2009/12/23 - 2009/12/23
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みにくまさん
今回の旅行では、三十三間堂周辺の攻略をしようということで、豊国神社にやってきました。
ここでは、国宝の唐門を見るのを楽しみにしていたのですが、残念ながら修復工事中でした。
◎ 豊国神社
豊国神社は、京都市東山区大和大路正面茶屋街、旧方広寺大仏殿遺跡地にあります。
京都の人々からは「ほうこくさん」の名前で親しまれていますが、正式な名称は「とよくにじんじゃ」であり、御祭神は太閤記で今も広く知られている、前(さきの)関白太政大臣贈正一位豊臣秀吉公です。
尚、主祭神が大名として統治した地である大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市、石川県金沢市の他、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る同名の神社があります。
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大仏殿石垣
豊国神社の建っている周囲に巡らされた石垣は、大仏殿石垣と名付けられていますが、この大仏殿というのは方広寺大仏殿のことです。
石垣をぱっと見た時に、その大きさや形状が大坂城に似ていると思い、タダものではないと思い調べてみました。 -
大仏殿石垣
方広寺大仏殿の造営は、天正14年(1586年)、関白の座についたばかりの秀吉によって始められました。この時聚楽第をも同時に造営を開始した秀吉の力は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのでしょう。
この大仏殿の土台となる石垣を、秀吉は諸大名に命じて天下普請により築かせました。
後世の盗難や散失を心配した秀吉は、小さい石を良しとせず、諸大名に命じて各地から巨石中の巨石を集めさせ石垣を築きました。石垣の巨石の中には大名の家紋が刻印されているものもあります。
この石垣の中でも特に大きいといわれる石は蒲生氏郷と前田利長が運んだ石の2つだと言われています。 -
大仏殿石垣
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鳥居
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豊国神社
◎ 歴史
豊臣秀吉の死去の翌年の1599年(慶長4年)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。
後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。
その社殿は「豊国社(とよくにのやしろ)」と呼ばれ、境域は約30万坪(約100万?)にのぼり、現在神社の宝物館に蔵する重要文化財「豊国祭礼図屏風」によっても当時の規模、祭事の盛大さが容易に想像できる。
しかし、1615年(元和元年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は朽ちるままにされ、神体は新日吉神社にひそかに移し祀られた。
1868年(明治元年)、明治天皇が大阪に行幸したとき、豊臣秀吉を、天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。
1873年(明治6年)、別格官幣社に列格。
1880年(明治13年)、方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、遷座が行われた。 -
豊国大明神
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境内
ぱっと足を踏み入れた境内に見えたのは、この光景。
あれっ!
ガーーーーーーン・・・。
唐門が、修復工事中だわ(+_+)
工事期間などは、調べてみたのですが分かりませんでした。 -
手水
五七の桐門が描かれており、豊臣家の遺品だということが分かります。 -
唐門 国宝
◎ 国宝三唐門
西本願寺 http://4travel.jp/traveler/minikuma/pict/14405427/src.html
大徳寺 (撮影不能でした)
⇒豊国神社 -
唐門 国宝
神社正面石鳥居をくぐり、参道を進むと眼前に厳然と威容を誇る大唐門が聳え立ちます(工事中で見えませんでしたが・・・)。
伏見城の遺構と伝えられ、国宝に指定されています。 -
唐門 国宝
総欅(けやき)造りで、創建当時は彫刻等に金箔が施してあったと伝えられ、その形式や彫刻などいずれも従来の規格にとらわれず自由奔放な手法を示し、豪華な気風を表現した桃山建築の中でも代表的なものに数えられています。 -
唐門 国宝
唐門正面に高く掲げてある「豊国大明神」の御神号額は、後陽成天皇の御宸筆によるもので、旧豊国社伝来の勅額です。 -
唐門 国宝
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唐門 国宝
舞台や映画で秀吉公を演じることになった方々は、事前にご参拝になられ、その成功を祈願されます。
歌舞伎役者 中村勘九朗さん
俳優 柳葉敏郎さん -
拝殿 本殿
唐門の中から撮影。
これ以上向こう側へは、進入できなくなっていました。 -
豊太閤遺宝展 宝物館
拝観料 300円 -
豊太閤遺宝展 宝物館
せっかくなので、受付で拝観料を払い、宝物館に行ってみました。 -
豊太閤遺宝展 宝物館
入り口のところは最初から開いていました。
中に係員がいるわけでもなく、自由に見学&撮影ができました。 -
与二郎鉄灯篭 重要文化財
慶長5年(1600年)、”天下一”与二次郎実久作。
秀吉の3回忌にあたる慶長5年(1600年)8月18日に豊国社に奉納されました。
与二郎は、京都三条釜座の鋳物師で、利休好みの阿弥陀堂釜の作者として知られています。
天下一は、釜大工としての称号か? -
千成瓢箪
秀吉の出世瓢箪として有名な千成瓢箪、しかし実際にはこのような馬印を使ったという記録は無く、後世の創作であることが分かっています。 -
豊太閤遺宝展 宝物館
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豊太閤遺宝展 宝物館
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豊太閤遺宝展 宝物館
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豊国祭礼図屏風 重要文化財
狩野内膳筆、桃山時代
秀吉7回忌の慶長9年(1604年)8月に行われた豊国大明神臨時祭礼の様子を描いた屏風。
右隻には豊国社を背景に、騎馬の行列、猿楽四座の演能、田楽など8月14日の行事が、また左隻には方広寺大仏殿門前で15日、上京・下京の各町組から繰り出した人々が、華麗な衣装や趣向を凝らした仮装で踊り狂う大群衆が描かれています。
慶長11年8月に豊臣秀頼が奉納した臨時祭絵屏風に相当するとされているが、豊国神社には明治16年(1883年)に華族吉田良義氏から寄付されました。
◎ おしまい
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