2009/08/19 - 2009/08/19
430位(同エリア1150件中)
ゆっきさん
山形市内で昼食(冷やしラーメン)を食べた後、山寺を訪れました。
山寺駅の側のお土産屋さんの駐車場に停めさせてもらい、山寺に向いました。
登山口から上り初め、根元中堂、日枝神社を見ながら歩き、山門へ・・・
山門にて拝観料(300円)を収め、1015段の石段となります。
仁王門、性相院、金乗院等を見ながら登り、汗だくになりながら奥の院に着きました(^^ゞ
奥の院で参拝を済まし、五大堂で展望を楽しみ下山しました。
全身汗だくになりましたが、とっても気持ち良く歩けました。
その後、最上川に沿って日本海に出て北上!
鳥海温泉保養センター・あぽん西浜で温泉に浸かり、施設の隣にあった食事処で夕食を済ませ再び北上し秋田県へ
結局、男鹿半島の付け根にある「道の駅てんのう」まで来てしまいました。
1日目は、ココ「道の駅てんのう」で車中泊することにしました。
~行程~
14:30 山寺(1時間半、山寺を散策。16:00出発)
19:30 あぽん西浜(入浴・夕食。20:45出発)
22:30 道の駅 てんのう
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
お土産屋さん(店名は忘れました(^^ゞ)の駐車場に車を止めさせてもらい、見上げると山寺(五大堂と開山堂)が見えました。
下から見上げると、なかなか歩き応えがありそう・・・自販機でお茶を買って山寺方面へ歩き始めました。 -
途中で立合川を渡ります。
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山寺の登山口に到着!
登山口の案内板には、以下のように書かれていました。
【山寺】
宝珠山立石寺を中心とする山寺は、清和天皇の勅許(ちょっきょ)をいただいた慈覚大師(じかくたいし)により、貞観2年(860)に開かれたと伝えられています。全山を構成する角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)は永年の水蝕と風蝕を受けて奇岩怪岩となり、これが樹木の間に見え隠れする姿は、四季折々にほんとうにすばらしい景観となっています。
また、境内地の参道石段は立ち並ぶ句碑や板碑とともに苔むして、老杉や怪石の間にはたくさんの堂塔が建てられ、千古の静寂をたたえています。
元禄2年(1689)には、俳聖松尾芭蕉が門人の河合曽良とともにこの地を訪ね、
「閑けさや 岩にしみ入 蝉の声」
の名句をおくのほそみちに残しています。 -
この登山口より、山寺を登り始めました。
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最初の石段を登ると、根元中堂にでました。
【根元中堂】
慈覚大師が国家安泰を護る根源の道場として創建したもので、大師自作と伝えられる木造薬師如来坐像のほか、幾つかの仏像が安置されている。
堂内の法灯は、建立当時に比叡山中堂より移されたもので、1100余念の間、一度も途切れることも不滅の光を放っている。
過去、織田信長の焼き討ち後延暦寺再建時に、逆に立石寺から分けたという。 -
小石が積み重ねられた灯篭がありました。
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まずは、根本中堂で参拝
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日枝神社へ歩き始めると、橋殿が祀ってありました。
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鳥居を潜ると日枝神社となります。
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清和天皇の御宝塔
案内板には、
「奥に見える宝塔は、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養等で、天皇の遺徳を慕い、国家の安泰を祈って建立された、当山では最も古い石塔である」
と解説されていました。 -
大きなこけし塚がありました。
う〜ん、見所多すぎてなかなか進まない(^^ゞ -
やっと日枝神社です。
(色々見ていたら、時間がかかってしまった)
ココ日枝神社でも参拝し、先に進みました。
【日枝神社】
山寺の守神として、大宮山権現を慈覚大師がおまつりしたそうです。 -
日枝神社の境内にいたノシメトンボ
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松尾芭蕉と曾良の像がありました。
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山寺の山門です。
ココ山門で、拝観料を払い中に入ります。 -
1015段もある石段。
仁王門までは、木々に囲まれているので気持ちよく歩けます。 -
山門から少し登ったところに、姥堂(うばどう)があります。
姥堂は、これを境にした極楽(上方)と地獄(下方)との分かれ目とされ、極楽浄土への入口と説かれています。 -
山寺の石段は、まだまだ続きます。
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周りの木々を眺めながらのんびりと歩いているので、どんどん抜かれます。
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木々の間からのぞく太陽
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芭蕉の句で有名なせみ塚に到着
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句をしたためた短冊をこの地に埋め、石の塚を立て「せみ塚」と名づけたそうです。 -
せみ塚から少し登ったところに、弥陀洞(みだほら)があります。
長い清月の風雪に岩が削られ、阿弥陀如来の姿を造りだしたそうです。
阿弥陀如来に見える人は、幸福になるとか・・・
う〜ん、見えませんでした(^^ゞ -
仁王門が見えてきました。
この時点ですでに、汗だくです。 -
仁王門です。立派な門です。
案内板には、
「嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作といわれ、邪心をもつ人は登ってはいけないと、睨みつけている。後方の閻魔王がこの門を通る人たちの過去のおこないを記録するという。右の岩穴に見える石塔には、亡くなった人のお骨が入っており、他の岩穴にも古い人骨が納められている。」
と解説されていました。 -
仁王門を潜り上を見上げると、観明院(手前)と性相院(奥)が見えます。
奥の院までもう少しです。 -
性相院から見た納経堂と開山堂
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胎内堂です。
今では立ち入り禁止となっており、一般の人は入れません。 -
やっと、奥の院が見えました。
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参道の終点、奥の院に到着。
【奥の院】
慈覚大師が所持された三国伝来の釈迦と多宝の両尊が安置された如宝堂です。
如宝堂左側に大仏殿があり、黄金の阿弥陀如来が安置されています。
また、境内にある巨大な灯篭は、日本三大灯篭の一つです。 -
奥の院にあった鐘楼
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奥の院からの眺めです。
この眺めを見ながら一休み! -
次に行ったのが三重小塔です。
案内板には、
「三重小塔は永正16年(1519)に建立された小塔です。高さが8尺2寸(248センチ)と比較的小さい為、岩窟の中に全体が納まり隙間を埋めるように木壁と庇が付いています。」
と解説されていました。 -
三重小塔
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三重小塔の奥にある華蔵院からの眺めです。
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華蔵院で咲いていた松葉菊
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五大堂に向うた石段を降ります。
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胎内堂です。
その奥に、木の陰で見えにくいのですが釈迦堂があります。 -
納径堂
案内板によると
「岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物である。県指定文化財で、昭和62年解体修理がおこなわれた。その真下に、慈覚大師が眠る入定窟がある。」
と解説されていました。 -
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納経堂(左側)と開山堂(右側)
案内板によると
「開山堂は、立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、山内の僧侶が朝夕、食飯と香を供えてお勤めしている。江戸時代末期の再建である。」
と解説されていました。 -
納経堂を近くで見てみました。
本当に小さな御堂です。 -
五大堂からの眺め。
山寺駅と駅前の街並みです。 -
よ〜く見ると、私の車も見えました。
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五大堂からの眺め。
いつまででも眺めていたいと思えるほどの眺めです。 -
釈迦堂も見えました。
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五大堂の中です。
以前に訪れた時は、皆座って五大堂からの眺めを堪能していたのですが、今日は皆立って景色を眺めていました。 -
五大堂の奥にある磐司祠です。
磐司祠は、その昔、宝珠山を一大霊場にすることを念願した慈覚大師が、当山を住処にする猟師磐司にその旨を話すと、快諾した上に、殺生を絶って自ら宝珠山を駆け巡り、大師の立石寺開山を助けたと伝えられているそうです。 -
その奥は、一般の人は立ち入りできません。
恐らく、天狗岩に通じていると思われます。 -
五大堂へ上る石段。
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開山堂前から見た眺めです。
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開山堂付近(多分)に咲いていた山吹色の花
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胎内堂
ココから見ると崖上にあり、一般の人が立ち入り禁止となったのもわかります。
でも、以前は行けたというが・・・
この眺めを見ると、ちょっと行く気にはなれません(^^ゞ -
一通り見たし、下山することにしました。
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仁王門を横から見てみました。
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お盆を過ぎたというのに・・・
まだ紫陽花が綺麗に咲いていました。 -
どんどん石段を降りていきます。
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出る時は、山門ではなくこの寺務所から・・・
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山寺に登る前は気づきませんでしたが・・・
除夜の鐘で知られる鐘楼がありました。 -
下山口へ・・・
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抜苦門をくぐり山寺を出ました。
このあと、駐車場まで歩いて行き、秋田に向け出発しました。
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