2009/08/12 - 2009/08/12
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Dry White Toastさん
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【♪デリーの旅行記のBGM♪】
http://www.youtube.com/watch?v=Qlym4eLWHFA
アイルランドの旅7日目。シャムロッカー・ツアーの5日目。
この日の朝8時半にイニシュモアを出発して、フェリーで本土へ戻り、長いドライブを経て、いよいよ国境を越えて「アイルランド共和国」から「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」へ入ります。
この前の旅行記でも触れましたが、ボーダーと言っても、見ため大きな違いは、交通標識の違い(特には速度表示がキロメートルからマイルに変わる)と、イギリスの店が極端に増えるくらい。
しかし、この後2日間北アイルランドに滞在して、ボーダーでは見ることのできなかった違いを垣間見たような気がします。
【その他のアイルランド一周ビール三昧の旅行記】
ダブリン(1〜2日目&9〜10日目)
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再びアイルランド共和国へ(9日目)
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デリー到着後、ツアー・メンバー全員でデリー市街のウォーキング・ツアーに参加しました。
中央に写っているおじさんがツアー・ガイドです。
以前は郵便配達の仕事をされていたそうで、街で人とすれ違うたびに声を掛けられていらっしゃいました。 -
シティ・ウォール
ヨーロッパでも、ここまで全て完璧に現存しているのは珍しいそうで、アイルランドではここだけだそうです。
ナショナリスト(多くがカソリック)とリパブリカンがシティ・ウォールの内側を行進することは未だに許されていないそうです。
1969年8月12日、この場所で起こった小競合いが原因でのボグサイドの紛争が起こったということです。 -
一目でユニオニスト(多くがプロテスタント)の居住区域とわかります。
以前、選挙権は一人一票ではなく、家の数(=税金をいくら納めているか)で投票数が割り当ていたそうです。
そのため、プロテスタントは多くの投票権を持ち、大多数のカソリックには持ち家がなかったため、投票権が与えられていなかった時代がありました。 -
St Columb's Cathedral
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ここには昔、塔があったそうです。
ガイドのおじさんも、小さい頃はここに良く上ったとおっしゃっていました。 -
Apprentice Boys of Derryの本部。
プロテスタントの男性のみ入会を許される組織。
ここの会員だけが、シティ・ウォールの内側を行進することが許されているそうです。
壁が白く汚れているのは、この組織に対する抗議によるもの。
ここは丘の上になるのですが、向かって左側の丘の下がボグサイト地区になります。
左側にある柵は、投石などから建物を防御するために立てられています。 -
ボグサイド側から見た、Apprentice Boys of Derry本部。
手前の壁にTerry McCaffertyの釈放を訴えるメッセージが。
Terry McCaffertyは政治犯として6年間投獄されていましたが、仮釈放されて間もない2008年のクリスマスの直前にベルファスト空港で家族と一緒にいるところを、ライセンスの失効という理由で警察に逮捕され、現在再び投獄されているそうです。 -
最初にこのスローガンが書かれたのは1969年1月。
ベルファストのクイーンズ大学の人民民主主義の学生達により計画された、ベルファストからデリーまでのデモ行進が、1969年1月1日に最初約40人でスタートしました。
行進は、途中デモに反対するロイヤリストから激しい抵抗を受けたものの、デリーから約8kmの所にあるBurntolletまでたどり着きました。
しかし、そこでは約200人の武装した群衆が彼らを待ち伏せていて、デモ参加者は襲撃を受けます。
多くのデモ参加者が病院へ運ばれ、残されたメンバーだけでデモ行進を続けました。
デリーに到着すると、最終目的地のギルドホール広場に向かう途中、彼らは再び襲撃を受けます。
そして広場での集会が終了すると、暴動が起こりました。
警察は彼らをボグサイド地区へ追い込み、その翌日1月5日の明け方、アルスター警察のメンバーはボグサイド地区の民家へ押し入り、住民を襲います。
その日の午後、1500人を超えるボグサイドの住人が武装しバリケードを築き、この地区への警察の立ち入りを許可しない旨彼らに伝え、その日からは、アームバンドをつけた住民が交代でパトロールを行い自衛体制に入ります。
この時最初に、John Caseyによってこのスローガンがここに書かれたそうです。 -
ガスマスクを着けた少年が火炎瓶を持つ姿。
1969年8月12日から14日まで起こった暴動事件、Battle of the Bogsideの様子。
それ以前から、住居や雇用の面で差別を受けていたカソリック系住民。
上記の1969年1月のアルスター警察によるボグサイド地区襲撃事件。
同年4月にも、アルスター警察による襲撃事件が起こり、その時は死亡者まで出て、ボグサイド地区では否応なしに動揺が高まっていきました。
その年8月12日に行われたApprentice Boys of Derryの1689年のプロテスタントの勝利を祝うパレードに対する抗議運動を行っていたナショナリスト達。
その際に起こったボグサイド住民とロイヤリストのささいな言い合いに発端し、暴動が起こりました。
この暴動事件がきっかけとなり、アイルランド紛争が北アイルランド全体に大きく広まっていきました。
偶然にも私がここを訪れた日は、Battle of the Bogsideからちょうど40年を経た8月12日でした。 -
アルスター警察が暴動を抑えるために撒いたCSガスから逃げ惑う住民。
このCSガスが原因で、住民の間で様々な呼吸障害が発生したそうです。
このガスの影響がわかっていたにもかかわらず、Bloody SundayでもCSガスが使われたそうです。 -
Bloody Sunday(血の日曜日事件)
この事件は、1972年1月30日、公民権運動デモ行進中のデリー市民27名が、イギリス陸軍パラシュート連隊第1大隊に銃撃された事件。
14名が死亡、13名負傷。市民は非武装で、うち5人は背後から射撃されたそうです。
Daly神父が、致命傷を負ったJackie Duddy(17歳)を安全な場所へ運ぶため、白いハンカチを振っている様子が描かれています。
まだこの先長い人生が待っていた17歳の若者。
自分のその人生が、これから先、少しでも公平な状態に近づくことを夢みてデモ行進に参加したのでしょう。
やるせないことに、志半ばで彼の尊い命は奪われてしまったのです。 -
Bloody Sundayで命を落とされた方々への慰霊碑。
14名のうち、6名が17歳。19歳、20歳、22歳が1名ずつ。 -
メガフォンを持っているのは、Bernadette Devlin McAliskey
1969年から74年まで、中部アルスター区選出の国会議員でした。
初当選の時点で彼女はまだ21歳で、国会議員としては当時最年少。
ボグサイド地区の紛争に関わっていたため、69年に一時期投獄されていますが、その後70年には再選しています。
1972年のBloody Sundayの目撃者でもあり、国会の場でそのことについて話をする機会を与えられなかったことに彼女は激怒していました。
当時の内務大臣レジナルド・モウドリングが「英軍は正当防衛のために発砲した」と発表した際には、堪りかねた彼女はモウドリングにパンチを食らわせ、一時国会出入り禁止の処分を受けたそうです。
彼女は、1976年から1981年に行われたハンガー・ストライキを中心とした政治犯受刑者の抗議活動をサポートしていたことでも知られています。 -
1981年に行われたハンガー・ストライキの記念碑。
このハンガー・ストライキは、1976年から1981年までの間、リパブリカンの政治犯受刑者によって行われた5年に渡る抗議活動の最終手段でした。
彼ら政治犯には一般の受刑者とは違う待遇(受刑服を着なくてもよい、所内の作業を行わなくてもよい等)を受ける権利があったのですが、1976年にイギリス政府がその特別待遇を廃止したため、彼らも一般受刑者と同じような扱いを受けるようになりました。
その抗議として、ブランケット・プロテスト(受刑服の着用を拒否したため、ブランケットを着ていたことに由来)に始まり、ダーティー・プロテストへと発展。
これは、受刑者が看守からの暴力から逃れるため独居室から出ることを拒否。シャワーやトイレは部屋の外にあるので、独居室にある洗面台にて用を足すようになります。
その後シャワーとトイレを独居室に備え付けてもらう要望が却下されたことから、抗議のため洗面台の使用も拒否。
独居室を出ることも拒否しているため室内の掃除も行われず、汚物も放置される状態が続きました。
ところが、これらの抗議活動が実を結ばなかったことから、Long Kesh(HM Prison Maze)の7名の受刑者によって1980年10月27日から53日間にも及ぶ最初のハンガーストライキが始まりました。
12月1日にはアーマー女性刑務所からも3名の受刑者がハンガーストライキに加わりました。これに伴い多くのLong Kesh(HM Prison Maze)の受刑者もこの抗議活動に加わりました。
結果、英国政府は受刑者の要求のさわりだけを認めて、12月18日にストライキは終了しました。
残念ながらこの抗議活動では受刑者の要求が認められたわけではなく、2回目のハンガーストライキが3月1日に始まりました。
この2回目のハンガーストライキによって、途中10名の受刑者が命を落とすこととなりましたが、ストライキは10月3日まで続きました。 -
北アイルランド紛争中に、英軍によって執り行われたOperation Motormanの様子。
この作戦は1972年7月31日午前4時に開始。
夜襲です。
この当時は、ゆっくり眠ることもできない生活を送ることを余儀なくされていたんですね。 -
-
1982年4月16日に、英兵Nigel Robert Englefieldによって近距離から打たれたプラスティック弾を頭に受けて、その3日後にわずか11歳でこの世を去ったStephen McConomy君を追悼するメッセージ。
この事件に関わった英兵は、誰一人として有罪判決を受けていないそうです。 -
ボグサイド地区。
ここでいくつもの尊い命が奪われました。
現在では、こうして観光客が訪れることができるまで落ち着いた状態になりました。
これから先も、この状態が続くことを願うばかりです。
ウォーキングツアー中、住民の方がこちらへ歩み寄って来られて、元郵便配達のガイドさんに、「これ、この間言ってたヤツよ」とCDを手渡していらっしゃいました。
北アイルランド滞在中に感じたのは、北アイルランドの人々はフレンドリーで素朴な人柄だということ。
この地区を始めとする北アイルランドの住民の多くが望んでいたのは平和だと思います。
好んであんな闘争を起こしたわけでないことは、北アイルランドの人たちを見ればよくわかりました。
カソリック系住民は自分達に与えられた不平等な境遇を改善するためにただただ頑張っていた結果、途中から誤った方向へ巻き込まれてしまったこと。
そして一部の過激派のこれまでの活動により悪い印象がつきまとう北アイルランドですが、メディアが伝える表面的なものだけでは分からないものがここにはありました。
実際に訪れて、初めてそこに少しだけ触れることができたような気がします。 -
デリーのど真ん中にある広場にそびえ立つ戦争記念碑。
1927年に建てられたそうです。
本来はイギリスのシェフィールドに建てられる予定が、シェフィールドで拒否されたため、デリーに建てられたのだとか。 -
オースティンズ百貨店。
1830年開業。独立系百貨店としては世界最古だそうです。 -
共和国側の物価高には、ほとほと参りました。
北アイルランドは英国なので、通貨もポンド、物価も安い!
ちょっと節約のため、本日のディナーはWetherspoon(イギリスのチェーンのパブ。安いです!)で。
料理が来るのを待つ間、アボット・エールで乾杯! -
ご飯、なかなか来ないから、ビール半分飲んじゃったわよ。
この日私がオーダーした、スカンピです。
おいおい、こりゃ揚げ過ぎだろう。。。
まあ、安いですからね、ここ。
クオリティを期待しちゃいけません。 -
夜は、パブへ繰り出します。
楽しみにしていたハープ・ラガーを飲みました。
まあ、フツーのラガーでした ^ ^;)
よって、この後はギネスに逆戻り〜。
北アイルランドではカフリーズを飲もうと張り切っていたのに、結局ドラフトで出しているパブを見つけることができずに、飲むことができませんでした(涙涙涙)
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この旅行記へのコメント (8)
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- とんちゃん健康一番さん 2009/11/30 13:01:02
- 7日目にお邪魔します.
- Dry White Toastさんへ♪
ちょっぴりご無沙汰しております!
>St Columb's Cathedral
素敵ですねぇ☆
光が射していて素敵!!
>少年が火炎瓶を持つ姿。
胸が痛いです。
こういう事が今後起こらない事を
願い祈りたいと思います。
また、お邪魔させて頂きます.
- Dry White Toastさん からの返信 2009/11/30 22:04:57
- 7日目にいらっしゃいませ♪
- とんちゃんさん、こんにちは♪
こちらのほうこそご無沙汰しております。
年末の里帰り&台湾旅行のリサーチに加え、通常の年末の忙しさが重なり、4トラ自体、ちょっとアクセス時間が減っちゃってます。
> >少年が火炎瓶を持つ姿。
> 胸が痛いです。
> こういう事が今後起こらない事を
> 願い祈りたいと思います。
本当に心からそう思うのですが、また最近IRA過激派の動きが活発化しているようで。。。
このエリアにも平和が訪れることを心から願うばかりです。
Dry White Toast
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- M-koku1さん 2009/09/01 23:40:12
- 重い内容ですね・・・
- 1981年にイギリスに越したので、
何となく覚えているような・・・
とにかく紛争の激しい時期で、
ロンドンの街中でもあちらこちらで爆破事件が起こり、
危ない情勢でした。
女王様の馬だったと思うんですが、
ハイドパークで殺されてしまったり
ハロッズのセールの初日が狙われたり、
それでも結構平気な顔をして毎日を送っていました。
アイルランド人(カソリック)のイギリスへの憎しみは生半可じゃないです。
それは今でも続いているようです。
日本と韓国、
韓国と中国、
アメリカとカナダ、
ドイツとフランス、
どうも隣り合った2つの国は仲良くなれないようですね。
ではまた M
P.S. ほんとにひどいスカンピですねえ。
揚げ物が下手な私でも、もう少し上手に作れそう・・・
- Dry White Toastさん からの返信 2009/09/02 05:14:25
- RE: 重い内容ですね・・・
- 楽しいはずの旅行記なのに、あそこまで重い内容になってしまって申し訳ないと思いつつも、あれがデリーのウォーキングツアーの内容だったので、そのまま伝えることにしました。
過去を知ることで、これから先、同じ過ちを二度と繰り返さないようにするためにも、このような形でここで実際に起こった悲しい出来事を学べたことには意義があったと感じました。
1981年といえば、確かイギリスは不景気の真っ只中でしたよね?
翌年はフォークランド紛争も始まっているし、不景気に紛争と、まさにイギリスの暗黒の時代とも言えますね。
M-koku1さんは、そのような時代をイギリスで過ごされたのですね。
テロ事件が相次いで起ころうが、紛争が起ころうが、結局のところは一般市民は収入を得るため仕事に行かなきゃならないし、食料を調達するのに買い物にも行かなきゃいけない。
不安を感じながらも、普段どおりの生活を送るしか選択肢がないんですよね。
そうそう、海を挟んでお隣(お向かい?)同士のイギリスとフランスも仲が悪いですね(笑)
p.s. スカンピは見ためどおりひどかったです。。。
-
- 迷子さん 2009/08/31 13:44:02
- こんな記念碑?慰霊碑?があったんすね・・・。
- このHの形は?
多くが収監されてた通称Hブロックを象徴すてるのかな?
ガイドさんはH(発音:ヘイチブロック?!)って
言ってたっすか?
前に教えてもらったっすが、パブでこの話で
Hブロック(BBCのニュースでもこう呼ばれてたっす)と
呼んだら・・・・・・・・・・・・
「我々リパブリカンはあそこをロングケッシュと呼ぶ!」って
教えられたっす〜。
ここ(北でも特にデリーとアーマーじゃ)
パブで飲むのも気を使いますただョ〜(涙)
初めてデリーへ行った時に案の定道に迷って
ボグサイド地区に入っちゃったんすが・・・・・・・
(ここがカトリックの牙城と知らず)
数十メートル措きに完全武装の英兵が立ってたのが怖かったっす。
この地域では胸に緑のリボンをすてる
人達を多く見掛けますただ。
和平が進んでも
未だに投石防止のフェンスは撤去されない現実があるんっすね。
- Dry White Toastさん からの返信 2009/08/31 18:03:19
- RE: こんな記念碑?慰霊碑?があったんすね・・・。
- まさしく、Hブロック/Long Keshの慰霊碑です。
迷子さんが行かれた時には、まだなかったんですね。
ガイドさんは、お仕事柄か、自分のバックグラウンドを極力出さずに、どこを解説する時にも、リパブリカン/ナショナリスト(場合によってはカソリック)はこうで、ユニオニスト(場合によってプロテスタント)はこうだと両方について説明してくださいました。
しかし!昨日の夕飯も思い出せないショートメモリーの私に全てが思い出せるわけもなく(特に人名に弱い。。)、ガイドさんのアイルランド訛りで聞き取れない部分もあり、家に帰ってからインターネットと格闘でした。
ガイドさんが「このHはハンガー・ストライキのHじゃない!」と強調されていました。こういうのは憶えてるんですが。
迷子さんがデリーへ行かれた時は、まだ完全武装の英兵が配備されていた頃だったんですね。
緑のリボンをつけている人も見かけなくなり、あの頃よりは随分と状況は改善されているようですが、それでもまだ根っこの部分のわだかまりはしっかりと残っていることも、今回の旅でよく分かりました。
10年や20年そこらで時間が解決してくれるほど事は単純ではないことも、実際に行って自分の目で見て地元の人の話を聞いて、初めて実感できたような気がします。
この先、和平が保たれた状態が続き、3代、4代と世代交代を経て初めて本当の平和のようなものが訪れるのでしょうね。
余談ですが、スコットランドのグレン・コーあたりの地域では、年配のマクドナルドさんやその一族達は、今でも「キャンベルを信用するな」と言っているそうです。
私の知り合いも、彼女のおじいさんにそう言われたと言っていました。
あの辺りのマクドナルド(もちろんハンバーガーではなく、クランの)が経営するパブでは、何年か前までは「キャンベルとイングランド人お断り」と書かれた紙が貼られていたそうで、最近になってそこからイングランド人が消され、今は「キャンベルお断り」になったそうです。
- 迷子さん からの返信 2009/09/01 20:46:43
- RE: RE: あれまっ、グレンコーでも・・・・。
- 一族の恥辱忘れまじ・・・なんすね。
(何かグレンコーの大虐殺の史実を観光に利用すてる感じもするが??)
北も都市部へ行くと
何かしら紛争の爪痕が観光スポット代わりになってる気がするどすな。
もうこの辺はやっぱり(史跡や施設、記念物も含め)
北アイルランドの歴史を多少は知らないと歩けないかも??
(だってさ、何も知らずに悪気はなくとも
カトリック居住区へユニオンジャック柄の洋服やバッグでノコノコ
入り込んじゃったりとかね、逆もありな訳で・・・・・・)
又歴史を知ってれば
壁に描かれた「ノー・サレンダー!」の意味も理解出来るしね。
デリーのボグサイドとベルファストのフォールズは
近代北アイルランド史の縮図っすね〜。
ドコでもそうだけど、紛争って長引けば長引くほど
解決が困難で大変な道のりになるどすな。
(ここもパレスチナもそうどすな)
北アイルランドが素朴でラブリィ〜な土地だけに
考えさせられる旅行記ですだ!
その意味で素晴らしい内容だと思いますだ。
- Dry White Toastさん からの返信 2009/09/02 04:28:18
- デリーは寂れてましたよ〜。そのうちMost Hauntedに登場するかも。
- デリーのほうは到着が夕方、翌朝には出発だったので、街にはほとんど人はいないし、かなり寂れた感じが漂っていました。
あまりの静けさに、ちょっと心配にすらなったくらいです。
紛争がどうのというよりも、不景気の影響のような気も。
昼間に行けばまた雰囲気が違って、もうちょっと観光地っぽかったのでしょうね。
ベルファストのほうは街の規模も大きいし、ブラックキャブツアーで見学をしたのも午前中だったので、観光バスも何台も見かけて、こちらのほうはしっかり観光地化されていた感はありましたね〜。
私も、どこへ行くにも、ある程度の予備知識は必要だとつくづく思います。
若かりし頃は、無知故に色々失敗もしただけに、年を重ねた今は、予備知識の必要性がわかるようになりました。
アイルランドも北アイルランドも、景色も素晴らしいけど、人が本当によかった。
この国の一番の魅力はアイルランドの人達だと思いました。
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