2009/09/12 - 2009/09/12
605位(同エリア872件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,387,383アクセス
- フォロワー62人
ここ、オスロで初めて観光をするために、オスロカードを駅前の観光案内所で買いました。観光をするには、これを買ったほうが乗り物も入場料も含まれているので、断然安いのです。
昨日、オペラの前に駅前の辺りを散策しましたが、今日はまずバスでヴィグドイ地区にあるヴァイキング船博物館へ行きました。9時の開館すぐでも、観光バスが何台も駐車していて、館内はラッシュアワーのようでした。
そして、10分程歩いて、コンチキ号博物館、フロム号博物館を見た後、船で市庁舎前広場へ戻ってきました。
朝から何も食べていなかったので、ノーベル平和センターでオープンしていたレストランで、一人静かにブランチを取りました。
食後、市庁舎に行きましたが、残念ながら市庁舎は閉館していて見れませんでした。
その後、歩いてオスロコンサートホールを訪れました。
コンサートのある日でないと、内部は見れないので、外観だけ眺めてきました。
この日は、快晴でまた日焼けしてしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
PR
-
オスロもホテルが高いので、一人で泊まるときはいつも苦労します。
2ヶ月前に予約しておいたオスロ中央駅から歩いて5分位のところにあるThon Hotel Spectrum は、シングルルーム朝食なしで、680NKKでした。ホテルで朝食は65NKKでしたが、いつも朝はジュース位で遅い朝食をとる習慣なので、パス。
朝早いホテル前は閑散としています。 -
前日に撮ったものですが、日中は人で賑わっています。
ホテルの斜め向いにセブンイレブンがあすので、何かと便利でした。
夜でも、治安が悪いとは感じませんでした。 -
駅からホテルへ初めて行くときも、ホテルから駅へ出掛けるときもいつも道を変えていました。色んな建物が見られるからです。
2泊しましたが、時々迷いましたが。 -
ノールウェイ国立オペラ劇場
-
Mamma Mia!をやっていました。
-
劇場の前にある広場には、日中、多くの市が立ちます。
-
駅に行く途中にあった建物の装飾も美術品
-
バスでやって来たヴァイキング船博物館です。
余りの人混みで、空いているところから見ていきました。
1904 年に発掘されたオーセバルク船( Oseberg ) 、800年代から50年間使用された女王の船で、女王の死後、遺体と共に埋葬されたそうです。 -
-
-
900年代に使用された長さ23m、横幅5mのゴークスタット船 ( Gokstad ) 、喫水線が極端に低く、千年以上前の船とは思えないような造形美にびっくりします。
ヴァイキングは、優れた造船技術でヨーロッパや北米大陸を席巻しました。 -
ヴァイキング船博物館にある Anne Stine & Helge Ingstad の記念碑
-
港の方にあるコンチキ号博物館やフロム号博物館へ行く途中の家並み。
この辺りは敷地も広くて、中流の上クラスの居住区域だと思いました。 -
-
コンチキ号博物館。
コンチキ号はポリネシア語で「太陽の子」という意味です。 -
バルサ材で造られた筏船。こんな船でよく8000キロも漂流出来ますね?
-
コンチキ号で1947年、ヘイエルダールは5人の乗組員とペルーからイースター島まで8000キロを101日間かけて漂流しました。インカ帝国以前のティワナク文化とポリネシアの石の文化との共通点を発見し、南米からポリネシアへの文化の移動を実証するためでした。
-
パピルスの船ラー2世号です。
-
文化人類学者、トール・ヘイエルダール (Thor Heyerdahl) は、1969年パピルスの船ラー (RA)1世号を作り、再び航海に出ました。古代エジプトから南米へ文化移動説を実証するため、モロッコから南米に向けて、漂流しましたが、5000キロ進んだところでハリケーンに襲われ、沈没してしまいました。
翌年、ラー (RA) 2世号を作り、再度挑戦します。8ヶ国から集まった8人の乗組員と、6100キロを57日間漂流しました。 -
-
フラム号博物館へやってきました。
1911年12月14日、最初の南極点到達。
北極探検3回のノールウェイ人、ロアール・アムンゼンの像 -
フラム号の前進という意味通り、北極に向けて前進あるのみだったのでしょう。
Nansen(ナンセン)の指揮で、1892年10月26日進水式の後、北極へ。その後、フラム号をアムンゼンに譲りました。
アメリカ人のクックとベアリが北極点を征服したと聞き、すぐに南極に変更しました。
1910年10月に公表し、ロバート・スコットと競争し、アムンゼンが先に征服しました。スコット隊は、1912年1月18日に南極点征服しましたが、悪天候や食糧運搬の不手際などが重なり、全員死亡という結果になりました。 -
フロム号の設計者、Colin Archerの胸像 (1832 - 1921)
-
3回の北極探検のルートが記されています
-
-
私が初めて訪れた町、Stavangerは、造船の町だったんですね。
多くの船がこの港から出航して行きました。 -
-
ロアール・アムンゼン (1872 - 1928) は、1928年ノビレ飛行船探検隊救助に参加し、北極海で行方不明になり、死亡したとされています。
-
-
-
-
-
-
-
市庁舎前の船着き場に着きました。この頃には、沢山の観光客がここからヴィグドイ地区へ行くようでした。
-
船を降りると、目の前の広場では、子供達がサッカーをやっていました。
-
ノーベル平和センターへ行ってみます。
-
ここには、今までのノーベル賞受賞者が展示してあります。素敵な展示スタイルでした。
-
1階のレストランでブランチです。11時半だったので、空いているかなと思ったのですが、大丈夫だったので、まだ誰もいないレストランでゆっくり食事をすることができました。
-
-
日曜日も空いてる筈だったのに、出てきた職員に訊くと、今日は残念ながら閉館になったそう。
-
-
-
-
-
-
オスロコンサートホール
-
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
オスロ(ノルウェー) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
オスロ(ノルウェー) の人気ホテル
ノルウェーで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ノルウェー最安
379円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
49