまで。。。
pacorin
- ゆういちろうさん からの返信 2018/06/20 20:40:47
- RE: 心ひかれる古い街並み、炭鉱跡・・・
- pacorin様
こんばんは。はじめまして。
はい。怪しい人だと思っていましたよ(^皿^)
ま、それは冗談として
この度はマニアック(笑)な旅行記へのコメント
誠にありがとうございます。
そしてお褒めのお言葉も恐縮です。
でも嬉しいですよ!ありがとうございます♪
pacorinさんの旅行記は凄い量ですねぇ!
そして特に京都の旅行記はとても充実してて
今度の京都旅行の参考になります。
これからもどうぞよろしくお願いします(^o^)
ゆういちろう
-
- waterlilyさん 2010/02/15 19:37:10
- 枯れ草や
- ゆういちろうさん、こんにちは♪
最初ぱっと表紙のお写真を拝見した時、私もゆういちろうさんと同じく昔の共産主義国にある像のような気がして、そちら方面に行ってらしたのかと思ってしまいました。旗を持っている点と言い、この像、絶対にその影響を受けていますよね。
それにしても、よくこんなに広大な炭坑跡が残されていたものですね。
ローマのコロシアムのような相撲場跡も、当時の賑わいが感じられて、夏草や〜、ではなくて、枯れ草や兵どもが夢の跡、という光景ですね。
廃墟って寂寥として何とも不思議な感じですね。
城跡などで感じる気持ちと少し似ているかも。
以前ゆういちろうさんが姫路旅行記でドラマの場面のお写真と並べて見せてくださったように、そこに住んでいた人々の姿が幻影のように浮かびそうです。
ゆういちろうさんが廃墟に惹かれるお気持ちが解るような気がします。
旅行記にされることのない忘れ去られそうな地を取り上げてくださるゆういちろうさんの視点は本当にいつも素晴らしいですね。貴重な旅行記をありがとうございました。
ほんと、何らかの形でこの廃墟が残されて行くと良いですね。
- ゆういちろうさん からの返信 2010/02/15 22:50:49
- 労働
- waterlilyさん、こんばんは!
いつも優しくお言葉を掛けて頂きありがとうございます。
ちょっと照れ臭いですけど、こちらまで優しい気持ちになれます(^o^)
産業戦士の像はやっぱり共産圏の物に思えますよね?
私もネットでこの像の存在を知った時に、軽い衝撃を受けました。
「資本主義の日本に何でこんな像が???」と思い
一目この目で見てみたいと強く思っていたんですよ。
戦時中は兵隊さんも偉かったけど
「工場や炭坑でお国の為に働く人々=労働」も重要だったのでしょう。
労働をスローガンとして掲げると、
どうしてもこの像のようなイメージになってしまうのかも知れません。
近代産業遺産は中途半端な古さなので
老朽化=危険とか、古い=汚いっていう見方をされてしまい
人知れず消えゆく運命となりがちですが
今の日本を作り上げた先人達のその努力の記録として
多少なりとも残していって欲しいものですね。
ゆういちろう
-
- まゆままさん 2010/02/01 15:28:13
- 炭坑跡
- ゆういちろうさん、こんにちは!
炭坑跡、ほんとうにどこも規模の大きな施設が廃墟となりながらも今まで撤去されずに よく残されていたものですね。
コンクリート造りの産業戦士の像もほんとにインパクトあります・・
でもどれもかつての石炭王国の繁栄をうかがい知ることができる貴重な遺産ですね。
建物の規模が大きいだけにきちんと整備して保存するというのも難しいのでしょうか〜
廃墟を訪れるベストシーズンが冬、ということですが
冬の乾いた空気と空、枯れた草木がほんとに廃墟にベストマッチで、
どの写真も廃墟の魅力にあふれてますね〜
きっと新緑の季節だと廃墟の魅力も半減?!なのですよね・・
ゆういちろうさんのロケ地巡りの旅行記見たときから気になりつつまだ見てなかったフラガールですが、
ちょうど来週テレビでやるそうなのでぜひ楽しみに見たいと思ってます。
- ゆういちろうさん からの返信 2010/02/03 21:23:51
- RE: 炭坑跡
- まゆままさん、こんばんは!いつもありがとうございます。
冬が廃墟巡りのベストシーズンなのは
もちろんその寂寥感によるものもありますが
蚊がいなかったり、草がないので近寄り易かったり
蔦などが枯れて全貌を見る事が出来たりと
実際的な面からの意味合いが大きそうです。
テレビでフラガールやるんですね〜。
かなりベタなお涙頂戴的な映画ですけど
理屈抜きに楽しめると思いますので
私の旅行記を思い出しながら、どうぞご覧になって見て下さいね〜。
きっと見たことのある風景が沢山出てきますから・・・(笑)
ゆういちろう
-
- 横浜臨海公園さん 2010/01/31 03:27:39
- 常磐炭鉱群
- ゆういちろうさま、こんばんは。
何時も訪問くださいまして誠に有難うございます。
常磐線沿線には昭和40年代前半まで炭鉱軍が存在した事は、既に忘れ風化しつつある様です。
諮らずも、ゆういちろうさまの旅行記で旧平市の好間の廃坑跡を知る機会を得て感謝です。
早速1票を投じさせて頂きました。
続編を期待しております。
横浜臨海公園
- ゆういちろうさん からの返信 2010/01/31 20:06:40
- RE: 常磐炭鉱群
- 横浜臨海公園さん、こんばんは。
こちらこそいつもありがとうございます。
常磐線はどうやら石炭を運ぶ目的もあって、
敷かれた経緯があるようですね。
そこからの引込み線がたくさんあり
今でも結構その跡が残っているんですよ〜。
本当だったら益々風化する一方だったのかも知れませんが
映画「フラガール」のヒットで炭鉱遺産が注目され
また遺産保護の追い風になり
最近では炭鉱遺産を巡るツアーもあるようです。
近代遺産はただ単に古いという理由で排除される傾向がありますが
近代日本を支えた産業の記録として、保存が必要な物もありそうですね。
ゆういちろう
- 横浜臨海公園さん からの返信 2010/01/31 20:48:44
- 拝復
- ゆういちろうさま、こんばんは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
仰せの通り、常磐線は平(現いわき)駅以南が我孫子-取手駅間を除き大正末期には全線複線化が達成されている様に、常磐地区から産出された石炭はカロリーが低いにも拘らず首都圏地区で欠かせない燃料でした。
その石炭輸送の為に常磐線は大正中期には日暮里-平間は重軌条化され石炭列車が頻発して運転されました。
現在では炭坑は全て閉山されてしまい、僅かに炭坑内部から温泉が湧出していた湯本のみ温泉で賑わっているに過ぎぬ存在となってしまい、嘗て、北海道、北九州、山口県と共に、茨城県北部から福島県浜通りにかけて我が国有数の炭坑が存在した事実が忘れ去られてしまったのは残念です。
横浜臨海公園
- ゆういちろうさん からの返信 2010/01/31 22:30:07
- ありがとうございます
- 横浜臨海公園さん、こんばんは。
いつもの事ながら本当にお詳しくて感服致します。
ところでこの度は若輩者である私めを
お気に入りリストに入れて頂き、誠にありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
ゆういちろう
-
- 潮来メジロさん 2010/01/28 12:39:47
- 遅ればせながら「本日の1枚」おめでとうございます。
- ゆういちろうさん、こんにちは! ヾ(^o^)
毎度、訪問&投票ありがとうございました。
そして、遅ればせながら1/15の「本日の1枚」おめでとうございます。
白熊さんの鼻の下にある黒い模様のあるものは何でしょうか。
人形?の顔が泣いているような面白い模様に見えますね。
前足の掌のようにも見えますが、ちょっと大き過ぎますし・・・?
本日は、「炭鉱遺産巡り・第二弾! 〜いわき編〜」を拝見しました。
> まず最初に見て頂きたいのがこれです。
> その名も『産業戦士の像』
> 今回の旅のきっかけとなったものです。
>
> 戦前の軍国主義的な遺物が残っているのって
> とても珍しいような気がします。
> そして物資が不足していた時代だからなのか
> コンクリート(?)製なのです。
これも、すごいですね。『産業戦士の像』ですか。
ゆういちろうさんもコメントしていますが、北朝鮮や中国、旧ソ連などにありそうな労働者を称える像に似ていますね。
それも、石膏ではなくコンクリート製なんですか。
よくヒビ割れしませんね。古いコンクリートの建物なんかヒビ割れしているのを見かけますが、不思議ですね。
鉄筋が入っていないと錆が発生しないから、ヒビ割れしにくいのでしょうか。
『産業戦士の像』に一票です。
では又・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- ゆういちろうさん からの返信 2010/01/28 13:39:06
- ありがとうございます
- 潮来メジロさん、こんにちは!
いつもありがとうございます。
潮来メジロさんがご質問された
ホッキョクグマの鼻の下の黒いものですが
彼の掌の肉球の事を指していらっしゃるのかな?
確かにとても大きいのですけど
ホッキョクグマは地球上最大の「肉食動物」。
この手でアザラシを叩いて殺して食べるのだそうです(怖)
だからあの大きさなんでしょうねぇ。くわばらくわばら・・・。
潮来メジロさんは鳥がお好きだと言う事ですが
旭山動物園にも少し鳥類の展示はありました。
現在フクロウ館が建設中で、今年中にオープンとの事です。
そして珍しいのかも知れませんが、カラスが展示されていました(笑)
『産業戦士の像』ですが
写真では分かり難いのですけど、やはりひび割れはしていて
コンクリートで補修された痕が何箇所もありました。
戦中の建造物ですから、やはり傷みはあるようです。
いわきにはどうやらもう一つこれに似た像があるようです。
石炭・化石館にあるそうですが、
現在リニューアル工事中で、見る事が出来ませんでした。
春頃に再開されるそうですので、是非行ってみたいと思っています。
ゆういちろう
- 潮来メジロさん からの返信 2010/01/28 16:40:37
- RE: ありがとうございます
- ゆういちろうさん、こんにちは!
早速のレス、ありがとうございます。
> 潮来メジロさんがご質問された
> ホッキョクグマの鼻の下の黒いものですが
> 彼の掌の肉球の事を指していらっしゃるのかな?
> 確かにとても大きいのですけど
> ホッキョクグマは地球上最大の「肉食動物」。
> この手でアザラシを叩いて殺して食べるのだそうです(怖)
> だからあの大きさなんでしょうねぇ。くわばらくわばら・・・。
やはり掌の肉球でしたか。似ていましたが、ちょっと大きすぎると思って・・・。
あの手で往復ビンタなんか食らったら、そりゃ〜痛いでしょうね。(^_^;
> 潮来メジロさんは鳥がお好きだと言う事ですが
> 旭山動物園にも少し鳥類の展示はありました。
> 現在フクロウ館が建設中で、今年中にオープンとの事です。
> そして珍しいのかも知れませんが、カラスが展示されていました(笑)
4年程前に、一度旭山動物園にも訪れた事があるのですが、5月というのに
夏のような暑さになり、熱さでバテテしまい、写真も撮らずに日陰で休んでいた記憶があります。
カラスが展示されているのですか・・・。何というカラスなのでしょう。
きっと、珍しいカラスなのでしょうね。
機会があれば、もう一度訪れてみたいですね。
> 『産業戦士の像』ですが
> 写真では分かり難いのですけど、やはりひび割れはしていて
> コンクリートで補修された痕が何箇所もありました。
> 戦中の建造物ですから、やはり傷みはあるようです。
そうでしたか。やはり、補修されているのですね。
> いわきにはどうやらもう一つこれに似た像があるようです。
> 石炭・化石館にあるそうですが、
> 現在リニューアル工事中で、見る事が出来ませんでした。
> 春頃に再開されるそうですので、是非行ってみたいと思っています。
いわき市というと、ハワイアンセンターしか訪れた事がありませんが、色々
あるのですね。知りませんでした。
暖かくなったら、鳥見を兼ねて訪れてみたいですね。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- ゆういちろうさん からの返信 2010/01/30 21:06:14
- カラス
- 潮来メジロさん、こんばんは。
夏の旭川動物園って涼しいのかと思っていましたが
やはり内陸なので暑いのでしょうかねぇ
それにほとんどが上り坂ですしねぇ。
旭山に展示しているカラスは、
ハシブトカラスとハシボソカラスだそうです。
その辺にフツーにいるカラスです(笑)
害獣として駆除されるところだったカラスが保護されて
ここに飼われているらしいですよ〜。
ゆういちろう
-
- 熊野古道さん 2010/01/27 20:22:54
- 炭鉱遺産巡り
- ゆういちろうさん、こんばんは。
今回のいわきにある炭鉱遺産は、規模もかなり大きなもののようですね。
またコンクリートの風化が目立つものの、そのほとんどが原形を残してこれだけ多く残っているのも珍しいのではないのでしょうか。
産業戦士の像もその一つだと思います。
私は廃墟マニアと言うわけではありませんが、戦前に国の軍需産業として奨励されていて昭和50年代に閉山した三重県の紀和町と言うところにある鉱山跡を以前訪れた時、選鉱場跡や封鎖された坑道の入り口などに往時の繁栄を想像しながら興味を持ったことがあります。
その後その鉱山の歴史などを調べたりしました。
ちなみにその鉱山関係の施設や設備などはほとんど取り壊されてしまいましたが、いわきにある鉱山施設は是非とも後世に残してほしいと思いますね。
熊野古道
- ゆういちろうさん からの返信 2010/01/31 19:58:18
- ごめんなさ〜い
- 熊野古道さん、こんばんは〜。
お返事遅くなってしまって申し訳ありません。
返答した気分でいたら、全くの勘違いでした〜。
本当にごめんなさい。
ところでいわきの炭鉱遺産ですが、
何箇所もの炭坑があったせいか
残っている遺産も多いようです。
紀和町の鉱山は調べてましたけど、歴史有る銅山だったようですね。
立派な資料館も残っているようですけど
建物がどんどんと取り壊されてしまうのは残念です。
やはり当時の建築物が残っている方が往時をしのぶ事が出来るし
色々と思いを馳せる事も出来るので、
取り壊さずに残しておいてもらいたいものです。
老朽化などで危険なのかも知れませんが
軍艦島のような事例もありますのでね。
ゆういちろう
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