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 鳳来寺山に登りに行き豊川で泊まったので、翌日豊川稲荷にお参り行きました。<br /> 豊川稲荷は、京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷とともに日本三代稲荷といわれています。私は前から一度豊川稲荷にお参りしたいと思っていたのです。 <br /> 豊川稲荷の他に、この日は豊川の史跡めぐりと山本勘助ゆかりの地も訪ねました。<br /> これは豊川稲荷と豊川の史跡めぐり、勘助ゆかりの地のアルバムです。 <br />

「♪豊川稲荷と豊川史跡めぐり」

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2007/10/05 - 2007/10/06

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ナオ

ナオさん

 鳳来寺山に登りに行き豊川で泊まったので、翌日豊川稲荷にお参り行きました。
 豊川稲荷は、京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷とともに日本三代稲荷といわれています。私は前から一度豊川稲荷にお参りしたいと思っていたのです。
 豊川稲荷の他に、この日は豊川の史跡めぐりと山本勘助ゆかりの地も訪ねました。
これは豊川稲荷と豊川の史跡めぐり、勘助ゆかりの地のアルバムです。

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  •  鳳来寺山に登りに行った機会に、豊川稲荷にもお参りしようと思い立ち、豊川に宿を取りました。<br /> 10月5日の宿は、netで予約しておいた豊川のホテル「ウィズTOYOKAWA」です。素泊まり予約だったのですが、チェックインの際に朝食の注文が出来ました。 <br /> 夕食は併設の「ゆうゆうランド豊川の湯」の中にあるレストランで取りました。 <br />

     鳳来寺山に登りに行った機会に、豊川稲荷にもお参りしようと思い立ち、豊川に宿を取りました。
     10月5日の宿は、netで予約しておいた豊川のホテル「ウィズTOYOKAWA」です。素泊まり予約だったのですが、チェックインの際に朝食の注文が出来ました。
     夕食は併設の「ゆうゆうランド豊川の湯」の中にあるレストランで取りました。

  •  日帰り温泉「ゆうゆうランド豊川の湯」は、ホテル「ウィズTOYOKAWA」に併設されており、「ウィズTOYOKAWA」に宿泊すれば、豊川の湯を無料で利用でき、とても便利で快適です。 <br /> 

     日帰り温泉「ゆうゆうランド豊川の湯」は、ホテル「ウィズTOYOKAWA」に併設されており、「ウィズTOYOKAWA」に宿泊すれば、豊川の湯を無料で利用でき、とても便利で快適です。
     

  •  「ゆうゆうランド豊川の湯」の中にあるレストランで食べたこの日の夕食です。 <br />

     「ゆうゆうランド豊川の湯」の中にあるレストランで食べたこの日の夕食です。

  •  これは翌日ホテル「ウィズTOYOKAWA」で、手配してくださった朝食です。食べた場所はホテルの一階の「養老乃滝」です。

     これは翌日ホテル「ウィズTOYOKAWA」で、手配してくださった朝食です。食べた場所はホテルの一階の「養老乃滝」です。

  •  豊川稲荷にお参りに行きました。<br /> ここは、豊川稲荷総門です。 <br /> 私たちは、右隣の有料駐車場(乗用車¥500)に車を止めて、この総門を潜って豊川稲荷にお参りしました。 <br />

     豊川稲荷にお参りに行きました。
     ここは、豊川稲荷総門です。
     私たちは、右隣の有料駐車場(乗用車¥500)に車を止めて、この総門を潜って豊川稲荷にお参りしました。

  •  豊川稲荷は江戸時代より庶民の間で、家内安全、交通安全、商売繁盛、福徳開運の神様として広く知られ、信仰されてきました。 <br />

     豊川稲荷は江戸時代より庶民の間で、家内安全、交通安全、商売繁盛、福徳開運の神様として広く知られ、信仰されてきました。

  •  豊川稲荷は、妙厳寺の境内に鎮守として祀られた「豊川枳尼真天」の通称なのだそうです。 <br />

     豊川稲荷は、妙厳寺の境内に鎮守として祀られた「豊川枳尼真天」の通称なのだそうです。

  •  私たちは豊川稲荷にお参りしました。 <br />

     私たちは豊川稲荷にお参りしました。

  •  ここは豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)に古くから保存されている宝物の展示館です。 <br />

     ここは豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)に古くから保存されている宝物の展示館です。

  •  境内に豊川稲荷のある豊川閣妙厳寺です。室町時代開創のお寺で、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、大岡越前守忠相、渡辺崋山などそうそうたる武人、文人達の信仰を集めてきたのだそうです。 <br />

     境内に豊川稲荷のある豊川閣妙厳寺です。室町時代開創のお寺で、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、大岡越前守忠相、渡辺崋山などそうそうたる武人、文人達の信仰を集めてきたのだそうです。

  •  豊川稲荷のまん前で古くから稲荷寿しを売る店です。私たちも買いましたが、1パック¥630でした。 <br />

     豊川稲荷のまん前で古くから稲荷寿しを売る店です。私たちも買いましたが、1パック¥630でした。

  •  国の天然記念物に指定されている牛久保の「ナギの木」がある熊野神社です。 <br /> 私たちの宿から近く、通りすがりに見えたので、立ち寄りました。 <br /> 

     国の天然記念物に指定されている牛久保の「ナギの木」がある熊野神社です。
     私たちの宿から近く、通りすがりに見えたので、立ち寄りました。
     

  •  国の天然記念物に指定されている牛久保の「ナギの木」は、熊野神社の境内にあります。 <br /> 幹回り3.5メートル、高さは20メートルあります。ナギの木がこれほど大きく成長することは珍しいのだそうで、昭和13年に国の天然記念物に指定されています。 <br />

     国の天然記念物に指定されている牛久保の「ナギの木」は、熊野神社の境内にあります。
     幹回り3.5メートル、高さは20メートルあります。ナギの木がこれほど大きく成長することは珍しいのだそうで、昭和13年に国の天然記念物に指定されています。

  •  次に財賀寺に行きました。財賀寺は聖武天皇の勅願により、僧・行基によって開創された寺で、本尊は千手観音です。 <br /> 財賀寺にある木造金剛力士像は、平安時代末期の作といわれ、奈良の東大寺に次ぐ大きさ(3.6m)を誇り、この寺の仁王門とともに国の重要文化財に指定されています。境内には文殊堂があり、智恵文殊としても有名です。 <br /> これは、パンフレットをそのまま書き写しただけですけれど・・・ <br /> 

     次に財賀寺に行きました。財賀寺は聖武天皇の勅願により、僧・行基によって開創された寺で、本尊は千手観音です。
     財賀寺にある木造金剛力士像は、平安時代末期の作といわれ、奈良の東大寺に次ぐ大きさ(3.6m)を誇り、この寺の仁王門とともに国の重要文化財に指定されています。境内には文殊堂があり、智恵文殊としても有名です。
     これは、パンフレットをそのまま書き写しただけですけれど・・・
     

  •  ここは国指定重要文化財になっている財賀寺の仁王門です。 <br />

     ここは国指定重要文化財になっている財賀寺の仁王門です。

  •   財賀寺仁王門の仁王像は国指定文化財になっています。近年修繕されたそうです。金網がかけられ、網越しにしか見えませんが、これはデジカメを網の目に押し当てて撮ったものです。 <br />

     財賀寺仁王門の仁王像は国指定文化財になっています。近年修繕されたそうです。金網がかけられ、網越しにしか見えませんが、これはデジカメを網の目に押し当てて撮ったものです。

  •  国指定重要文化財 仁王門修復と仁王様帰郷記念碑です。これによると、平成十年十月十日、横綱貴乃花の奉納土俵入りが、ここで行われたことがわかります。

     国指定重要文化財 仁王門修復と仁王様帰郷記念碑です。これによると、平成十年十月十日、横綱貴乃花の奉納土俵入りが、ここで行われたことがわかります。

  •  財賀寺ではこの日、告別式が行われていました。そういうわけで、部外者の私たちは、遠慮で、本堂にはお参りできませんでした。お寺の写真だけ撮ってきました。 <br />

     財賀寺ではこの日、告別式が行われていました。そういうわけで、部外者の私たちは、遠慮で、本堂にはお参りできませんでした。お寺の写真だけ撮ってきました。

  •  ここは三河国の国分寺跡です。三河国分寺跡は、天平13年(741)の聖武天皇の詔勅によって建てられた寺の跡です。現在、建物は残っていませんが、基壇や礎石の一部が発見されています。 <br /> その上に建てられている国分寺には銅鐘が伝わっています。 <br />

     ここは三河国の国分寺跡です。三河国分寺跡は、天平13年(741)の聖武天皇の詔勅によって建てられた寺の跡です。現在、建物は残っていませんが、基壇や礎石の一部が発見されています。
     その上に建てられている国分寺には銅鐘が伝わっています。

  •  三河国の国分寺跡に建てられた国分寺です。 <br />

     三河国の国分寺跡に建てられた国分寺です。

  •  この銅鐘は国宝で、元の三河国国分寺のものと伝わっています。 <br />

     この銅鐘は国宝で、元の三河国国分寺のものと伝わっています。

  •  八幡宮は、大分県の宇佐八幡宮から勧請された社だそうで、三河国分寺の鎮守として人々の尊崇を受けてきました。現在の本殿は、1477年に建立されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。 <br />

     八幡宮は、大分県の宇佐八幡宮から勧請された社だそうで、三河国分寺の鎮守として人々の尊崇を受けてきました。現在の本殿は、1477年に建立されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。

  •  これも、国の重要文化財に指定されている八幡宮本殿です。 <br />

     これも、国の重要文化財に指定されている八幡宮本殿です。

  •  続いて御油宿にやって来ました。<br /> ここは「御油の松並木」で、国の天然記念物に指定されています。 <br />

     続いて御油宿にやって来ました。
     ここは「御油の松並木」で、国の天然記念物に指定されています。

  •  ここが御油宿にと続く昔の街道で、ここには「御油の松並木」が残っており、国の天然記念物に指定されています。 <br />

     ここが御油宿にと続く昔の街道で、ここには「御油の松並木」が残っており、国の天然記念物に指定されています。

  •  ここは御油の本陣跡です。 <br />

     ここは御油の本陣跡です。

  •  御油宿は江戸時代東海道五十三次35番目の宿場として栄えた宿場町です。今でも当時を偲ばせる町並みが随所に残っています。 <br /> ゆっくり散策すれば、ちょっぴりノスタルジーを感じさせてくれ、古き良き時代に帰っていける、御油宿はそんな町です。 <br />

     御油宿は江戸時代東海道五十三次35番目の宿場として栄えた宿場町です。今でも当時を偲ばせる町並みが随所に残っています。
     ゆっくり散策すれば、ちょっぴりノスタルジーを感じさせてくれ、古き良き時代に帰っていける、御油宿はそんな町です。

  •  長谷寺にやって来ました。<br /> 豊川市牛久保町は牛久保城址もあり、歴史のある町です。山本勘助は大林家の養子となった15歳から、26歳で武者修行に旅立つまでの11年間をこの牛久保の地ですごしました。 <br /> 長谷寺は山本勘助の遺髪を納めた墓がある寺です。勘助の守り本尊だった摩利支天像は、今も長谷寺本堂に安置されています。 <br /> それは、勘助がこのお寺の念宗和尚と親交があり、生前に自分の遺髪と摩利支天像を託したからです。 <br />

     長谷寺にやって来ました。
     豊川市牛久保町は牛久保城址もあり、歴史のある町です。山本勘助は大林家の養子となった15歳から、26歳で武者修行に旅立つまでの11年間をこの牛久保の地ですごしました。
     長谷寺は山本勘助の遺髪を納めた墓がある寺です。勘助の守り本尊だった摩利支天像は、今も長谷寺本堂に安置されています。
     それは、勘助がこのお寺の念宗和尚と親交があり、生前に自分の遺髪と摩利支天像を託したからです。

  •  ここが山本勘助の遺髪を納めた墓です。長谷寺の念宗和尚は勘助と親交があり、生前に勘助から遺髪と摩利支天像を託されますが、勘助が川中島で討ち死にしたことを知った和尚は、その死をいたみ、境内に遺髪を納めた五輪の塔を建立したのだそうです。 <br />

     ここが山本勘助の遺髪を納めた墓です。長谷寺の念宗和尚は勘助と親交があり、生前に勘助から遺髪と摩利支天像を託されますが、勘助が川中島で討ち死にしたことを知った和尚は、その死をいたみ、境内に遺髪を納めた五輪の塔を建立したのだそうです。

  •  長谷寺は山本勘助の遺髪を納めた墓のあるお寺です。本堂には勘助が守り本尊にしていた摩利支天像が安置されています。これは一寸三分(約5・5センチメートル)の小さな像ですが、4匹の猪に乗った摩利支天の像です。 <br />

     長谷寺は山本勘助の遺髪を納めた墓のあるお寺です。本堂には勘助が守り本尊にしていた摩利支天像が安置されています。これは一寸三分(約5・5センチメートル)の小さな像ですが、4匹の猪に乗った摩利支天の像です。

  •   移動して山本勘助の生誕地に行きました。 <br /> 勘助の生誕の地は豊橋市賀茂町にあります。私たちは車を豊川の近くに止めておき、ゆっくりと賀茂周辺を散策しました。 <br />

     移動して山本勘助の生誕地に行きました。
     勘助の生誕の地は豊橋市賀茂町にあります。私たちは車を豊川の近くに止めておき、ゆっくりと賀茂周辺を散策しました。

  •   山本勘助は山本勘助晴幸といい、豊橋市賀茂町のこの場所で明応9年(1500年)8月15日に生まれたそうです。山本家は曽祖父の代に賀茂荘2500石を与えられこの地にやって来たそうで、祖父は賀茂神社の神官もしていたようです。 <br />

     山本勘助は山本勘助晴幸といい、豊橋市賀茂町のこの場所で明応9年(1500年)8月15日に生まれたそうです。山本家は曽祖父の代に賀茂荘2500石を与えられこの地にやって来たそうで、祖父は賀茂神社の神官もしていたようです。

  •  山本勘助の父は山本籐七郎光幸といい、勘助は籐七郎の三男です。ここには勘助生誕の地の碑や説明板がありました。 <br />

     山本勘助の父は山本籐七郎光幸といい、勘助は籐七郎の三男です。ここには勘助生誕の地の碑や説明板がありました。

  •  この辺りは柿の産地のようで、どこの畑にも大きな柿が枝もたわわに稔っていました。 <br />

     この辺りは柿の産地のようで、どこの畑にも大きな柿が枝もたわわに稔っていました。

  •  この辺りコウヤマキの高い垣根が続いています。鶴巻集落では、槇の高い垣根によって、風を防ぐとともに、水害の時には家から家財が流出するのを防いでいるのだそうです。 <br />

     この辺りコウヤマキの高い垣根が続いています。鶴巻集落では、槇の高い垣根によって、風を防ぐとともに、水害の時には家から家財が流出するのを防いでいるのだそうです。

  •   ここは山本家の菩提寺で、山本勘助の両親の墓のある本願寺です。 <br />

     ここは山本家の菩提寺で、山本勘助の両親の墓のある本願寺です。

  •  これが山本勘助の両親の墓です。 <br /> 勘助は山本籐七郎光幸の三男として生まれ、15歳の時に大林家に養子に行きますが、その後、大林家に実子が誕生したので、勘助は養子縁組を解き、山本姓にかえっています。 <br /> 訪ねた順は逆になっていますが、とにかく勘助の生誕の地と、勘助の墓といわれている所を訪ねることが出来ました。 <br /> 続いて、長篠城址を訪ねました。 <br />

     これが山本勘助の両親の墓です。
     勘助は山本籐七郎光幸の三男として生まれ、15歳の時に大林家に養子に行きますが、その後、大林家に実子が誕生したので、勘助は養子縁組を解き、山本姓にかえっています。
     訪ねた順は逆になっていますが、とにかく勘助の生誕の地と、勘助の墓といわれている所を訪ねることが出来ました。
     続いて、長篠城址を訪ねました。

  •  これは長篠の戦いの地図です。 <br /> 長篠の戦いは天正3年、武田勝頼が一万五千の大軍をもって長篠城を包囲したことにはじまります。長篠城は徳川方の城で、この時の城主は奥平貞昌でしたが、武田方の攻撃にわずか五百の兵をもって耐え、家康、信長に救援を求めます。これに答えて織田・徳川の連合軍が駆けつけ、設楽原で戦闘をくりひろげ、武田軍は決定的な打撃を被ります。 <br />

     これは長篠の戦いの地図です。
     長篠の戦いは天正3年、武田勝頼が一万五千の大軍をもって長篠城を包囲したことにはじまります。長篠城は徳川方の城で、この時の城主は奥平貞昌でしたが、武田方の攻撃にわずか五百の兵をもって耐え、家康、信長に救援を求めます。これに答えて織田・徳川の連合軍が駆けつけ、設楽原で戦闘をくりひろげ、武田軍は決定的な打撃を被ります。

  •  長篠城址に建つ史跡保存館です。ここには長篠の戦いに関する遺品や文献などが保存、展示されています。 <br />

     長篠城址に建つ史跡保存館です。ここには長篠の戦いに関する遺品や文献などが保存、展示されています。

  •  長篠城址です。 <br />

     長篠城址です。

  •  長篠城本丸址です。 <br />

     長篠城本丸址です。

  •  長篠の戦いの折の徳川家康の本陣跡です。<br /> <br /> 豊川周辺は、ある意味では『 歴史の証人』と言ってもいいような地ですね。散策していて、とても面白かったです。(^.^)<br />

     長篠の戦いの折の徳川家康の本陣跡です。
     
     豊川周辺は、ある意味では『 歴史の証人』と言ってもいいような地ですね。散策していて、とても面白かったです。(^.^)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ゆうこママさん 2010/01/18 23:37:06
    豊川おもしろそう
    豊川って面白そうですね。
    とっても丁寧な旅行記で参考になります。

    ナオ

    ナオさん からの返信 2010/01/19 01:21:53
    RE: 豊川おもしろそう
    ゆうこママさん コメントありがとうございます。

    > 豊川って面白そうですね。
    > とっても丁寧な旅行記で参考になります。

     豊川、いい所ですよ。
     ゆうこママさんは歴史がお好きなのですね。私も大好きです。
     最も私は欲張りだから、山も、温泉も、島も、お寺も、お城も全部大好きですけれど。
     豊川以外にも史跡めぐりのアルバムを結構作っているので、また見てやってください。私もまた見せていただきます。(*^_^*)

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