2009/03/01 - 2009/03/05
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背番号18さん
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この下からロバの骨が発掘された。
その骨はまさしく、「ブレーメンの音楽隊」のロバの骨に違いない。
何?鶏や猫の骨はどこにあるかって?
…貴様にはロマンというやつを一から教え込まねばならんようだな。
ベドヒャー通りにある看板より。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- エールフランス
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大聖堂の中へ。
4年前に入った時はかなり感動したけども、東欧から巡ってくるとかなり地味に見える。 -
見える?
この大聖堂にはずっと鼠が住み着いているのです。 -
大聖堂の付属博物館。
ブレーメンは当初、キリスト教の北方伝道の拠点でした。確か10世紀にハンブルク=ブレーメン大司教座として統合されたわけです。
ブレーメンのアーダム、アンスガル、リンベルトなど、名物司教が頑張って北を目指したそうな。
それゆえに、ブレーメンは「北のローマ」と呼ばれたとか呼ばれなかったとか。 -
司教の遺品も展示されています。なぜかスペインのものだったけど。
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保存のために明かりを落とした部屋で一人遺品と向き合う。
飽きませぬ。 -
大聖堂の中庭。
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これでブレーメンの見どころは一通り終了。まだお昼前。
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ブレーメンに来たら誰もが撮るアングル。市庁舎と大聖堂のツーショット。
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さてお立会い、ここにありますBalge(バルゲ)の文字。これ、中世の用水路の跡なのです。中世盛期のブレーメンにはヴェーザー川のシュラフテとならんで二つの河川港があったんですな。
当初使われていたのがこのBalge。川から直接マルクト広場にまで商品を運び、そこで取引をしたのです。 -
もちろんここには小型船しか入れない。国際商業が盛んになって、大型船での輸送が一般的になると、ブレーメンは新しい港を作らなくてはならなくなったんですな。
それで新たに整備されたのが前述のシュラフテというわけ。 -
Balgeは用水路兼下水路という不衛生極まりない状態だったため、1399年には整備令が出され、3日以上の船舶の停泊が禁じられました。更には衛生状態を管理する人まで任命されていたりしたのです。
ブレーメンは河川港と共に生きていたのですな。 -
街には市が立っています。中世も似たようなものだったのか。
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昼飯。カリカリ過ぎるベーコンはしょっぱかった。
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これは美味。
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マルクト広場からさっき通ったベドヒャー通りを見るとこんな感じ。
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Balgeは、今も息づいているようです。
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晩御飯はシュノーアで。
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これらも美味。
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想像よりもかなり地味な位置にある音楽隊像。
ロバの足に触ると幸せになれるんだとか。みんなで触るのでそこだけ金色になっております。
ちなみにこの写真を撮ってくれた兄ちゃんは超イケメンだった。 -
母「なんでこんなところにハーメルンの笛吹きがいるの?」
息子「母よ、これは豚飼いだ。中世では城壁の内部で家畜を飼い、日が昇ると城壁の外に放牧したんだ。都市の道だって、道というよりは『道兼ゴミ捨て場兼家畜の通り道兼なんかよくわからんスペース』という多目的広場にすぎなかったんだ。だからもうホントにエラい汚かったんだ…と、思う」 -
最終日の夜にはラーツケラーでお食事。
これ、どこかというと…。 -
市庁舎の地下なのです。
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そして料理は激マズ。
ハンザ商人の主要商品ってことでニシンの酢漬けも注文したらこれも激マズ。スープまでは最高においしかったのに。 -
彼らの目指した理想郷は、豊かな後背地と国際商業とをつなぐ河川港、そして何より自由と富を求める人々のエネルギーにあふれていたのです。
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