2009/11/02 - 2009/11/02
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みにくまさん
韓国ソウルにある宮殿のうち、世界遺産の「昌徳宮」と「徳寿宮」はもう攻略したので、次は「景福宮(キョンボックン)」に行こうと思います。
ここでは「王宮守門将交代儀式」を定期的に行っていますが、私たちは前日に徳寿宮で見てしまったので、ここでの儀式は見ませんでした。
《徳寿宮》王宮守門将交代儀式
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10402946/
◎ ■■□□■■ 韓国旅行 09年10月〜 ■■□□■■
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10394224/
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景福宮(キョンボックン)
【歴史】
景福宮は1395年に創建した朝鮮王朝第一の法宮(王の住む宮廷)。北に北岳山、正門である光化門の前に広い六曹通り(今の世宗路)が開かれた漢陽(ソウル)の中心だった。
後に拡張と重建を繰り返す中、1592年の文禄の役の際、全焼してしまった。その後、景福宮は約270年間復旧されることなく放置されていたが、1867年に高宗の実父・興宣大院君の主導で再建された。
再建された景福宮は、約330棟の建物が迷路のようにぎっしり立ち並んだ雄大で荘厳な姿だった。
宮廷内には王と役人たちが政務を担当する外殿や官庁、王族と宮人たちの生活のための内殿、休息のための庭園施設を造成した。
また、王妃の中宮、王世子の東宮、高宗が建てた乾清宮等、多様な宮が複雑に建っていた宮廷複合体でもあった。
国家の象徴だった景福宮は、日本の植民地時代に計画的に毀損された。
1915年、朝鮮物産共進会を開催するという名目で、主要殿閣のいくつかを除いて90%以上の殿閣が取り壊された。
さらに1926年、朝鮮総督府建立で、宮廷が広範囲に渡り毀損される。
1990年から本格的な復元事業を推進、昔の朝鮮総督府の建物を撤去して、興礼門一帯を復元し、内殿と東宮圏域も元の姿を取り戻しつつある。 -
興礼門(フンレムン)と回廊
1997年に復元工事を行い2000年に逡工。 -
興礼門(フンレムン)と回廊
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興礼門(フンレムン)と回廊
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興礼門(フンレムン)
このあたりには、旧朝鮮総督府庁舎がありました。
庁舎建築のため、旧興礼門は1916年に取り壊されます。 -
興礼門(フンレムン)
門の間からは、勤政門が見えます。
さらにその先には勤政殿があり、これらは一直線上に並んでいます。
光化門 ←景福宮の正門(写真後方で修復工事中)
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興礼門
↓
勤政門
↓
勤政殿 -
興礼門(フンレムン)の扁額
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興礼門(フンレムン)
2層への階段 -
興礼門(フンレムン)と回廊
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興礼門(フンレムン)と回廊
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勤政門(クンジョンムン)
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永済橋
みにくま君が座っている石像。
この宮殿のいたるところで見かけますが、どうやら四神と十二支像の他、伝説の動物が、宮殿を護るべく配置されているそうです。 -
勤政門(クンジョンムン)
勤政門は、勤政殿の正殿正門として、1867年に建立されました。
現存する李朝王宮の正殿正門のうち、唯一中層の建物として残っている門で、国家の大行事がある時にのみ使用され、普段は門が閉じられていました。 -
勤政門(クンジョンムン)
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勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
勤政殿は景福宮の最高殿閣である法殿(正殿)で、その名前は”天下のことは勤勉であれば治まる”という意味を持っています。
宮廷で最も荘厳な中心建物として王権を象徴し、王の即位式や文武百官との朝会、外国使節の接見などの国家行事を行っていました。
景福宮にある建物の中でも最も大きな建物で、人々を圧倒する雰囲気があります。 -
品階石(プンゲソッ)
徳寿宮お中和殿前にもありましたが、これも同じものだと思われます。
官位による立ち位置を示したもので、勤政殿に近づくほど、高い官位が必要となります。
また、この品階石の前で臣下たちが敷いて座る座布団も、階級によってヒョウ皮、虎皮、羊皮、犬皮と差が付いていました。 -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
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月台
2層の月台は、それぞれに欄干が付いており、1層ごとの高さも充分なことから、その格式の高さを物語っています。 -
月台
月台の周囲には、四神(青竜・百虎・朱雀・玄武)と、十二支等を彫刻して配置しています。
これもまた、勤政殿の位相と格式を表すものです。 -
月台の彫刻
こちらの彫刻は玄武でしょうか? -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
扁額 -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
勤政殿の中を見ると中央に玉座があり、その後ろには屏風が飾られています。
これは「日月五峰図」と言い、2007年1月より発行された新1万ウォン紙幣の絵柄としても採用されています。 -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
天井や壁の彩色は、韓国の王宮建築物によく見られるこのカラフルな模様は、「丹青(タンチョン)」と言います。
陰陽五行に基づいた色である青、赤、黄、白、黒が基本として使用される伝統的な彩色です。 -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
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勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
内部、玉座の両サイドはこんな感じです。 -
勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
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勤政殿(クンジョンジョン) 国宝第22号
香炉
基壇の左右両端にある香炉は、青銅で作った三つ足の釜、即ち”鼎”であるという説もあります。”鼎”は王権を象徴し、同時に民たちが天の福を受けるように祈る象徴物として使われたものです。 -
月台の彫刻
牛?羊? -
月台の彫刻
さる。
ちょっとユニークな顔をしています。 -
修政殿(スジョンジョン)
修政殿は世宗の時、ハングル創製の産室である集賢殿として使われました。
1867年に再建されたここは、王の出入りが頻繁で官庁建物としては珍しく正面に月台が置かれています。 -
修政殿(スジョンジョン)
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慶会楼(キョンフェル) 国宝第224号
雄大荘厳ながらも、美しい建築美学の絶頂。
慶会楼は王が臣下たちと規模が大きい宴会を開いたり、外国使臣を応待した所です。
池で舟遊びを楽しんで慶会楼に上がり、仁王山と宮廷の荘厳な景観を鑑賞しました。
創建当時、小さな楼閣だった慶会楼は1412年に池を大きく拡張して楼閣も大きな規模で再建。しかし文禄の役(1592年)で焼失し、石柱だけが残っていましたが、1867年に再建されました。 -
慶会楼(キョンフェル) 国宝第224号
正面7間、側面5間の重層で、広さは931?の大規模木造建築物です。
1階は48本の高い石柱だけを立て、2階に床を敷いて宴会場として利用しました。 -
慶会楼(キョンフェル) 国宝第224号
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慶会楼(キョンフェル) 国宝第224号
これは建物の斜め後方から撮影したものです。 -
慶会楼(キョンフェル) 国宝第224号
◎ 慶会楼の特別公開について
2005年6月に44年ぶりとなる一般公開を行って以降、毎年3月〜10月まで、内部の特別観覧が行われているようです。
拝観料は5000KRW=385円で、景福宮の入場料も含まれています。
時間は11時・14時・16時の1日3回。
1回につき60名が定員。
観覧時間は説明と自由時間を合わせ、約30分くらいです。 -
思政殿(サジョンジョン)一帯 千秋殿
思政殿は王の公式的な執務室で、その名前には王が政治に臨む時、深く考えて成否を選り分けなければならない、という意味が込められています。
毎朝の報告と会議、国政セミナーにあたる行事などがここで開かれました。
思政殿の左右にある万春殿と千秋殿は、オンドル部屋を取り揃えて冬でも利用できる補助空間になっています。
※ オンドル部屋=床暖房設備の整った部屋 -
思政殿(サジョンジョン)一帯 千秋殿
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思政殿(サジョンジョン)一帯 内幣庫
思政殿一帯を取り囲む回廊のような倉庫には、それぞれの部屋に名前が付けられていました。 -
思政殿(サジョンジョン)
思政殿が建てられている位置は、勤政殿の一直線上、すぐ裏側になっています。 -
思政殿(サジョンジョン)
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思政殿(サジョンジョン) 内部
玉座の上には龍の壁画がありました。
龍は皇帝のシンボルとして過去に勉強したので、ここにある龍は、大韓帝国時代の名残か?
龍の爪が4本であることも覚えておこう(5本爪の龍が皇帝の証) -
思政殿(サジョンジョン) 内部
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思政殿(サジョンジョン) 内部
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日時計
蒋英実が1434年に作った日時計は、単に時間を知らせるだけでなく、針の影の端を見れば時間と節気が同時に分かる多機能時計です。
この日時計が半球模様になっているのを見ると、当時の学者たちが太陽の動きを正確に読み、地球が丸いということを認識していたことが分かります。 -
思政殿(サジョンジョン)一帯 万春殿
思政殿に向かって右側の建物です。
万春殿と千秋殿は元々思政殿と廊下で連結していましたが、日本の植民地時代に廊下が無くなり、今は独立した建物のように見えます。 -
思政殿(サジョンジョン)一帯 万春殿
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康寧殿(カンニョンジョン)
◎ 王室の生活が息づいている所
王と王妃が日常生活をする所を寝殿といいます。
康寧殿は王の寝殿で、王はここで読書と休息など、日常生活だけではなく、臣下たちと政務を執ったりしました。 -
康寧殿(カンニョンジョン)
井の字模様に区切られた部屋で、その真ん中を王が使用し、周りの部屋では女官が宿直しました。 -
慶成殿
康寧殿の右手前方にあります。 -
延生殿
康寧殿の左手前方にあり、慶成殿とは向かい合った形に配置されています。 -
延生殿
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交泰殿(キョテジョン)
交泰殿は創建当時ではなく、1440年に建てられたと推定されます。ここは王妃の寝殿で、宮廷内の生活を総指揮したところです。 -
交泰殿(キョテジョン)
交泰とうのは、天と地が交わるという意味です。
王と王妃が子孫をたくさん産むことを願う名前なのだ。 -
交泰殿(キョテジョン)周辺
王と王妃という、国の最重要人物2人が生活していた場所ということで、この建物の周囲には9つの壁で囲まれ、外部からの敵に備えていました。 -
含元殿
景福宮の内殿の奥深くに位置する含元殿は、世宗の時代、1438年に建てられたものと推測されます。
ここでは主に仏事を行っていました。
現在の建物は、1995年に復元したものです。 -
香遠亭(ヒャンウォンジョン)
咸和堂と緝敬堂の北側、後園領域には香遠池という四角い池が造成されており、その中に香遠亭があります。
慶会楼が雄大荘厳で男性的なら、香遠亭はこじんまりして女性的な雰囲気を漂わせています。
香遠亭は世祖の時に建てた翠露亭址に乾清宮を作る時に造成したもので、香遠亭の北側に乾清宮が位置しています。 -
香遠亭(ヒャンウォンジョン)
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香遠亭(ヒャンウォンジョン)
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香遠亭(ヒャンウォンジョン)
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香遠亭(ヒャンウォンジョン)
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香遠亭(ヒャンウォンジョン)
元々は北側の乾清宮につながる橋があったのですが、韓国戦争の時に破壊され、今のように南側に造りました。 -
香遠亭(ヒャンウォンジョン)
こんなに綺麗な水の深い色が出たのは久しぶりです。
また構図もとても良く、最高にお気に入りの一枚で、この旅行記のトップ写真となりました。 -
香遠亭(ヒャンウォンジョン)
南側からの撮影です。 -
謎の五重塔
この建物は景福宮に来て以来、色々な方向から目撃していました。
宮廷建築とは一線を画す、こちらの五重塔。
この後、もっと近づいて見学しようと思います。 -
国立民俗博物館
ここは国立民俗博物館でした。
1972年に完成し、昔の人々の暮らしぶりを現代人に伝えてきました。
内部も見学し、別旅行記にまとめてありますので、良かったらどうぞ↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10407275/ -
国立民俗博物館
この博物館が完成して38年。
韓国内では、多くの建築家が、史上最悪の建物と酷評しているそうです。
儒教の国、朝鮮王国の正宮であった景福宮の中に、寺院建築があるということが問題視されているのだとか。
良く言えば、”優れた伝統建築の良いところだけを取り入れて造った建物”、ということになるが、それよりも、違和感・不自然・不調和さが上回っているのだろう。 -
国立民俗博物館
正面から -
国立民俗博物館
五重塔の近くまで行きたかったのですが、階段の下の方でもう立ち入り禁止になっていました。
こちらからは見えませんが、五重塔の後方に2つの2階建ての建物が控えています。 -
国立民俗博物館
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十二支石像
ここには十二支の石像が、それぞれの方向を向いて立っていました。
姿は人間のように2本足で直立しており、韓国の礼服のようなものを着ていることが分かります。 -
風水盤?
石像の中心にこの盤が置いてありました。 -
亥(イ)
注目すべきは、この亥(イ)。
日本で言うと猪ですが、それに対応するものは、韓国ではPIG=豚なのです。恐らく中国でも、亥=豚でしょう。
猪という動物が、中国人・韓国人にはなかなか分かってもらえないのだそうです。
このことについては、ちょっと面白いエピソードが、神戸南京町にありますので、良かったら見て下さい↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/pict/15929252/ -
宮殿内のイチョウ
私たちが行った時が、最高に紅葉の綺麗な時期だということでした。
ただ、モミジはあまり市内に植えられていなく、どちらかというとイチョウの方が多く見かけました。
イチョウはモミジよりも若干あとから黄色に色づくと思うのですが、中にはこんなに見事に黄色い葉を広げているものも。 -
宮殿内のイチョウ
大きなイチョウの木がたくさん集まっているこの辺りの地面は、元の色が分からないくらいに黄色い落葉で覆われ、上も下も見渡す限りの黄金世界を現出させています。 -
宮殿内のイチョウ
天気が良いので、葉の色が綺麗に映える。
こんな写真を見ると、秋の穏やかなポカポカ陽気を思い浮かべるかもしれませんが、実際にはこの秋一番と言われるほど、恐ろしく寒い日でした(T_T) -
慈慶殿一帯
複雑に張り巡らされた壁。 -
慈慶殿一帯 清燕楼
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慈慶殿一帯 清燕楼
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慈慶殿
興宣大院君が捧げた大紀殿
憲宗(24代王)の母君である神貞王后は、高宗(26代王)の即位に決定的な寄与をした人物だ。
高宗の実父である興宣大院君は、神貞王后の居所を宮廷内でも最も華やかで細やかに造り、その恩に報いた。
”慈慶”という名前は、王が母や祖母などに慶事があることを願うという意味である。
この建物は、2度の火災で焼失後、1888年に再建した景福宮寝殿のうち、唯一残っている昔の建物だ。 -
慈慶殿一帯
慈慶殿一帯は、南向きの慈慶殿を中心に西北側に福安堂を、東側に清燕楼と協慶堂を連結した複合建物群だ。
福安堂はオンドル(床暖房)を設置して冬用寝殿として、清燕楼には板の間を設置して夏季用の空間とした。 -
国立民俗博物館
かなり離れた位置からも、国立民俗博物館の五重塔が見えます。 -
東宮一帯 丕顯閣
浮かび上がる太陽、皇太子の居所
皇太子は昇る太陽のように王位を継ぐ人であるため、内殿の東側に居所を配置して、これを東宮と呼んだ。
西側の資善堂は王世子と世子姫が暮らした内殿で、東側の丕顯閣は勉強をしながら政務も担当していた外殿に該当する。 -
東宮一帯 重光門
大きな門はもちろんのこと、小さな通用門のようなものまで、それぞれにしっかりと名前が付けられています。 -
東宮一帯 資善堂
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東宮一帯 資善堂
海外旅行をして来た受難の資善堂。
資善堂をはじめ、1914年に撤去された景福宮の多くの殿閣は、日本人に売られていくようになった。
資善堂は、景福宮撤去に先頭を切ったオークラが持ち出して、自分の家の庭園に移した後、”朝鮮館”と名付けて私設博物館として仕様した。
1923年の関東大震災で、この建物は焼失し、基壇と礎だけが残った跡にオークラホテルが建った。
1993年、このホテルの庭園に捨てられていた石をキム・ジョンドン教授が見つけ、努力の果てに再び景福宮に戻すことが出来た。 -
東宮一帯
韓国の宮殿の屋根の上に並んでいる像は、これまでにも何度も見てきました。
もう一度復習すると、これは「雑像(チャプサン)」と言い、厄除けの意味があります。
西遊記の登場人物(三蔵法師・孫悟空・猪八戒)などが使われています。
この数が多ければ多いほど、王に近い重要な建築物だといわれています。 -
建春門
景福宮を囲む垣根の長さは1933メートル、高さは平均5メートル、厚みは2メートル程度です。
垣根の四方には4つの大門を造り、建春門(東)・光化門(南)・迎春門(西)・神武門(北)と名付けました。
これはそれぞれ春夏秋冬と木火金水を象徴し、真ん中に位置する勤政殿を中心に四方を囲んでおり、伝統的な五行説に由来した名前です。 -
景福宮と白岳山(ペックァッサン)
他の宮殿だと、周囲にビルなどが見えたりすることが多いですが、景福宮ではダイナミックな白岳山を借景としており、韓国らしくて好感が持てます。 -
王宮守門軍
門の前には韓国の伝統衣装に身を包んだ王宮守門軍の方々がたくさんいらっしゃいました。
もしかしたら、これから王宮守門将交代儀式が始まるのかと思い期待しましたが、もうこの日は終わりでした。
一応、徳寿宮での王宮守門将交代儀式の様子を紹介してありますので、↓をどうぞ。
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10402946/ -
王宮守門軍
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王宮守門軍
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王宮守門軍
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王宮守門軍
こんなにたくさん並んで護衛しています。 -
王宮守門軍
宮殿内を定期的に巡回している小隊もあるみたいです。 -
厳鼓(オムゴ)
儀式では、この太鼓の音が進行をリードします。 -
王宮守門軍
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王宮守門軍
◎ おしまい
ここの宮殿は、これまでに回ったどの宮殿や世界遺産よりも見応えがあり、楽しかったです。
この秋一番の寒さと言われる、過酷な環境も忘れて、楽しく歩き回りました。
この寒さとカラッとした気候のせいなのか、建物や空などの写真写りが非常に良く、嬉しくて寒さを忘れていたというのもあります(*^_^*)
今回の観光で、この宮殿の70%くらいの施設は見たかと思います。その他は、修復工事中であったり、拝観禁止であったりしたものもありますが、一部時間が足りなくて回りきれなかった建物もあります。
その代表的なものは、景福宮の正門である光化門ですが、もう修復は完了したのかな? 次回は必ず見てみたいと思います。
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