2009/03/05 - 2009/03/06
16位(同エリア156件中)
がおちんさん
雲南旅行5日目。
昨日はプーラン族の村からモンフンへ帰ってきましたが、
おそらく酒の飲みすぎが原因で体調が急変。
なんとかダイ族の友人宅へ行くも、めまいと猛烈な吐き気で七転八倒。熱まで出て本格的に苦しむことに。夜になって吐き気は治まったものの、フラフラの状態で旧友と再会することになってしまいました。
当然、何も口にすることが出来ず、お湯で乾杯するハメに。
なんとも情けない再会になってしまいましたが、
一晩寝たら、だいぶ回復しました。
今日もモンフンに滞在します。
※思い入れのある地なので、過去の写真も多く載せました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
-
2009年3月6日(金)
雲南旅行5日目。
モンフンの夜が明けた。
20年前、この集落に来ていなかったら、私の旅は中国からカラコルムを越えてフンザに抜けていたはずだった。
それまで不便で不潔で不快だった中国の旅が、モンフンに来て楽しくなった。
いまや何てことのない、田舎町にすぎないが、
当時はここが少数民族の世界への入り口だった。 -
山の麓にあるモンフン白塔。
唐の時代に建てられた仏塔で「景恩塔」ともいう。
何度か建て直され、現在の白塔は1983年に修復されたものだ。
昔は名前のとおり白い色をしていたが、
いつの間にか金色の塔になっていた。
なかなかの見ごたえだ。 -
朝、I氏の奥さんがミーカンを作ってくれた。
薄味で辛味も抜いてもらったので胃に優しい。
ごちそう様でした。
よし、体調も回復してきたので散歩に出るか。 -
モンフンの表通りは短く、町外れの橋まではすぐだ。
ここから道は右にカーブする。
今はこの先に高速道路が通っているので交通量が多いが、かつては田んぼに仕事に向かうダイ族が水牛を連れて歩いていた、のどかな道だった。 -
★同じあたりから撮った写真(1989年)
野良仕事に向かう光景。
この頃の労働力は水牛が主役。
トラクターは村人の移動手段に使われることが多かった。 -
村の中を歩いてみた。
高床式の家は見当たらない。
どの家もレンガの塀に囲まれていて、
以前のような開放的な雰囲気は無い。
よそ者が住宅地をウロウロする構図に気が引けた。 -
★1989年のモンフン
村のイメージは、こんな感じだった。 -
一昨日と同じく、モンフンの表通りに立ってみた。
中国のどこにでもありそうな田舎町になっていた。
複雑な心境だが、これが現実。 -
★同じ場所から撮った1989年のモンフン
やっぱりモンフンといったら、こっちなんだけど・・・。
時間は元には戻らないのであった。 -
★そしてモンフンには、このようなお嬢さんたちが歩いていたものだが。(1990年)
-
現在のダイ族女性は、バイクで行き交うのであった。
-
やっと天秤かついだダイ族女性を発見。
しかし、後ろがATMって。
ま、スーパーだってあるんだから、ATMだってあるさ。
そんなことを一人でブツブツ呟く、地元の人から見たら変人状態の俺。 -
★やっぱ、天秤が似合うのは、こっちのモンフンだよなー。(1990年)
-
センチメンタルな散歩から帰り、お世話になったダイ族のI氏とツーショット。彼と写真を撮るのも19年ぶり。
-
★こっちは1990年の写真。
やっぱり二人ともずいぶん若いなー。
人間もこれだけ変わるんだから、モンフンの集落も変わって当然か。
ちょっと納得。 -
★1989年、I氏はモンフンで「傣味小吃」という小さな食堂を経営していた。
当時、モンフンを基点に少数民族の村に行っていたので、村から帰ってくると必ずここに寄って一杯やった。 -
★調理中のI氏(1989年)
品書きもメニューも無いけど、
あるもので何でも作ってくれた。
どちらかというと、おまかせ食堂。
店に行くと、彼はいつもタバコをくれ、
また酒代は取ろうとしなかった。
電気が無いので、外が暗くなると閉店。
その後、ろうそくを立てて一緒に飲んだものです。 -
★店を手伝っていたYさん。(1989年)
I氏の店には彼の姪が働きに来ていた。
この娘がまた花のように可愛いので、店とのギャップが著しい。
こき使われて可哀相なほどだったが、いつも健気に働いていた。
中国語はほとんど話せないが、彼女の転がるようなダイ語が耳に心地良かったなー。 -
なんと、そのYさんが会いに来てくれました。
モンフンに咲いた花のようだった彼女も、今では中学生と小学生の母親になっていました。
でも、その笑顔は変わっていないよー。
すっかり中国語が上手になって(当たり前か)、スムーズに彼女と会話できたのが不思議な感覚。でも、相槌や感嘆詞はダイ語なのがとても懐かしかった。 -
Yさんと母親をツーショット。
せっかくなので、Yさんの家に行って母親と記念写真を撮ることに。
☆今回の旅でベストショットになりました。☆
少数民族としてダイ族らしさを感じるのは、おそらく彼女の年代までで最後だろう。それ以降の世代は思考から身のこなしまで漢族と変わりがない様に今回の旅では感じた。
だからこそ、彼女と会えたのが嬉しい。
帰り際、「あなたに奥さんがいなくて、私に夫がいなかったら、私は日本へ行ったわね」と彼女。
え、いつの話だ? 20年前か?と内心ドキッとしながらも、なんだか嬉しいジョークであった。 -
再びI氏の家に帰ってくると、「飲もう」との誘いが。
いや、まだ体調が悪いので酒は勘弁してくれと懇願。
オレンジジュースでの乾杯となった。(ホッ)
美味しそうなダイ族料理を目の前に、食欲も復活してきた。
やっぱり版納では糯米に限る。これとナンミー(タレ)さえあれば幸せだ。
「じゃ、持って帰れ」とI氏、糯米と紫米とお茶をくれた。またYさんがナンミーを作って瓶に詰めてくれた。
しかし、こんな大量じゃ持って帰れない。
食後、郵便局に行ってみよう。 -
ダイ族料理は酸っぱくて辛いのが特徴だ。
しかしタイ料理のように甘さは無い。
口で説明するのは難しいが、ラオスの田舎の味と似ているかもしれない。
大好きな味だー。 -
モンフンの通りを眺める。
もう集落ではなく、町になっている。
ソーラー発電でお湯のシャワーも出るので、
きれい好きなダイ族は何度も浴びる。
また、トイレはタイと同じ水洗い式で紙は使わない。
ここら辺の習慣は漢族とは異なる。(そりゃそうだ)
モンフンの郵便局からは日本に小包は送れないので、勐海まで行く事にした。
昔なら半日がかりの仕事だが、乗り合いタクシーで15分。あっという間に用事が済んだ。
それにしても荷物の重さにビックリ。
米とお茶で15キロ以上もあった。
郵送料の方がはるかに高くついたが、頂き物なので全て送った。 -
勐海から帰ると、市場へ行ってみた。
今回、市場の場所がわからず、プーラン族の村へ行くのに肉を買って行けなかったが、モンフンの市場は通りから奥に引っ込んだ所にあった。
うーん、普通の常設市場か。
これじゃ、モンフンらしさが無いなー。 -
★1989年のモンフン
やっぱり路上で行われる市が、モンフンの醍醐味だ。
人がごっちゃごちゃでバス等の交通も塞き止め、少数民族で賑わっていた頃が懐かしい。
写真の右下では、プーラン族の人が何か食べてるな。
(たぶん涼粉) -
夕方、I氏と散歩に出かける。
山あいにある白塔へと上って行く。 -
白塔は、私の記憶よりも大きく迫力があった。
金色になったからかな? -
夕暮れの日を浴びて金色に光る仏塔が美しい。
-
まわりは木々が鬱蒼と茂っているが、以前はもっと大きな木が沢山あったとのこと。
文革中にみんな伐ってしまったそうだ。
文革の嵐はこんな田舎にまで被害を及ぼした。
寺は破壊され、僧侶だったI氏の兄も行方不明になっている。 -
前から不思議だったのだが、西双版納の黄色い竹。
-
I氏は白塔のある寺から、さらに山の奥へ進む。
修行僧を訪ねに行くのだ。 -
竹林に囲まれた静寂な場所で、修行僧が篭っていた。
ここには神聖な気が流れている。 -
I氏が私をここに連れてきた理由は、修行僧に旅行中の安全をお祈りしてもらうため。感謝です。
お布施をして交通安全を祈願していただき、手首に紐をつけてもらう。帰国するまではずさないことにした。 -
山に篭る修行僧たち。
彼らの一人から小乗仏教についての説明を受けたが、言葉が難しくてほとんど意味が分からなかった。
修行期間は2週間ほどで、山に篭っている間の食事は家族らがここまで運んでくるそうだ。 -
山にはロックポーンと呼ばれる花が咲いていて、この花のゆで汁を一晩もち米に浸すと独特の香ばしいにおいと黄色い色の米が炊ける。
炊き上がった米はカウロンと呼ばれ、市場でも見かけることがある。この花は年々少なくなってしまい、山に行かないと採れないそうだ。 -
ゆで汁には花の部分のみ使う。
「日本に持って帰れ」と、花を摘んでくれたI氏。 -
山からは勐混の集落が見渡せた。
-
山を下りてI氏の家に戻ると、I氏の長男が待っていた。
今夜は3人でダイ族の家庭料理を肴に乾杯。
軽くて飲みやすい雲南ワインを用意してくれた。
息子が宴の主導となって西双版納の近況などを話してくれた。生活も豊かになり、党の少数民族に対する政策には満足しているとのこと。
酒のペースが速い。「さあ、空けて」といわれて飲むと、すぐに注がれて「さあ、飲んで」と繰り返される。あっというまに2瓶が空になってしまった。
酒の肴はラーパー花を炒めたものや焼き魚、山菜の漬物、布朗山でしか採れない苦菜、ファッコアイというドクダミ系の味の野菜と、西双版納の味を堪能。
ナンミーと同様、ナムノー(酸筍のたれ)を空き瓶につめて日本に持ち帰った。帰国後、瓶を開けると、妻は「わあ、版納のにおいだ」と喜んだ。 -
お世話になったI氏と長男。
「もう1日ゆっくりしていけ」と何度も言われるが、これ以上は世話になれない。
明日は朝一番に出発することにする。
どうもありがとう。
また会えて嬉しかったよ。 -
★おまけ。(1989年のモンフン)
アメ横か仲見世のような混雑ぶりだが、
当時モンフンの市はこんなに賑わっていた。
この頃には戻れないと知りつつも、
いまだに想いはこの頃のモンフンへ。
【雲南省旅行記 2009】Vol.6 変貌した景洪に翻弄された! に続く。
http://4travel.jp/travelogue/10402406
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