2009/11/29 - 2009/11/29
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tsunetaさん
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11月29日、午前9時に宿を発ち、ホテルのマイクロバスで都府楼跡に向かった。西鉄二日市駅でT君と別れて総勢12名になり、午前9時半より約1時間半、都府楼跡~戒壇院~観世音寺迄の散策を楽しんだ。
ここでは戒壇院迄をまとめた。
天気はすっきりしないが雨は降りそうにない曇天であつた。
都府楼跡について・・・説明文による
古くから都府楼の名で知られてきたこの地域は、日本書紀によれば、天智二年(663年)唐・新羅の連合軍と白村江において百済と共に戦って大敗した我が国が、大陸からの侵攻に備え、博多の那ノ津(当時は官家と呼ばれ、現在の福岡市大橋附近と想定されている所)にあった大宰の府(九州一円の統治の拠点であると共に、対外交渉を掌る役所)を移したところである。
大宰府をこの地に置くと同時に、百済からの亡命者の指導により北面の四王寺山に大野城、南面の基山に基肄城(きいじょう)を、平野部には水城を築いて大宰府を防衛した。
*写真は都府楼跡・・・後方の山は四王寺山
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都府楼跡
遠くに見える山は四王寺山、山の右端に大野城跡が見られる。 -
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大野城跡が見られる
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四王寺山
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都府楼跡は広々としていた
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古都太宰府保存への道
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太宰府政庁南門跡の説明
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都府楼跡の左側には紅葉が見られる
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太宰府政庁正殿跡の説明
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都府楼跡で記念撮影
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都府楼跡にて
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都府楼跡にて
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宝満山が望まれる
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都府楼跡にて
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都府楼跡にて
素晴らしい紅葉が見られる。 遠くに宝満山が見られる。 -
都府楼跡より戒壇院へ移動する
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学校院跡の説明
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戒壇院・・・説明文による
聖武天皇の勅願によって観世音寺に置かれた戒壇院は、僧尼として守るべき戒律を授ける所であった。
奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺と並んで日本三戒壇といわれた。
西日本で仏門に入る人はここで戒(かい)をうけて僧尼になった。 -
戒壇院の山門
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ここ西戒壇は下野(しもつけ)薬師寺の東戒壇と同年に創設され、九州の僧尼たちの登壇受戒の道場として敬承されてきた。
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戒壇院本堂
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本堂にある本尊木造盧遮那仏(国重要文化財)座像は平安時代後期の作。
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菩提樹
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戒壇院より観世音寺への出口に美しい紅葉が見られた
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その出口で記念撮影
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