2009/11/06 - 2009/11/06
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さすらいおじさんさん
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姫路城(ひめじじょう)は江戸時代初期に建てられた主要建築物が残り、大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、櫓・渡櫓、門、塀など74棟が重要文化財に指定され1993年にユネスコの世界遺産に登録された文字通り日本近世城郭を代表する遺構だ。
江戸時代以前に建造された天守が現存する城は松本城・彦根城・犬山城など日本国内12箇所しか残っていないのは1873年の廃城令で城の多くが破却されたからだ。姫路城が残ったのも偶然と幸運によるものだ。
姫路城は競売され金物商の神戸清一郎(かんべ せいいちろう)が23.5円(現在の価値でもわずか約10万円)で落札し古鉄と瓦を売ろうとしたが解体費用がかかりすぎることや瓦が一般民家とサイズが違っていたことなどで大きなお荷物になっていたところ、1874年に陸軍省が買い上げている。
陸軍省は姫路城三の丸を中心に歩兵連隊を設置し三の丸の建物、武蔵野御殿、向屋敷などを取り壊したが1877年頃には、日本の城郭を保存しようという動きが起こり陸軍の建築・修繕担当中村重遠(なかむらしげとお1840−1884年)工兵大佐が、1878年に陸軍卿山縣有朋(やまがた ありとも1838−1922年)に名古屋城、姫路城の保存を太政官に上申するよう願い出て姫路城の修復が承認されている。中村大佐の姫路城の保存申請が無ければ他の多くの城と同じように破壊されていた訳で、功労者・中村大佐の顕彰碑が菱の門近くに建っている。
1945年7月の姫路大空襲で姫路城下は火の海になり姫路城にも大天守、西の丸が被弾したがいずれも不発で城郭の消失は免れている。名古屋城も保存申請が承認されていたが1945年5月の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて大火災を起こし残念ながら焼失してしまった。姫路城はいくつもの幸運が重なって多くの建物が残った日本を代表する世界遺産だ。世界中の人たちが開城当時の勇姿と城のさまざまな機能を見ることができるのは嬉しい。
(写真は特別公開の乾小天守から見た光景)
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天守の地下一階、穴蔵の光景。
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用具掛け。
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天守の地下一階、穴蔵の光景。
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天守の展示。
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天守の地下一階、穴蔵の光景。
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天守の展示。
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天守の展示。
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地下一階、穴蔵の説明。
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地下一階、穴蔵の説明。
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天守の地下一階、穴蔵の光景。
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天守の展示。
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天守に展示されている千姫奉納と伝えられる羽子板。
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天守の展示。
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天守に展示されている千姫奉納と伝えられる羽子板。
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天守に展示されている千姫奉納と伝えられる羽子板。
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地階から6階まで支える24mの大柱。
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天守閣の刑部明神(おさかべみょうじん)。姫路城の守護神で大天守最上階に祀られている。
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天守の内部。
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天守の内部。
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天守の内部。
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東小天守側から見た乾小天守。
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東小天守から乾小天守を結ぶロの渡櫓(やぐら)。
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ロの渡櫓から見る光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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ロの渡櫓から見る光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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ロの渡櫓から見る光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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ロの渡櫓から見る光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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ロの渡櫓から見る光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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特別公開の乾小天守から見た天守の光景。
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特別公開の乾小天守の内部。
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