2009/08/04 - 2009/08/04
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神戸の須磨は瀬戸内海に面する須磨の浦で名高い白砂青松の景勝地だが、源氏物語の舞台でもある。須磨海岸には小倉百人一首で知られる平安歌人・在原 行平(ありわら の ゆきひら818−893年)の歌碑がある。在原 行平は在原業平(ありわら の なりひら825−880年)の異母兄で文徳天皇(もんとくてんのう827−858年)のときに須磨に蟄居させられているが理由はわかっていない。文徳天皇は惟喬親王(これたかしんのう844−897年)と後継争いをし後に清和天皇(せいわてんのう850−881年)になった惟仁親王(これひとしんのう)兄弟の父親だった。在原業平は後継争いに敗れた惟喬親王の従者であり、在原 行平も藤原 良房(ふじわら の よしふさ804−872年)が権勢を誇っていた時代に政争に巻き込まれて須磨に流されたのかも知れない。
歌碑には2首彫られている。
1首は小倉百人一首で知られる「立ちわかれいなばの山の峰におふるまつとしきかば今かへりこむ」――「お別れして、因幡(いなば)の国へと去(い)なば、任地の稲羽(いなば)山の峰に生えている松ではないが、私の帰りを待ち遠しく思ってくれるだろうか。故郷(くに)からの便りでそうと聞いたなら、すぐ帰って来よう」というもの。
もう1首の「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」は
「たまたまでも私のことを尋ねる人があれば須磨の浦で海藻を刈っては塩水を垂らしながら袖を涙に濡らして侘びしく暮らしていると答えて下さい」と須磨のわびしい蟄居生活を詠んだもの。源氏物語須磨の巻にも登場する名歌で在原 行平は須磨に左遷された光源氏のモデルだともいわれている。
須磨海岸は海水浴を楽しむ人たちで賑わっていたが、平安時代には在原 行平がこの海をわびしく見つめていたのだろう。
(写真は須磨海岸の光景)
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在原行平の歌碑。
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須磨海岸の松林。
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須磨海岸の松林。
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在原行平の歌碑の説明。
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須磨海岸の松林。
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在原行平の歌碑。
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須磨海岸の光景。
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須磨海岸の光景。
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須磨海岸前の光景。
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須磨海岸前の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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須磨海水浴場の光景。
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海水浴を楽しむ人たち。
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須磨海水浴場の光景。
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海水浴を楽しむ人たち。
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須磨海水浴場の光景。
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海水浴を楽しむ人たち。
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須磨の海。
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海水浴を楽しむ人たち。
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須磨の海。
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海水浴を楽しむ人たち。
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須磨の海。
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須磨の海。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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須磨を走るJRの電車。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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山陽月見山駅周辺の光景。
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