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富岡八幡宮は、東京都江東区富岡にある東京都最大の八幡神社。<br />建久年間に源頼朝が勧請した富岡八幡宮 (横浜市金沢区富岡)の由緒ある直系分社である。深川八幡とも。日本一大きいお神輿と水かけ祭りが有名。相撲発祥の地。最寄り駅は東西線・大江戸線の門前仲町駅。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />富岡八幡宮については・・<br />http://www.tomiokahachimangu.or.jp/index.html<br /><br />江戸東京文化研究会については・・<br />http://www.edotokyobunkakenkyukai.jp/<br />http://www.edotokyobunkakenkyukai.jp/sasumata2008/sasu2008-1.html<br /><br />山口政五郎氏については・・<br />http://www.shitamachi.net/kao/016.htm<br />http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=R101&amp;ac2=R10104&amp;Page=hpd_view<br />http://kuma3kuma3.com/zakki/masagoro-orariya/okariya.htm#top<br />http://edomura.net/index.cgi?page=890&amp;uid=NULLGWDOCOMO<br /><br />『江戸鳶木遣』<br /> 徳川幕府によって開府された江戸の町は、新興の地であったことから土木建築に従事する鳶職人が多く、それだけ仕事の歌としての労働歌(木遣り)が、数多く歌われるようになった。中でも江戸城の修改築などの際には、祝儀の意味を込めた歌が、鳶の間で盛んに歌われるようになり、それが次第に洗練され、本来の労働歌というより祝儀の歌として発展し、上棟式をはじめ祭禮、儀式あるいは各家庭での祝儀などで、その町内の頭の音頭によって鳶職人たちが木遣りを歌うようになった。この木遣りを「江戸鳶木遣」と呼んでいる。<br /> 鳶職人たちは本来の土木建築の仕事のほかに、享保三年(1718)に組織された町火消の中心的存在ともなって、木遣りを歌い続けていった。江戸鳶木遣りは、次第に鳶の歌として定着していき、歌の内容も多岐に亘り、江戸庶民の文化を反映していることから、江戸文化の「粋」ともいわれ、粋でいなせな木遣りは江戸っ子の憧れの的となった。江戸鳶木遣も初めは「力の木遣り」であったが、江戸文化が燗熟してくるとともに、鳶の中には芸達者な者がいて、木遣りに俗謡を織り交ぜて、音頭歌として盛んに歌われるようになった。<br /> 木遣りは鳶が伝承の中心となり、建前、祭禮、婚礼、出初式などの儀式の歌として、いわば「聞かせるための木遣り」として歌われるようになった。木遣りを歌う場合は、音頭を出す木遣師と、受け声をする木遣師がいる。また木遣師は、兄木遣と弟木遣に分かれ、交互に歌を出して歌い、さらに木遣りにお囃子をかぶせることもある。このような伝統ある木遣りは、今日では町火消の流れを汲む団体として創設された「社団法人江戸消防記念会」の会員によって、纏や梯子乗りと共に受け継がれ歌われている。<br /> 「江戸鳶木遣」は江戸の庶民が残した貴重な文化財として、東京都の無形文化財に指定されている。(http://www.yoko2mutsumi.com/edo_hikeshi/edo_hikeshi_kiyari.htmlより引用)<br />

富岡八幡宮-3 江戸鳶の木遣りを奉納 ☆宮頭の下町気質にも触れ

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2010/01/07 - 2010/01/07

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マキタン2

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富岡八幡宮は、東京都江東区富岡にある東京都最大の八幡神社。
建久年間に源頼朝が勧請した富岡八幡宮 (横浜市金沢区富岡)の由緒ある直系分社である。深川八幡とも。日本一大きいお神輿と水かけ祭りが有名。相撲発祥の地。最寄り駅は東西線・大江戸線の門前仲町駅。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

富岡八幡宮については・・
http://www.tomiokahachimangu.or.jp/index.html

江戸東京文化研究会については・・
http://www.edotokyobunkakenkyukai.jp/
http://www.edotokyobunkakenkyukai.jp/sasumata2008/sasu2008-1.html

山口政五郎氏については・・
http://www.shitamachi.net/kao/016.htm
http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=R101&ac2=R10104&Page=hpd_view
http://kuma3kuma3.com/zakki/masagoro-orariya/okariya.htm#top
http://edomura.net/index.cgi?page=890&uid=NULLGWDOCOMO

『江戸鳶木遣』
 徳川幕府によって開府された江戸の町は、新興の地であったことから土木建築に従事する鳶職人が多く、それだけ仕事の歌としての労働歌(木遣り)が、数多く歌われるようになった。中でも江戸城の修改築などの際には、祝儀の意味を込めた歌が、鳶の間で盛んに歌われるようになり、それが次第に洗練され、本来の労働歌というより祝儀の歌として発展し、上棟式をはじめ祭禮、儀式あるいは各家庭での祝儀などで、その町内の頭の音頭によって鳶職人たちが木遣りを歌うようになった。この木遣りを「江戸鳶木遣」と呼んでいる。
 鳶職人たちは本来の土木建築の仕事のほかに、享保三年(1718)に組織された町火消の中心的存在ともなって、木遣りを歌い続けていった。江戸鳶木遣りは、次第に鳶の歌として定着していき、歌の内容も多岐に亘り、江戸庶民の文化を反映していることから、江戸文化の「粋」ともいわれ、粋でいなせな木遣りは江戸っ子の憧れの的となった。江戸鳶木遣も初めは「力の木遣り」であったが、江戸文化が燗熟してくるとともに、鳶の中には芸達者な者がいて、木遣りに俗謡を織り交ぜて、音頭歌として盛んに歌われるようになった。
 木遣りは鳶が伝承の中心となり、建前、祭禮、婚礼、出初式などの儀式の歌として、いわば「聞かせるための木遣り」として歌われるようになった。木遣りを歌う場合は、音頭を出す木遣師と、受け声をする木遣師がいる。また木遣師は、兄木遣と弟木遣に分かれ、交互に歌を出して歌い、さらに木遣りにお囃子をかぶせることもある。このような伝統ある木遣りは、今日では町火消の流れを汲む団体として創設された「社団法人江戸消防記念会」の会員によって、纏や梯子乗りと共に受け継がれ歌われている。
 「江戸鳶木遣」は江戸の庶民が残した貴重な文化財として、東京都の無形文化財に指定されている。(http://www.yoko2mutsumi.com/edo_hikeshi/edo_hikeshi_kiyari.htmlより引用)

同行者
一人旅
交通手段
私鉄
  • 本殿前

    本殿前

  • 宮頭の木遣り

    宮頭の木遣り

  • 山口政五郎氏の講話を拝聴

    山口政五郎氏の講話を拝聴

  • 講演<br /><br />http://kuma3kuma3.com/video/masagoro-kouenkai/kouenkai.htm

    講演

    http://kuma3kuma3.com/video/masagoro-kouenkai/kouenkai.htm

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