2009/10 - 2009/10
40207位(同エリア47414件中)
西部旅情さん
天山山脈南麓のトルファン盆地は、新疆ウイグル自治区の東西のほぼ中央に位置する。中国のシルクロード上で最も海抜の低い盆地で、トルファン市街地の海抜は24m、市の南100㎞のアイディン(艾丁)湖はマイナス154m(死海の392mに次ぐ低さ)だ。中心都市トルファンは、市と2つの県からなり、総面積4050k㎡、オアシス面積はこのうちの9%、大部分は四囲を囲む岩石と砂漠である。市の北側には東西に延々と火焔山が屏風のように続いている。
かつては火州と呼ばれ、年間雨量16~22mm、年間蒸発量3000mmという乾燥地帯であるうえに、夏の暑さと大風も特徴で、最高気温48℃という記録や、風速40mの風が13時間にわたって吹き続けた記録もあるという。真夏の火焔山の地表温度は80℃に及ぶというから凄まじい(『西遊記』に描かれる「火の海の火焔山」も、あながち物語のこととは片付けられないリアリティがあるということができる。)
古くは姑師と呼ばれ、漢代には車師前国の都・交河故城の東側に、漢の植民基地として高昌壁が設けられた。五胡十六国のころに高昌郡、5世紀なかばには高昌国が建てられたが、車師前国、高昌国ともに匈奴や突厥など遊牧諸民族と、西域を治める拠点にしたい漢民族との間に狭まれた小国として翻弄され続けた。シルクロード・西域北道(天山南路)のオアシスとして重要な地点であったことに、トルファンの繁栄もあり、諸民族の争奪の的になり続ける悲劇もあったのである。唐は高昌国を滅ぼして西州とし、安西都護府を置いた。8世紀末には吐番(チベット)の支配下に入り、その後西ウイグル国、チンギス汗、東チャガタイ汗国、カシュガル汗国、ジュンガル部の支配を受け、清のころに新疆省が成立して鎮迪道に属し、1984年にトルファン市となった。
現在、トルファンの人口は54万人(市の人口は25万人)。ウイグル族74%、漢族20%、回族ほか6%という人口構成になっている。
過酷な気象条件であっても、かえってそのためにこの地は葡萄や瓜などの果物の栽培に適し、地味は豊かで、夏のオアシスは強い日差しのなかに、鮮やかな緑を溢れさせて美しく輝く。小さなトルファン市街や周辺の村には、冗談好きで陽気なウイグル族の男たち、彫りが深く控えめな女たちや人懐っこい子供たちがいて、つまりは、この人たちこそが「オアシスの華」なのだと思わずにはいられない。どこのオアシスも砂漠の宝石ではあるが、トルファンはことのほかその思いを強く感じさせる。日干しレンガを積んだ風通しのよい葡萄小屋、天山山脈の地下水が湧く井戸を地下水道でつなぐカレーズなども独特の風物詩を奏でる。
参考:中国観光専門サイト―西部旅情http://www.westpassion.com
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