2009/10/31 - 2009/10/31
4721位(同エリア5127件中)
ソフィさん
2009年10月31日(土)
金沢城は、加賀平野を流れる犀川と浅野川に挟まれた台地に、造られている。
山の尾に造られているから、尾山城とも呼ばれることがあった。
原点を辿れば、加賀一向一揆で支配権を得た本願寺が、加賀の拠点として1546年(天文15年)に造った、尾山御堂といわれる。
「御堂」(ミドウ=仏を安置した部屋)」ではあるが、戦争を意識したかなり城に近い構造だった。
さらに古くに遡って1471年(文明3年)頃に、越前吉崎に道場を開いた蓮如上人が、加賀における布教の中心として設けたという説もある。
左右の川に守られ、見晴らしがよいという立地の素晴らしさから見て、ここは優れた砦の候補地であった筈だ。
城を賄う水も、不十分ながらも「金沢」の名のごとく、僅かながらの湧水はあった。
下って1580年(天正8年)、織田信長のもと 佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称した。
初代の城主である。
しかし佐久間盛政の城主時代は、長続きしなかった。
金沢の語源は「金城霊沢」である。
これは現在兼六園の片隅に湧く泉であるが、実直な「芋堀藤五郎」が千年ほど前この泉で芋を洗った時、砂金が発見されたと伝えられる。
間もなく1582年(天正10年)、本能寺の変の後、佐久間盛政は柴田勝家に従うが1583年(天正11年) 賤ヶ岳の戦いで破れ、この戦いに勝った羽柴秀吉(豊臣秀吉)が金沢城を前田利家に与える。
そして前田利家は、その年の4月(旧暦では6月)に入場し、尾山城と改称した。
1587年(天正15年) バテレン追放令により除封されたキリシタン大名高山右近が前田利家に招かれ、尾山城の大改造を行った。
そして再び、金沢城と前の呼び名に戻った。
前田利家は明治維新までほぼ三百年間「加賀百万石」の殿様としてこの城を守り、「百万石文化」を育てる。
関連の写真は、「ソフィさんの旅行記」
http://4travel.jp/traveler/katase/
をご覧ください。
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