2009/10/24 - 2009/10/24
1204位(同エリア5995件中)
みにくまさん
小学校の修学旅行で来て以来、○十年ぶりに東大寺に来ました。
東大寺というと、奈良の大仏でおなじみの大仏殿と、正倉院が有名ですが、決してそれだけではないはず。
今回は修学旅行では行かなかったところにも行ってきました。
◎ 東大寺(とうだいじ)
東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院で、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。
-
東大寺境内案内図
小学校の修学旅行では、恐らく南大門から大仏殿にダイレクトで行くコースをとったと思います。
今回はもっとしっかりと見ておきたいと思い、まずは西の戒壇堂、次に北の正倉院へ行き、そこから東に向かって二月堂・法華堂を見て、最後に大仏殿へ行こうと思っています。 -
戒壇堂
とりあえず、大仏殿の大きな建物には目もくれず、戒壇堂の方へ歩いてきました。 -
戒壇堂
-
戒壇堂
戒壇堂の土塀の向こう側に見える大仏殿。
ここからだと、かなり距離がありそうなのに。 -
戒壇堂 県指定重要文化財
入堂料 500円
拝観時間 11〜2月 8:00〜16:30
3月 8:00〜17:00
4〜9月 7:30〜17:30
10月 7:30〜17:00
-
戒壇堂
天平勝宝6年(754年)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真(がんじん)から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立した。
戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていたが、江戸時代までに3度火災で焼失、戒壇堂と千手堂だけが復興された。
現在の建物は享保18年(1733年)の再建。
内部には中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説に基づく宝塔があり、その周囲を四天王像が守っている。 -
戒壇堂
堂前の庭。 -
戒壇堂
お堂内には国宝の”塑造四天王立像”があり拝観することができます。
◎ 塑造四天王立像(国宝)
法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の最高傑作の1つで、国中連公麻呂の作。
怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。
記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったようで、現在の四天王像は後世に他の堂から移したものであると考えられている。 -
何かの実
境内を歩いていて見つけました。
何の実でしょ? -
正倉院へ
「 正倉院「正倉」外構の一般公開は
公開日時 10月23日〜11月12日まで・・ 」
えっ!? 正倉院って、常時公開じゃないの?
この日は10月24日なので、ギリギリセーフでしたが、もし知らずに期間外に来たら、見られなかったってことかな。 -
大仏殿
歩いている途中にも、大仏殿が見えるのでついつい撮影してしまいます。
右側の木が赤く染まっていますね。
紅葉というにはまだ早いですが、そろそろ木々が色づき始めるころです。 -
正倉院「正倉」 国宝
正倉院「正倉」は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設です。 -
正倉院「正倉」 国宝
◎ 正倉院正倉の国宝指定について。
そもそも、正倉院正倉などの宮内庁が管理する皇室用財産というのは、十分な管理が行われているということで、文化財保護法による国宝・重要文化財等には一切指定されません。
例外的にこの正倉院正倉が国宝の指定を受けたのは、ユネスコの世界遺産登録と関係があります。
つまり、ユネスコの世界遺産登録の条件というのが、
”当該文化財が所在国の法律によって保護の対象になっていること”
なのです。
そのため、1997年5月19日、正倉院正倉として、文化財保護法による国宝に指定されました。
(尚、国宝指定を受けたのは建物だけで、宝物類は指定されておりません。)
その後、1998年12月2日、ユネスコの世界遺産に登録されました。 -
正倉院「正倉」 国宝
◎ 文化財の一大宝庫
正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書(もんじょ)、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。
シルクロードの東の終点ともいわれる。 -
正倉院「正倉」 国宝
◎ 正倉院展
毎年秋の約2週間、奈良国立博物館で正倉院展が開催されます。
品目は毎年変更され、70点が公開されます。
しかし、宮内庁が整理済みの宝物だけで、9000点に上るといわれているため、代表的な宝物を見ようとしたら、複数年の見学が必要となります。 -
正倉院「正倉」 国宝
◎ 構造
校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。
正面 約33.1m
奥行 約9.3m
床下の柱の高さ 約2.5m
正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)の3つに区分されている。
床下には10列×4列の柱を建て、その上に台輪(だいわ)と呼ぶ水平材を置く。この上に北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20段重ねて壁体をつくり、”校倉造”とする。ただし、中倉のみは校倉造ではなく、柱と柱の間に厚板を落とし込んだ「板倉」で、構造が異なる。 -
正倉院「正倉」 国宝
◎ 校倉造
校倉の利点として、湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して材と材の間に隙間ができて風を通すので、倉庫内の環境を一定に保ち、物の保存に役立ったという説があった。
(私が教科書で習ったのは↑の説)
しかし、実際には、重い屋根の荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、この説は現在は否定されている。 -
奈良といえば鹿
雄の鹿は角を切られるのかと思いましたが、写真の子は堂々たる角を生やしていました。
この群れのボスなのかな。 -
奈良といえば鹿
奈良公園の鹿は現在約1200頭。誰かが飼っているわけではなく、全て野生の鹿です。
しかし、これだけ人になついている野生の鹿は他にないことから、国の天然記念物に指定されています。
鹿の一日は泊場、休場、えさ場を30〜100頭ほどのグループをつくって巡廻しています。
行動範囲は3〜4kmです。このグループは発情期以外、おす、めすが行動を共にすることはありません。
エサを食べるときは草原でも寝るときは森林の中を選びます。
おもに東大寺や浮御堂、春日大社周辺や飛火野若草山の林の中で寝ています。 -
長池
正倉院から、大仏殿の北側をぐるっと回って、大仏殿北東の長池に来ました。
ここから大仏殿に向かう人も多いですが、私たちはさらに東に行き、二月堂・法華堂に向かいます。 -
二月堂裏参道
-
二月堂裏参道
正面に見えるのが国宝の二月堂です。
この辺りから二月堂の絵を描いている方が何人かいらっしゃいました。 -
二月堂裏参道
みにくま君の記念撮影。 -
二月堂裏参道
土塀。
歴史を感じます。 -
二月堂からの帰り道
うろうろしていた鹿君が、ちょうどいい感じで通りかかったところで撮影。 -
鹿と一緒に
みにくま君も一緒に撮ろうと思ったのですが、これがなかなか難しい。 -
閼伽井屋(あかいや) 重要文化財
鎌倉時代初期の建物。
この閼伽井屋は、修二会に際し毎年3月12日(13日午前1時過ぎ)に、この屋内にある井戸より本尊十一面観世音菩薩にお供えする御香水(閼伽水)を汲む儀式を行うところです。
天平勝宝4年(752年)、実忠和尚が二月堂で初めて修二会を行い精神を勧請した際、若狭国の遠敷明神が献じたものであるところから、「若狭井」とも呼ばれています。 -
閼伽井屋(あかいや) 重要文化財
屋根の上には鶴?の瓦。 -
法華堂(三月堂) 国宝
東大寺に残る数少ない奈良時代建築の1つであり、天平仏の宝庫として知られる。
創建当時は羂索堂(けんさくどう)と呼ばれ、東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の堂として建てられたもので、創建時期は天平12年(740年)から同20年(748年)頃と推定されている。
建物の北側(参道側から見て向かって左側)の、仏像が安置されている寄棟造の部分を正堂(しょうどう)、南側の入母屋造部分を礼堂(らいどう)と呼ぶ。
正堂は奈良時代の建築、礼堂は奈良時代にも存在したが、現在あるものは鎌倉時代の正治元年(1199年)頃(異説もある)に付加したものである。 -
法華堂(三月堂) 国宝
-
法華堂(三月堂) 国宝
この方向から見た時、向かって左の部分を正堂、右を礼堂と言います。
2つの建物がくっついた感じで面白い。 -
法華堂(三月堂) 国宝
-
法華堂(三月堂) 国宝
-
二月堂 国宝
奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。
奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。 -
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
手水舎 -
二月堂 国宝
建物は東大寺大仏殿東方の丘陵地、東が高く西が低い傾斜地に、西を正面として建てられている。
平面規模は正面7間、奥行10間で、寄棟造、妻入り、本瓦葺き。
建物は傾斜地に前半部分がせり出すように建てられ、床下に組んだ柱で建物を支える懸造(かけづくり)である。
こうした懸造は清水寺、石山寺、長谷寺などの観音を本尊とする寺の本堂にみられ、観音が南海の補陀洛山に住むという経典の所説に基づくものである。 -
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
手水舎
龍は水の神。
昔の建物にとって、最大の敵は火です。
水の守り神によって、災害から守ってもらおうということで、龍の彫刻や絵が置かれています。 -
二月堂 国宝
ここからも、大仏殿の屋根を少しだけ見ることができます。 -
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝 登廊
堂の手前左右に階段があり、堂への通路となっていますが、北側の階段には屋根付きの「登廊」が設けられています。 -
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
-
二月堂 国宝
二月堂と登廊の間で記念撮影。
ずっと先には大仏殿の屋根が映っています。 -
二月堂 国宝 登廊
-
二月堂 国宝
ここの角度から見ると、清水寺の舞台とよく似ているのが分かります。 -
鐘楼 国宝
鎌倉時代、13世紀初頭の建築。
吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの。
高さ 385cm
直径 271cm -
鐘楼 国宝
-
鐘楼 国宝
-
金堂(大仏殿)
大仏殿の東側、鐘楼のある場所は少し高いところにあるので、大仏殿を目の高さに見ることが出来ます。
ここから階段を下りて行き、大仏殿の方に向かいます。 -
大仏殿回廊
大仏殿をコの字型に囲むように建つ回廊。
ぐるっと周って正面の方に向かいます。 -
大仏殿回廊
-
大仏殿回廊
-
中門 重要文化財
金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)頃の再建。
中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。 -
中門 重要文化財
門の近くまで行くと、すき間から大仏殿が見えます。
せっかくなので、みにくま君の記念撮影。 -
中門 重要文化財
-
中門 重要文化財
-
金堂(大仏殿) 国宝
◎ 金堂(大仏殿)
当初の大仏及び大仏殿は、聖武天皇の発願により、8世紀に造られたものであったが、その後2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は宝永6年(1709年)の再建。
大仏は台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作である。 -
金堂(大仏殿) 国宝
現存の大仏殿は寄棟造、本瓦葺き。
一見2階建てに見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、正面5間、側面5間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階を回している。
高さ 46.8m
間口 57.0m
奥行 50.5m
高さと奥行きは創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は約3分の2に縮小されている。
建築様式は、鎌倉時代に宋の建築様式を取り入れて成立した「大仏様」(だいぶつよう)が基本になっており、水平方向に貫(ぬき)を多用するのが特色である。
江戸時代にはすでに巨材の調達が困難であったため、柱は芯材の周囲に桶状に別材を巻きつけた集成材が用いられている。 -
金堂(大仏殿) 国宝
◎ ”世界最大の木造建築物”は間違い
しばしば「世界最大の木造建築物」として言及されるが、20世紀以降に近代的工法で建てられた木造建築には、大仏殿を上回る規模のものが存在する(秋田県の大館樹海ドームなど)。
よって、”世界最大級の木造建築物”とするのが正しく、日本各地に自称”世界最大(級)の木造建築物”が存在する。 -
金堂(大仏殿) 国宝
◎ 歴史
752年(天平勝宝4年) 大仏開眼会。
758年(天平宝字2年) 大仏殿竣工。
1181年(治承4年) 1月15日、平重衡などの南都焼討によって焼失。
1185年(文治元年) 俊乗房重源(ちょうげん)の尽力により再建。後白河法皇らの列席のもと、大仏開眼法要が行われる。
1190年(建久元年) 再建大仏殿が完成。落慶法要には源頼朝なども列席した。
1567年(永禄10年) 11月10日から11月11日にかけて、東大寺大仏殿の戦いによって焼失。
1691年(元禄4年) 公慶上人の尽力や、徳川綱吉などの寄進により、現存する大仏殿が完成。
1709年(宝永6年) 落慶。
1952年(昭和27年) 国宝に指定。 -
金堂(大仏殿) 国宝
◎ かつて存在した堂宇
・講堂
大仏殿の北にあった。今は礎石だけが残っている。
天平勝宝8年(756年)頃に完成し、千手観音を本尊としていたが、延喜17年(917年)に焼失。再建された堂も治承4年(1180年)の兵火で焼失。その後復興されたが、永正5年(1508年)の焼失後は再建されなかった。
・東塔
東塔跡・西塔跡ともに土壇が残るのみで、礎石は持ち去られて残っていない。
「東大寺要録」には天平勝宝5年(753年)完成とあるが、天平宝字8年(764年)に塔の露盤を上げたとの記録もあり、この頃の完成とみられる。
塔は治承4年(1180年)の兵火で焼失。その後復興され、安貞元年(1227年)に完成するが、康安2年(1362年)に落雷で再び焼け、以後は再建されなかった。なお、大阪の藤田美術館の庭に東大寺東塔の心礎と伝えられる礎石があるが東塔のものであるという確証はない。
・西塔
「東大寺要録」には天平勝宝5年(753年)閏3月完成とあるが、閏3月があったのは前年の天平勝宝4年(752年)であり、実際は東塔と同じ頃の完成とみられる。
塔は承平4年(934年)に焼失。その後復興が計画されるが、工事途上の長保2年(1000年)再び焼失、以後は再建されなかった。
(東塔・西塔ともに七重塔で、高さは「東大寺要録」には23丈強、「朝野群載」には33丈強とあり、後者の説をとれば、相輪を含めた総高は約100メートルとなる。) -
金堂(大仏殿) 国宝
-
金堂(大仏殿) 国宝
-
金堂(大仏殿) 国宝
さすがに修学旅行の定番。学生さんがたくさん拝観に来ていました。
私も○十年前に修学旅行で来たはずなのですが、あまり記憶にありません・・。 -
金堂(大仏殿) 国宝
正面から見ても、すごい迫力。
なんだか圧倒されます。 -
金堂(大仏殿) 国宝
記念撮影。 -
金銅八角燈籠 国宝
大仏殿の正面に立つ燈籠。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。
火袋には楽器を奏する菩薩の浮き彫りがある。 -
金銅八角燈籠 国宝
この燈籠が国宝だということは、当初知らなかったのですが、余りにも立派で装飾が綺麗なので、写真に撮っておきましたが、正解でした。
こんなところに雨ざらしになっている国宝というのも珍しいのではないでしょうか。 -
金堂(大仏殿) 国宝
大仏殿の近くまで来て、見上げてみると・・・
すっごい迫力。
入口の扉とかも、かなり大きいんですねー。
人が小さく見えます。 -
金堂(大仏殿) 国宝
後ろも振り返ってみよう。 -
東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏) 国宝
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、東大寺大仏殿(金堂)の本尊である。
聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ:魂入れの儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部など、ごく一部が残るにすぎない。
(以降、東大寺盧舎那仏坐像を”大仏”と表記する) -
東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏) 国宝
一つ前の大仏の写真を見ていただきたい。
何度も撮影に挑戦し、いろいろと工夫した結果、何とか見えるかなと思い掲載した1枚です。
国宝建築物の中にある国宝の仏像としては、異例とも言える撮影自由、しかもフラッシュ撮影も可能という寛容さ。
しかし、だからと言って簡単に綺麗な写真が撮れるほど、大仏様は甘くない。
まず、デジカメのフラッシュ撮影程度では、大仏まで光が届かない。なので、フラッシュの意味がほとんど無い。
そして一番やっかいなのは、屋内ということでとても暗く、シャッタースピードが遅くなってしまい、ブレブレになってしまうこと。
何度も何度も挑戦して、設定もいろいろ変えてみたものの、普通の撮影方法では、上の写真が限界だったのです。
ところが、ほんの少しだけ工夫をしたところ、←のような写真を撮ることができました。
本当にちょっとした工夫です。
写真を拡大していただいても構いません、一切ブレていないのが確認できます。
こういった状況で、ここまで鮮明な写真を撮るのが、どれほど難しいことなのか、経験のある方なら分かるかと思います。 -
東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏) 国宝
-
東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏) 国宝
コツさえ掴めば、いくらでも撮影できます。
ただ、簡単に撮れるわけではなく、何枚か挑戦した中の1枚ではあります。 -
東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏) 国宝
真横から。
これはちょっとブレてます。 -
虚空蔵菩薩坐像 重要文化財
宝暦2年(1752年)の完成。
大仏の左に脇侍として安置される。
こちらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。
京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。 -
虚空蔵菩薩坐像 重要文化財
↑の写真、皆さんが説明を聞きながら撮影をされていますが、あの場所からでは、鮮明な写真を撮ることができません。
撮影できる場所がある程度限られるのですが、しっかりポイントさえ押さえれば、←このような鮮明な写真を撮ることができます。
もちろん、先ほどから三脚は使っていません。
三脚が使用可能なら、何の苦労もないですけどね。
真っ暗な中、三脚を使わず、フラッシュも焚かず、どれだけ綺麗な写真を撮れるかを工夫し挑戦するのが楽しいのだ。 -
広目天像
江戸時代復興期の像。
金堂(大仏殿)の北西隅に安置されている。 -
堂内展示物
鬼瓦でしょうか。
この他にも、堂内には様々なものが展示されており、覚えている限りでは”東大寺旧伽藍模型”・”持国天、増長天(未完成)の頭部”がありました。 -
多聞天像
江戸時代復興期の像。
金堂(大仏殿)の東北隅に安置されている。 -
木造如意輪観音坐像 重要文化財
文久3年(1738年)頃の完成。
虚空蔵菩薩坐像と同じく、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門により、30数年をかけて制作された。 -
木造如意輪観音坐像 重要文化財
これも綺麗に撮影できました。 -
賓頭盧(びんづる)尊者
江戸時代 木造
仏弟子で、如来・菩薩以前の修行過程にある十六羅漢のうち、第一の聖者である。
説法に優れ「獅子吼第一」と呼ばれたが、釈迦にとがめられたほどの神通力の持ち主でもあったという。
彼には種々の伝説があり、中国ではそれをもとに聖僧として食堂に彼の像が安置された。
日本ではその像を伽藍の前に安置し、病人が患っている個所と同じ部分を撫でると治るという信仰がある。 -
金堂(大仏殿)・金銅八角燈籠
-
金堂(大仏殿) 国宝
この池の名前、”鏡池”というのを知った瞬間、ここから眺めるためにあるんだろうなと直感。
確か金閣寺の前の池も、鏡池みたいな名前だったような。 -
金堂(大仏殿) 国宝
恒例の記念撮影。 -
南大門 国宝
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。
東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。
門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。 -
木造金剛力士立像(阿形) 国宝
高さ8.4メートルの巨大な木像。
門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。
1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。
それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。
これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通説とは若干異なっているが、いずれにしても、運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないであろう。 -
南大門 国宝
我が国最大の山門。
大円柱 21m (18本)
門の高さ 25.46m -
南大門 国宝
南大門の高さ約15mにある第一層の屋根に「大華厳寺」の文字が書かれた扁額が掲げられたのは、つい最近のことのようです。
源平の合戦で荒廃した同寺の復興に尽力した高僧・重源(1121〜1206)の没後800年を記念した法要「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせたもので、額は横4.5m、縦1.65mの総ヒノキで、重さは約500キロ。
鎌倉時代の僧・凝然が書いた仏教書「三国仏法伝通縁起」によると、かつて南大門には「大華厳寺」と書かれた額があったとされ、法要に合わせてこれを復元したものである。文字は聖武天皇の写経から集字したもののようで、写経らしい端正なものである。 -
南大門 国宝
-
奈良の鹿 天然記念物
ここの鹿は本当に人懐こいです。
鹿せんべいを持っている人は、匂いか何かでわかるのでしょうか、凄い勢いで襲ってきます(^_^;) -
奈良の鹿 天然記念物
-
世界遺産 古都奈良の文化財
東 大 寺
かなりの時間粘った結果、やっとのことで石碑と鹿を一緒に撮ることができました。
ここで記念撮影をされる観光客の方も多いので、なかなかタイミングが難しかったです。 -
南大門 国宝
本来の観光ルートとは逆になってしまいましたが、これで東大寺の旅行記は終わりです。 -
東大寺
◎ おしまい
流石に奈良の都、東大寺だけでも国宝・重要文化財建築物がけっこうたくさんあります。
今回は事前勉強をしていかなかったので、いくつか見逃してしまいました。
次回に行く時の参考のために、メモを残しておきます。
・本坊経庫 国宝
・念仏堂 重要文化財
・開山堂 国宝
・大湯屋 重要文化財
・転害門 国宝
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (6)
-
- kuritchiさん 2010/01/18 14:30:59
- 力作、感嘆いたしました
- みにくまさん、こんにちは
奈良の東大寺と二月堂、私の中でムッチャポイント高い、
お気に入りのお寺の一つです(実はお寺大好きおばさんです…)
特に二月堂は何度行ってもいいですね〜
一気に拝見させて頂きました。
いつもながら、丁寧な解説付き感嘆致しております。
東大寺の仏像、三脚無しのフラッシュなしの撮影ながら
きれいに撮られていらっしゃいましたね
天井の繊細さもしっかり写っていてきれいですね
鹿さんを入れてのショット、粘られたのでしょうね〜
大力作、ご苦労さまでした…
- みにくまさん からの返信 2010/01/18 15:16:11
- RE: 力作、感嘆いたしました
kuritchiさん、こんにちは〜。
頑張りすぎて、写真枚数100枚にもなってしまい、とても重かったと思うのですが、最後まで見ていただき、ありがとうございます。
私もお寺などの古い建築物が好きで、そういった建物の宝庫である京都・奈良あたりを、暇を見つけて散策しています。
東大寺って、大仏殿があまりにも有名ですが、その他にもいろいろ見所が多いですよね。
今回はけっこう時間をかけて見てきたつもりだったのですが、それでも何箇所か見落としがあったりで、また行かなければと思っています。
大仏殿、お堂内の写真は、ちょっと自慢の一枚なんです(*^_^*)
鹿の写真もそうですけど、良い写真を撮るには、粘りが大切ですよねw
では〜(^O^)/
-
- churros さん 2010/01/09 11:53:04
- 今年は
- みにくまさま、こんにちは。
昨日従業員を連れて「つるとんたん」で新年の昼食会をしてきました(安上げ)、クリーム御膳が出てきまして美味しさを再確認、お勘定の時に4トラでの評価を知っているか?と尋ねたところ知らないようでしたのでシッカリ「みにくま」さまの名前を伝えておきました。
たらよろさんの旅行記を拝見して羨ましかったです、お会いしたかったで〜す、たらよろさんも大阪までいらっしゃったんですねいいな〜来年はお誘いくださいね、通風が治っておれば。
churros ひらた
- みにくまさん からの返信 2010/01/09 13:03:01
- RE: 今年は
churros ひらたさん、こんにちは〜。
私はつるとんたんの、4T宣伝部長ですからね〜(^_^;)
良いことも悪いこともいろいろ書いてありますので、従業員の方が見てくれて、サービスの改善になればいいですね。
今年の忘年会には churros ひらたさんも参加されますかー(*^_^*)
JOECOOLさんが毎年主催されていますので、年末近くなったら話しておきますよ〜。
では〜(^O^)/
-
- mayuchanさん 2010/01/08 19:01:50
- あら!?
- みにくまさん
こんばんは〜♪
小学校の修学旅行で〜のフレーズが気になり
旅行記を拝見しました!
実は私も、小学校の修学旅行は奈良・京都のコース
だったので同じです!!
ちなみに私は兵庫ですが・・・
同じ兵庫でも、阪神間は広島!
って、主人は言ってました。
改めて行くと、新鮮ですよね☆
ではまた〜♪
mayuchan
- みにくまさん からの返信 2010/01/08 22:02:40
- RE: あら!?
mayuchanさん、こんばんは〜。
私の田舎は岐阜のほうですが、ここからだと小学校の修学旅行の定番が京都・奈良でした。
中学になると、東京・千葉あたり、高校は広島方面だったかな。
今回行ったのはずいぶん久しぶりで、もう記憶がほとんど消滅しかかっていたので、改めて行って見るとやっぱり新鮮ですね。
当時はただ大仏様を見に行っただけだったのですが、今回はそれ以外の建物もじっくり見られて良かったです。
では〜(^O^)/
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
奈良市(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
6
100