2009/03/04 - 2009/03/05
16位(同エリア154件中)
がおちんさん
雲南旅行3日目の続き〜4日目まで。
アク族の村を訪問後、再びプーラン族の村へ帰ってきました。
アク族の村に行って、そのまま去ってしまってはプーラン族の友人に対して非礼になります。
私がモンフンに帰るには、プーラン族の村から出発しなくてはなりません。
もちろん、すぐに帰してはくれないので、ありがたく連泊させていただきました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ヒッチハイク
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-
雲南旅行も3日目の夕暮れ時。
アク族の村からプーラン族の村へと帰ってきた。
村人も仕事から帰ってくる時間だ。
明日は村を出発するので、今日のうちに彼らの茶畑を見ておきたい。
D氏の次男に頼んで、奥さんも一緒にバイクで茶畑に向かう。
もちろん、ノーヘルで3ケツOK。
日本では暴走族しかやらないが、
ここでは誰もがやってます。 -
村人は春の茶摘みで忙しい。
夕方になっても仕事を続ける人が見られた。
茶畑は昔よりずっと規模が大きくなっている。 -
あちこちで焼畑をやっている。
なんだか空が煙っぽいのは、このせいだったのか。 -
仲良しのD氏次男夫婦。
「ここで撮ろうか?」と聞くと、
二人は手をつなぎ、自然と笑顔になった。 -
水牛を連れて帰ってきた村人。
昔は各家庭にいた家畜だが、トラクターに変わった家がほとんどだ。
20年前、この村から帰るとき、
「日本まで歩いてどのくらいか」と聞かれた。
遠いから歩いては行けないと答えると、
「それなら水牛を貸すから乗っていけ」と言われた。 -
「そろそろ帰りましょう!」
いつまでも茶畑を眺めていたら、
彼らはバイクに乗って私を待っていた。
ごめん、時間がすっ飛んでいたよー。 -
★1990年に撮った写真
人見知りせず、私の行くところにチョコチョコついて来た女の子がいた。
おとなしくて、何も喋らない。カメラを向けても怖がらない。
あまり可愛いので、日本に連れて帰っちゃいたいと
思った。
今回、彼女に会えた。 -
「これ、私です」。
写真を手に訪ねて来たのは、間違いなく彼女だった。
19年経って、立派な2児の母になっていたが、
その表情には昔の面影が残っていた。
彼女は私のことを憶えていないけど、
とても喜んでくれて嬉しいよー。 -
すると、隣に来たおじさん。
「19年ぶりの再会だろ、ほら踊れ踊れ!」。 -
つられて踊りだす彼女と、その場に居合わせた女性。
-
プーラン族のノリの良さには脱帽!
-
最後にキメのポーズをつくったおじさん。
どうもありがとう! -
D氏の家に帰ると、ごちそうと酒が用意されていた。
わー、うまそうだ。 -
飲む前に、家族揃って記念撮影。
当たり前だけど、D氏の子供が大人になっていた。
いやー、みんな元気で何よりでした。 -
★1990年の写真。
全員バッチリカメラ目線。
高床式の家も懐かしい。
この時、昆明で買った上等の布をプレゼントしたのだが、なんと今もあるという。
最初は子供の服→部屋のすだれ→孫のおんぶ布と、
19年間も使い続けてくれていた。
ありがとう。本当に嬉しい。 -
宴が始まると入れ替わり立ち代り、人がやって来て酒を注がれる。D氏の親戚の人たちだ。
飲んで食べる男たちと反対に、女性は働きっぱなし。
次々と料理が出る。
何だか申し訳ないが、プーラン族の酒の席に女性が加わるのを見たことがない。
中央に出されたのは、ブーワン。
豚の血をニンニクや生姜、ネギなどで味付けしたものだ。スプーンで飲む。
見た目は血そのものだが、これが美味い。
全然、生臭くないのである。
ただし生血のため、みんな口の中が真っ赤になって、ちと怖い。
皆でワイワイと、時にシリアスな問題も交えて深夜まで語り合った。 -
2009年3月5日(木)
雲南旅行4日目の朝。
D氏の長女夫妻の家に招かれた。
昔ながらの萱葺きの家だ。
火をおこす。
湯を沸かして茶を飲む。
今朝はモンフンへ帰る予定だが、
「出発は午後にしてくれ」と言われた。
出産のお祝いを贈ったので、
その礼として一席設けてくれるようだ。
朝、夫が山でタケノコを採って来てくれたという。 -
食事の支度ができるまでの間、村人の写真を撮る。
というか、「撮って欲しい」と頼まれたら、茶などゆっくり飲んでいられない。
オーケー、昔と違ってデジカメだ。
いくらでも撮ってやるぜ!
男の子、満面の笑み。 -
野良に出る格好のまま、娘を連れてきた若い母。
理屈ぬきに素敵だ。
この村に来ると、人間本来の美しさに気がつかされる。 -
「いやだー、いやだー」と泣く、幼い子。
本当は撮って欲しくて仕方がないのだが、
他の子と一緒に撮られるのが嫌だったようだ。
なだめても効果なし。 -
お母さんに抱かれて泣き止んでも、
ずーっとこっちを見ている。
そうかと気づいて、近寄りカメラを向けた。
結果はご覧のとおり。
やっぱり一人で写りたかったんだね。 -
あれ、そんな服でピースなんかすると、
プーラン族の村にいるとは思えないよ。
もう、そういう時代なんだなーと、しみじみ感じる。 -
しかしだ、やっぱりこっちのほうが似合うよー。
昔の民族衣装とは変わっちゃったけど、
このほうが西双版納の娘らしいよ。 -
「ちょっ、駄目〜☆」と、
何回やっても照れてしまう、ご婦人ふたり。
さあ、次は決めましょう! -
照れと笑いを必死にこらえた一枚。
子供達よりも、
お母さん達のほうが「キャーキャー」言うのであった。 -
写真を撮り終え、ようやく席に着く。
プーラン族の思い出で、一番記憶に残っているのは囲炉裏の火だ。彼らはいつも火を眺めながら生活してきた。
私も炎を眺めながら、昔のことを想いだす。
そして今、再びこうしていることを噛みしめる。
プーラン族の人たちと過ごした時間。
これからも大切な思い出として記憶に残るだろう。 -
私のために、鶏をつぶしてくれた。
鶏肉はここではごちそうだ。
なので、「もっと鶏を食べろ」と何度も言われる。
しかし、これが強敵なのである。
本当の地鶏というのは、硬い。
皮やスジが強靭なうえ、身は少ない。
手羽でさえ、きっちり噛まないとバシッと関節が戻って口を痛める。
見た目とは違う、ハードなごちそうだ。 -
朝採りのタケノコは囲炉裏の灰に埋めて加熱し、
ナンミーというタレにつけて食べる。
版納で食べる旬の味。
当然、酒も進む・・・って、どれだけ飲むんだ?
いったい、少数民族の体はどこまでタフなんだろう。
こっちは一昨日から飲みっぱなしで、もう限界。 -
これ以上ない歓待を受け、またの再会を約束した。
実は、この頃より私の体調が悪くなり(これだけ飲めば当然だ)、心配したD氏夫人が「もう彼に飲ますな」と小言を言う展開となる。
「ごめんなさい、大丈夫ですから」と俺。
でも、大丈夫じゃなかった。 -
出発の時、D氏夫妻と3人で記念撮影。
しかし実際は体調不良で最悪な私。
なんとか空元気を出し、村を後にしたまではいいが、
モンフンに着く前には嘔吐が始まった(苦)。
ああ、情けないな。
何はともあれ、本当にお世話になりました。
どうもありがとう、D氏夫妻。
※おみやげにと、持ちきれないほどの茶をもらいました。
ややワイルドな味ですが、もしプーラン族の茶を飲んで見たい方がいたらメールを下さい。お分けします。 -
★おまけに、1990年に撮った写真を。
これが、昔のプーラン族の民族衣装です。
ぜひ拡大してご覧下さい。
上着は青と黒の2バージョンありました。
この服でモンフンの市を歩く姿が、格好よかったなー。
今回、彼女に会えたらと、この写真を持って行きました。残念ながら引越しして会えなかったけど、たまたま彼の夫が村に来ていて、携帯で(!)彼女と連絡がつきました。なんという時代! -
★おまけ2 1990年に撮ったプーラン族の村
そんな時代だから、もう少数民族がのどかに暮らしているなんて、過去の話です。
でも、たった20年前には、精霊が住み、死ぬまでに一度も景洪にさえ行ったことのない人がいる村があったのです。
そこで流れていた空気は、確かに今回とは違いました。
それを失ったのは、やはり残念です。
もちろん変わって当然だし、そうあるべきなのでしょう。
ただ、アク族の村と同様、やはり私の胸に強く残っているのは、この写真に写っている頃の雰囲気です。
【雲南省旅行記 2009】Vol.5 モンフン滞在記 へ続く
http://4travel.jp/travelogue/10401000
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ginさん 2009/11/24 16:36:32
- 今日は。
- メールからたどってこちらの旅行記へお邪魔しました。
雲南省の少数民族の村への再訪ワクワクしたりなるほどとうなずいたりしながら拝見させて頂きました。
時間とともにいい物、懐かしい物が失われてゆき地球が小さくなってゆく様に感じられます。
都会では失われた物が田舎にはまだ少し残っている現在です、それが無くなる前に訪ねておきたいですね。
貴重でなおかつ感動的な旅行記、久しぶりに楽しませて頂きました。
今後とも宜しくお願いします。
Gin。
- がおちんさん からの返信 2009/11/24 17:36:46
- RE: 今日は。
- ginさん
訪問と感想をありがとうございました。
> 時間とともにいい物、懐かしい物が失われてゆき地球が小さくなってゆく様に感じられます。
本当におっしゃる通りです。
村から水牛の糞が消え、トラクターに変わる。
電気が通い、少数民族の村人が中国語の歌を口ずさむようになる。
ひょっとしたら、孫の世代には中国語しか話せなくなっているかもしれません。それまで築き上げてきた文化が消えてしまう可能性もあります。
すでに民族衣装は着なくなっています。
そして、以前なら日本からどんなに急いでも1週間ではたどり着かなかった村々が、今回は東京を出た翌日の午後には着いてしまいました。便利になったと感じるよりも、あんなに広かった雲南が狭くなってしまったという失望感のほうが勝りました。
これからは自らが、それを感じないような旅のスタイルを作らなければならないと思っています。
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