2003/07/13 - 2003/07/24
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南米の最貧国ボリビア。
標高4000メートルのアンデス高地をバスで巡ります。
荒涼たる原野の中には、うら寂れた鉱山の街「ポトシ」や、世界最大の塩湖「ウユニ」がありました。
ブログでも紹介しています。
http://search-ethnic.com/category/travel/south-america/bolivia
2003年7月、ボリビアを旅しました。
ペルーのプーノからバスでチチカカ湖を抜けて首都ラパスへ。
鉱山の街ポトシとウユニ塩湖を巡り、アルゼンチンへと抜けました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
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7月13日(日)
ペルーのプーノからボリビアの首都ラパス行きのバスに乗った(30Sol \1,044)。
昼近く、国境を越えコパカバーナの街に到着。
昼飯を食べる(何を食べたのかは忘れてしまった)。
その後、バスはバスごと渡し船に乗ってチチカカ湖を渡った。
国境から4時間経った頃、遠くに白い雪を被った山、イリマニ山(6402メートル)が見えてきた。
貧しい人々が住む街、「エル・アルト」を過ぎるとすり鉢状の街が眼前に現れる。
標高3650m、世界最高所にあるボリビアの首都ラ・パスである。
ラ・パスでの宿はAustria(38Bs \658)
夕飯はバーガーキングで済ませた(19Bs)1$=6.8Bs
↓ブログの記事です。
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7月14日(月)
この日は腹の具合が悪かったため、街のネットカフェでメール(6Bs)をしたりと、ゆったり過ごす。
午後は、ティワナク博物館で古代アンデスの土器や金属製品を見学(10Bs)。
宿は坂道の途中にある。
高地のため歩くだけで疲れるのだ。
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7月15日(火)
この日はラ・パスでカルナバルがあった。
明日16日がラ・パス県の祝日で今日はその前夜祭ということだそうだ。
夕方、街の中心、サン・フランシスコ寺院前のロス・エロエス広場には特設ステージが造られ、付近にはいくつもの出店が建ち並び始める。
トークショー、そして、野外ライブが始まった。
ライブをしばらく観た後、私はカテドラルや大統領官邸の並ぶムリリョ広場へと続く道「コメルシオ通り」へと向かった。
コメルシオ通りは大混雑。どうやらパレードが行われるようだ。
しばらくするとラッパの甲高い声と鼓笛隊の軽快なリズムに合わせて人々が行進してくる。
パレードにはあらゆる種類の人間が参加していた。
冬のラ・パス。いつもの寒さが嘘のように、街は熱く燃えたぎっていた。
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7月16日(水)
朝、早起きしてティワナク遺跡へと行く。
遺跡へはツアーに参加して行った(60Bs)。
ティワナク遺跡はチチカカ湖の南東、内陸へ約17 kmほど入ったところにある遺跡で、標高は3,970m。
インカの前のプレ・インカ期の遺跡で、2000年には世界遺産に登録されている。
↓ブログの記事です。
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上の写真はカラササーヤにある「太陽の門」。
ティワナクで最も有名な構造物だ。
門は一枚岩で出来ているが、割れてしまっている。
創造神「ビラコチャ」を中心に48人の鳥人が描かれている。
左の写真は、モノリートのひとつ「ポンセ」。
体中に模様が彫られ、柄のあるパンツを穿いている。
右手の指が外側にひっくり返り、涙を流している。
他にも遺跡には2体のモノリートがあった。
荒涼たる風景の中に立つ遺跡の姿は何ともシュールだった。
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夜は、ラ・パスの文化センターで「サヤ」という民俗音楽を聴いた(15Bs)。
「サヤ」とはスペイン人により連れてこられた黒人起源の音楽で、ランバダの原曲のリズムだと言われている音楽である。
大太鼓とすりこぎを使ったリズムと踊り子たちのダンスとコーラス。
アンデスのフォルクローレとは全く異なる、アフリカを感じさせる音楽だった。
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7月17日(木)
朝、お気に入りのカフェ(アレクサンダーコーヒー)でコーヒーとマフィン、ベーコンの朝食を摂る(18Bs)。
それから、ミニバス(2.5Bs)でラ・パス郊外にある「月の谷」(1Bs)という奇岩地帯へと足を運んだ。
ここはあまり知られていないが、カッパドキアに類するような不思議な風景だと思う。
ラ・パスに戻ると、CD屋でボリビアの音楽CDを物色する。いくつかの店でいろいろ視聴させてもらった。
結局、アルティプラーノとワラのCDを購入(90Bs)
明日は、バスでポトシへと向かう予定だ。
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7月18日(金)
朝4時起きし、タクシーでバスターミナルへ(6Bs)。
ラ・パスは治安が悪いので早朝や夜間はタクシーに乗らないと危険なのだ。
5:00発のオルーロ行きに乗る(10Bs)。
ワラのアルバム「オルーロ」を聴きながらのバス旅だ。
オルーロに到着し、カフェでパンとコーヒーの朝食を摂る(5Bs)。
そして、11:30発のポトシ行きのバスに乗り込んだ(20Bs)。
ポトシへは長い道のりだった。
標高3,500m強の不毛の山道をぐねぐねと進む。
ポトシに到着したのは辺りが真っ暗になってからだった。
到着したバスターミナルは停電で真っ暗闇。
とりあえずタクシーを捕まえ、ホテルへと連れて行ってもらった(3Bs)
ホテルはHotel Touriste(シングル60Bs)
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イチオシ
7月19日(土)
ポトシの標高は4070m。
世界で最も高所にあると言われる町だ。
街はスペイン統治時代の名残が感じられる。
とても、さびしい街だ。
町からは赤い山「セロ・リコ」が見える。
スペイン統治時代、あの山では多くのインディオたちが銀を採掘するために働かされたのだという。
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宿でコンチネンタルブレックファストの朝食を摂り(60Bs)、ポトシの街を歩き始める。
日差しが強いが風は冷たい。
高地のため、坂道を歩くと息が切れる。
鉱山ツアーへの参加を申し込もうとしたが、明日は日曜で鉱山は休みだとのこと。
月曜までこの寂しい街に滞在しなければならなくなった。
夕飯は、チキンの定食を食べた(11Bs)。
夜のポトシは一段と寂しさが増す。
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7月20日(日)
ポトシを日がなぼんやりと過ごす。
通りの角の雑貨屋には、おばあちゃんと5匹の犬が居た。
この雑貨屋には、毎日のように訪れ、何を言っているのかよくわからないおばあちゃんの話を聞き、犬たちとじゃれあった。
時折、いくつかある教会の鐘の音が鳴る。
その音は忘れ去られたこの街の寂しさを助長しているようだった。
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7月21日(月)
鉱山ツアー(60Bs)に参加した。
鉱山ツアーは鉱夫たちが鉱物を採掘している現場を生で見ることができる、ポトシ観光の目玉である。
作業着、ヘルメット、軍手、ヘッドランプ、長靴を身に付け、コカの葉を噛みながらジュースを持参して鉱山へと突入する。
中は狭く、かがまなければ進むことはできない。
鉱山の中は汗ばむほどに暑い。外の肌寒さとは雲泥の差だ。そして、埃がひどかった。
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16世紀、ポトシに銀鉱脈が発見されるとこの町は「鉱山の町」となり、空前の繁栄を極めた。
一攫千金を求めて押し寄せてきたスペイン人は、地元のインディヘナたちを奴隷として扱い、過酷な鉱山労働を強いたのだそうだ。
鉱山の中では今も人々が働いている。
内部をトロッコが通過し、労働者たちがスコップで岩を掘っている。
スペイン侵略から400年、革命から50余年が過ぎた今でも彼らの労働待遇は本質的には改善されてはいない。
幼い頃から鉱山に入り、低賃金で働かされ、老後は鉱内で吸った粉塵により胸を悪くする人が多いそうである。
我々は1時間ほどで鉱山を脱出した。
くたくただった。
しかし、彼ら鉱夫たちは毎日8時間、それもきつい労働をしながら鉱山の中で過ごすのだ。尊敬に値する。
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7月22日(火)
ウユニ行きのバスは11:30発(30Bs)。
しかし、待てどもバスが来ない。結局発車は1時間遅れとなった。
標高4000mの高地を走るバス旅。
車内は人でぎゅうぎゅうだった。
しかし、車窓は雄大で美しく、自然の偉大さ、地球の広大さを実感できた。
夜8時ごろ、バスはウユニに到着。
Hotel Angrea(シングル15Bs)にチェックインする。
この宿で明日のウユニ塩湖ツアーを予約した(20$)。
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7月23日(水)
朝、ジープでウユニツアーに出発。
ツアー客は5名だった。
ジープが走り始めると家並みはすぐに途切れ、遮るもののない荒野へと突入する。
しばらく走ると前方に白い帯が見えてくる。
そして、あっという間に白い世界が我々のジープを包み込んだ。
世界最大の塩の湖、ウユニ塩湖である。
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ジープは塩湖に入ってほどなくしてスピードを緩めた。
入り口近くに塩の採掘場があるのだ。
我々はジープを降り、採掘場を見学した。
塩はミネラル源として古来より利用されてきており、塩湖には採掘場がいくつもある。
採掘場の次に訪れたのが塩湖の中にあるホテル。
Hotel Playa Blanca(ホテル・プラヤ・ブランカ)という名前だ。
シングルが20$、ダブルが40$で宿泊できる。
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塩のホテルを見学した後、ジープはフルスピードで一路、塩湖の中心にある島「イスラ・デ・ペスカ」へと向かった。
360度真っ白の大地、高地の高い空が真っ青。
青と白しかない世界はシンプルそのものだった。
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「イスラ・デ・ペスカ」(魚の島)には、昼頃に到着した。
千葉県を2つ入れてもまだ足りないというウユニ塩湖であるため、ジープでぶっ飛ばしてもなかなか着かなかったのだ。
ジープが横付けにされると、我々は島に上陸した。
島には土産物屋やトイレなどの設備があるが、宿泊施設はない。
かつて、車がなかったころは、リャマを使ったキャラバン隊にとってこの島は重要な休憩地であったそうだ。
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「イスラ・デ・ペスカ(魚の島)」の全貌。
見た目通り、島が魚の形をしているからそう呼ばれているのだとのこと。
この島の周りは何もない一面真っ白の世界。
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イチオシ
島にはかつて、インディオの商人が植えたというサボテンが無数に生えていた。
サボテンはかなり大きく3m近いものもある。
島ではツアーの連中と昼食を食べた。
昼食はツアーのガイドがサンドイッチを用意してくれた。
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昼食を食べた後、私は島の全体像を見るため、島から歩いて徐々に離れて行った。
目がチカチカしてくるような白の世界。
遥か彼方にアンデスの山並みが見えるほか、何もない。
4000mの高地のため空気が薄い。そして、かなり肌寒いのにもかかわらず、日差しは強烈だった。
強烈な太陽、これ以上ないというくらいの広大な空間。
私はその真っ白な静寂を存分に味わった。
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ウユニツアーから街へ戻った後、私は「列車の墓場」と呼ばれている場所に行った。
かつて塩を運んでいた機関車たちが荒野に打ち棄てられている。
夕陽に輝くメカニックな機関車群は、シュールだった。
夜、アルゼンチン国境の町、ビジャソン行きの列車を待つ。列車は2:35分発ということなので、8時間ほど待つことになった。
7月のウユニは寒い。私は市場でアンデスのカラフルな織物マンタを購入し(15Bs)、駅前のカフェでココア(5Bs)などを飲みながら待った。
やってきた列車は座席車だが意外に綺麗な列車。
国境の町、ビジャソン到着は明日11:00の予定だ。
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イチオシ
7月24日(木)
列車はかなり遅れた。
11:00到着の予定が14:00くらいの到着となった。
駅から歩いて国境へ。
出入国の手続きをする。アルゼンチン入国だ。
アルゼンチン側の町ラ・キアカは何もない町。
ボリビア側のビジャソンが賑わっているのとは対照的である。
ラ・キアカのバスターミナルは国境からかなり歩いた辺鄙な所にあった。両替はボリビア側でしておくべき。
当時のレートは、1US$=2.75アルゼンチンペソ。
アルゼンチンの情報を全く持っていなかった私は、とりあえず、ターミナルに合った地図を見て、国境から一番近い都市サルタへのバスに乗ることにした。
サルタ行きは20:00発(23ペソ)。
このバスは大変なバスだった。
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