2009/11/24 - 2009/11/24
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井上@打浦橋@上海さん
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淮海中路沿いの住居の案内です。
主に石庫門住宅と呼ばれてる住居です。
東から、尚賢坊、培恩公寓、康綏公寓、和合坊、漁陽里、桃源坊、栄業里、楽安坊、国泰公寓、永慶里、霞飛坊(淮海坊)です。
石庫門住宅とは・・・・・
上海は、昔、英米共同租界やフランス租界という地区がありまして、そこは言ってみれば、上海の中の外国だったということなんですが、そういうところにも、中国人が多く入り込み住み始めて来て、それに対応する為に建てられた長屋形式の住居を石庫門住宅と言うようです。多くが、レンガ造りの3階建てや2階建ての長屋スタイル共同住宅でして、その様式も英国っぽかったりフランスっぽかったり、中国風も勿論取り入れられたりと、独特のスタイルの建物なのです。屋根の上にはヨーロッパの建物に良く見られるルーフウィンドーのようなものが設けられたりしていまして、それを上海人は「老虎窗」と名付けて、シッカリ自分達のものにしてしまったということです。「老虎」(ラオフー)がルーフでして、「窗」がウィンドーということなんでしょう。
この住宅および、その住宅空間などを上海では弄堂(ロンタン)と呼んだりしていまして、北京でのそれを胡同(フートン)というのと、対照をなしますね。私は上海では弄堂を、北京では胡同をうろつくのが好きなのです。
今、上海で人気の観光スポットは新天地と田子坊なのかなと思っていますが、どちらも石庫門住宅の街並みの中のショッピングモールとなっていますね。しかし新天地は、そこにあった元々のものを全て壊して、新たに造ったものなんですが、田子坊はもともとある石庫門住宅の中にはめ込んでいったものでして、私などは田子坊の方が圧倒的に好きですね。
さて、その石庫門住宅ですが、どれもが大体1930年代から40年代にかけて造られたもんなんですが、1ヶ月で様相が変わってしまうと言う上海で、未だに、残っているのかどうか・・・その辺確かなこと私は分かりません・・・半分はなくなってしまったのか、あるいは、もっとなのか・・・でも、まだまだ、気をつけて上海の道を歩いていますと、それに出会うのです。
そして、その石庫門住宅は上海のどこにでもあるのかと言うと、そうでもない、とも言えますし、イヤ、結構アッチャコッチャにあるとも言えるのです。でも、まあ、やはり旧英米租界地域や、旧フランス租界地域が多いですね。旧上海城と言われる、あの豫園から南の地域にも有りますし、日本人租界と言われていました、虹口区にもありますが、やはり雰囲気は、チト違うように感じられます。
今回、ココで紹介するのは淮海中路沿いにある石庫門住宅です。正に旧フランス租界の真ん中にある地域と言ってよいでしょう。淮海中路はフランス租界当時は、Avenue Joffreというフランス名で呼ばれることもあったそうです。地元中国人は、それに漢字の霞飛路を充てて「シャァフェイルー」と呼んだそうです。
上海の銀座通りと呼ばれている淮海中路ですが、そこをゆっくり歩きますと、そこに独特の門構えの出入り口を発見できます。その門の上には○○坊とか●●里とか表示されています。そこに入りますと上海の庶民の生活が見られるのです。晴れた日には上海名物の道渡し洗濯物のオンパレードが見られるでしょう。
-
コレは上海全図です。
といっても上海市の全体図となりますと、もう、これの30倍、40倍以上の広さですので、ココに示したのはほんの一部でして、上海の中心部と言われている地域です。
しかし、租界があった頃の上海と言いますと、正に、ココで示した範囲がそうでして、その他は「上海」とは呼んでなかったのかと思っています。
現在の地図に当時の租界地域も表示しました。
英米共同租界、フランス租界、上海県城、日本人租界(正式には共同租界の中の日本人居住区)の範囲を示しまた。
コレ見て分かるように、淮海中路は正にフランス租界の真ん中にあって、メインストリートであったことが分かるでしょう。
そして、新天地も田子坊もフランス租界地区にあることが分かるでしょう。
私が住む打浦橋地区はフランス租界からは、僅かに外れるのです。
上海人にとって、今でも、フランス租界地区に住んでるということは、鼻高々というところなんですが、私のところは外れてしまいますので、自慢は出来ないのです。 -
これは淮海中路沿いの石庫門住宅の位置図です。
まだ。なにも書き入れていませんが、今後、徐々に書き入れていくつもりです。
淮海中路の東端は西蔵南路に接します。
そこより更に東に伸びる道は淮海東路となります。
淮海東路は短い道でして、すぐに人民路に繋がって終わりとなります。
淮海東路沿いには石庫門住宅はありません。
また、西蔵南路から始まる淮海中路も、しばらくは石庫門住宅はないのです。
いや、1990年代初頭くらいまではあったのかも知れませんが、今はありません。
石庫門住宅は黄陂南路を超えて馬当路まで行かないと、現れないのです。
それ以降、西へ向かいますと、左右には石庫門住宅が数々顔を現すのです。
しかし、陝西南路を超えますと、見受けられなくなるのです。
ということで、ここには、東は西蔵南路から西は陝西南路までの淮海中路を示しました。 -
まずは、西蔵南路と交差するあたりの風景です。
北東角には光明中学が見えます。
この建物は1919年に建てられたもので当時は中法学堂と言ったそうです。
当時はカトリックの教会学校でフランス語教育が行われていたそうです。
南西角には電脳城があります。
賽博数碼百貨(CYBER MART)となっています。
淮海中路には2階建てオープントップバスが走っています。
名前は観光巴士1路と言います。
たまたま、交差点で止まっていましたので撮りました。
この観光巴士1路に関しては下記をどうぞ。
路線案内図と2階からの眺めをアップしてあります。
「上海・観光巴士1路は2階建てオープントップ観光バスなのだ!!」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10219980/ -
龍門路辺りまで来ました。
そこにあるのが、この大上海時代広場です。
英吾表記は Shanghai Times Square です。
龍門路方向を見ますと観光巴士1路が止まっています。
一応、ここがこのバスの始発バス停となっています。
遠く向こうには上海音楽庁が見えます。
1930年に建てれたもので当時は南京大戯院と呼ばれていまして、
アメリカのフォックス、MGMの封切館だったそうです。
2000年初頭に延安中路の拡張工事に伴い、南側に(手前方向に)、5・60m移動しました。
観光巴士1路が出発して龍門路から淮海中路に入りました。 -
淮海公園前まで来ました。
そこには淮海中路嵩山路のバス停があります。
淮海公園は19548年に出来たもののようです。
以前ココは墓地だったようです。
名は八仙橋公墓と言ったそうです。
小さな公園ですが、街行く人の休憩場所になっています。
また、時々、バザーなどもここで行われています。 -
黄陂南路との交差部の南西角には太平洋百貨店があります。
そしてこの地下には地下鉄1号線の黄陂南路南路駅があります。
人気の観光スポット・新天地は、このブロックの1つ南のブロックにあります。
なあ、「上海歴史ガイドマップ」を見ますと、この太平洋の敷地には「宝康里」と表示されていますので、そういう石庫門住宅が以前、ココにあったと言うことなんでしょう。
もう少し西へ行き馬当路まで行きますと、昔のフランス租界のお役所の公董局の建物が見えてきます。
この建物の後ろには高層ビルがありまして、それは中環広場と言うオフィスビルになっています。
こちらは対面から見たフランス租界公董局です。 -
フランス租界公董局の対面にある石庫門住宅が尚賢坊です。
人民中国インターネット版 2009年11月の下記記事
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2009-11/19/content_230369_2.htm
には、こう書かれています。
「1927年、作家の郁達夫は霞飛路(今の淮海中路)尚賢坊で当時20歳の王映霞と出会った。二人は互いに一目惚れし、恋に落ちた。彼らの恋は一時、文壇にセンセーションを巻き起こした。」
入場門の脇には、その2人のことを紹介した看板が掲示されていまして、その2人の写真には、尚賢坊43号と書かれていました。
入場門をくぐり北へ向かう通りがメインストリートというところでしょう。
それをまたぐ部分も住居になっています。
日の当たる空間では洗濯物がたくさん干されています。
メインストリートから左右に小道が伸び、そこが各住居に入る道となります。
その道の奥を見上げますと、隣の高層ビルが見えます。 -
小道には布団なども干されています。
メインストリートのトンネル部分は自転車やオートバイ置き場になっていまして、壁には、赤いペンキで書かれた「毛沢東語録」などが、未だに残っています。
尚賢坊の中から外を見ました。
淮海中路の向こうにはフランス租界公董局が見えます。 -
淡水路を渡り振り返りました。
尚賢坊の外観が確認できます。
淡水路の北方向にはペン先ビルが見えます。
JWマリオットホテル(上海明天広場金威万豪酒店)ですね。
もう少し西へ行きますと重慶南路を渡る歩道橋が見えてきます。
その脇には小さな公園があります。 -
重慶南路に架かる歩道橋からの眺めです。
上を走るのは南北高速道路です。
北方向に伸びる道は重慶中路、そして成都北路となります。
東方向は、勿論、淮海中路でして、ココまで歩いてきた道と言うことです。
どちらかと言いますとオフィスビルの多い街並みですね。
これから歩く、西方向の淮海中路は、商業街という様相になります。 -
歩道橋を西へ行きますと目の前に見えてくるのが培文公寓という古いマンションです。
1923年に建てられたものでして、当時は培恩公寓と言っていたらしいです。
淮海中路沿いの下層部分は、上海婦女用品商店として使われています。
ヴィッキー・チャオ(趙薇)、本木雅弘主演の日本映画「夜の上海」にもこの建物は出てきました。
趙薇演ずる林夕の片思いの相手の東東が、ここに住んでいると言う設定になっていました。
歩道橋からはこの建物の壁が近づいて見えます。
レンガはやはり年季が入っていますね。
開けられた窓にはモップが干してありました。 -
雁蕩路をチョイ超えたところの右にあるのが、この康綏公寓です。
1932年に建てられたものだそうです。
中に入ってみますと、「公寓」と言う名が付いてるだけに、石庫門住宅とは少し趣きが違いますね。
こういうところでも、場所がいいですから、70?くらいの部屋でも家賃は5000元、6000元するようです。
また、販売価格も平米当り25000元ということですので、70?ですと240万元くらいになるようです。 -
康綏公寓の東となりにあるのが、この和合坊です。
1930年代のもののようです。
こちらはレンガ造りで、いかにも石庫門住宅と言う感じのつくりになっています。
和合坊は康綏公寓に比べますと小ぶりな部屋が多くて、家賃は45?で2800元くらいらしいです。
しかし、価格は平米当り28000元以上と康綏公寓よりは高めです。
入場門を入ってすぐの壁には大きな黒板が掲げられ、そこにはお知らせなどが掲示されています。
新型インフルエンザへの注意事項とか、万博を迎えての住民の心がけなどが何色かの白墨で書かれていました。 -
以前、伊勢丹があった建物の敷地の西隣にあるのが、この漁陽里です。
入場門が端っこにあると言うのは、おかしいことで、おそらく、漁陽里は東隣の敷地にもあったはずで、伊勢丹が出来る時に半分以上が取り壊されたんでしょう。
入場門の門構えもレンガ造りでして、コレこそ石庫門住宅という感じです。
門を入ってすぐのところに爺さん2人がたむろしていました。
毎日ココで、淮海中路を行き交う人たちを眺めているのかもしれません。 -
中に入ってみますと、左側(東側)は壁のみが続くだけです。長屋へ入り込む小道があるのは右側(西側)だけに伸びています。
やはり東半分の漁陽里は、撤去されたと言うことなんでしょう。
伊勢丹の建物が完成されたのが1993年ですので、1980年代末に取り壊されたものと見ます。
漁陽里は1920年に出来た物のようです。
漁陽里は、そのレンガの色合い、造りからも典型的な石庫門住宅の趣きを持っていますね。
ここには社青団中央機関旧址がありまして、そこは入場無料です。
この日は改修工事をやっちまして入れませんでしたが。 -
漁陽里の斜め対面にあるのが、このバービー上海です。
チョッとしたビルなんですが1階から5階まで、すべてバービー人形なのです。
正確には芭比上海旗艦店と言うらしいです。
中の様子は下記をご覧ください。
「バービー上海@淮海中路&広州焦叶(葉)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10317658/
成都南路を超えて、右にあるのが、この光明邨です。
ここはいつも行列しています。
おいしい小吃が売っているんでしょう。
2階は光明邨大酒店というレストランになっていまして、何度か食事をしたことあります。
1階で売ってる小吃も、そこで食べられます。 -
桃源坊です。
規模の小さい石庫門住宅です。 -
栄業里はレンガ壁でなく白っぽい外装になっていまして石庫門住宅には珍しいです。
ここも洗濯物が満開です。 -
楽安坊です。
ここは中が広くなっています。
そしてレンガ壁でして、いかにも石庫門住宅と言う感じです。
通路は一部駐車場と化しています。
車を持ってる人も多いんでしょう。 -
通路脇では修理屋がなにやら修理していまして、まわりにお年寄りの住人が集まっています。
隣では、お婆ちゃんが洗濯物を取り込んでいます。 -
ここまでは桃源坊、栄業坊、楽安坊と続きましたが、この後西へ行きますと、しばらくは石庫門住宅はありません。
長春食品商店です。ここはいつも行列していますね。
思南路まで来ますと角にはH&Mがあります。
瑞金路まで来ました。
瑞金一路との角にあるのが瑞金公寓です。
1920年に建てられたもののようで、当時は愛斯公寓と言ったそうです。
現在の価格は
http://2.myliving.cn/ams/20091202N627037/
を見ますと平米当たり45000元で、180?が810万元で売りに出されています。 -
瑞金二路のバス停です。
対面に北京ダックで有名な全聚徳があります。
その全聚徳の西隣には、なにやら立派な入場門が・・・。そして、そこにはビッシリと決めた服に身を包んだ若者が門衛として立っていす。その入場門の上には「796 HUAIHAILU」と書かれています。
中に入りましたら庭園が広がり、その西奥にはヨーロッパ風の建物が・・・
なんなんでしょうか・・・初めて、こんなものが、ココにあることを知りました。
入場門の脇には「VACHERON CONSTANTINー江詩丹頓」とあります。
何でしょうか、コレは・・・調べたらスイスの高級時計なんですね。
それと、この建物、庭園とは何の関係があるのか・・・
想像ですがVACHERON CONSTANTIN以外にも、いろんなブランド品を扱った店が、この中にあるのかもしれません。 -
これは国泰公寓です。
国泰電影院(CATHEY THETRE)の裏側と言ったところにあります。
この公寓の裏に錦江飯店の敷地が広がっています。
調べますと、1919年に建てられたもののようです。
以前、ココに住んでる人に聞いたんですが、風呂もトイレも付いているとか・・・
今の家賃は60?の部屋が4500元のようです。
また
http://www.houseday.cn/sechand/detail_92484.html
を見ますと102?の部屋が320万元ですって -
国泰公寓の対面にあるのが、この永慶里です。
入場門を入ってすぐのところには、こんな売店があります。
飲み物、お菓子以外にも電話カードなども売っています。 -
茂名南路まで来ました。
右には国泰電影院が見え、左には花園飯店が見えます。
地下鉄1号線の陝西南路駅の出口の脇には電話をかける少女のオブジェがあります。
今の少女は3代目です。
「電話をかける少女」に関しては下記をどうぞ。
「電話を掛ける少女の電話が無くなった」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10214259/ -
さて、これが淮海中路沿いでは一番大きいのかなと思われる石庫門住宅です。
どこにあるのかと言いますと、淮海中路沿いの一等地にあると言っていいでしょう。
淮海中路、陝西南路、南昌路、茂名南路に囲まれたブロック内にあるのです。
永新百貨店、ソニービル、美臣大酒店、巴黎春天の裏側にあると言うことです。
さて、この淮海坊ですが、旧フランス租界時代は霞飛坊と言われていたそうです。
なぜなら、今の淮海中路は当時、霞飛路と呼ばれていたからなんでしょう。
当時、淮海中路はAvenue Joffreというフランス語名が付いていまして、その漢字表記が霞飛路だったということです。
規模が大きいので出入り口は3つあります。
淮海中路沿いに2つと南昌路と茂名南路の角に1つです。
まずは淮海中路沿いの東側の入場門から入ります。 -
奥に入り込みます。
コレまで見てきた石庫門住宅から比べますと、なんかスッキリしていますね。雑然感が少ないです。
それでも、やはり洗濯物は、外に飛び出しています。 -
南北に広い道が走り、その両脇に3階建てレンガ造りの東西に長い長屋がいくつも並ぶスタイルです。
その長屋の前後に細い通路が東西に走り、そこに各戸の出入り口があると言うことです。
この霞飛坊には、作家や文化人が多く住んでいたようです。
ですから、やはり、幾分高級な石庫門住宅だったのかなと思われます。
有名なところでは巴金と許公平です。
許公平は夫・魯迅が亡くなったあと息子とココに移り住んだそうです。
魯迅の唯一の子供・周海嬰が書いた「わが父魯迅」と言う本にも霞飛坊は出てくるようです。この本の目次を見ますと、「霞飛坊の生活」「霞飛坊の隣人」と2つも霞飛坊についての様子が書かれてるようです。 -
こちらは淮海中路に出る西側の出入り口です。
そこには優秀歴史建築の銘板がはめ込まれていまして、その下には電話による勧誘詐欺に引っ掛かるなと言うポスターが貼られています。
西側の入場門は美臣大酒店の入場門でもあるわけです。 -
一旦、淮海坊を出まして、巴黎春天の地下にありますシティースーパーに買い物に行きます。
外に出ましたら、西側から差し込む陽光は、もう夕方一歩手前という感じでした。
相変わらず、淮海中路と陝西南路交差点の人出は多いですね。 -
買い物を終えて、家までは歩きです。
淮海坊にまた入り込み、南昌路の出入り口に向かいます。
この地区は南昌路居民委員会に属するようです。
その告示版にはイロイロと張り紙が掲示されています。
竹の足場が掛かっていまして、建物の外装の化粧直し工事が行われています。
出入り口手前には床屋兼マッサージ屋もあります。
看板には「マッサーヅ」となっていましたが・・・・
これが南昌路と茂名南路の角の入場門です。
コレで「淮海中路沿いの石庫門住宅」は終わりです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Rockyさん 2009/11/30 20:51:39
- 変貌する上海
- 井上@打浦橋@上海さん、お元気でなにより!
上海は色んな魅力有りますね。
古い歴史的価値の有る建造物から、新上海の町並みへの変貌。
今、どっぷり上海楽しめてますね♪〜
来年初頭はタイでゴルフ予定です
では、ではRocky
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/12/01 12:39:53
- RE: 変貌する上海
- Rockyさん、どうも。
> 来年初頭はタイでゴルフ予定です
相変わらず、ゴルフ三昧ですね。
私は12月6日に横浜に帰ります。
まあお会いしましょう。
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