2009/03/02 - 2009/03/14
68位(同エリア1023件中)
がおちんさん
13年ぶりに雲南省に行ってきました。
西双版納に住む少数民族の友人を訪ねる旅です。
安いFixチケットを使った11泊13日という短期間の旅行ですが、しがない自営業にはこれが限界。
次に行けるのは、何時になるかもわからぬ状況のため、睡眠時間も惜しいと思うほどの楽しい雲南滞在になりました。
初めて雲南に魅了されてから20年。まずは思い出の地である西双版納のモンフンを目指します。
雲南は変わりました。今回は自らが浦島太郎状態になっていたことを実感し、現在の雲南にとまどいつつも、徐々に現実を受け入れていく過程の旅でもありました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- 大韓航空
-
2009年3月2日(月)
雲南旅行の初日。
前日まできっちり仕事をして疲れているはずなのだが、ゆうべは頭が興奮してよく眠れなかった。
少々ハイになっているのがわかる。なんてったって13年ぶりの雲南なのだ。
成田エクスプレスの電光掲示板を見て、いよいよ非日常の旅が始まると実感する。 -
今回の旅は、「雲南には2度と行きたくない」という妻を残しての一人旅となった。彼女は、90年代半ばに推進された西双版納の無茶苦茶な都市開発と観光化に嫌気が差したのである。
私も同感だったが、ふと昨年頃より雲南に興味が湧いた。少数民族の旧友たちに会いたくなったのだ。
その昔、私が昆明に留学する大きなきっかけとなったのが、89年に西双版納のモンフンという集落で出会った人達との交流だった。
だから、今回の雲南旅行では、真っ先に彼らを訪ねようと思った。
せっかく乗り心地の良い「成田エクスプレス」なのに、気持ちがワクワクして眠れなかった。小学生の遠足前と同じだ。 -
あっという間に機上の人に。
不思議だ。食いしん坊の私なのに、食欲が無い。まだハイ状態が続いているようだ。
バックパッカーをしていた頃は、あれほど楽しみだった機内食も、今は食えない。
って言うか、味が辛すぎるよ、大韓航空!
梅ゼリーはお持ち帰りにしました。 -
至ってサービスの良い、キャビンアテンダントのアガシ。
インチョンまでは、「あっという間」に着いた。 -
インチョンでトランジットするの図。
格安航空券の常として、目的地には変な時間に着く。
まあいいさ、それでも当日中に昆明に行けるのだから。
昔は日本から昆明までは遠かった。まず香港に飛んで陸路で広州に入るか、バンコク経由が多かった。安いが時間がかかったものだ。
今日のフライトは、
KE704 成田13:55-16:35仁川
KE885 仁川19:30-23:35昆明
ちょっと昆明に着くのが遅すぎるなー。 -
昆明には15分遅れて、22時45分に到着。
20年前の昆明空港は、滑走路の脇で牛が草を食っていたなーと回想。
入国管理の係員は愛想が良く、随分とスマートな対応になっていた。
しかし、予想通り両替は開いていない。遅くったって国際線が着く時間には開けとけよと思うが、そこまで気が回らないのが中国。ここらへんは相変わらずだ。
宿を探さなくてはならない。空港のそばにある機場賓館はほぼ満室で、高い部屋(289元)しか空きがないが、手持ちの人民元が足りない。
ガードマンのおじさんから「階上のサウナなら180元で仮眠できるよ」と言われるが、サウナとは相性が悪いので辞退する。 -
仕方ないので、タクシーで茶花賓館にでも向かうかと歩き始めると、客引きの男がピッタリ寄り添ってきた。
彼の手引きによって、近所の招待所に向かう。暗い道を歩くこと10分。セミダブルベッド、テレビ、シャワー、トイレ付で100元。部屋はまあキレイな方だ。
明朝は景洪へ飛ぶので、無理して市内に行くことも無い。ここなら空港まで歩いてすぐだし、泊まることにした。
顔だけ洗って、すぐに寝る。 -
これが、雲南旅行の初日に泊まった「藍天招待所」です。
招待所といっても、ただの旅社です(笑)。
おそらくレンガを積み立てた建物なので、安全性には問題があると思います。
シャワーは水のみ。
100元という値段は高すぎますが、客引きを介さなければ安くなるでしょう。ただ、本来外国人が泊まれるかどうかは分かりません。
場所は、昆明飛行場を出て春城路を300メートルほど進み、最初の角を左折して道なりに200メートル行くと左側にあります。空港から歩いて10分です。他にも旅社が何軒かありました。
空港に近いので、夜遅く着いた時などには便利でしょう。 -
2009年3月3日(火)
雲南旅行2日目。
朝、宿を出ると、田舎臭い昆明の町が目に入ってきた。
あれっ、これは私の知っている昆明と変わんないな。
昨夜は暗くて分からなかったが、別に怪しい地域でもなかった。この辺りはまだ開発が進んでいないようだ。石炭の臭いすら無いけれど、なんだかホッとする風景でもあった。 -
朝一番の飛行機で版納に飛ぶため、空港へ向かう。
途中で豆乳を買い、ちびちび飲みながら歩く。 -
中国製ロボコップが町を監視していた。
-
空港に近づくにつれ、通勤する人が増えてきた。
やっぱり昔と雰囲気がちょっと違うかなー。 -
昆明空港に到着。
営業時間になっても両替の窓口は開かず。
向かいに中国銀行があるが、開くのを待っていたらフライトに間に合わない。
しょーもないので、景洪で両替することにする。
ということで、朝飯は妻がにぎってくれたオニギリの残り。作って24時間が過ぎていたが、南高梅のおかげで美味しく食べられた。 -
どんなに垢抜けた外見を装っても、両替ひとつ出来ないマヌケな昆明空港。
でも、そんな中国が好き。 -
空港内の売店には豊富な果物が。
マンゴー、ミルクフルーツ、ジャックフルーツと、気分は南国ムードだが、売り子のネーチャンは風邪気味で鼻をチィーンとかんだ。春城などと言われているが、昆明の冬はけっこう寒いのだ。
店員、やる気全く無し。 -
その昔は、飛行機に乗るにも走り出した人民達であったが、今回は悠然としたもの。
すでに日本人のほうが、せっかちで余裕が無くなっていると感じた。
さすが中国。そのうち日本人が中国まで出稼ぎに行く時代が来るだろう。 -
昆明からわずか40分で西双版納に到着。
まだ10時なのに、汗が噴出すほど暑い。
これぞ版納だ!
先週、東京では雪が降ったというのに、
今日の景洪は30℃もあるという。
写真は機内で仲良くなった小姐軍団。
河南省からツアーで雲南旅行に来ていました。
皆さんオシャレでスマートで、もう昔のようじゃないのであった。 -
昔は昆明からバスで2泊3日かけて景洪に来るのが普通だった。
思茅までは飛行機で行けたけど、週に2便しかなかったので何日も待たされる。結局はバスの方が早く西双版納に行けた。それが今では飛行機がひっきりなしに飛んでいる。便利になったものだ。
民航のバスで市内へと向かう。ここは自動車専用道のようだが、車の間を自転車で飛ばすガッツある女性を発見した。
ナイス! -
景洪の変貌ぶりは、すでに1996年当時に味わっていた。
のどかだった景洪の町が、下品な漢族の街に変わりつつあった頃である。
曼聴路にあった馴染みのレストラン兼ゲストハウスは漢族に乗っ取られており、版納料理とは程遠い代物が出てきた。
いつも微笑んでいたミーカン屋のダイ族女性は、あれこれと急かす漢族の客に対して眉間にシワを寄せて怒鳴り返していた。
またこの年、ガンランパのバンブーハウスのおじさんが亡くなっていた。私達が訪れる2週間前のことだった。
何か大切なものが消えて無くなってしまった。
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あれから13年。景洪などに用は無い。両替しなくちゃならないから寄るだけだ。しかし困った事に自分がどこを歩いているのかもわからない。
悲しい。 -
銀行で両替後、バス駅にタクシーで向かうも渋滞する。
版納で渋滞なんて考えられないことだが、現実にそうなのだから仕方ない。
運転手に「景洪は本当に変わってしまったね」と言うと、「8年住んでるが、変わり続けているよ」と応えた。山東省出身の漢族だった。
彼は楽園だった頃の景洪を知らない。 -
景洪からミャンマー国境の打洛(ダールオ)までは30分に1便の間隔でミニバスが出ているので、勐混(モンフン)までの切符はあっさり買えた。10分と待たずに出発する。実にスムーズに事が運ぶ。
昔はモンフンに行くのに、景洪から勐海(モンハイ)までが2時間半。モンハイからバスを乗り換えてモンフンまで1時間半かかった。
しかも、モンハイからのバスが満席だと翌朝まで足止めをくらうため、運が悪いと景洪から1泊2日の行程となった。
モンフンはそんな遠い村だったが、今回は高速道路で一気に向かう。 -
景洪の街は今も拡大し続けている。
いたるところで工事が行われており、ほこりが舞い上がる。あちこちで古い住居をぶち壊し、マンションが新築されている。 -
郊外まで出ても、ここが景洪だとは思えない。
まあ中途半端にやられるよりも、徹底的に開発されまくった方がマシだ。
楽園だった版納の思い出は、一生消えることが無いのだから。 -
高速道路は山をぬって通っており、以前とはルートが違う。
途中に観光用のハニ族村があったが、訪れる人もなく閑散としていた。観光客が来たら、踊りでも見せるのだろう。 -
高速道路を軽快に走り、50分ほどで大きな街へ着いた。モンハイだという。
あまりに早く着くので、にわかに信じがたい。 -
★私が知っているモンハイ(勐海)はこんな感じだったのだが。
1989年8月 モンハイのバス駅にて -
駅の看板にはやっぱり「勐海」と書かれていた。
確かにモンハイに来ていたのだ。しかし景洪と同様、自分がどこにいるのか全くわからない。
この街には何度も泊まっているが、かつての面影は皆無である。
もういいや。開き直っちゃえ! -
とはいえ、これほど街並みが変わっていると、モンフンや近郊の村の環境も大きく変わっているのではないかと心配にもなる。
バスは再び高速道路をモンフンに向けて走り始めた。 -
昔、バスが満員で乗れないのでモンハイからモンフンまで歩いて行ったことがある(途中でトラジに乗せてもらった)が、今日のルートには見覚えが無い。どうやら違う所を走っているようだ。
そんな事を考えていたら運転手から「もうすぐモンフンだよ」と声がかかった。
えっ、モンハイを出て15分も経ってないのに。 -
高速の料金所からモンフンの集落が見えた。
旧道は山に沿った道だったが、高速道路は田んぼ側を通っていたのだ。
この風景は良く憶えているぞ。
一気に胸が高鳴る。 -
山の麓の白塔も確認できた。
昔、道に迷って勐冈(モンカン)まで行った帰り道、あの山を越えてモンフンに帰ってきたよなーと懐かしくなる。 -
ついにモンフンに到着。
メインストリートは広くなり、道路の両側には商店が建っている。
やはり集落の雰囲気は随分変わっていた。 -
バスを下りて辺りを見回すが、天下のモンフンといえども、今となっては民族衣装が見当たらない。
覚悟はしていたけど、やはり軽いショックを受けつつ、友人宅を探すことにする。 -
★なんといっても、私の中のモンフンのイメージはこんな感じだったのだけど。
1989年8月 日曜市にて -
上の写真と同じような位置から撮ってみました。
山の上から突き出た木の形は、20年経っても同じなのであった。
なんか感動。 -
ダイ族の友人はモンフンで食堂(小吃)をしていたのだが、それらしき場所には見当たらない。
商店の人に写真を見せて聞いて回るが、最近住み始めた人が多いのか、「知らない」と言う。
それじゃあ、ダイ族の老人なら知っているだろうと、日陰で休んでいた老人達に聞いてみた。
すると、「これは I じゃないか。確かに食堂をやっていた。今は隠居して、そこに住んでいるよ」との返事。
話はとんとん拍子で進み、旧友のI氏宅へお邪魔した。 -
残念ながらI氏は隣村に行っており、今日は帰らないという。
ならば、明日か明後日にまた来ることを伝言し、今日はこのままプーラン族の村に行くことにした。
I氏の妻から、「せっかく来たのだから、昼飯だけでも食べていけば」と言われ、お言葉に甘えることにする。
そういえば今日はオニギリしか食べていなかった。
予想もせず、突然のダイ族家庭料理を目の前にして、その香りにノックアウト寸前。
もち米を手に、ナンミーをつけて食べたら、昔の記憶がどっと洪水のようにあふれ出てきた。
美味し〜い!
酸っぱくて辛いスープに、燻した牛肉。香菜にこんにゃくに青臭い茎。景洪やガンランパと比べるとモンフンの味は田舎風味。辛いけれど癖になる。もうたまりません。
モンフンの町並みは変わっても、ダイ族の味は不変だった。良かった〜♪
【雲南省旅行記 2009】Vol.2 懐かしいプーラン族の村へ に続く
http://4travel.jp/travelogue/10397034
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この旅行記へのコメント (7)
-
- Ted@Tokyoさん 2010/02/07 14:26:12
- 日本の田舎も変りました
- がちおんさん、こんにちは
13年ぶりの雲南、ほんとうに変ってしまったのですね。
15年ぶりのアメリカはほとんど変っていませんでした。
日本の田舎も40年前は大きく変りました。
変化することが良いか悪いかは別として、世界中が同じ風景になっていくのは耐えられないですね。
アメリカ人は、アメリカ風になることを「近代化」といっていますが、勘弁して欲しい感じです。
少数民族の豊かな文化を残せない「近代化」は、いつか大きなしっぺ返しを食らうきがします。工業化が地球温暖化を生んでしまったように・・・・。
こちらの再訪の旅行記と、13年前の旅行記、同時進行で見られる私はとても幸運なのだと思ってしまいます。 ほんとうに百聞は一見にしかずですね。
ありがとう、がおちんさん。
Ted
- がおちんさん からの返信 2010/02/07 16:44:24
- RE: 日本の田舎も変りました
- Tedさん
こんにちは。再訪の旅行記も読んでいただいたのですね。ありがとうございます。
正にTedさんのおっしゃるとおりです。このままでは少数民族の文化や習慣などはすぐに消え去るでしょうね。悲しいことです。たとえ少数であっても、民族独特の文化は世界の財産だと思います。
アメリカも中国も「井の中の蛙」ですね。ただ、井が大きいだけで(笑)。
Tedさんのような感想をいただくと、私も昔の旅行記をアップする甲斐があります。「今はもう無いけど、かつてはあった」という記録に過ぎませんが、それも意義があることかもしれません。
雲南の旅行記はしばらく続きます。他の地域もあるのですが、時系列順にアップしているので、いつになるかわかりません(笑)。
これからもよろしくお願いします。
-
- Halonさん 2009/11/17 22:59:40
- 面白い!
- がおちんさん
こんにちは。同時期に雲南省を旅していたhalonです。
昔の写真と比べてみるのって、とても面白いですね。
山の景色は変わってないから「あっ、ここだ」とよく分かりました。
僕も雲南省は23年ぶりだったのですが、当時は昆明の写真をあまり撮ってなくて、でも記憶の中の景色とはずいぶん違ってました。
今後も旅行記のアップ、期待しております。
- がおちんさん からの返信 2009/11/18 11:03:13
- RE: 面白い!
- halonさん
書き込みありがとうございます。
なんとhalonさんは23年ぶりですか!
それでは、まるで違う光景を目にしたでしょうね。
私は変貌した昆明を見るのが嫌で、
今回はあえて避けるように旅をしたのですが(笑)、
田舎に行っても同じことで、どこもすっかり変わっていました。
もう仕方ないですね。
定点撮影というわけではないですが、
過去に旅した地に再び立つというのは、当時の記憶が蘇って楽しかったです。
続きもアップしていきます。
どうぞよろしくお願いします。
-
- むりーさん 2009/11/11 09:59:24
- 思いが伝わってきます
- 雲南に通っているむりーと申します。始めまして。
20年前の西双版納の思いが伝わってくる旅行記でした。
私も今 花腰タイの所へ11年通っています。
西双版納は今年の5月に行ってきました。道路が本当に
よくなりました。
続きを期待しています。
- がおちんさん からの返信 2009/11/11 13:33:22
- RE: 思いが伝わってきます
- むりーさんさん
はじめまして、感想をありがとうございました。
11年も雲南に通っているって、すごいですね!
私も雲南に魅了されてきたのですが、
年々素朴さが失われていくのが嫌になり、
96年を最後に行ってなかったんです。
ところが昔の写真を見てたら、急に雲南に行きたくなってしまい、
今回の旅となりました。
今回の旅行記は、まだまだ続くのでよろしくお願いします。
確かに、今の雲南は道が良くなって旅がし易いですね。
でも、私は昔の悪路とポンコツバスが好きだったんです(笑)。
- saioumaさん からの返信 2009/11/25 18:38:43
- RE: 思いが伝わってきます
- > 雲南に通っているむりーと申します。始めまして。
> 20年前の西双版納の思いが伝わってくる旅行記でした。
> 私も今 花腰タイの所へ11年通っています。
> 西双版納は今年の5月に行ってきました。道路が本当に
> よくなりました。
>
> 続きを期待しています。
>
便利になってよかったねという部分と、失われてしまう大切なもの。
1996年から雲南に行っていまして、今年雲南の西のはずれ近く怒江を越え、和順古鎮に大切なものを求めて行きましたが、
とうとうここまでテーマパークが・・・
それでもその奥にある山上の集落にはまだ拝金主義でないふれあいとやさしい情が残っていましたので、遠路はるばる行った救いがありました。
これからはどんどん変わることがあっても、元に戻ることはありえないでしょうから、私たちには残念で惜しいことです。昔の風情を残している場所を旅するしか術がないんで、そういう所をおしえてください。
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