2009/10/31 - 2009/10/31
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ソフィさん
2009年10月31日(土)
兼六園と金沢城の石川門を結び、昔の百間掘を跨ぐ大きな橋「石川門橋」がある。
その上から眺める城郭は堂々とかつ颯爽としていて、何回訪れても感動を受ける。
その感動は、年齢とともに増していると感じる。
このような現象は、歳を重ねることの、有難さの一つと考えている。
私の子供のころ、金沢城は第九師団の司令部となっていたので、この橋の辺りには門衛の兵隊さんがたくさんいて、近寄りにくかったものだ。
第九師団は日清戦争のすぐ後に作られた六つの師団の一つで、日本一を争う強さで有名だった。
百間掘は明治になってから埋め立てられて、道路となった。
現在は、金沢城を一周する「百万石通り」の一部となっている。
四高(旧制第四高等学校)の学生時代、城を一周するランニングが運動部のトレーニングとして流行した。
戦争直後の靴がなかった時代なので、裸足で走った。
通学時さえ、裸足の者がいた。
その様子が新聞の写真に載り、三重県の女学生から手作りの草履が送られて来たこともある。
朴歯の下駄ならば手に入ったので、校長から「裸足で街を歩くな」と注意された。
「人生の本質ではない」そんな細かいことまで気を使ってと、校長の人気は落ちた。
しかし下駄履きでランニングすることはできず、裸足だった。
板張りの体育館も、テニスコートも裸足である。
裸足で歩けば足の裏は鍛えられて厚く、強くなると思っていたが、私の場合はマメが出来て皮が剥がれ、痛かった。
冬になれば足の裏に凍傷が発達し、水ぶくれが地図のように見えた。
私は昭和22年、旧制高校一年生の秋から、卓球部に入った。
当時の卓球部は、剣道や柔道の道場だった「無声堂」が、マッカーサーの禁止令で空き家になったところに創設されて二年目。
私が入部した時には「一度も勝った実績のない」ことが魅力だった。
新しい伝統が築けると、考えたからである。
目標は大きく、全国制覇だった。
翌春部を盛んにしようと、校門に立って新入生を勧誘した。
すると、思いがけなく40名を超える入部希望者があった。
今度困ったのは、コート不足である。
そこでヤル気のある人と無い人を選別しようと、毎日金沢城一周のランニングを課した。
そして残ったのは、四名に過ぎなかった。
「石川門橋」を渡るたびに、その下を裸足で走った若き日が思い出される。
石川門付近の写真は、「ソフィさんの旅行記」
http://4travel.jp/traveler/katase/
をご覧ください。
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