2009/03/04 - 2009/03/04
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がおちんさん
雲南旅行の3日目。
ゆうべは深夜まで飲み、今朝はしっかり二日酔いですが、
今日はプーラン族の村から、阿克(アク)族の村を訪ねます。
その昔、モンフンの市でひときわ目立っていたのが、アク族の人達でした。
長い黒布で頭を高く覆い、黒と赤を基調とした民族衣装を着て颯爽と歩いていました。
雲南では、アク族はハニ族の支系とされていますが、本人たちはハニ族ではないと言っています。
彼らは西双版納でも極端に人口の少ない少数民族です。
今回は18年ぶりに、彼らの村を訪ねました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- ヒッチハイク
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2009年3月4日(水)
雲南旅行3日目。
二日酔いで少々頭痛がするが、旧友との嬉しい再会で元気は満々。
今日はアク族の村へ向かう。
菜っ葉で朝飯をいただき、出発の準備をする。
「アク族の村は移設した」とプーラン族のD氏。行き着けなかったら大変ということで、D氏の次男にバイクで送ってもらうことになった。
モンフンの周辺にはダイ族をはじめ、ハニ族、ラフ族、プーラン族、ワ族(漢化)等の少数民族が暮らしている。それぞれ文化や風習が異なるが、地元の人は他の民族についても詳しい。
アク族のやや閉鎖的な気質を心配してかD氏は、「もし向こうで食事を出されなかったら、歓迎されてない印だ。その時は村に長居してはいけない」と言った。 -
★1991年4月に撮った、アク族の村。
アク族の村は遠い。
かつてはモンフンから4時間半も歩いて行った村だ。
山の急斜面に高床式の家が建つ、美しい村。
静寂の中で営まれる生活、緑に映える民族衣装。
とても幻想的だった。
さて、20年近く経ってどうなっているのかなー。 -
10時頃、アク族の村に到着。
ミャンマー国境に至る高速道路の建設のため、村は3ヶ所に分割されていた。景観が全く変わってしまっている。まるで別の所に来たみたいだ。
とりあえず山の下側にある村に入り、仲良くしてもらったR氏を探すことにするが、村人の素っ気ない態度に閉口する。
それに、もう民族衣装を着ている人はいない。
昔の写真を見せても「知らない」っていう人ばかり。
そんなわけねえだろと手当たり次第に聞きまくると、ようやく「知っている」という人が見つかった。
「でも、死んだ」。
「なんだって?」
「もう、死んでいないよ」。
「・・・・」。 -
★これは1991年の年末に撮った写真。
若いR氏が亡くなったなんて信じられない。
そして彼の奥さんは、他の男性と再婚して村を出て行ったという。
なんてこった!
息子達は今も上の村に住んでいるそうだ。
ならば、彼らに会っていこう。
もうバイクも帰っちゃったし。
私のことは憶えていないだろうが、せめて彼らと話がしたい。昔の写真を持ってきてあるので、喜んでもらえるだろう。 -
上の村に行き、R氏の次男宅へ到着。
留守だが、すぐに帰ってくるとのこと。
それまで村の老人たちに昔の写真を見てもらう。
誰が誰であるか、どんどん判明していく。
さすが長老だ! -
村の下に、工事中の高速道路が見えた。
すでに車が走っているのが中国らしい。
こんな奥地まで開発されてしまうのか。
数年後には車がバンバン走って、環境が悪くなるんだろうな。 -
R氏の次男と18年ぶりの再会。
やっぱり彼は私を憶えていなかった。
仕方ないよな、まだ小さかったからなー。
私がやって来た経緯を話すと、彼はすぐに兄弟や親戚に連絡を(携帯電話で!)してくれた。
すぐに酒が出され、「食事の用意をするから食べていってくれ」と言われた。これがまた素晴らしく美味い酒でびっくり。とうもろこしから造った自家製である。
R氏は2004年に心臓発作で亡くなり、その2年後に母親は再婚して他の村へ行ったそうだ。
そうか・・・
とにかく合掌。 -
★1991年に撮った写真。
中国ジャージを着た彼と妹、そして母親のR氏夫人。
雲南が好きな方にも、あまり知られていないと思うので、ここで少々アク族について説明します。
アク(阿克)族は西双版納に住む少数民族の中でも非常に人口が少なく、勐海県の布朗山地区と勐腊県の勐侖(モンルン)付近、そしてガンランパの近郊に暮らしています。
1950年代にアク族はハニ族の支系として登録されたので彼らの身分証はハニ族ですが、いわゆる9世紀頃に西双版納に居住しはじめた「ヤニ」、タイやミャンマーで「アカ」と呼ばれる民族とは異なった印象を受けます。
中国解放前のシップソーンパンナーではダイ族による封建社会制度が行われ、ハニ族に対しては「カド」、「アカ」等の名称が使われていましたが、「カ」の音は奴隷を意味する蔑称であるため、中国政府が彼らの自称の「ヤニ」を訳して「愛尼」とし、西双版納州のヤニ族は1953年に「アイニ族」となり、その後にハニ族に統一されました。「ヤニ」とは彼らの言葉で「兄弟」の意味。
タイやラオスの北部を旅行していると「アカ」や「コー」であれ、その服装や顔つきから、やはり「アイニ」と同族であることを強く感じますが、アク族はちょっと違うのです。 -
★勐混(モンフン)の市に来たアク族の女性。(1989年)
彼ら自身は「我々はアク族であって、アイニではない」と語っています。それはモンルンのアク族も同様で、さらに勐混のダイ族たちも、「彼らは少数だし、文字も無いからハニ族にされてしまった」と言ってました。
また、アク族の青年は、「伝説では我々の祖先は南京のあたりから雲南へ、そして西双版納へやって来たのだ」と語りましたが、真相はわかりません。
アク族はハニ族ではあっても、民族衣装はアイニとは異なります。またアク族同士でも村によって衣装に相違がありますが、貝を腰に巻きつけているのは共通しています。
彼らの顔つきは精悍で彫りが深く、色黒の人が多く見られます。女性の被る黒い布は、コックの帽子のように高く巻き、後ろ側に長く垂らします。大きな銀の首輪と耳輪をしていて、黒が基調の民族衣装はとても美しく、また男性の民族衣装もよく見られました。
市に来る時は、ハニ族のように背負った籠を頭で支えるのではなく、カイヤーと呼ばれる麻のバッグを使っていました。私も持っていますが、とても丈夫です。 -
★こちらは勐侖(モンルン)に住むアク族。(1991年)
布朗山地区に住むアク族の村は山の斜面にあり、山から引いてきた水を各家庭に分配できるよう、木と竹で作った水道管が通っています。これは佤(ワ)族の村に見られる特徴です。彼らの佇まいから受ける印象もハニ族より佤族に近いような気もします。
しかし新年を祝う祭りの様式は、屋内で鐘を演奏し、踊りながら米を撒くというハニ族と同一の形式でした。また、父子連名制の習慣もハニ族と同じです。
面白いのが、アク族はアイニ族の言葉を理解できるが、アイニ族はアク族の言葉があまりわからないということ。また、アク族はダイ族やプーラン族の言葉も理解できるし、もちろん漢語も話す。とても聡明な人たちです。
彼らの祖先がハニ族のように古羌人の系統なのか、佤族やプーラン族のように濮人の末裔なのかはわかりませんが、非常に個性的な少数民族です。
一方、モンルンやガンランパ近郊に住むアク族からはアイニ族に近い印象を受けました。
以上は1989年から1991年頃に感じた印象です。 -
私のことを憶えている人に会えました。
良かったー。
「よく来た。歓迎する。私は70歳を過ぎたが、まだまだ元気だよ」と語る、R氏夫人の父親。 -
★こちらは1989年当時のR氏夫人。(モンフンにて)
アク族の民族衣装がかっこよかったなー。
今回は彼女にも会えなくて残念だ。 -
あまり酔うと、写真が撮れなくなる。
今のうちに記念写真を撮ろうと提案した。
民族衣装を着たR氏の次男家族。
うん、やっぱりこっちのほうが良いよ。
本当にカッコイイ!
タンスにしまっておかないで、普段も着てよ。 -
R氏の長女夫妻もやって来た。
「じゃ、いっちょ撮ってもらおう」と着替える2人。
途端にかっこよく見えるから不思議だ。
やはり民族衣装というのは、その民族が最も良く見えるように作られているのである。
日本人の着物と同じだね。 -
続いてやって来た、R氏の長男夫婦。
彼も私のことを憶えていない。
「えー、君は当時けっこう大きかっただろう?」。
苦笑いするR氏の長男。
横で奥さん大笑い。
アク族の男は寡黙な人が多い。
一方で女はよく喋る。
かかあ天下タイプの夫婦が多い。
それにしても、アク族の民族衣装は素敵だなー。 -
またもや、私を憶えている人が登場した。
彼はR氏の弟だ。
若いときもイイ男だったが、歳をとって渋さが増した。
息子さんも成長しました。 -
★これは1991年にR氏の家の前で撮った写真。
お父さん、やっぱり若い。
息子は顔の形が同じだな。
ああ、R氏も生きてたらなー。
残念だ。 -
★これも同じく1991年に撮った、R氏夫人の両親。
最初に村に行った時は、人前ではカメラは出さなかった。
2度目に村に行ったときに、R氏が声をかけてくれた。
この写真は、その時に撮ったものだ。
リバーサルフィルムだったので、中国では現像できない。しかも、中国の郵便は信用ならんので、手渡しするしかなかった。半年以上も経った後にプリントを持っていったが、彼らはとても喜んでくれた。 -
そして今回のR氏夫人の両親。
19年前も今も、仲睦まじい。
R氏夫妻には会えなかったけど、
やっぱり来てよかった。
民族服のデザインがちょっと変わった。 -
近所の人も次々とやって来た。
「うちの子と撮ってよ」。
もちろんオーケーです。
しかし、アク族の女性もGパンにタンクトップか。
もう少数民族もヘチマも無いよなー。 -
ところが、着替えるとバッチリ少数民族になってる。
坊やの服もカッコイイよー。 -
うん。やっぱり民族衣装のほうがいいですよ。
アク族の女性は、頭が高くなるので迫力あるなー。 -
両手に子供を抱いて、撮る気満々のお母さん。
「嫌だ」とすねてカメラを睨むお嬢ちゃん。
大丈夫、表紙には可愛い顔を載せました。
しっかり子供用のカイヤー(かばん)を提げてます。
黒い帽子のチビちゃんは、まだ現状を把握していないようだが、しっかりとカメラ目線。 -
「さあさあ、今度はうちに来て」、と言われて移動する。坂が多いので、酔いが回ってきてしまった。
今回は携帯プリンターとPiviというインスタックスフィルムを持参したので、撮った写真はその場でプリントしてプレゼント出来るのだ。
少数民族の村では本当に重宝する。 -
家族揃ったところだが、「カメラ持ったおじさんが怖いよー」と子供が泣き出す。
-
お姉ちゃんがなだめるが駄目。
「怖いよー!」。
・・・弱ったな。
ごめんね。 -
これは見事な民族衣装だ。
うーん、美しい。
アク族はプーラン族ほど「ダイ族文化」の影響下にないので、独自の民族衣装は晴れ着として残ることだろう。
ぜひとも「アク族文化」を継承していってほしいと思う。 -
一家で記念写真。
この家族を見ると、少数民族文化の変遷がわかる。
そりゃあ、テレビもケータイもある時代だ。
仕方ないよ。
でも、ここは中国だ。
どんどん漢化が進んでしまうと思うと、かなり残念。 -
子供の首には、アク族ならではの貝が。
そう。そのセンスをいつまでも失わないで欲しい。 -
村の奥の方は緑が多く、昔のような印象が残っていた。
若い娘さん達に「撮ってー」と頼まれる。
この村は坂が多くて疲れるが、酔いも醒めたきたようだ。 -
花と一緒に撮る。
本当は一人ずつや、ツーショットと何枚も撮らされた。
この娘たちの世代になると、きれいな普通語を話す。
テレビの影響か、漢族と変わらない印象を受けた。
みんな、次回はぜひ民族衣装で!
いや、もう無理かもなあ。 -
さっきも出てきた黒帽子の赤ちゃんと、
オシャレな姉さんは、なんと茶髪! -
若い人は、もう耳輪をつけていない。
おばさんにアップで撮らせてもらいました。 -
100枚以上も撮って、R氏次男の家に帰還する。
にわとりさん、ただいま。
「お疲れでした、コケッ!」 -
写真のプリント作業を終え、
改めてR氏の次男と、R氏長女の夫から接待を受ける。
「今日は泊まっていけ」としきりに勧められるが、プーラン族との約束もあるので、食事をいただいてから帰ることにする。
彼らの酒は香りが高くまろやかで、アルコールがツンとしない。これを飲んだら店で売っている白酒はとても飲めないだろう。おみやげに1本贈る」と言われるが、その後お互いに酔ったので忘れてしまった。残念。
近くの山から採ってきたという山菜は茎と葉の部分を炒めて食べる。独特の風味があっておいしい。
何よりも豚肉の味には感動した。雲南は豚が美味いので有名だが、この豚肉は雲南の中でもかなりレベルの高い味だ。彼らによると、それは「飼料にこだわっているから」とのこと。市販品は一切使わないそうだ。味付けも激辛ではなく、日本人の味覚にも合う。
彼らは漬物も漬ける。菜っ葉の漬物を炒めたものが、これまたイケた。 -
彼らの暖かいもてなしに感謝して村を後にする。
「お父さんが亡くなったことは本当に残念だが、君たちに会えて良かった」と伝えると、「次回はぜひ泊まっていってくれ。11月には我々の新年祭があるから、その時に来ればいい。歓迎する」と言ってくれた。
プーラン族の村までは歩いて約2時間、酔い覚ましにちょうど良いかと思ったが、R氏の次男がバイクで送るというので好意に甘えた。(飲酒運転だ〜)
道すがら、変わらぬ旧道の風景を見ながら昔の記憶を噛みしめ、そしてあの時小さな子供だったR氏の息子と酒を飲み、こうしてバイクで送ってもらっていることが何とも不思議な気持ちだった。 -
★これが私の記憶の中にあるアク族の村。
初めて訪れた時の印象は今も強烈に残っている。
いまや村はすっかり変わってしまった。
仕方ないことだが、わずか20年でここまでなるとは予想しなかった。
この世は無常だ。
でも、やっぱり昔のほうが好きだなー。 -
★元気だった頃のアク族のR氏。(1991年)
彼が親切にしてくれたから、また訪ねたいと思っていた。
もう会えなかったのは残念だが、家族の人に良くしてもらったよ。
ありがとう、R氏。
安らかに!
【雲南省旅行記 2009】Vol.4 再びプーラン族の村へ に続く
http://4travel.jp/travelogue/10399486
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